7月9日 聖日礼拝

エペソ人への手紙 1章 15~23節
「神はキリストを与えられたほどに私たちを愛しておられます」
          東海聖書神学塾塾長 後藤喜良師

福音とはどういう意味でしょうか。
この教会の名前にも含まれています。
福音とは「喜びの知らせ」という意味です。
それを受け入れるとき、大きな喜びを持って生きることができます。
みなさんは、今日、福音の喜びを持っていますか?
「神に愛されている神の子である」という喜び。
お金や健康やそういったものによる喜びではなく、わたしたちにとっては、創造主が私たちを愛して下さり、子にして下さったということ。
そして、成長させて下さるということが一番の喜びの源です。
私はそれを喜び、感謝して歩んで行きたいと願っています。
そうしてくださるのは聖霊の働きです。
父は救いの計画をお立てになり、御子キリストが救いを完成して下さり、聖霊が一人一人の内に働いて下さいます。

それが、エペソ書の1章14節までで学んできたことです。
私たちにとって救いは単に「罪の赦し」「良いと認められたこと」だけでなく、生まれ変わり、神の子とされており、キリストの姿にまで完成されるということです。
それは「愛の人」としての完成です。
信仰生活は、毎日少しずつ、イエスの姿に変えられていくことです。
その喜びを味わいながら私たちは生きています。
私たちは、イエスと同じような経験をしながら変えられていきます。
「こういうとき、イエスはどうしただろう?」と、イエスに見習って生きていきます。
人と接し、愛していきます。
人生の中で経験することは、イエスがすでに経験されたことです。
イエスが出会ったのと同じような人と、私たちは出会います。
神の国に最初に行ったのはイエスです。
イエスのようでなければ神の国には入れません。
神は、「愛している」という証拠として御子を、キリストを、与えて下さいました。

今日の説教題を見て、聖書の言葉が思い浮かんだ方も多いでしょう。

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」ヨハネ3:16

もし全世界の聖書が焼かれてしまってなくなっても、この1節があれば人は救われる、とさえ言われている、「聖書の中の聖書」と言われている御言葉です。
ここで言われているのは、神が「世」を、すなわち「全ての人々」のために与えられたということです。

「また、神は、いっさいのものをキリストの足の下に従わせ、いっさいのものの上に立つかしらであるキリストを、教会にお与えになりました。」1:22

今日の箇所では、キリストを「教会に」お与えになったと書かれています。
教会、すなわちクリスチャンに、クリスチャンの集まりに、キリストをお与えになったというのです。

「ですから、キリストは、この世界に来て、こう言われるのです。『あなたは、いけにえやささげ物を望まないで、わたしのために、からだを造ってくださいました。
あなたは全焼のいけにえと罪のためのいけにえとで満足されませんでした。
そこでわたしは言いました。「さあ、わたしは来ました。聖書のある巻に、わたしについてしるされているとおり、神よ、あなたのみこころを行なうために。」』」
ヘブル10:5~7

御子が世に来て下さったのがクリスマスです。
イエスは罪を犯さず、みこころを行い、その義が私たちに与えられて、私たちの罪の全てを負って下さいました。
私たちの代わりに罰されて下さいました。
そして、3日後によみがえられました。
こうしてイエスの正しさが、私たちのものとされたのです。
イエスは天に帰り、聖霊をお与え下さいました。

時空を超えて、聖霊は私たちに救いを与えて下さいます。
聖霊が救いを持って来てくださいました。
「イエスの死は私の罪のためだ」と信じることができるのは聖霊の働きです。
私たちが神の子とされ、「父なる神」と呼べるのも聖霊の働きです。
2千年も前のイエスの十字架が「私の罪のためだ」と分かるのは、聖霊の働きによらなければできないことです。
聖霊によらなければ「イエスは主です」と言うことはできません。
「イエスは私の主です」と告白した人だけがバプテスマを受けます。
まだ「私の主」と分からない方、言えない方がおられるなら、祈って欲しいと思います。
理解できるように。
確信できるようにと。

信仰を持って告白できる人の心には喜びがあります。
聖霊の愛が注がれているからです。
その人には、神の子として歩む喜びがあるはずです。

イエスが「私に与えられた」ということはわかっても、エペソで言われていることが分かっていない人がいます。
教会の中には「10年後にはなくなっているかもしれない」と危惧している教会もあるのです。
以前ある教会に行きました。
私は他所の教会に行くときは「牧師」であることを明かさずに行きます。
そこは7,8名の高齢者が中心の教会で、女性の牧師でした。
平均年齢が73歳。
礼拝後、私は「牧師先生ですよね?」と話しかけられました。
「え?なぜ分かったんですか?」と尋ねると、
「あんなに大きな声で賛美をされる方は牧師に違いない」と言われました。
そして、「10年経たないうちにもう一度来て下さい」と言われました。
「10年後には私は生きているかどうか分からないから」と。

「また、神は、いっさいのものをキリストの足の下に従わせ、いっさいのものの上に立つかしらであるキリストを、教会にお与えになりました。」1:22

これは第2の福音。
教会への福音です。
イエスは復活し、昇天し、天の御国で着座されました。
そのとき、きっとこんな会話があったのではないかと想像します。
「イエスよ、人の罪を赦すための働きをよくしてくれた。
今、教会を完成させるためにもう一度おまえを教会に与えたいのだが、行ってくれるか?」
と。

「ただ、言っておきます。わたしの父の御国で、あなたがたと新しく飲むその日までは、わたしはもはや、ぶどうの実で造った物を飲むことはありません。」マタイ26:29

イエスは最後の晩餐で、こう言われました。
これは、「必ず天であなたがたと再び共に食事をする」という約束です。
全世界を治める王の王であるキリストを、主は教会にお与えになりました。
それは、「聖霊をお与えになった」ということです。
全ての信者に。
全ての教会にです。
聖霊はキリストご自身の霊です。

「自分は成長できるか?」と心配する必要はありません。
世界で最初のクリスチャンは誰だと思いますか?
それは、人としてのキリストです。
イエスは、試みや迫害の中でも、神の子として、神に従って生き抜かれました。
その方の霊が、私たちに与えられているのです。
神の愛に満たされて歩むなら、イエスのように生きることができます。
人間的な知恵や愛によってではなく、聖霊によって、イエスのように行きたいと願います。

主は、この名古屋西福音自由教会を愛し、この教会のために聖霊をお与えになりました。

「教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです。」1:23

聖霊は、教会が必要としているもの、一切を満たして与えて下さいます。
それを確信して欲しいと思います。
お金も含めて全てです。
しかし、物やお金だけではありません。
喜び、平安、知恵、力、全てを与えて満たして下さいます。
イエスと弟子に起きたことは、必ずここにも起こっています。
それでも、教会を建て上げたイエスが共におられます。
キリストが全てを満たして下さいます。

「――この『上られた』ということばは、彼がまず地の低い所に下られた、ということでなくて何でしょう。
この下られた方自身が、すべてのものを満たすために、もろもろの天よりも高く上られた方なのです――」
エペソ4:9,10
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

ステファニー

Author:ステファニー
プロテスタントのクリスチャンです。
佐藤たけるさんおたくです。

最新記事
最新コメント
カテゴリ
ユーザータグ

るろうに剣心 イベントレポ 天皇の料理番 バクマン。 セカネコ PFフライヤーズ 鶴瓶の家族に乾杯! 2010カレンダー 真田丸 何者 懸賞 あさが来た 知多 超ネプの法則 Q10 ピンポン 

月別アーカイブ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
//折りたたみ