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3月25日 聖日礼拝

ペテロの手紙第1 1章3~12節
「信仰による救い」
              柳橋宏祐神学生

友人や家族と会っても、渇きがありました。
テレビを見ても満たされない。
欲しい、なりたい、という渇きが生まれてきます。
テレビを切って、寝ました。
心の中では、この渇きを満たすものは神さまだけだと知っているのに立ち返ることのできない罪の姿を認めざるをえません。
霊的な喜びがなく、渇くとき、神を求めているだろうか。
他のものを求めて、なお渇いているだろうか?

この手紙は、小アジアの教会に向けてペテロが書いた手紙です。

「そういうわけで、あなたがたは大いに喜んでいます。」1:6

「あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、いま見てはいないけれども信じており、ことばに尽くすことのできない、栄えに満ちた喜びにおどっています。」1:8

なぜこんな喜びが、彼らにはあったのでしょうか。

「私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神は、ご自分の大きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせて、生ける望みを持つようにしてくださいました。」1:3

主イエスキリストの父が褒め称えられるように、とペテロは書いています。
ペテロは、イエスは主であると告白しています。
主、大祭司、預言者として選び、油注がれたもの、それがキリストです。
その方が「神の子」であると宣言しています。
ペテロはそう信じ、従っていました。
主が自分を新しく生まれさせてくださった、と。

「イエスは答えて言われた。『まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。』」ヨハネ3:3

私たちは御霊によって、新しい命を吹き込まれています。
だから生ける望みを持てるようになりました。

「また、朽ちることも汚れることも、消えて行くこともない資産を受け継ぐようにしてくださいました。これはあなたがたのために、天にたくわえられているのです。」1:4

朽ちることも汚れることも、消えていくこともない資産。
資産とは、もともと「相続地」「割り当て値」「約束の地」という意味です。
エジプトから約束の地カナンへ導かれたユダヤ人は、バビロンによって滅ぼされました。
その後、解放されてエルサレムへ帰還します。
しかしそこは廃墟となっていました。
宮の再建が成されましたが、ソロモンの栄光とは比べられませんでした。
それも、いつ朽ちるか分かりません。
ユダヤ人は、はかなさ、空しさ、失われる不安を経験し、感じていました。
神が与える資産は、それとは全く違っていました。
この世ではなく、天に蓄えられる資産だからです。
新しく生まれさせ、御霊を与え、イエスがよみがえり天に昇り栄光にあずかったように、私たちも受け継ぐと約束されています。
それは生ける望みで、決してなくなりません。
受け継ぐ日まで、御力によって守ってくださいます。

「あなたがたは、信仰により、神の御力によって守られており、終わりのときに現わされるように用意されている救いをいただくのです。」1:5

私対はその約束を信じるだけです。

「そういうわけで、あなたがたは大いに喜んでいます。いまは、しばらくの間、さまざまの試練の中で、悲しまなければならないのですが、」1:6

その約束が大いなる喜びをもたらしました。
試練を耐え忍び、大いなる喜びに生きることができるようになりました。
今しばらくは試練の中で悲しまなければならない。
悲しむことは不信仰ではありません。
信仰が試されているのです。

「あなたがたの信仰の試練は、火で精錬されつつなお朽ちて行く金よりも尊く、イエス・キリストの現われのときに称賛と光栄と栄誉になることがわかります。」1:7

試練の中でも喜ぶことができる理由は、それが称賛と光栄と栄誉をもたらすからです。
それをイエスが共に喜んでくださいます。
金は、最も高価なものとされています。
信仰は、それよりも高価だとペテロは言います。
金でさえ朽ちるが、信仰は朽ちることがありません。

「なぜなら、神によって生まれた者はみな、世に勝つからです。私たちの信仰、これこそ、世に打ち勝った勝利です。」Ⅰヨハネ5:4

冠が与えられる日を待ち望み、互いに励まし合いましょう。
信仰を持ち続けられるように。
最後にはイエスが現れて、誉れを与えて下さると信じ続けましょう。
そのような信仰と望みが、大いなる喜びを与えて下さるのです。

「あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、いま見てはいないけれども信じており、ことばに尽くすことのできない、栄えに満ちた喜びにおどっています。
これは、信仰の結果である、{あなたがたの}たましいの救いを得ているからです。」
1:8,9

見たことがなくても信じている。
ペテロはイエスを実際に見ていました。
が、小アジアの教会の人々は見たことがありませんでした。
それでも同じようにイエスを愛し、信じていました。
それは魂の救いを得ているからです。

ルカの福音書7章36~50節に、人々から「罪深い」と言われていた女がイエスの足を自分の髪で洗い、香油を塗った話が書かれています。
その時、イエスは「この女は私を多く愛している。それは多く赦されたからだ」と言っています。

「しかし、イエスは女に言われた。『あなたの信仰が、あなたを救ったのです。安心して行きなさい。』」ルカ7:50

魂の救いは信仰によって与えられます。
罪の赦しを信じるとき、イエスを愛し、信頼を置くものへと帰られます。

「この救いについては、あなたがたに対する恵みについて預言した預言者たちも、熱心に尋ね、細かく調べました。
彼らは、自分たちのうちにおられるキリストの御霊が、キリストの苦難とそれに続く栄光を前もってあかしされたとき、だれを、また、どのような時をさして言われたのかを調べたのです。
彼らは、それらのことが、自分たちのためではなく、あなたがたのための奉仕であるとの啓示を受けました。そして今や、それらのことは、天から送られた聖霊によってあなたがたに福音を語った人々を通して、あなたがたに告げ知らされたのです。それは御使いたちもはっきり見たいと願っていることなのです。」
1:10~12

この救いは預言されていたものでした。
キリストの苦難と栄光が救いをもたらしました。
苦難とは、私たちの罪を赦すために罰せられたことです。
私たちもイエスの僕とされています。
失望させられることはありません。
イエスは慈しみ深く、全ての罪を赦して、主として導いてくださいます。
女は見捨てられていました。
どん底にいました。
でもイエスは全てを赦して、受け入れ、喜んで受け止めて下さいました。
どんな罪を持っていても、周りの人が見捨てても、イエスは見捨てません。
信頼を受け止めてくださいます。

そこには2つの喜びがあります。


新しく生まれさせ、望みを与えて、御国を受け継ぐ約束故の喜び。
将来への希望。

今、見てはいなけれどイエスを愛し、信頼できるという喜び。

私たちにもそれが与えられています。
両方とも目に見えないものから与えられています。
霊的な喜びは目に見えないものだからです。
私たちは、信仰によってこの世を生きる旅人であり、寄留者なのです。
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プロテスタントのクリスチャンです。
佐藤たけるさんおたくです。

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