2月4日 聖日礼拝

エゼキエル書 33章 10~20節
「それぞれの態度に従って」
         大治福音自由教会 服部真光牧師

天地を創造された神は、私たちをどう見ておられるでしょうか。
どう評価しているのでしょうか。
自己評価はどうでしょうか。
今日はこのようなことについて考えたいと思います。

「人の子よ。イスラエルの家に言え。あなたがたはこう言っている。『私たちのそむきと罪は私たちの上にのしかかり、そのため、私たちは朽ち果てた。私たちはどうして生きられよう』と。
彼らにこう言え。『わたしは誓って言う。――神である主の御告げ――わたしは決して悪者の死を喜ばない。かえって、悪者がその態度を悔い改めて、生きることを喜ぶ。悔い改めよ。悪の道から立ち返れ。イスラエルの家よ。なぜ、あなたがたは死のうとするのか。』」
33:10、11

ここでエゼキエルは「イスラエルの家」に語ろうとしています。
つまり、クリスチャンに対して言っていると考えていいでしょう。
そして主は、「態度によって評価する」と言っているのです。
人間は、神が私をどう見るか、よりも自分や他の人がどういう評価をするかが気になります。
それは引き算の評価です。
「よいこと、正しいことをどれくらいしたか」という点数から、「失敗したこと、悪い行い」を差し引いていくのです。
よいことばかり100%とか、マイナス点は0と言う人はひとりもいないでしょう。
無意識のうちに、私たちは良いことから悪いことを引いています。
「よいこと」が多ければ「いい人」であり、「自分は大丈夫」と思えます。
マイナスになると、「ダメだ」「駄目な人だ」となります。
自分が人生でどういうことをしたかの差し引きで評価が決まるのです。
自分にとってプラスになる人はいい人。
マイナスな人は悪い人、という考え方もあります。

10節で、イスラエルの民は、「背きの罪のために生きられない」という自己評価を下しています。
罪の自覚がありました。
「自分はダメだ」「罪が大きく目の前にあるからダメだ」と。
しかし、「決して悪者の死を喜ばない」というのが神の心なのです。
正しい人でも、背きの罪を犯したら、正しさは覚えられず、罪の中で死ぬと。
悔い改めて神の前に出て、行いを改めるなら、赦して生きるものにすると。
引き算の逆転です。
どんなに罪が重くても、悔い改めて神の前に出るなら赦される、それが福音です。

「わたしが悪者に、『あなたは必ず死ぬ』と言っても、もし彼が自分の罪を悔い改め、公義と正義とを行ない、
その悪者が質物を返し、かすめた物を償い、不正をせず、いのちのおきてに従って歩むなら、彼は必ず生き、死ぬことはない。
彼が犯した罪は何一つ覚えられず、公義と正義とを行なった彼は必ず生きる。
あなたの民の者たちは、『主の態度は公正でない』と言っている。しかし、彼らの態度こそ公正でない。」
33:14~17

「あなたは必ず死ぬ」という言葉は、主がアダムに言われた言葉を思い出します。
主の赦しは、私たちの計算ではおかしいことです。
善がたくさんで、少しの罪でも死ぬのか?
大きな罪があっても、悔い改めるだけで生きるのか?
それは不公平だ、と人は言います。

ルカの福音書18章9節からのたとえ話にはパリサイ人と取税人の祈りが出てきます。

「パリサイ人は、立って、心の中でこんな祈りをした。『神よ。私はほかの人々のようにゆする者、不正な者、姦淫する者ではなく、ことにこの取税人のようではないことを、感謝します。
私は週に二度断食し、自分の受けるものはみな、その十分の一をささげております。』
ところが、取税人は遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、自分の胸をたたいて言った。『神さま。こんな罪人の私をあわれんでください。』
あなたがたに言うが、この人が、義と認められて家に帰りました。パリサイ人ではありません。なぜなら、だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるからです。」
ルカ18:11~14

これは重要なたとえです。
このたとえ話の後、19章でイエスはザアカイと出会うからです。
ザアカイはイエスを自分の家に迎えました。
今日、これからイエスが来る。
とりつくろうことはできません。
ありのままの場にイエスを迎えました。

行いは良いときも悪いときもあります。
ひとつでも罪があったらNGです。
真っ白な服にひとつでも染みが付いたら、それは台無しです。
人生に染みが付いてもたいしたことはない、でしょうか?
神は「聖い命を汚した」と言われます。
主は具体的な行為だけでなく、「自分をどう見るか」を見られます。

では「態度」とは?
時が良くても悪くても、神の御前にどう立つかです。
「聖くなったら教会に来ます」という人がいます。
しかし、たとえ話に出てくる取税人は

「遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、自分の胸をたたいて言った。
『神さま。こんな罪人の私をあわれんでください。』」
18:13

と祈りました。
主は態度を見られます。
人生は足し算で決まります。
福音を人生に加えて、日々生きることによって。
主の態度は公正でないでしょうか?
罪が赦されるなんて。
主はひとり子を遣わされ、私たちを神の子にして下さったのです。
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プロテスタントのクリスチャンです。
佐藤たけるさんおたくです。

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