4月8日 聖日礼拝

マタイの福音書 22章34~40節、28章16~20節
「主イエスのように神と人を愛するものとして成長しましょう」
             東海聖書神学塾 後藤喜良師

先週の金曜日に入塾式がありました。
7人の方が入塾されました。
ここで学んだ方の感想は無味乾燥ではありません。
「今まで教会生活をして、いろんな話を聞いてきましたが、学んでやっと全部がつながりました」
「すっきりしました」
と言われます。
聖書が何を教えているか、どう生きるべきかが分かったと言われると嬉しく思います。
「そうだったんだ」
「こう生きていけばよいのか」
とすっきりクリアになると。

私たちは何のために生きているのか。
毎日、家庭、仕事、いろんなことがあります。
「一番大切なのは何か」を忘れて、なんとなく生きてしまいます。
結論を言ってしまうと
「私たちは、愛に満ちあふれていらっしゃる神の栄光を表すために、神と人を愛して生きる!」
このことだけ覚えていけばよいのです。

個人としては、
「飲むにも食べるにも神の栄光を表すためにする」
仕事、家庭、教会、全ての場で。
ラテン語で言えばSoli Deo Gloria「ただ神の栄光のために」。

では、どうすれば栄光を現せるのでしょうか。
私たちが神と人を愛することによってです。
主は、「できなかった」私たちを「できる者」にしてくださいます。

「私は使徒の中では最も小さい者であって、使徒と呼ばれる価値のない者です。なぜなら、私は神の教会を迫害したからです。
ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。そして、私に対するこの神の恵みは、むだにはならず、私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました。しかし、それは私ではなく、私にある神の恵みです。」
コリントⅠ15:9,10

「神は全能」と言います。
私たちと同じ人であられたイエスの内に、聖霊が働いて、完全な愛を実現されました。
それが「全能の力」であり、それは愛の力です。
神は、全世界を完成させることができる力を持っておられます。
神は、この私を作り替えて、聖霊に満たして、隣人を愛せるようにもしてくださいます。
神を褒め称え、栄光を表すために。

「私たちがまだ弱かったとき、キリストは定められた時に、不敬虔な者のために死んでくださいました。
正しい人のためにでも死ぬ人はほとんどありません。情け深い人のためには、進んで死ぬ人があるいはいるでしょう。
しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。」
ローマ5:6~8

イエスは、私たちのために全てを捨てて下さいました。
これほどの愛は他にはありません。
私のような罪深い者を作り替えて、自分を犠牲にする生き方ができるようにしてくださいました。

「愛するにはどうしたらいいでしょうか」と主に聞いて、それを行っているだけです。
私は神の愛を知りました。
味わいました。
そのように愛そうとしますが、なかなかうまくいきません。
それでも、神はそうしてくださると信じて、少しずつそういう歩みをしていくのです。
神が聖霊によって、私たちをイエスのように変えてくださっています。
一緒に神を褒め称えましょう。

神と人を愛するためにして欲しいのです。
自己中心をくいあらためて。
少しずつ、良い実を結ぶことで神の栄光を表すことができます。

「わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。」ヨハネ15:5

どれだけ実を結べるか。
その実によって父が栄光をお受けになります。
個人と家庭、仕事、全てにおいて神の愛を表すために。
政治もそうです。
隣人を愛するために、政治は行われるべきだと思います。
恵みを公平に分かち合うことができるようにするのが政治です。
今の不公平な分配は間違っていると思います。
私たちは税金を納めます。
それが隣人を愛するために用いられているでしょうか?
ぜひクリスチャンの中から政治を志す人が出て欲しいです。

さて、なぜここでマタイ28章16~28節なのでしょうか?
教会の働きは大きく4つあると言います。
礼拝、伝道、教育、交わりです。
神の栄光を表すために行われていることです。
教会の働きは神と人を愛するために行うものです。
そのことが忘れられていないでしょうか。

①伝道

「大宣教命令」と「愛の戒め」には何の関係があるのでしょうか。
私が40代の頃は別のことだと思っていました。
その頃シンガポールで集まりがあり、スコット先生に会うために参加しました。
私は先生にこのことを質問しました。
「全ての戒めは愛の戒めに含まれなければならない」
と、先生は答えました。
「教会成長を目的とするのは間違っている」とも言われました。
当時教会では「弟子訓練」云々が盛んでしたが、先生は否定的でした。
私はすっきりしました。

それ以来、私は聖書の始めに

「たとい、私が人の異言や、御使いの異言で話しても、愛がないなら、やかましいどらや、うるさいシンバルと同じです。」コリントⅠ15:1

からの御言葉を書いています。

②礼拝

礼拝は神との交わりです。
何のために毎週集まって、二千年前に書かれた本を読んでいるのでしょう。
神は愛の言葉を話してくださいます。
愛されていることを礼拝で確認するのです。
そして、聖餐式。
初代教会は毎週聖餐式をしていました。
礼拝こそが愛の確認です。
私たちは神の愛で愛し合おうという思いを与えられて、帰っていくのです。
礼拝は交わりの時です。
自分は神に愛されている幸せな者だと知って欲しいと思います。
聖霊が与えられているから、成長できると確信して、神と人を愛して生きていきましょう。
教会は、信者を増やすために伝道するのではありません。
皆に永遠に幸せになってもらいたいという思いで愛を表して欲しいのです。

③教育

クリスチャンは、信者でない人よりも他人を裁きやすい面があります。
イエスは山上の説教で「裁きあってはいけない」と言われました。(マタイ7:1)
子どもにも愛をもって、忍耐強くしなければなりません。
「正しいことをする」信者ではなく「人を愛する人」になって欲しいと思います。

④交わり

交わりは分かち合うと言う意味です。

「このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行ないを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。」マタイ5:16

良い行いをすること。
福祉の働きも教会の大切な働きなのです。
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プロテスタントのクリスチャンです。
佐藤たけるさんおたくです。

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