9月24日 聖日礼拝

テサロニケ人への手紙第1 5章 1~11節
「福音による圧倒的な望み」
              柳橋宏祐神学生

「兄弟たち。それらがいつなのか、またどういう時かについては、あなたがたは私たちに書いてもらう必要がありません。
主の日が夜中の盗人のように来るということは、あなたがた自身がよく承知しているからです。
人々が『平和だ。安全だ』と言っているそのようなときに、突如として滅びが彼らに襲いかかります。ちょうど妊婦に産みの苦しみが臨むようなもので、それをのがれることは決してできません。」
5:1~3

今は緊迫した世界情勢にあり、第3次世界大戦のうわさもあります。
が、主はもっと恐ろしい日が全世界に来ることを教えています。
ここで「主の日」と書かれている日です。
天地全てを造られた父なる神が、全ての悪に対して聖なる怒りで罰する日です。
私たちはその日を実感せずに日頃生きています。
美しい青空、きれいな草花、平和を感じて歩いています。
しかし、聖書は「絶えず目を覚ましている」ように言い、主イエスが帰ってくる日を警告しています。
それを心から受け止めて信じるのは勇気が要ることです。
今まで経験したこともなく、想像することも難しいことだからです。
神は世界を造られてから地上をごらんになり、大洪水で生きる者を滅ぼしたことが書かれています。
が、ノアと一家は生き残りました。
ノアはどんな気持ちで箱船を造ったか考えてみて欲しいと思います。
ノアは主の言葉を信じてそのとおりにしました。
神が語られたように洪水が来ると信じて自分と家族を救うために船を造りました。
ノアは神の裁きの恐ろしさと救いの憐れみを経験しました。

テサロニケ人への手紙は、パウロによって書かれた最後の手紙で、イエスの死語20年以内に書かれたと言われています。
パウロはイエスが神の子であ主であることを知って、悔い改めて、召された使徒として人生を捧げました。
彼は「すべてのことを福音のためにしています」(コリントⅠ9:23)と書いています。
彼は迫害していたキリストの福音を述べ伝える使命を受けて苦闘しました。
迫害を受けながら説教していました。
福音は神が持っている何よりもすばらしいものでした。
キリストの血により、全ての罪が赦されて御国を相続できる。
正しい者と認められ、そのように変えられ続けていくのです。

私たちには良心があっても悪を行ってしまいます。
パウロはこう言っています。

「私は、私のうち、すなわち、私の肉のうちに善が住んでいないのを知っています。私には善をしたいという願いがいつもあるのに、それを実行することがないからです。
私は、自分でしたいと思う善を行なわないで、かえって、したくない悪を行なっています。」
ローマ7:18,19

「私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。
私たちの主イエス・キリストのゆえに、ただ神に感謝します。ですから、この私は、心では神の律法に仕え、肉では罪の律法に仕えているのです。
こういうわけで、今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。
なぜなら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。」
ローマ7:24~8:2

イエスは罪から私たちを解放して、聖霊によっていつも神に喜ばれる生活をさせてくださいます。

1週間罪人として葛藤し、罪を犯してきました。
その時に立ち返るのは、主がすでに罪を赦して下さっているということです。
聖くして下さる霊が内に住んでいるという事実に立ち返ることができます。
自分の力に寄ってではなく、聖霊の助けによって。

テサロニケはギリシアにあり、パウロが迫害にめげずに作った教会です。
Ⅰテサロニケを読むと、パウロはテサロニケの人々に感謝しています。

「私たちは、いつもあなたがたすべてのために神に感謝し、祈りのときにあなたがたを覚え、
絶えず、私たちの父なる神の御前に、あなたがたの信仰の働き、愛の労苦、主イエス・キリストへの望みの忍耐を思い起こしています。

こうして、あなたがたは、マケドニヤとアカヤとのすべての信者の模範になったのです。」
1:2,3、7

マケドニア、アカヤとはギリシア一帯の地域を指します。
彼らは全ての信者の模範になったと言っています。

主の日について、聖書はどう言っているでしょうか。
① 滅びが世界に襲いかかる
② しかし、神は世を愛し、怒りから救い出して下さる
③ 救いの確信を持って主と共に生きるように招かれている

主の日は盗人のように来ます。
だれもその日を知ることができません。
防ぐことはできず、決して逃れられません。
テサロニケには偶像が満ちていました。
ギリシアの主要都市であり、不道徳な街でした。
私たちもいつも誘惑にさらされています。
現実に。
また、ネット上で。
そのために罪の心のとがめを感じなくなっているのかもしれません。
身近に死を経験するとき、死はいつ来るか分からないもので、人生は永遠に続くのではなく終わりに近づいているという事実が思い起こされます。
死後に神の裁きがあるという事実にも目が向きます。

「しかし、兄弟たち。あなたがたは暗やみの中にはいないのですから、その日が、盗人のようにあなたがたを襲うことはありません。
あなたがたはみな、光の子ども、昼の子どもだからです。私たちは、夜や暗やみの者ではありません。」

5:4、5

私たちはもう暗やみの中にはいません。
なぜなら主イエスキリストが世の光としてすでに来てくださっているからです。
尊い血により、罪を赦し、永遠の命を与えられ、天の御国を相続する約束を与えられているからです。
私たちはすでに救われています。
私たちは昼の者です。
互いに愛しあい、聖さを求めて成長するように造られています。
ただイエスを信じることによって、神との関係が回復され、イエスを待ち望むようになりました。
私たちは、イエスを主と告白し、仕えるように召されています。
それは苦しみの人生ではありません。
神の栄光のために、永遠に残る者のために生きるのです。
救いをもたらす福音を述べ伝えるのです。
信仰に堅くたち、葛藤があっても福音を伝えられるように励まし合い、祈り合うことがひつようです。
そのような交わりを持っているでしょうか。

「ですから、ほかの人々のように眠っていないで、目をさまして、慎み深くしていましょう。」5:6

目を覚まして慎み深くする。
つまり自制、セルフコントロールする。
私はイエスと出会う前は無気力に、ただ生きていました。
しかし、罪の結果が死であると知りました。
同時にこんな罪人を愛して下さるイエスの愛を知りました。
それは神による召しでした。
神によって召され、兄弟とされています。
イエスを信じ、イエスをよみがえらせた主を信じる信仰を持ちました。
神の愛は何かを与えてくれるからではなく愛する愛です。
自分のことのように思いやる愛。
十字架の死によって表してくださった愛です。
罪人のためにひとり子を与えて下さった愛です。

「神は、私たちが御怒りに会うようにお定めになったのではなく、主イエス・キリストにあって救いを得るようにお定めになったからです。
主が私たちのために死んでくださったのは、私たちが、目ざめていても、眠っていても、主とともに生きるためです。
ですから、あなたがたは、今しているとおり、互いに励まし合い、互いに徳を高め合いなさい。」
5:9~11

私たちは、行いによらず、キリストにあって救われるように定められています。
主と共に生きるために。
私たちにはイエスと共によみがえるという希望があります。
私は兄弟姉妹の励ましとなぐさめに助けられています。
私たちは、ますます熱心に、福音から離れることなく、共に歩み続けていけるように、励ましを必要としています。
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プロテスタントのクリスチャンです。
佐藤たけるさんおたくです。

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