FC2ブログ

8月6日 聖日礼拝

創世記 39章 1~9節
「主が共におられる祝福」
        大治福音自由教会 服部真光師

このヨセフという人は、聖書の中でも最も有名な人です。
奴隷としてエジプトに売られてから、大臣にまでなった人。
一見すると成功物語と読めます。
しかしそう読むと、聖書が語るメッセイー時を聞き逃してしまいます。
神のみこころを教えるためにこの物語が書かれていることを忘れてはいけません。
ヨセフのようなことは私の人生にも起こりうることです。
「私にはこんな事は起こらない」と思いますか?

この話には4つの場面があり、今日学ぶのは2つめの場面です。

①兄たちと共に過ごした時代:ヨセフびいきの父ヤコブのせいで、兄たちのひがみから殺されそうになるが、命拾いして奴隷としてエジプトへ売られる

②ポティファルの家の僕として仕えた時代:主人から目を留められ、用いられて全財産を管理するようになる

③ポティファルの妻の誘惑から陰謀、投獄へ:獄中で長から目を掛けられ囚人を管理する仕事に就き、囚人の夢を解き明かしたお返しに王への進言を頼むが忘れられる

④王の夢:王が解き明かす人を求めたときに、元囚人がヨセフのことを思いだし、解放され、やがてエジプト全土を管理する大臣に

「神が共におられたら、人生全てが思い通りになる」
そうでしょうか?

「主がヨセフとともにおられたので、彼は幸運な人となり、そのエジプト人の主人の家にいた。」39:2

ヨセフを通して、ポティファルは祝福されました。
それなのに、偽証で訴えられて牢獄に入りました。
それも「神が共におられたから」です。
うまくいった話だけに心を留めて、悪いことには目をつぶるのはいけません。

ペテロはイエスを「キリスト」と認め、告白しました。(マルコ8:27~)
それに応えてイエスが十字架の予告をされると、ペテロは「そんなことはありえない」と、イエスをいさめ始めました。
祝福と苦難は表裏一体です。
その両方を受け入れてこそ神のご計画を受け入れることになるのです。

ヨセフの生涯を振り返ってみましょう
・父の愛→
・兄弟からの憎しみ→
・ポティファルの信頼→
・ポティファルの妻の逆恨み→
・監獄での重用→
・約束を忘れられる→
・解放され大臣に→
・飢饉の時、父ヤコブ一家の移住→
・イスラエル人の繁栄

主は、イスラエルの一族を救うために、ヨセフを導いていかれました。
ヨセフの生涯には、痛みや苦しみがありました。
祝福があっても、一瞬で崩れ落ちていきました。
それでは、「神が共におられる祝福」とは何なのでしょうか?
「全てが順調にいくこと」でないことは確かです。

「彼の主人は、主が彼とともにおられ、主が彼のすることすべてを成功させてくださるのを見た。」39:3

ヨセフの主人も、主が共におられ、成功させて下さるのを見ました。
「主が共におられる祝福」とは、「神が私の思い通りにして下さる」ということではありません。
それでは神が「私たちの僕」になってしまいます。
私たちこそが神の僕です。
「○○してください」と全て神さま任せにして、私はなにをするのでしょう?
自分に任された持ち場、立場で、自分に与えられた機会や能力を最大限に発揮して、御心が行われようにするのです。

ヨセフの賜物は何だったでしょうか。

①夢の解き明かし
出来事の意味を説き明かす力。
 神のメッセージを読み取ることができました。
 なぜでしょうか?
 信仰があったからです。
 
「ふたりは彼に答えた。『私たちは夢を見たが、それを解き明かす人がいない。』ヨセフは彼らに言った。『それを解き明かすことは、神のなさることではありませんか。さあ、それを私に話してください。』」40:8

 神の言われることをそのまま受け入れる、素直な信仰を、ヨセフは持っていました。

②管理する力
 ヨセフはどこに行っても、与えられた賜物を生かして、誠実に事を行いました。

神は一人一人に賜物を与えて下さっています。
どこでも,どこの場面でも、それをしっかり生かすとき、その場に神の祝福をもたらします。
それはヨセフだけではありません。
ヨセフの父ヤコブ、その父のアブラハムにも、

「あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」12:3

と主は約束されました。

「それぞれが賜物を受けているのですから、神のさまざまな恵みの良い管理者として、その賜物を用いて、互いに仕え合いなさい。
語る人があれば、神のことばにふさわしく語り、奉仕する人があれば、神が豊かに備えてくださる力によって、それにふさわしく奉仕しなさい。それは、すべてのことにおいて、イエス・キリストを通して神があがめられるためです。栄光と支配が世々限りなくキリストにありますように。アーメン。」
1ペテロ4:10,11

主は私たちにも与えて下さっています。
「与えた」と断言されています。
「それは何でしょうか?」と尋ねればよいのです。
それに目を留めて、うまくいくときも行かないときも用いて、私の周囲を祝福していく。
そのような信仰の理解を持った人は、神が共におられる祝福を感じることができます。

「あなたがたは、世界の光です。山の上にある町は隠れる事ができません。」マタイ5:14

主は私を通して私の周囲も祝福しようとしておられるのです。
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

ステファニー

Author:ステファニー
プロテスタントのクリスチャンです。
佐藤たけるさんおたくです。

最新記事
最新コメント
カテゴリ
ユーザータグ

るろうに剣心 イベントレポ 天皇の料理番 バクマン。 セカネコ PFフライヤーズ 鶴瓶の家族に乾杯! 2010カレンダー 真田丸 何者 懸賞 あさが来た 知多 超ネプの法則 Q10 ピンポン 

月別アーカイブ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
//折りたたみ