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3月11日 聖日礼拝

ヨハネの福音書 4章1~30節
「あなたを救われるキリストの愛」
         東海聖書神学塾 後藤喜良師

主イエスがどのように私たちを愛し、救い、用いて下さるかを、サマリヤの女の物語を通して学んでいきたいと思います。
一言で言うと
「ビックリ仰天!」です。
イエスのなさることはビックリ仰天です。
どこを読んでも、髪の驚くばかりの愛を味わうことができます。
聖書朗読を聞いておられて、驚きませんでしたか?

「イエスがヨハネよりも弟子を多くつくって、バプテスマを授けていることがパリサイ人の耳に入った。それを主が知られたとき、
――イエスご自身はバプテスマを授けておられたのではなく、弟子たちであったが――」
4:1,2

弟子たちとは!
ペテロ、アンデレ、ピリポ、ナタナエルといった弟子たちは、まだ弟子になって半年しかたっていないのに!
彼らが洗礼を授けていたのです。
神学校の校長としては、「絶対こんなことをさせてはいけない!」というでしょう。
今日本では、どんなに短くても牧師になって10年経たないと洗礼を授けることはできません。
「どうしてそんなとんでもないことを!」
「それはやり過ぎです!」
と言いたくなりますが、イエスはそういう方です。

救われる=用いられる。
必ずです。
「できません」というような奉仕を与えてくださいます。
ペテロもヨハネも失敗したことでしょう。
でも、ちゃんと奉仕を与え、実行させて下さいます。
まさに「アメージンググレース」。
驚くべき恵みです。
この曲を作ったジョン・ニュートンは奴隷船の船長でした。
その彼が悔い改め、牧師になりました。
「私のようなものを用いて下さるなんて、驚くばかりの恵みとしかいいようがない」と彼は思ったのです。
「自分のようなものはとても用いて頂けない」と考えている人は、考えを改めて欲しいと思います。
以前もお話ししたように、私はとても人前で話ができるような人間ではありませんでした。
必要な物はすべて聖霊によって与えて下さいます。
自分には無理だと思っているほどの奉仕をさせて下さいます。

「主はユダヤを去って、またガリラヤへ行かれた。
しかし、サマリヤを通って行かなければならなかった。」
4:3,4

「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」使徒1:8

と主は言われました。
「地の果ては無理」と思うでしょう。
この命令を弟子たちは受け取りました。

「確かに偉大なのはこの敬虔の奥義です。『キリストは肉において現われ、霊において義と宣言され、御使いたちに見られ、諸国民の間に宣べ伝えられ、世界中で信じられ、栄光のうちに上げられた。』」テモテⅠ 3:16

「世界中で信じられ」たとは?
しかし弟子たちはイエスが言われたなら必ずそうなると確信していました。
トマスはインドで、ペテロは黒海の無効まで福音を伝えました。

イエスはエルサレムからユダヤ、サマリヤへ行こうとしていました。
ご自分がしようとされたことを弟子たちに命じられたのです。
「敵を愛しなさい」というイエスは、敵を愛されました。
イエスは自ら伝道しました

「シモン・ペテロは舟に上がって、網を陸地に引き上げた。それは百五十三匹の大きな魚でいっぱいであった。それほど多かったけれども、網は破れなかった。」ヨハネ21:11

ここに書かれている153匹という数字はすべての民族を象徴しています。

イエスは計画を持っておられました。
不思議なイエスの導きがあって、私は信仰へと導かれました。
私はロシア文学が好きでした。
ロシア文学を理解するには聖書を読まなければ行けないと思い、読んでみましたが、読んでも分からないので教会に行こうと思いました。
たまたま母が拾ったチラシを見て、教会に行きました。
そこにも驚くべきイエスの愛があると思います。
そのは母95歳です。
イエスの特別の導きがあなたにもあったと思います。

「ひとりのサマリヤの女が水をくみに来た。イエスは『わたしに水を飲ませてください』と言われた。
弟子たちは食物を買いに、町へ出かけていた。
そこで、そのサマリヤの女は言った。『あなたはユダヤ人なのに、どうしてサマリヤの女の私に、飲み水をお求めになるのですか。』――ユダヤ人はサマリヤ人とつきあいをしなかったからである――」
4:7~9

イエスは、いきなり自分から、サマリヤの女に話しかけます。
2,000年前のイスラエルで、日中男が女に声をかけるなんてあり得ませんでした。
してはいけないことでした。
特に律法学者は。
イエスの服には房があったので、イエスも律法学者と見られていたと思われます。
しかも、ユダヤ人がサマリヤ人になんてとんでもないことです。
すべてのタブーを越えて、イエスはこの女を愛して声を掛けられました。
あなたはいつイエスの言葉を聞きましたか?
今も、私を通して聞いていますね。

女はいぶかしく思ったことでしょう。
「水を飲ませて下さい」
とイエスは話しかけられました。
私はこの箇所を40年前に学びましたが、私は男性なので分かりませんでした。
教会の女性に聞いたら、「とても嬉しいです」と答えたのです!
それまで女が汲んだ水を飲んだのは、同棲中の男だけだったことでしょう。
女が汲んだ水を、イエスはおいしそうに飲まれました。

「つきあいをしなかった」というのは「同じ器を使わなかった」という表現です。
つまり、いっしょに食事をしなかったということです。
イエスは取税人のザアカイと共に生きることを示されました。
女はこのことを何度も思い返し、証したことでしょう。
みなさんも、イエスの愛と恵みにお返しし、お仕えする人生を歩んで欲しいと思います。

「イエスは答えて言われた。『もしあなたが神の賜物を知り、また、あなたに水を飲ませてくれと言う者がだれであるかを知っていたなら、あなたのほうでその人に求めたことでしょう。そしてその人はあなたに生ける水を与えたことでしょう。』」4:10

腰が抜けるような言葉です。
いきなり、まだなにも求めていないのに、
「神からのプレゼントを持って来た」
と言われたのです。

「私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神はキリストにあって、天にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。」エペソ1:3

イエスが与えて下さる祝福は、「すべての霊的祝福」です。
自分勝手な生き方をした女にさえです。
神の永遠の驚くべき祝福を持って来たと。
一方的なアガペーの愛で、恵みとして与えて下さいます。
感謝して受け止めればよいのです。
それが、救いです。
求めてさえもいないもの。
永遠に幸せになるために必要な物を、一方的に。
求めていないのに与えて下さる。
みなさんは、もう受け止めましたか?
神さまから届いた宅急便の中身を、ちゃんと確認していますか?
罪の赦し、神の子とされること、などなど、言い尽くすくとのできないほどの恵みを。

「ことばに表わせないほどの賜物のゆえに、神に感謝します。」コロサイⅡ 9:15

全て、もう受け取っていますか?
なぜこんなに幸せにされているのに、嘆くのか、悲しむのか、私にはわかりません。
みなさんも、ビックリ仰天して下さい!

「イエスは答えて言われた。『この水を飲む者はだれでも、また渇きます。
しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。』
女はイエスに言った。『先生。私が渇くことがなく、もうここまでくみに来なくてもよいように、その水を私に下さい。』」
4:13~15

女は「私に下さい」と言いました。
もしわたしがペテロで、その場に居合わせたら、
「お前のようなものは、そんなことを言ってはいけない」と言うことでしょう。
イエスは「悔い改めたから」賜物を与えたのでしょうか。
まだ悔い改め(=告白)ていない時に、イエスは与えられました。
悔い改めとは、Uターンすることです。
罪の悔い改めとは、罪を告白することです。
悔い改める前に、すでに赦されています。
罪を犯さなくなってから救われるのではありません。
生き方を変えることが求められています。

「イエスは彼女に言われた。『行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい。』
女は答えて言った。『私には夫はありません。』イエスは言われた。『私には夫がないというのは、もっともです。
あなたには夫が五人あったが、今あなたといっしょにいるのは、あなたの夫ではないからです。あなたが言ったことはほんとうです。』」
4:16~18

生き方を変えるために、イエスは「夫を連れて来なさい」と言われたのです。
罪を認めたら、主は赦して下さいます。
罪を認めて告白すれば赦されるからです。
変化は長い年月を掛けて少しずつ起こります。
失敗しながら、よい行いができるように成長していけばよいのです。

「女は言った。『先生。あなたは預言者だと思います。』」4:19

女性は話をそらそうとしたのか?と思いましたが、そうではないと思い直しました。
彼女は、本音は神に仕えたいと思っていたのです。

「…神はまた、人の心に永遠を与えられた。…」伝道者の書 3:11

彼女は、見かけは神を求めているようには見えないかも知れませんが、本当は求めていました。
イエスは「女の人よ」と呼びかけられました。
これは、イエスが母マリヤに呼びかけるときにも用いた言葉です。
女は待ちに帰り、人々に言いました。
呼びかけました。
今まで人目を避けていた女が、イエスのことを証しています。

「女は、自分の水がめを置いて町へ行き、人々に言った。
『来て、見てください。私のしたこと全部を私に言った人がいるのです。この方がキリストなのでしょうか。』
そこで、彼らは町を出て、イエスのほうへやって来た。」
4:28~30

彼女はスカルの教会のメンバーとして仕えたことでしょう。
あなたも用いられることができます。
よく分からなくても。
証をして欲しいと思います。
教えることはできないかもしれません。
でも、証はあなたの経験であり、確かなことで、誰も否定できません。
証以上に力のある伝道はないというのは、間違いのない真実です。
みなさん、ビックリ仰天されましたか?
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Author:ステファニー
プロテスタントのクリスチャンです。
佐藤たけるさんおたくです。

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