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7月16日 聖日礼拝

使徒の働き 2章 1~13節
「聖霊の力」
             hi-b.a. 丸山告スタッフ

1週間、hi-b.a.のキャンプ場でワークキャンプをしてきました。
スタッフは最初から作業をしていますが、学生は入れ替わり立ち替わりキャンプ場に来ます。
キャンプ場には、私たちが「ガリラヤ湖」と呼んでいる池があるのですが、そこには水草が広がっています。
それを取り除きます。
蓮の花が満開でした。
窓をきれいにしたり、刈り払い機で草を刈ったり、やることはたくさんあります。
でも、途中から参加した人は、
「案外きれいだね」
といわれたりして、ちょっとムッとします。(笑)
今回一番大変だったのは、屋根に登っての作業でした。
利用する高校生は気付かないだろうと思います。
でも、意味がある作業です。
労力を凍死することに意味があります。

「聖霊の力」は、聖霊ご自身は強調しない力です。
「神さま」「イエス様」「聖霊さま」と言うとき、どの呼び名が一番しっくりきますか?
「神さま」は一番多く遣われるのではないでしょうか。
人格として、「イエス様」とも呼びかけるでしょう。
「聖霊さま」とはあまり言わないでしょう。
「聖霊さま」と呼びかけるのには何か違和感があります。
あまり人格的に関われる感じがしないからです。
三位一体の一人のお方であると言うよりも、目に見えない大きな力のようなものだと考えているのではないでしょうか?

「彼らが主を礼拝し、断食をしていると、聖霊が、『バルナバとサウロをわたしのために聖別して、わたしが召した任務につかせなさい』と言われた。」13:2

ここには、「聖霊が~言われた」と書かれています。
聖霊は人格的なお方であることが分かります。
今日の箇所は、「ペンテコステ」聖霊降臨のシーンです。
「風のような目に見えない力」ではなく、「炎のような分かれた舌」が現れたと書かれています。
これはなかなかイメージしにくく、理解しにくいです。
イエスが天に上げられてから50日。
120名の祈りの結果として、教会の誕生へ導かれました。
使徒たちは全ての民に語る用意ができたことを表すできごとです。

①使徒2章では、バベルの塔の逆のことが起きている。
②福音というすばらしい共通語が,聖霊によって拡大していく。
③聖霊を受けることは、神の愛を受け、満たされることである。



「すると突然、天から、激しい風が吹いて来るような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。
また、炎のような分かれた舌が現われて、ひとりひとりの上にとどまった。
すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。」
2:2~4

創世記11章にバベルの塔の記事があります。
その目的は、バベルの町を大きくして、神の所へ行くことでした。
神を追い出して、自分たちが支配するためです。
神に、自分たちの力で届こうとしたため、神は彼らの言葉を混乱させました。
そして人々は散らされていきました。

使徒の働きでは、弟子たちが様々な国の言葉で語りました。
国の違う人々がコミュニケーションできるようになりました。
協力して福音を伝えていくように。
ここで対比されているのは、「神が望まない人間の一致」と「神が望む形での人間の一致」です。

未知の人とつながろうとするときの方法として、一番簡単なのは「悪口」です。
高1の時、初めてクラスに入ったときのことです。
教室の中には話す気配がありませんでした。
みんな様子見をしている感じでした。
自己紹介の時間があって、金髪にロングヘアの子が、「サーフィンが趣味です」と言いました。
(実はサーフィンはやったことがなかったらしいですが)
その次の休み時間に、
「あいつなんかムカつく」
「そうだよね」
と、人が集まってきて話が盛り上がり、仲良しになりました。
人間は、よいことをするためにも結束できますが、悪い思いで結託することも簡単にできるのだと思いました。
小さなバベルの塔がたくさなるのです。
主はそれを望んではおられません。
ペンテコステでのできごとは、皆がひとつの言葉で話すようになるのではなく、様々な言葉で語るようになる、という方法で協力し合うこと。
文化や言葉の違いを、聖霊が超えていくのです。


「私たちは、パルテヤ人、メジヤ人、エラム人、またメソポタミヤ、ユダヤ、カパドキヤ、ポントとアジヤ、
フルギヤとパンフリヤ、エジプトとクレネに近いリビヤ地方などに住む者たち、また滞在中のローマ人たちで、
ユダヤ人もいれば改宗者もいる。またクレテ人とアラビヤ人なのに、あの人たちが、私たちのいろいろな国ことばで神の大きなみわざを語るのを聞こうとは。」
2:9~11

色んな人たちがそこにはいました。
東方の人、メソポタミア、西アジア。
ほとんどがアジア系の人々でした。
120人の弟子たちはガリラヤ出身の人々のはずなのに、様々な言葉で話しました。
「異言を語る」という不思議なことが起きたのもイレギュラーなことですが、ここのポイントは「神の御業が語られた」ということです。
キリストの十字架と復活は、自分のためであるという証です。
120人が同時に証をしたと考えれば共感できるのではないでしょうか。

9月中旬に開かれる東海宣教会議のプレユース大会が先日行われました。
この会議は、hi-b.a.とKGK、CCCという3つの団体が協力して実現したと言うことが素晴らしいのです。
それぞれの団体は、異なる特徴を持っています。
hi-b.a.は平日に定期的に弟子訓練を目的として活動しています。
KGKは学生主体の聖書研究会。
CCCは未信者へのアプローチを目指してキャンパスに出て行って活動します。
同じ信仰を持っているから、初めて会った人とも協力できるのです。


聖霊に満たされるとは、神の愛に満たされることです。
ペンテコステのできごとは、1回限りの特別なことかも知れません。
でも、聖霊の働きやその結果を怪しまずに受け入れましょう。
三位一体の本質は「愛のある方」です。
「神に愛されている」と感じるなら、それは「聖霊を受けている」と同義語です。

私の聖霊体験を話しましょう。
中学1年の時です。
私は小学校6年生から草加福音自由教会に通っていました。
その時、JYLCのキャンプに参加しました。
期待はしていませんでした。
ただいつもキャンプに参加するから、今年も行く、という感じでした。
講師は安海先生でした。
初日の、最初のメッセージで、開口一番こういわれました。
「この中で、すでに信じているのに洗礼は後でいいと思っている人はいませんか?
 洗礼を受けるのは、中学生でも早くないです。」
突然です。
「自分のことだ」と思いました。
先生は私の方だけを見ている気がしました。
心臓が高鳴ったのを覚えています。
神さまが直接語っている、と感じました。
「不思議なことが起きた」とか「病気が治った」とかではなく、「私を愛しているから、この日を造って下さったのだ」と感じたのです。
「自分も愛されている」と感じうるのは、立派な聖霊体験です。
人それぞれの形で。
私の場合は地味でしたが、実感がありました。

言葉では説明できない、というのが聖霊を受けた人を見ている人々の反応でした。

「人々はみな、驚き惑って、互いに『いったいこれはどうしたことか』と言った。」2:12

「しかし、ほかに『彼らは甘いぶどう酒に酔っているのだ』と言ってあざける者たちもいた。」2:13

二種類の反応がありました。
第一は、理解を超えた現実を探ろうとする人。
第二は、自分の考えられる経験の中で完結しようとする人。
キャンプ中に見違えるように変わっていく学生がいます。
ビックリするのは送り出した家族です。
教会の、割安なキャンプに参加させたら、クリスチャンになって帰ってきたのですから。
家族の反応も分かれます。
「早まるな。そんなものを信じてはいけない」と反対する。
「いったいどうしたことだろう」と疑問を持って教会に行く。

私たちも聖霊の力は感じるし、実際に聖霊を受けています。
聖霊の働きに目を注ぎ、耳を傾けましょう。
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Author:ステファニー
プロテスタントのクリスチャンです。
佐藤たけるさんおたくです。

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