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11月12日 聖日礼拝

ルカの福音書 19章 1~10節
「救ってくださいと言えない人を救われるキリスト」
            東海聖書神学塾 後藤喜良師

「それからイエスは、エリコに入って、町をお通りになった。
ここには、ザアカイという人がいたが、彼は取税人のかしらで、金持ちであった。」
19:1~2

今日は有名な箇所です。
でも、何度読んでもなかなか分からない。
なぜこの人がこんなことをしたのか。
最後に、「ああそうだったのだ」と、驚きと感動を持って喜びを頂きました。
同じ感覚を得て頂きたいと思います。
「あなたもザアカイだ」と。
私は日本にもたくさんのザアカイがいると実感しています。
家にも、友人にも、地域にも。

このザアカイの話はルカの福音書の中心の物語です。
ザアカイはどういう人でしょうか。
彼はエリコに住んでいました。
交通が便利な町で、ここに別荘を構えている人もいました。
世界で一番古い、町ができたところだと言われています。

ザアカイは「取税人のかしらで、金持ちであった」と言われています。
当時ローマ帝国が植民地の住民から税金を取っていました。
税額は所得税で5%でした。
カイザリアには総督がいました。
同胞からローマの税金を取り立てていたのが取税人です。
彼らはずるがしこく、取り立てたお金の半分は自分の者にしていました。
そのため、同胞からは「取税人はイスラエル人ではない」と言われていました。
「必ず神から罰を受ける罪人」とも呼んでいました。
町中の人から嫌われていました。
しかもザアカイはその取税人のかしらです。
特に取り立てがうまい人として、ローマ帝国が任命していたのです。
今で言うと悪徳金融業者の社長のような人です。
あなたなら取税人の仕事を選びますか?
間違いなく恨まれ、嫌われる仕事。
それをあえて選ぶことは普通しないでしょう。
ザアカイはそれを選び、それに打ち込んでかしらになりました。
なぜ間違いなく嫌われることが分かっているのに取税人になったのかが、私にはわかりませんでした。

「彼は、イエスがどんな方か見ようとしたが、背が低かったので、群衆のために見ることができなかった。
それで、イエスを見るために、前方に走り出て、いちじく桑の木に登った。ちょうどイエスがそこを通り過ぎようとしておられたからである。」19:3~4

背が低かった。
それはコンプレックスで、いじめられたかもしれません。
何とか見返してやりたいと思ったことでしょう。
「金持ちになってやる!」
「幸せになる!」
「見下してやる!」
と思ってこの職を選んだのではないでしょうか。
劣等感はとてつもなく大きな力を生み出します。
ザアカイは自分の仕事を喜び楽しんでいたのではないでしょうか。
30歳ぐらいのザアカイは、当時の平均寿命から考えると、自分の死を考える年齢になっていたことでしょう。
死んだらどこに行くのか。
このままではいけない。
という思いがわき上がったのではないでしょうか。
イエスはすでにザアカイを知っていたと思われます。

ルカの福音書には取税人という言葉が何回も出てきます。
弟子の中にも取税人がいます。
ザアカイは自分も救われるのではないかと思ったかも知れません。
パリサイ人たちは取税人は絶対に救われないと考えていました。
イエスだけは救われると言っておられました。
ザアカイはイエスに「救ってください」と言おうと考えました。
でもヤイロのようには言えない。
前に出て行けない。
「自分のような者が救ってくださいと言っていいのか?」
そんな思いから彼の口から出た言葉は

「主よ。ご覧ください。私の財産の半分を貧しい人たちに施します。また、だれからでも、私がだまし取った物は、四倍にして返します。」19:8

でした。
4倍にして返すというのは殺人に対する償いに値します。

教会の玄関に、10回来ては帰った人を知っています。
そんな人がたくさんいるのではないでしょうか。
たとえばイエスと共に十字架に付けられた人もそうです。
私は「右側の人」と呼んでいます。
彼は

「イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください。」ルカ23:42

としか言えませんでした。
「救ってください」とは言えなかったのです。

また、18章には金持ちの永遠のいのちを求めていた青年の話があります。

「イエスはこれを聞いて、その人に言われた。『あなたには、まだ一つだけ欠けたものがあります。あなたの持ち物を全部売り払い、貧しい人々に分けてやりなさい。そうすれば、あなたは天に宝を積むことになります。そのうえで、わたしについて来なさい。』
すると彼は、これを聞いて、非常に悲しんだ。たいへんな金持ちだったからである。」
ルカ18:22,23

「ついてきなさい」と言われたとき、「はい」と言えるでしょうか?
イエスしかいないから、イエスのところに行きたい。
でも「はい」と言えない。

「キリスト教はいいなあ。
なれたらいいなあとは思うけど、自分には無理。
お酒が飲めないでしょう?
たばこはダメでしょう?
収入の10分の1献金するなんて無理。」
「聖書に書いてあることをやれと言われても無理」

ザアカイは「救われたい」「イエスしかない」と分かっていましたが、言えない。
だから見ることしかできませんでした。
罪深いから無理・・・と。
クリスチャンでもザアカイはいます。
本当の思いや願いがなんなのか、はっきりと主に申し上げたらどうでしょうか。
申し上げれば与えられているはずです。

「神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行なわせてくださるのです。」ピリピ2:13

自分の思いを隠さないで、イエスの所にいきましょう。
見るだけでも良いから。
祈りにならない思いを持ったままで、主イエスに目を向けてください。
ザアカイは「救ってください」とは言えないまま桑の木に登りました。

「イエスは、ちょうどそこに来られて、上を見上げて彼に言われた。『ザアカイ。急いで降りて来なさい。きょうは、あなたの家に泊まることにしてあるから。』
ザアカイは、急いで降りて来て、そして大喜びでイエスを迎えた。」
19:5,6

「上を」とは「よく、じっと」という意味です。
どういう思いでイエスはザアカイを見ておられたのでしょうか。
ザアカイはどんな思いだったのでしょうか。
本当は救われたい。
あわれんでください、と言いたい。
でも私のような者が救われるわけがない。
そんな思いのザアカイに、イエスは名前を呼ばれました。

「だが、今、ヤコブよ。あなたを造り出した方、主はこう仰せられる。イスラエルよ。あなたを形造った方、主はこう仰せられる。『恐れるな。わたしがあなたを贖ったのだ。わたしはあなたの名を呼んだ。あなたはわたしのもの。』」イザヤ43:1

ザアカイは急いで降りてきました。
そして、主が言われたとおりに生きる人になりました。
「泊まることにしてある」とは「滞在する、ずっと存在している」という意味です。
なぜイエスからこのように申し出られたのでしょうか。
もしもザアカイが「どうぞ来て下さい」と行っていたら、他の人が押しとどめていたことでしょう。
これが十字架の愛です。
どうしてザアカイなのか?
どうして「私」ではないのか?
一人の人を救うために、そうした非難を受けて下さり、盾となって下さるのです。
多くの人はキリストを非難します。
でも、イエスはそういうお方です。

「主よ。ご覧ください。私の財産の半分を貧しい人たちに施します。また、だれからでも、私がだまし取った物は、四倍にして返します。」19:8

旧約聖書の定めによれば、盗みに対する賠償は損害の20%、強盗は倍返しでした。
そして、人を殺して奪った場合は4倍にして返さなければなりませんでした。
直接手を下していなくても、それに相当することをしてきたという思いがザアカイにはあったのでしょう。

ザアカイはイエスを「主」と告白しています。
心配しすぎてはいけません。
私は牧師になることをずっと主に断っていました。
でも、高3の時に降参しました。
自分が人前で話せるとは思っていませんでした。
だから「語る」「教える」賜物を求め続けました。
そして与えられました。
自分が神に役立つ者にされるためには、願う以上のことができるようにして下さるのです。
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Author:ステファニー
プロテスタントのクリスチャンです。
佐藤たけるさんおたくです。

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