10月15日 聖日礼拝

使徒の働き2章 14~21節
「満たされた結果」
東海Hi-b.a. 丸山告スタッフ

「そこで、ペテロは十一人とともに立って、声を張り上げ、人々にはっきりとこう言った。『ユダヤの人々、ならびにエルサレムに住むすべての人々。あなたがたに知っていただきたいことがあります。どうか、私のことばに耳を貸してください。
今は朝の九時ですから、あなたがたの思っているようにこの人たちは酔っているのではありません。』」
2:14、15

これはペテロの最初の説教であり、初代教会としても最初の説教です。
私自身が初めて説教を語ったときのことを思い出しながら、この御言葉によりそってみました。
神学生の時、キャラバン伝道の中高生対象の伝道集会でした。
普通は上級生がメッセージをするものですが、年齢が近い方がいいということで、一年生の私が選ばれました。
参加者は、初めて教会に来た中高生が8人。
もともといなかったのに、新しい人が8人もいるのは喜ばしいことなのですが、彼らは警戒していました。
名前を聞いても教えてくれない。
女子5人、全員バッグを膝に置いて話さない。
いつでも逃げられる体勢を取っていました。
押しても引いても手応えがありませんでした。
御言葉の時間になりました。
どれぐらい伝わっているのか、手応えがありません。
おそらく伝わっていないと確信しながら語っていました。
ペテロはいつ、どんな町で、だれに、どうやって、どのような主旨のことを語ったのでしょうか。

いつ:
「弟子たちがイエスの死体を盗んだ」といううわさを流されていましたが、集まっていた弟子たち。
イエスが天に帰られてから50日が過ぎ、その間に3つのグループが集まって祈っていました。
11人の弟子、婦人たち、イエスの親族です。
ペンテコステで、弟子たちは他国の言葉で話し始めました。
120人ぐらいの人が。
異様な光景です。
復活の証拠を示すなら、別の方法もあったのでは?と思えるほどです。

どこ:
外で。

だれに:
ユダヤ人たちに。
しかし、彼らには理解できませんでした。
「甘い葡萄酒に酔っている」と言う人もいました。
甘い葡萄酒とは、発酵中の葡萄酒です。
ぶどうの中の当分が発酵してアルコールになるのですから、甘いということはまだ発酵仕切っていない葡萄酒ということになります。
つまり、酔えません。
彼らはバカにしているのです。
ジョークとして言っているのです。
彼らは、弟子たちが聖霊に満たされているのを理解できませんでした。
菊川に準備が整っていたわけではなかったことになります。

どのように:
ペテロは声を張り上げました。
誤解を解こうとしました。
朝の9時です。
ユダヤ人には朝から葡萄酒を飲む人はいません。
ペテロが代表して語っていますが、「11人とともに立って」と書かれていますから、他の弟子も同席していました。
彼らの中には、雷の子と呼ばれるほど起こりやすい弟子もいたのに、起こっていません。
マタイは収税人でしたが目して座っていました。
そこには聖霊によって変えられた弟子たちの姿がありました。
新しくされた弟子たちです。

なにを:
ペテロの説教は旧約の引用を重ねた構成です。

「これは、預言者ヨエルによって語られた事です。」2:16

例話もありません。
パフォーマンスもありません。
理論的に、理性に訴えかけています。
シンプルに、「十字架はあなたがたのためだ」ということを語りました。

『神は言われる。終わりの日に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。
その日、わたしのしもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預言する。
また、わたしは、上は天に不思議なわざを示し、下は地にしるしを示す。それは、血と火と立ち上る煙である。
主の大いなる輝かしい日が来る前に、太陽はやみとなり、月は血に変わる。
しかし、主の名を呼ぶ者は、みな救われる。』
2:17~21

これはヨエル書2:29~32の引用です。
しかし、全く同じというわけではありません。
ペテロが意識的に変えて語っています。

「その後、わたしは、わたしの霊をすべての人に注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言し、年寄りは夢を見、若い男は幻を見る。
その日、わたしは、しもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。
わたしは天と地に、不思議なしるしを現わす。血と火と煙の柱である。
主の大いなる恐るべき日が来る前に、太陽はやみとなり、月は血に変わる。
しかし、主の名を呼ぶ者はみな救われる。主が仰せられたように、シオンの山、エルサレムに、のがれる者があるからだ。その生き残った者のうちに、主が呼ばれる者がいる。」
ヨエル2:28~31

「わたし」→「神」
「その後」→「終わりに日に」
「預言する」を繰り返している。
「しもべ」→「わたしのしもべ」
「天と地に」→「上は天、下は地に」

ペテロが伝えようとしているの次の3点です。
・神が旧約の時代のように王や預言者だけでなく、普通の人に語られる。
・黙示的な終末の預言。
・裁きの日。

ヨエル書が実現しているのは17節です。
「息子や娘」とは、未成年者、13歳未満の人です。
小学生以下ということになります。
若者は幻を見る。
神の幻に引き寄せられていく。
老人は夢を見る。
老人も将来への希望を置くことができる。

「主の名を呼ぶ者はみな救われる」

時代を超えて、二人の信仰者の言葉が重なっています。

ペテロは12弟子のリーダーで、イエスの一番近くにいました。
情熱家ですが、肝心なときに「知らない」と言ってしまいました。
3年間、イエスと寝食を共にしていました。
最終試験でペテロは大失敗をしました。
神学校なら落第です。
イエスは怒らず、教えず、優しいまなざしで赦しました。
そのペテロがここで初めてメッセージをしています。

説教の結果はこうです。

「人々はこれを聞いて心を刺され、ペテロとほかの使徒たちに、『兄弟たち。私たちはどうしたらよいでしょうか』と言った。」2:37

「そこで、彼のことばを受け入れた者は、バプテスマを受けた。その日、三千人ほどが弟子に加えられた。」2:41

ペテロの説教により、3,000人の人が信じて洗礼を受けたのです。

今の日本の牧師は「伝道は成功しない」という確信を持って伝道しています。
「人は救われない」という確信。
自分の最初のメッセージを振り返るとそうでした。
必ず救われるという確信を持ちましょう。
初めてのメッセージは私が18歳の時。
20年前です。
高校生の反応を見て、「失敗したな」と思いました。
招きをするかしないかは私に任されていました。
「無理だ」という手応えがあったので、やめようと思いました。
終わりにさしかかって、
「これが最後のチャンスかも知れない」という思いがよぎりました。
この高校生たちは、もう生涯御言葉を聞かないかも知れない。
選択のチャンスは二度と来ないかも知れない。
心に迫られました。
今ではそれは聖霊の導きだと思います。
「ここで聞かなければいつ聞くのか?」と自問自答し、心と裏腹に私は聞いていました。
信じるという決心をする人はいますかと。
不思議なことに5人が手をあげました。
「何で?」と聞き返したくなるぐらいビックリしました。
「え?信じるんだ!」と。

「しかし、主の名を呼ぶ者は、みな救われる。」2:21

このペテロの確信に立たなくてはなりません。
主の御名を呼ぶ、という原点に立たなければ。
「人は信じる」ということを信じなければならないのです。
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プロテスタントのクリスチャンです。
佐藤たけるさんおたくです。

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