6月25日 聖日礼拝

コリント人への手紙第2 5章 11~21節
「神の和解を全世界へ」
             柳橋神学生

私たちは全能であり創造主である主の愛を知ることができました。
主は一人一人に神ご自身を求めるよう訴えかけておられることを学びました。
神の「私を求めよ」という切なる思い。
一人として滅びることを望まず、信じて神を喜ぶ者になるようにと2000年前にイエスを遣わされました。
そして、教会を通して福音を世界の隅々にまで述べ伝えるようにとゆだねられました。

「こういうわけで、私たちは、主を恐れることを知っているので、人々を説得しようとするのです。私たちのことは、神の御前に明らかです。しかし、あなたがたの良心にも明らかになることが、私の望みです。」5:11

パウロが言う「主を恐れる」とはどういうことでしょうか。
「こういうわけで」の前の1節を見てみましょう。

「なぜなら、私たちはみな、キリストのさばきの座に現われて、善であれ悪であれ、各自その肉体にあってした行為に応じて報いを受けることになるからです。」5:10

ここには、裁きの日が来るということが書かれています。
私たちはその行いに応じて報いを受けると。
パウロはローマ人への手紙でこうも言っています。

「神は、ひとりひとりに、その人の行ないに従って報いをお与えになります。
忍耐をもって善を行ない、栄光と誉れと不滅のものとを求める者には、永遠のいのちを与え、
党派心を持ち、真理に従わないで不義に従う者には、怒りと憤りを下されるのです。」
ローマ2:6~8

神に従わず、他の物で自分の人生を支配しようとする者。
悪を行えば必ず報いがあることを知っているのに拒み、心で否定する。
それが罪です。
主は人の行為に応じて裁かれます。
裁きは、キリストの復活によって確証を与えられました。
よみがえられ、今は父の右の座に着いておられる御子は、万物について権威を持っておられます。
裁きの権威もです。
パウロは、主を恐れることを知っているから説得しようとするのです。

福音とはなんでしょうか。
パウロが最も大切なこととして伝えたことです。
イエスが十字架に死に、3日後によみがえられたこと。
神の約束がイエスによって成就したという歴史的な出来事です。
それを信じる信仰によって、主は私たちを義と認めて下さいます。
「義」とは、神の正しさです。

「私たちは前に、ユダヤ人もギリシヤ人も、すべての人が罪の下にあると責めたのです。
それは、次のように書いてあるとおりです。『義人はいない。ひとりもいない。
悟りのある人はいない。神を求める人はいない。
すべての人が迷い出て、みな、ともに無益な者となった。善を行なう人はいない。ひとりもいない。』」
ローマ3:9~12

全ての人は罪の下にあります。
だからこそ、福音は全ての造られた者にとってよい知らせなのです。
ただ信仰によって義と認めて下さるとは、一方的な恵みです。
それを受け止め、信じるだけで、主は私たちを受け止めて子として下さり、全ての者を受け継がせて下さいます。
キリストによって。
だから、パウロは福音に堅くたち続けるようにと勧めるのです。

しかし、パウロを避難する人が現れました。

「私たちはまたも自分自身をあなたがたに推薦しようとするのではありません。ただ、私たちのことを誇る機会をあなたがたに与えて、心においてではなく、うわべのことで誇る人たちに答えることができるようにさせたいのです。」5:12

パウロとはどんな人でしょうか。
ユダヤ人。
それも、厳格なユダヤ教徒でした。
イエスの一派を異端と考え、クリスチャンたちを牢に入れ刑に処すほどでした。
ところが、ダマスコへ向かう途中で、イエスご自身がパウロ(サウロ)に語りかけられました。

「ところが、道を進んで行って、ダマスコの近くまで来たとき、突然、天からの光が彼を巡り照らした。
彼は地に倒れて、『サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか』という声を聞いた。
彼が、『主よ。あなたはどなたですか』と言うと、お答えがあった。『わたしは、あなたが迫害しているイエスである。
立ち上がって、町に入りなさい。そうすれば、あなたのしなければならないことが告げられるはずです。』」
使徒9:3~6

こうしてパウロは回心し、異邦人伝道に絵師出されました。
そして、アジア、ヨーロッパへ福音を伝えました。
ユダヤ人からも、非ユダヤ人からも非難され、最後には殺されました。
パウロは、アジア、マケドニア、コリントへと伝道し、コリントには1年半滞在しました。
彼らを励ますために訪問もしました。
その後に第2の手紙を書いたと言われています。

「もし私たちが気が狂っているとすれば、それはただ神のためであり、もし正気であるとすれば、それはただあなたがたのためです。
というのは、キリストの愛が私たちを取り囲んでいるからです。私たちはこう考えました。ひとりの人がすべての人のために死んだ以上、すべての人が死んだのです。
また、キリストがすべての人のために死なれたのは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためなのです。
ですから、私たちは今後、人間的な標準で人を知ろうとはしません。かつては人間的な標準でキリストを知っていたとしても、今はもうそのような知り方はしません。
だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。
これらのことはすべて、神から出ているのです。神は、キリストによって、私たちをご自分と和解させ、また和解の務めを私たちに与えてくださいました。」
5:13~18

十字架の死によって示された、陣地を越えた愛が私たちを取り囲んでいます。
自分のためにだけ生きる人生は実を結ばない、空しい人生です。
キリストの支配の内にいることによって、私たちの中には新しい創造が始まっています。
聖霊によって、新しく生まれ変わっているからです。
これらは100%神から出ている、神の憐れみです。

「すなわち、神は、キリストにあって、この世をご自分と和解させ、違反行為の責めを人々に負わせないで、和解のことばを私たちにゆだねられたのです。
こういうわけで、私たちはキリストの使節なのです。ちょうど神が私たちを通して懇願しておられるようです。私たちは、キリストに代わって、あなたがたに願います。神の和解を受け入れなさい。」
5:19~20

主は、私たちに和解の言葉をゆだねてくださいました。
私たちを、ご自身の目的のために用いて下さるのです。
こうして私たちは、サタンにではなく、キリストに仕えるものとなりました。
パウロは言います。
神の和解を受け入れなさい。
恵みを無駄にしないように。
信仰によって留まり続けるように。
これは神から出ている願いであり、イエスは天で私たちを取りなし、主に懇願しておられるのです。
キリストの愛に限界はありません。
だあら私たちは伝えざるを得ません。
キリストの愛が取り囲んでいるからです。

「神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。」5:21

イエスは全ての罪を負って死んで下さいました。
「父よ、彼らをお許しください」と言って。
わたしたちは信じて受け入れるだけです。
その時に神との平和を持つのです。

創造主なる神は、反抗する人をも愛し、ひとり子を和解のために与えて下さいました。
そして、和解のこと場を私たちにゆだねて下さいました。
キリストの愛が私たちを取り囲んでいます。
イエスの為に生きるように、私たちは作り替えられました。
福音を知らずに生きている人がまだたくさんいます。
宣教のわざは、まだ終わっていません。
勇気を持って、人生の中で使命を全うしましょう。
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

ステファニー

Author:ステファニー
プロテスタントのクリスチャンです。
佐藤たけるさんおたくです。

最新記事
最新コメント
カテゴリ
ユーザータグ

るろうに剣心 イベントレポ 天皇の料理番 バクマン。 セカネコ PFフライヤーズ 鶴瓶の家族に乾杯! 2010カレンダー 真田丸 何者 懸賞 あさが来た 知多 超ネプの法則 Q10 ピンポン 

月別アーカイブ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
//折りたたみ