5月28日 聖日礼拝

使徒の働き 14章 25~26節
「神の選びとは」
           Hi-b.a. 丸山告スタッフ

3つ質問をします。

① あなたが面接官だとして、新人社員を採用しようとしています。
  志願者の1人は名古屋大学卒。もうひとりは無名の大学卒だとします。
  どちらを採用しますか?
② スーパーでりんごを買おうとしています。
  ひとつはつやのいい美味しそうなりんごで、ひとつは虫食いです。
  ひとつ選ぶとしたらどちらにしますか?
③ 二人の人がお金を貸して欲しいと言っています。
  一人は評判の良い人で、もう一人は最近引っ越してきたばかりでよく知らない人です。


常識的に考えて、どの場合も前者を選ぶのではないでしょうか。
私たちが選ぶ基準は、比較して良い方をとる、というものです。
それは経験から来ているもので、自分の利益や将来的な利益、有益さを見ています。
では、神の選びの基準はなんでしょうか?

前回キリストの復活後、使徒たちがどうやって聖霊を待っていたかを学びました。
弟子たち、婦人たち、イエスの兄弟たちがひとつに集まっていました。
そして、今回の箇所では、欠けた12使徒の補充について書かれています。

イエスにはたくさんの弟子がいました。
その中から特別に選び出された12人が「使徒」です。
最後に選ばれたのが、イエスを裏切ったイスカリオテのユダでした。
どの福音書でもそうなっています。
ユダはイエスを裏切っただけではありません。
他の弟子たちがガリラヤ出身だったのに対して、ユダはカリオテという都会の出身です。
会計を任されるほどの能力もありました。
イエスが彼を選んだとき、徹夜で祈って選びました。
彼以外にもたくさんの弟子がいました。
マッテヤもバルサバも。
それでもイエスはユダを選びました。
しかし、ユダの死によって使徒は11人になってしまいました。
使徒を補充する必要があるのでしょうか?
11人でいいのではないでしょうか?
あえて他に選ぶ必要があるのかどうか…。
彼らは聖書を読みながらみこころを尋ねました。
そして、新しい人物を選ぶべきだと知りました。

「実は詩篇には、こう書いてあるのです。『彼の住まいは荒れ果てよ、そこには住む者がいなくなれ。』また、『その職は、ほかの人に取らせよ。』
ですから、主イエスが私たちといっしょに生活された間、
すなわち、ヨハネのバプテスマから始まって、私たちを離れて天に上げられた日までの間、いつも私たちと行動をともにした者の中から、だれかひとりが、私たちとともにイエスの復活の証人とならなければなりません。」
1:20~22

そもそもなぜ12使徒だったのか、というと「イスラエルの12部族ひとつひとつに遣わす」という意味合いがあったのです。
初代教会が新たな使徒を選んだのは、ペテロ個人の意見ではなく、信仰によって聖書を開いたからです。
ここは、

「彼らの陣営を荒れ果てさせ、彼らの宿営にはだれも住む者がないようにしてください。」詩篇69:25

「彼の日はわずかとなり、彼の仕事は他人が取り、」詩篇109:8

から来ています。
こうして新しい使徒が選ばれることになりました。
速いペースで決まったように見えますが、26節を読むとくじを引いて決めたことが分かります。

「そしてふたりのためにくじを引くと、くじはマッテヤに当たったので、彼は十一人の使徒たちに加えられた。」1:26

まだ聖霊が下っていない大切な時期にくじとは??
別の方法はなかったのでしょうか?
立候補を募って、やる気のある人、志のある人を選ぶのはどうでしょう。
残っている11人がよしとする人を推薦してはどうでしょうか。
同労者や既存のメンバーがOKする人を選ぶのです。
くじ引きが記述されているのはここだけです。
初代教会で最初に配給の問題が起きたとき、使徒たちが御言葉と祈りに専念するために7人を選び、事務的な仕事に当たらせたということが起きました。
そのときには、「評判の良い人」を、教会のメンバーが決めています。
これは現代の感覚に近いものだと思います。
しかし、使徒の補充については、祈った結果がくじでした。
二人の候補者がいます。
使徒としての資格を満たす人です。
・ヨハネのバプテスマから、十字架、復活、昇天まで行動を共にした人
イエスの地上での活動を証言できる人、復活したイエスを知っている人です。
まだ新約聖書は書かれていない頃です。
大切なのは「証言者」でした。
直接イエスを見て、イエスの教えを聞いた人。
死と復活を証言できる人。
その資格のある人が二人に絞られました。

ヨセフ:バルサバまたはユストと呼ばれていました。
 バルサバとは「安息日の子」「誓いの子」という意味です。
 彼は真面目に礼拝し戒めを守っていました。
 ユストとは正直者という意味です。
マッテヤ:神の賜物という意味です。

弟子の中で選挙をすれば結果は明白だったかも知れません。
ニックネームの多さは、多くの信頼を集めている証拠とも考えられるからです。
しかし、弟子たちは、自分で判断しようとはしませんでした。
最後の最後で神にゆだねる意味でくじ引きをしました。
なぜマッテヤに当たったのか。
その後の活躍が使徒の働きに記されていれば納得できたかもしれません。
選ばれて後、大活躍したのなら。
が、使徒の働きにはこれ以降、一切マッテヤは登場しません。
ここにしか名前は出てこないのです。
どんな弟子になっていったのか、全く分かりません。
想像すると、マッテヤはマタイと混同したのではないか?
マッテヤの業績は書くほどのことではなかったのか?
目立つことはしなかったのか?
私たちには一切知らされていません。
神に選ばれた人が、なにをするか、していたかは重要ではないのです。
「神が選んだ」と言うこと自体が重要だからです。

みなさんは、「なぜ自分なんだろう?」「もっとふさわしい人がいるのではないか?」と思ったことはありますか?
私は以前ある教会に召されて、ヤングパスターを任されたことがあります。
その牧師は私の名前と年齢しかしらないのに、任されたのです。
なぜ自分が選ばれたのか、先生に聞いたことがあります。
沈黙の後、さらに長い沈黙の後、
「だれでもいいんだよ。主がお入り用なんだから」
と言われました。
本人を目の前にして!
私は、ちょっとしたショックと、「あ、そういうものなんだ」と気付きました。
神さまが必要とするなら、神さまが責任を持って用いてくださるはずです。
子ロバでさえ、用いられました。
主がよしとするなら、石ころからでもアブラハムの子孫を起こすことができるのですから。
神の栄光が表されることが重要です。

4年間働いて、私はその職を辞めることになりました。
私は「名ばかりでなにもできなかった」という思いでした。
その後、Hi-b.a.の働きをするようになって、当時小学生だった子たちが高校生になってやってきました。
この子が教会の記念誌を持って来てくれました。
そこには確かに私がユースパスターをしていたことが記録されていました。

「そして、こう祈った。『すべての人の心を知っておられる主よ。
この務めと使徒職の地位を継がせるために、このふたりのうちのどちらをお選びになるか、お示しください。ユダは自分のところへ行くために脱落して行きましたから。』」
1:25

この祈りは重要です。
「ユダは…脱落して行きましたから」
たとえば、新しい牧師を決める際にこのような祈りをするでしょうか?
不祥事をあえて持ち出して。
イエスを裏切ったという点では、ペテロもユダも同じでした。
ペテロは泣いて悔い改め、イエスに解決を求めました。
ユダは自分の方法で解決しようとしました。
そこに違いがあります。

「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。
行ないによるのではありません。だれも誇ることのないためです。」
エペソ2:8,9

「神が選ぶ」というところに一番重要な意味があるのです。
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Author:ステファニー
プロテスタントのクリスチャンです。
佐藤たけるさんおたくです。

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