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8月20日 聖日礼拝

テトスへの手紙 2章1~6節
「若者へのススメ」
       KGK副総主事 吉澤慎也師

私が副総主事を務めているKGKは、超教派の学生への宣教団体です。
主に大学生に宣教しています。

「しかし、あなたは健全な教えにふさわしいことを話しなさい。
老人たちには、自制し、謹厳で、慎み深くし、信仰と愛と忍耐とにおいて健全であるように。
同じように、年をとった婦人たちには、神に仕えている者らしく敬虔にふるまい、悪口を言わず、大酒のとりこにならず、良いことを教える者であるように。
そうすれば、彼女たちは、若い婦人たちに向かって、夫を愛し、子どもを愛し、
慎み深く、貞潔で、家事に励み、優しく、自分の夫に従順であるようにと、さとすことができるのです。それは、神のことばがそしられるようなことのないためです。
同じように、若い人々には、思慮深くあるように勧めなさい。」
2:1~6

今日の箇所は、年老いた人や婦人にこう勧めるようにと、クレテ教会の牧師であったテトスに書いた手紙です。
6節には若い人への勧めが書かれています。

「同じように、若い人々には、思慮深くあるように勧めなさい。」

私はKGKでクリスチャンの学生と関わることが多いです。
その時に「思慮深くあるように」という言葉を大切にしたいと考えています。
「教会に若者が少ない」とか「いない」とかいうことが言われています。
日本の社会は高齢社会であって、教会でもそれは同じです。
次世代を担う若者を育てていくこと、明日の教会を担う人を育てることが、課題のひとつとなっています。

クリスチャンの青年に対して、教会はどのようなススメをしていったらよいのでしょうか。
教会は彼らに、どのようなクリスチャンになってほしいと願うのでしょうか。
「中高生」ではなく、10代後半から20代前半のクリスチャン学生に対して、どのように勧めたらよいのでしょうか。
大学時代は大人への移行期です。
自立に向かう時期であり、未決定な時期です。
なにが決まっていないのか、というと、「仕事・配偶者」というような人生に大きな影響を及ぼすものが決まっていないのです。
それを決めていくのが学生時代です。
人生の重大なことをこれから決めていかなければならない時期。
だからこそ、思慮深くあるようにすすめたいのです。
「思慮深い」とは「深く物事を考える様子」です。
他の箇所では「慎み深く」とも訳されている単語です。

パウロはテトスに、「異端やニセ教師に対抗するための勧め」としてこの手紙を書きました。
当時異端やニセ教師が教会に入り込んでいました。

「実は、反抗的な者、空論に走る者、人を惑わす者が多くいます。特に、割礼を受けた人々がそうです。
彼らの口を封じなければいけません。彼らは、不正な利を得るために、教えてはいけないことを教え、家々を破壊しています。」
1:10,11

このような人々が教会の中にいたのです。
それに惑わされないようにと、パウロは教えました。

異端に流されて離れていった人々はこのような人々でした。
① 非本質的なことに心を奪われ、知性が腐っている
② 正しい良心をなくしている
③ 譜敬虔な生活をしている
こうならないように、「思慮深く」なるよう勧めているのです。

すなわち、「思慮深さとは」
① 知性を失わないこと
② 良心を失わないこと
③ 敬虔さを失わないこと
です。
これらが、次代育成のキーワードです。
健全な心を持って、自制心のある生活をすること=セルフコントロールです。
ノリや勢いや世の価値観、欲望に流されないことです。

思慮深く生きる生き方にはなにが必要でしょうか。
自分と向き合う強さ。
自分の内にある罪をしっかり見つめる強さ。
欲望をコントロールするしなやかな強さ。
「自分がやりたいことをするのが一番いい。自分らしく生きたい。そうすれば幸せになれる」
それを全否定するつもりはありませんが、信仰は、自分の願いを遮ってでも神に従うことを要求するものです。
「やりたいようにする」のが本当の自由とも限りません。

思慮深さに欠けると、良心をなくします。
善悪を判断するセンスが欠けます。
神への恐れをなくします。
信仰と生活を切り離した歩みに陥ってしまいます。
「教会での日曜日の世界」と「平日の世界」
「キリスト教の世界」と「それ以外の世界」
それぞれ別のこととして捕らえてしまうようになります。
あるとき、教会の若いクリスチャンの女性と話していて「今まで恋愛の事を祈ったことはありませんでした」と言われました。
「そういうことも祈っていいんですね」と。
また、「学校にいる自分を、教会の人に見られたくない」と告白する若者もいます。
いつもと違う自分がそこにいるからです。

若者を励ますために必要なのは、私たち大人自身が思慮深くあることです。
私たちがクリスチャンとしてどう生きているのか、若者はちゃんと見ています。
若者がクリスチャンとして生きていきたいと思うのは、思慮深く生きていこうとしている大人を見た時です。
世に流されまいと奮闘している、本気の大人に接する時です。

私は若者が成長する姿を見てきました。
そのプロセスには他のクリスチャンとの出会いがあります。
「こんなクリスチャンが本当にいるんだと驚いた」
「本物のクリスチャンを見た気がします」
といった、よいモデルとの出会いがあるのです。
教会にはよいモデルが必要です。
立派でなくても、カッコよくなくても、本気でもがいているクリスチャンです。
職場や家庭で奮闘している大人がそこにいるという、存在そのものが励ましとなります。

若者が変えられていく姿を見るのは喜びであり特権です。
ここに教会の未来・教会の明日があります。
若者に勧めながら、自分も思慮深く生きていきたいと思います。

最後に、「慎み深い」ことについて書かれている聖書の箇所を読みます。

「私は、自分に与えられた恵みによって、あなたがたひとりひとりに言います。だれでも、思うべき限度を越えて思い上がってはいけません。いや、むしろ、神がおのおのに分け与えてくださった信仰の量りに応じて、慎み深い考え方をしなさい。」ローマ12:3

「万物の終わりが近づきました。ですから、祈りのために、心を整え身を慎みなさい。」ペテロⅠ 4:7

キリストの体なる教会を建て上げるという文脈の中で使われている言葉です。
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Author:ステファニー
プロテスタントのクリスチャンです。
佐藤たけるさんおたくです。

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