1月21日 聖日礼拝

使徒の働き 2章 37~42節
「心を刺された人たち」
       hi-b.a.スタッフ 丸山告師

「聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。」テモテⅡ3:16

この御言葉は私が中1の時草加福音自由教会のJYLCキャmぷで与えられた者です。
講師の先生はインドネシアの西カリマンタンに遣わされていた安海宣教師でした。
そこで、インドネシアでの不思議な体験を聞きました。
日本ほど教育が行き届いていない地域も多く、識字率が低いと話されました。
聖書を我達しても、読めないのです。
特に年輩の方は。
あるご老人は、字は読めないけれど、礼拝の時に聖書の文字だけは読めたそうです。
普通の時間には読めないのに。
聖霊の働きです。
中1の時にの時に初めてこの手の話を聞いたので、心臓が高鳴ったのをはっきりと覚えています。
人を変える聖霊の力はすごいものです。
自分の理解や経験に治まらないすごいことが起こります。
先生はそれを体験しているのだ、と感動しました。
神は目に見えないけれど、神のして下さることははっきり見えることがたくさんあるのだと思いました。
その秋に洗礼を受けました。

みなさんは、みことばによって心揺さぶられた経験がありますか?
私は第2テモテの3章16節です。
みなさんはどうでしょうか?
初めて心揺さぶられたのはいつですか?
最近ではどうでしょうか?

ずっと順々に使徒の働きを学んできました。
先月はクリスマスでしたので、その前の11月に学んだのは、5旬節の日ペテロが初めて説教をしたところでした。
50日前までは、十字架を前にして逃げ出した説教者ペテロ。
表向きはユダと変わらない裏切った者です。
棄教寸前だったペテロ。
そのペテロが説教しています。
少なくとも3,000人が心を刺されました。
「説教を聞いた人」が3,000人なのではありません。
聞いて、心を刺され、バプテスマに到った人が3,000人です。
どれぐらい語ったのかは分かりませんが、1時間か2時間。
限られた時間の中で、3,000人の心を動かすことができるとしたら「営業トーク」としては完全でしょう。
ペテロは周りから見ても、仏のガリラヤ出身の漁師です。
一般人です。
神学をしっかり学んだ人ではありません。
論理性はありましたが、人をひきつけるオーラや巧みな話術に感動したわけではないでしょう。
なにに心を動かされたのか。
彼の内側から出る信仰の言葉によって心を刺されたのです。
感動させるだけなら、みことばでなくてもできます。
音楽、絵画など芸術の世界にもよくあることです。
動画を見ただけでも、たっt5分ほどでも感動します。

1年半前、1冊の本に出会いました。
その本によると、朝食は食べなくていいそうです。
一日一食でいいというのです。
そして、朝食をスムージーに変えました。
体型が変わりました。
本全体の中の1,2ページにしかかいてないのですが、改めて今読むと疑わしいなと思いました。

「一人の人と出会って人生が変わった」ということはあります。
でもそれは人生の終着点までのことです。
期間限定のうるおいにすぎません。
それを「はかない」と思った人は伝道者の書を読んで下さい。

心さされた人が、真の悔い改めまで導かれたことが大切です。

「そこで、彼のことばを受け入れた者は、バプテスマを受けた。その日、三千人ほどが弟子に加えられた。」2:41

「感動したけど、悔い改めというのはちょっと…」
「信じるのはちょっと…」
というのではありませんでした。
悔い改めとは何でしょうか。
信仰者として意識して悔い改めていますか?
私はクリスチャンなので、毎日祈ることが習慣になっています。
「趣味は悔い改めです」と言われたら違和感を感じるでしょう。
でも、悔い改めはとても大事です。

「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」マタイ3:2

「この時から、イエスは宣教を開始して、言われた。『悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。』」マタイ4:17

イエスの第一声がこれです。
でも、教会に初めて来た人に語りかける最初の言葉として、
「ようこそ。
 悔い改めが必要ですよ。」
とはならないでしょう。
それなりの関係性が必要です。
もし悔い改めのない信仰生活になっているのなら、見直さなければなりません。
「悔い改め」という言葉は「二度目に考えること」という意味があります。
「最初の思考が正しくなかった」という意味でもあります。
全ての罪と咎は、イエスによって赦されています。
私のために死んだ方がいます。
悔い改めから出発するということは今のままではいけないのだと気付くところから出発するという意味です。

高校生伝道をしていると、はかなさも感じます。
つねに3学年しかいないのです。
メンバーは成長したと思ったら卒業していきます。
中には成長した人もいると同時に、卒業してしばらくすると教会からも信仰からも離れてしまう人もいるというのも事実です。
そのような卒業生と話すこともあります。
それも私の仕事の一部です。
話していると、内容は共通しています。
・「高校生の時には信仰はあった」という過去の話になっている。
・「あの頃はイエス様ブームだった」みたいな。
・「飢え渇きを埋めてくれた」
・「自分が否定されない場所があの時必要だった」
土台はあくまでも自分。
中心は変えたくない自分の心。
心刺されるみことばの経験もしていたはずなのに。
本当の意味で悔い改めをスタートとする信仰ではなかったのかもしれません。

「新しくされた心」がこの教会のテーマソングです。
全能の力で新しく変わる。
「今の心にプラスして変わる」のではなく。
自分のために地上で一人の命が犠牲になっているのです。
私のために、一人死人が出ているのです。
その血潮が信仰へと導いていくのです。
信仰が長くなると、メリットを強調したくなるものです。
苦しいキリスト教ではなく、楽しいキリスト教を。

「そこで、彼のことばを受け入れた者は、バプテスマを受けた。その日、三千人ほどが弟子に加えられた。」2:41

イメージしましょう。
12弟子を中心とした120人が集まって祈っていました。
そこに3,000人が加えられました。
26倍です。
わかりやすくするために、最初にいた人数を100人とすると、2,600人のクリスチャンが生まれたということになります。
あま市の人口が88,000人です。
2,600人は33分の1です。
電車に乗っていたら、同じ車両にクリスチャンがいます。
ナフコにも。
七宝中学校は全校生徒520人です。
15人はクリスチャンがいる計算です。
1学年に5人。
あま市会議員は24名。
一人はクリスチャンがいることになります。
ひとりのクリスチャンが本当に信仰を持って歩むなら、半径500mまで影響が及ぶと言われます。
あま市の面積は27,5平方キロメートル。
1平方キロメートルに100人のクリスチャンがいることになります。
そんなことが実現していくのです。
同じ聖書の言葉を、私たちは今日も受けています。
もちろんいきなりこんなビッグウェーブがくるわけではありませんが、
「私はどうしたらいいのでしょうか?」
と聞くとき、心が変えられ、行動が変わり、習慣が、性質が変わっていきます。
それが同心円状に広がっていきます。
初代教会ではこうして新しくされた心が広がっていきました。
私たちも心新たにしていきたいと思います。
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Author:ステファニー
プロテスタントのクリスチャンです。
佐藤たけるさんおたくです。

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