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11月26日 聖日礼拝

ヨハネの福音書 17章13~23節
「共に生きて真理を現す生活」
                  柳橋宏祐神学生

「この世界が平和になるように」という曲を昨日聴きました。
その時、現実を忘れていたことに気付きました。
イエスが山上で語られたように、
「平和を作り出す者は幸いです」。
神の子として平和を造る者となるように教えられていると思います。

「わたしは今みもとにまいります。わたしは彼らの中でわたしの喜びが全うされるために、世にあってこれらのことを話しているのです。」17:13

イエスがこの痴情での生涯を終え、十字架にかかり、復活に向かう前に、イエスが祈っている場面です。
イエスはこの世で真理を証し、神の愛を示されました。
業と言葉で、ご自分が何者であるかを証されたのです。
すなわち、「神から遣わされた神の子」であると。
弟子たちは、イエスはみ父が遣わされた救い主であると信じました。
信じた者の罪のあがないのために、イエスは十字架で身代わりの死を遂げ、父の元に返ろうとしています。

「わたしは、ただこの人々のためだけでなく、彼らのことばによってわたしを信じる人々のためにもお願いします。」17:20

イエスは、弟子たちだけでなく、弟子の言葉でイエスを信じる者のためにも祈っておられます。
弟子たちは福音を宣べ伝えました。
そこで信じた人々が、さらに宣べ伝えて、私たちにも届きました。
感謝なことです。
イエスは、やがて私たち救われることも知っていて、私たちのためにも祈って下さったのです。

イエスの祈りをひとつの言葉で表すしているのがこの御言葉です。

「彼らをこの世から取り去ってくださるようにというのではなく、悪い者から守ってくださるようにお願いします。」17:15
「真理によって彼らを聖め別ってください。あなたのみことばは真理です。」17:17

私たちは、日々悪い者から守られ、聖め別たれるよう祈っているでしょうか。
そのために、主は私たちを世に送り出されました。
私たちの存在意義はそこにあります。
世にあっては、常に悪い者からの攻撃があります。
創世記でサタンが偽りを語り、人は自分が神のようになることを選びました。
人は偽りを信じて、選んでしまったのです。
神に従うよりも、他の者にしたがって生きる方が幸せだと信じるようになってしまいました。
しかし、

「わたしがこの世のものでないように、彼らもこの世のものではありません。」17:16

私たちはこの世の者ではなく、神の者として、世に遣わされています。
そう確信して生きる時に生活が変わっていきます。
真理とは、神のみことばであり、それに従って生きていくときに,本当の喜びを得ることができます。

クリスチャンになることは、窮屈で不自由でつまらないと思ってしまうことがあるのではないでしょうか。
わたしたちは、罪を手放したいのにそれを愛してしまうからです。
「ナルニア国ものがたり」を書いたCSルイスはクリスチャンでしたが、「赤いトカゲを肩に乗せた亡者」の物語も書いています。

赤いトカゲは亡者の情欲の化身で、光り輝く人がそれを殺してしまうようにといいます。
しかし、彼はいろんな言い訳をして、先延ばしにします。
10回目にやっと同意した瞬間、彼は苦悩の声をあげながらよろめきますが、しばらくするとその亡者は輝く人に属する新しい 身体を与えられます。
死んだトカゲも立派な駿馬として甦り、天国へと駆け上っていきます。

永遠の命を与えるために、主は十字架にかかり、今は天でとりなしてくださっています。
私たちには、罪を捨てて従う自由があります。
私たちは罪を持っています。
日々、罪から聖め別たれる必要があります。
変えられ続ける歩みはすばらしいものです。
このすばらしさを知ることなく、クリスチャンとして歩んでいる人もたくさんいるとも思います。

「またわたしは、あなたがわたしに下さった栄光を、彼らに与えました。それは、わたしたちが一つであるように、彼らも一つであるためです。
わたしは彼らにおり、あなたはわたしにおられます。それは、彼らが全うされて一つとなるためです。それは、あなたがわたしを遣わされたことと、あなたがわたしを愛されたように彼らをも愛されたこととを、この世が知るためです。」
1:23,24

主は、イエスのひとり子としての栄光を私たちに与えて下さいました。
信じる者は、神の子の栄光を与えられています。
神の子になれるように、日々恵みを与えて下さっています。
やがてすべてがイエスの栄光を知るようになります。
イエスご自身が祈って下さったように、悪い者から守られ、聖め別たれ、真の自由で満たされて歩めるように祈っていきましょう。
本当に聖められて、愛に歩んでいくことが示されるとき、真理として周りにも証されていきます。

私たちはどのように歩むように召されているのでしょうか。
礼拝や祈り会で御言葉を聞き、賛美し、恵みにあずかることができます。
初代教会の人々は毎日集まり、賛美して、祈り、食事を共にして分かち合っていました。
だから彼らは力強く歩むことができました。
共に集まって、交わり、御言葉を聞き、賛美して祈るのがどれほど大切かを知り、主体的に取り組む必要があります。

「約束された方は真実な方ですから、私たちは動揺しないで、しっかりと希望を告白しようではありませんか。
また、互いに勧め合って、愛と善行を促すように注意し合おうではありませんか。
ある人々のように、いっしょに集まることをやめたりしないで、かえって励まし合い、かの日が近づいているのを見て、ますますそうしようではありませんか。」
ヘブル10:23~25

今日は宣教報告で、JIFHのことを聞きました。
この世界にあって、どのように愛と善行によって生きられるのか、互いに励まし合って生きていきましょう。
励ましが必要です。
御言葉を分かち合い、祈り合うことが必要です。
教会はそのためにあります。
真の喜びに満たされることをますます求めていきましょう。
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プロテスタントのクリスチャンです。
佐藤たけるさんおたくです。

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