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10月22日 聖日礼拝

コロサイ人への手紙 3章 1~11節
「上にあるものを求めなさい」
              柳橋宏祐神学生
 
今日のサブタイトルは「神の奥義であるキリストに結びあわされた者として」です。
パウロがコロサイの教会に手紙を書いたのには理由があります。
コロサイの教会はパウロが直接宣教したのではなく、若い教会でした。

「私たちは、いつもあなたがたのために祈り、私たちの主イエス・キリストの父なる神に感謝しています。
それは、キリスト・イエスに対するあなたがたの信仰と、すべての聖徒に対してあなたがたが抱いている愛のことを聞いたからです。
それらは、あなたがたのために天にたくわえられてある望みに基づくものです。あなたがたは、すでにこの望みのことを、福音の真理のことばの中で聞きました。」
コロサイ1:3~6

パウロは、彼らの、キリストへの愛と信仰を聞いて神に感謝を捧げています。
この箇所に照らして自己点検をしてみましょう。
日本の、世界の、兄弟姉妹に愛を抱いているでしょうか。
自分を振り返ると、数ヶ月ずっと、私は自分の信仰と愛が全く失われていることに気付かされました。
他の教会、他の国の兄弟姉妹への愛が冷えていき、毎日を生きること、教会に来ることもおっくうになっていきました。
巣は、こんな私にも「変わる」ことを教えて下さいます。
もともと私の内には信仰も愛もひとつもないのです。
天に蓄えられている望みを知るときに、喜びが与えられます。
私は福音を忘れてしまっているか、実際は理解していないのだと気付かされました。
全ては福音の中に語られています。
イエスの福音なしに、神ご自身について知ることはできません。
神のことばを語るとき、賛美するとき、祈るとき、イエスを忘れていないでしょうか。

「神の福音のために選び分けられ、使徒として召されたキリスト・イエスのしもべパウロ、
――この福音は、神がその預言者たちを通して、聖書において前から約束されたもので、
御子に関することです。御子は、肉によればダビデの子孫として生まれ、
聖い御霊によれば、死者の中からの復活により、大能によって公に神の御子として示された方、私たちの主イエス・キリストです。」
ローマ1:1~4

聖書の中心はイエスキリストです。
新約も旧約も中心は福音です。
神はご自身について、福音について、聖書を通して理解するように願っておられます。
コロサイ人への手紙の中心は福音、つまり神の奥義です。
神の奥義は、隠されていたものが、明らかにされた神の真理です。
イエスを信じ、さらに知る。
イエスを通して、神を知るのです。

「これは、多くの世代にわたって隠されていて、いま神の聖徒たちに現わされた奥義なのです。
神は聖徒たちに、この奥義が異邦人の間にあってどのように栄光に富んだものであるかを、知らせたいと思われたのです。この奥義とは、あなたがたの中におられるキリスト、栄光の望みのことです。
私たちは、このキリストを宣べ伝え、知恵を尽くして、あらゆる人を戒め、あらゆる人を教えています。それは、すべての人を、キリストにある成人として立たせるためです。
このために、私もまた、自分のうちに力強く働くキリストの力によって、労苦しながら奮闘しています。」
1:26~29

奥義を宣べ伝えることがパウロに与えられた使命でした。
キリストを宣べ伝え、人々が成人として立つこと、それが神の願いです。

「こういうわけで、もしあなたがたが、キリストとともによみがえらされたのなら、上にあるものを求めなさい。そこにはキリストが、神の右に座を占めておられます。」3:1

私たちはキリストと共によみがえらされました。
救われたということは、キリストに似たものに変えられていると言うことです。
もしキリストから離れていると必ず失敗します。
人を見下したり、高ぶったりしてしまいます。

人の知恵や、人の力による努力は効き目がありません。
私たちの肉は、神を喜ばせず、私たちを虜にします。
自分の罪によって裁きを受け、滅びるべき存在です。
私はかつて肉の欲に支配されて生きていました。
しかし、福音は全ての人に、神が与えて下さったよい知らせです。
神は私たちの罪のために御子を遣わされました。
主は、私たちを愛する義務も、救う責任も、御子を捧げる義務もなかったのに、一方的な愛とへりくだりによって、御子を遣わして下さいました。
それは永遠の昔から定められていた奥義です。
キリストと私たちはすでに一体です。
キリストの死は私たちのしであり、キリストの復活は私たちの復活です。
これが奥義です。

「あなたがたはすでに死んでおり、あなたがたのいのちは、キリストとともに、神のうちに隠されてあるからです。」3:3

私たちのいのちは隠されてあるので、奪われたり汚されたりすることがありません。
イエスはよみがえられ、神の右に座しておられます。
私たちもキリストのいるところにいさせるためです。

「わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。
わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。」
ヨハネ14:2,3

天に住まいが、命が、用意されています。
それらは取り去られることはなく、隠されています。
どれほど罪を犯しても、取り去られることはありません。
キリストと同じように清く、正しく、責められることのない者へ変えられる日が必ず来ます。

「ですから、地上のからだの諸部分、すなわち、不品行、汚れ、情欲、悪い欲、そしてむさぼりを殺してしまいなさい。このむさぼりが、そのまま偶像礼拝なのです。
このようなことのために、神の怒りが{不従順の子らの上に}下るのです。
あなたがたも、以前、そのようなものの中に生きていたときは、そのような歩み方をしていました。
しかし今は、あなたがたも、すべてこれらのこと、すなわち、怒り、憤り、悪意、そしり、あなたがたの口から出る恥ずべきことばを、捨ててしまいなさい。
互いに偽りを言ってはいけません。あなたがたは、古い人をその行ないといっしょに脱ぎ捨てて、
新しい人を着たのです。新しい人は、造り主のかたちに似せられてますます新しくされ、真の知識に至るのです。」
3:5~10

福音の真理に基づいて、このように生きるように、私たちは守られています。
罪に対して一切妥協しないこと。

自分の罪の全てを悔い改めることについて、真剣になれない自分がありました。
悔い改めるべき罪を野放しにしていました。
諦める罪がありました。
自分の基準、周りの雰囲気にまかせてしまっていることがありました。

本当に求めていくということは「殺してしまう」ことです。
弱らせるだけでなく、殺していくこと。
祝福を経験していくために。
すでに受け入れられているから、古い自分を殺すのです。

古い人を捨てるために新しい人を着ていくのです。
すでに私たちは着ています。
それは、キリストと結び会わされているということです。
新しい人は作り替えられていき、真の知識に到ります。

「聖くする」のはイエスに掛かっています。
私たちの努力によるのではありません。
キリストが全てです。
キリスト以外のものに頼るとき、一見賢く見えますが、何の効き目もありません。
罪は思っているよりもはるかに重く、神の恵みはそれよりはるかに大きいのです。
本当にそれを理解するときに、赦された罪人として感謝に生きていくように変えられます。

私たちは真の知識に到ります。
今はまだ到っていません。
不安を感じたり、空しく思う時もあります。
不確かだと思う時も。
これからのことをなにも予想できません。
天に到るまでに経験しなくてはいけないものがあります。
まだ真の姿にはならず、まだ真の知識も得ていません。
でも、やがて、必ず用意されています。
望みを持って、忍耐しながら、上にあるものを求めて生きていくようにと、恵みによって導いてくださることを信じます。
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プロテスタントのクリスチャンです。
佐藤たけるさんおたくです。

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