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5月7日 聖日礼拝

マタイの福音書 6章 31~39節
「心配は無用です」

ここは聖書の中でも最も有名な箇所のひとつです。
よく知られているということは、よく知らない、ということでもあります。
耳慣れていると、意識から薄らいでいくからです。
最も大切な事柄を再確認したいと思います。
聖書は注意深く読む必要があります。
わかりやすいメッセージはたとえて言えば「乳」や「離乳食」です。
飲み込みやすいかもしれませんが、それは乳幼児のための食べ物です。
大人は、固い食べ物をよく噛んで食べます。
労苦して理解するのです。
聞いた御言葉を生活の中でどう生きるか、主の御心探って思い悩むことが大事です。

「そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。」6:31

「そういうわけだから」という言葉は、前の言葉を受けて発されています。
それは、

「だから、わたしはあなたがたに言います。自分のいのちのことで、何を食べようか、何を飲もうかと心配したり、また、からだのことで、何を着ようかと心配したりしてはいけません。いのちは食べ物よりたいせつなもの、からだは着物よりたいせつなものではありませんか。」6:25

という言葉です。
命を養うために、私たちは毎日飲んだり食べたりします。
私たちの体は、食べるもので形作られていきます。

先日妻に「甘い炭酸はやめたら?」と言われました。
甘い食べ物や脂分をたくさん摂ると体に脂肪がついてしまうからです。
食べるものは大切です。
「何を食べるか」は心にとめるべきことです。
聖書はそれを「どうでもいいことだ」と言っているのではありません。

私は大学で保健体育を専攻したので、栄養学を学びました。
バランスよく栄養を摂ることが大切だと教えられました。
最近は「サプリ」もあります。
どうしても食べ物だけでは不足してしまう栄養分を補うためのものです。
私たちが服を着るのも、身を守るためです。

聖書は、「心配するのをやめなさい」と言っているのであって、「考えるのをやめなさい」と言っているのではありません。

命>食べ物
体>着るもの

だと言っているのです。
食べ物「よりも」命が大事。
着るもの「よりも」体が大事。
より大事なことを考えずに心配ばかりするのは見当違いだという意味です。

「こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。」6:32

ここでも「それがあなたがたに必要である」と言っています。
必要であることを父なる神は知っておられます。
私たちは知っているでしょうか?
暴飲暴食。
好き嫌い。
していないでしょうか。
食べ物で体が作られるのです。

それでも、食べ物よりも大事なことがあります。
「異邦人が切に求めている」とありますが、つまり異邦人は「よりも」ということに目が閉じられているということを指しています。
クリスチャンである私たちは、異邦人と同じように心配ばかりしていたらいけません。

大学時代に、母方の祖父母を訪れた時のことを思い出します。
縁側から家に近づくと、祖父母がけんかしているのが聞こえてきました。
祖父は風邪気味だったようです。
祖母は祖父に風邪薬を渡そうとしていました。
すると祖父は、「薬よりも神に頼ることはできん」と言い張ります。
祖母は「屁理屈を言わずに飲みなさい!」と叱ります。
聞いていた私は、「それなら祈ってから薬を飲めばいいのに」と思いました。
病気になったら医者や薬に頼るだけでは異邦人と同じです。
が、逆に祖父は、変人と思うぐらい信仰に生きた人でした。
思えば祖父母はバランスが取れていたのだと感じます。
現実的な祖母が、祖父を支えていました。
医者に掛かり、薬を飲むことは「信仰を否定する」ことではありません。
私たちは神の恵みを忘れてはいけないということです。
命を与え、体を養って下さる神に目を向けなさい、ということなのです。

「万物の尺度は人間である」とは、ある哲学者の言葉です。
たとえば、教会堂のエアコンの温度を考えてみてください。
同じ部屋にいても、ある方は「エアコンがきいていない。暑すぎる」と言いますが、ある方は「冷えすぎている」と言います。
基準は自分の感覚であり、自分にとって「暑い」か「寒い」かを言っています。
多くの人は、自分が基準です。
おいしさもそうです。
自分の目にどうか。自分が好きか嫌いか。
これを「相対主義」と言います。
イエスが教えたのは、そうではなく、「絶対主義」です。
「万物の尺度は神」です。
聖書こそが尺度です。
聖書が、信仰と生活の究極の権威です。

自己中心は異邦人の生き方です。
クリスチャンは、神が命を与え、必要なすべてを与えて下さっていることに目を留めます。

「だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」6:33

聖書が何と言っているかを尺度にするのです。

大きさを測るにはどうしますか?
定規を使います。
人によって定規が違うことはありません。
誰が測っても測定結果は同じです。
尺度とはそういうものです。
「定規」は神が持っている価値観です。
それが自分のものになっていることが大切です。
求めるべき第一のものは、人勢を照らす光です。
尺度は、船にとってのコンパスであり、道しるべです。

「あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。」詩篇119:105

イエスがこの状況をご覧になったら、どのようにみられるか?
その光に照らして考えていくことが大事です。

「だから」明日のための心配は無用なのです。
必要なのは、今日、今のことを考えることです。
将来のことではなく、今のことを悩むべきです。
明日のことを心配して、今のことに目を留めないということは間違っています。

神を信頼して与えられているものを用いていくとき、必要なものは与えられます。

鄭先生についてお話ししましょう。
鄭先生が国立名古屋病院を退院するとき、ケースワーカーの方と話し合いをしました。
その時に、鄭先生は、国民健康保険に入っていたので、生活保護が受けられると教えられました。
先生は日本に来られるとき、40年の教師生活で蓄えたものに加えて、家を売って全財産をもって来ていました。
私は時々先生に「引退して、韓国に戻って隠居生活をしたら」と話したこともありましたが、先生には戻るべき場所はもう故郷になかったのです。
今、私は先生の持ち物を預かっていますが、それは箪笥段ボール10個だけです。
ところが、今まで施設でかかった費用の計算書を見て私は愕然としました。
すべてをささげつくした先生のために、日本政府は、それ以上のものを支給していたことを知ったからです。
葬儀の費用も、娘さんからの申し出は辞退して、なんとか私たちで工面しようと考えていましたが、愛の献金によってちょうど満たされました。
主は必要なものを与え、ご自身の栄光を表してくださいます。
そのことを私たちは学ばなければなりません。

能天気に何も考えないでよい、ということではありません。
すべてのことを真剣に考え、今日できることをする。
主を信頼して一歩踏み出す。
「安心して何もしなくてもいい」ということではありません。
御言葉を尺度として、人生を歩むなら、必要なものはすべて神が備えて下さるのです。

鄭先生は、倒れる1週間前に私に電話をしてきて「2週間後にアメリカに行きます」と言われましたが、主は先生を最後まで日本に留め置かれました。
老健はふつう6か月しかいられませんが、特養に移ることもできず、結局先生はそこに11年間お世話になりました。
11年の間に職員は次々と変わっていきましたから、先生が最長老でした。
職員の方たちは「こんなにいろいろな人が面会に来る入所者はいません」と言っていました。
先生は、日本での生活の前半は言葉ともてなしで宣教されましたが、後半はその存在で宣教し続けたのです。
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Author:ステファニー
プロテスタントのクリスチャンです。
佐藤たけるさんおたくです。

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