12月3日 聖日礼拝

歴代誌第2 16章7~10節
「主と心をひとつにして」
         大治福音自由教会 服部真光師

待降節です。
主は私たちの訴えに耳を傾けて下さいます。
それならば、私たちも主のいおうとされることに耳を傾ける必要があります。

「すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた。
この方はもとから世におられ、世はこの方によって造られたのに、世はこの方を知らなかった。
この方はご自分のくにに来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった。
しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。」
ヨハネ1:9~13

この箇所は私たちに聖書の世界観を与えています。
世界は神が造った、神のものであり、すべて神が支配していました。
日本ではほとんどの人が創造主に対して無関心です。
神の国に主が戻ってこようとしているのに、イスラエルの人々は無関心でした。
「ロードオブザリング」という物語があります。
「王の帰還」というタイトルがありますが、しばらく不在だった王が戻ってくる、そのような状況です。

王の王たる役割はなんでしょうか。
民を外敵から守ること。
安心して暮らせる知性を保つとき、民を王を愛し、王を支えます。
聖書が示す世界観によると、降誕は、罪によって失われた世界に、ひとり子イエス(王)を送り、神の国を再建する働きです。
教会は神のみわざの基地です。
みこころを行い、地上で実践していく場です。

福音のメッセージはふたつあります。
多くの教会はひとつしか強調していません。

①神のメッセージを伝えること

「聞く」ことがなければ知ることはできないからです。

②言葉だけでは伝わらないので、見せること。

言葉は目に見えません。
メッセージを伝えても、聞く側に力がないと、理解できません。
メッセージを具体化して、理解を助けるのです。
主は愛の技で示されました。
イエスは人々の痛みや苦しみ、悩みを解決する為に労されました。
こんにちの教会で失って、弱くなっているのは、地に愛のわざを示すことではないでしょうか。

さて、歴代誌、列王記は、神が建てた国の歴史を記しています。
イスラエルはもともと主が王であったのに、「王が欲しい」と訴える民の求めに応じて、主はサウルを王として立てられました。
しかしその後、サウル王を退け、ダビデが王となりました。
その子ソロモンの後に王国は分裂しました。
北イスラエル王国、南ユダ王国。
その北側にはアラムという国がありました。
この分裂した国がどうなったかを示す書が歴代誌です、
今日学ぶのはユダのアサ王についてのできごとです。
アサについて学ぶとき、かみのみこころにかなう資質を学ぶことができます。
どのような時に道が開き、どのような時に閉ざされるのか。
歴史から学ぶためにこの書が書かれました。
教訓としない人は、過ちの歴史を繰り返します。

この頃南ユダと、北イスラエルが争い、北が南を圧迫していました。
その時、南ユダの王はアラムに援助を申し入れました。

「そのとき、予見者ハナニがユダの王アサのもとに来て、彼に言った。『あなたはアラムの王に拠り頼み、あなたの神、主に拠り頼みませんでした。それゆえ、アラム王の軍勢はあなたの手からのがれ出たのです。』」16:7

アサは国を守るために、政治力を遣いました。
が、その行為は「主により拠り頼まない」行為でした。
では、アサは神を信頼していなかったのでしょうか?

「あのクシュ人とルブ人は大軍勢ではなかったでしょうか。戦車と騎兵は非常におびただしかったではありませんか。しかし、あなたが主に拠り頼んだとき、主は彼らをあなたの手に渡されたのです。」16:8

アサは過去に、主に拠り頼み、大きな聞きを乗り越えた経験がありました。
主を信頼していないわけではないのです。
助けられた経験があるのです。
それなのに、それが次に生かされていない。
目の前の出来事に目を奪われて現実的な方法に拠り頼んでしまいます。

「主はその御目をもって、あまねく全地を見渡し、その心がご自分と全く一つになっている人々に御力をあらわしてくださるのです。あなたは、このことについて愚かなことをしました。今から、あなたは数々の戦いに巻き込まれます。」16:9

こんにちまで続く大事な原則です。
是非暗誦してほしい聖句です。
全地をくまなく見渡して、心が全くひとつになっている人に、主は力を表してくださる。
主は、ひとつの心になる人を探しておられます。
神と心がひとつになるためには、神がどんな心を持っておられるか、理解しなければなりません。
どんなに優れた人でも、永遠に支配することはできません。
次の代に自分の地位を明け渡さなければなりません。
主から頂いたものを誰に托すか。
後継者として選ぶなら、最も信頼する人でしょう。
自分の心を理解し、ビジョンを理解し、「私もそうしたい」と思ってくれる人でしょう。
私たちは主の祈りで「御心が天で行われるように地でも行われますように」と祈ります。
「私の心が」となっていないでしょうか?

私の尊敬する先生が「教会の会堂は魂のふるさとだから、主の御名を表すものを建てなければいけない」と言われました。
この会堂が建ったとき、その先生が我がことのように喜んでくれました。
御父もそのように見ていてくださいます。
兄弟姉妹の祈り、主の守りがあります。
心と心が主とつながれ、本気で「御心が行われますように」と思うなら、「私には力がない」「手立てがない」ことに気付きます。
そこに祈りが生まれます。
そのような経験ができるように祈って取り組むのです。

クリスチャン生活は二人三脚です。
心と心をつないで生きるのです。
神は高いところにいて「やれ!」と命じるだけの方ではありません。
主はずぐ横にいて、共に歩んでくださいます。
御子も、血と肉を持って地上に来て下さいました。
なぜでしょうか?
主に習ってくびきを負って生きるためです。
心をひとつに合わせなければ二人三脚で走ることはできません。
もし私と妻と二人三脚をしたらどうでしょうか。
私は体育専攻でしたから、私の思い通りに走ったら妻は付いて来れません。
もし妻に合わせていたら、レースには勝てないでしょう。
私は少し速度をゆるめて、妻は少しがんばって、歩み寄ることが必要です。
主は歩み寄って下さいます。
私たちも、主に合わせようとするとき、力が引き出されて用いられていきます。
かつてはできなかったことができるようになります。
与えられたものを通して、さらに用いられるようになります。
秘訣は、主の心とひとつにして、営みを気付き上げていくことなのです。
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プロテスタントのクリスチャンです。
佐藤たけるさんおたくです。

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