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4月16日 イースター礼拝

使徒の働き 1章 12~14節
「使徒たちの第一歩」
            hi-b.a. 丸山告スタッフ

今日はイースターです。
キリストの復活をお祝いする復活祭です。
前回の続きで使徒の働きを学びたいと思います。

使徒1章はイエスの復活からペンテコステまでの50日間を描いています。
日本には「49日」という行事があります。
仏教では「輪廻転生」という考えがあり、死後49日までに次に生まれ変わるべきものが決まると言われています。
いわゆる、「喪に服する」期間になります。
弟子たちには希望がありました。
復活の希望です。

近年日本でもイースターが浸透してきているように感じます。
「キリスト教の文化」として。
たとえば、小さい子どもたちがエッグハントを楽しみます。
隠されたイースターエッグを見つけて喜びます。
卵には「豊穣」の意味があります。
また、卵からひよこが孵ることから、復活を連想します。
また、イースターと言えばウサギが登場します。
イースターバニーもイースターのシンボルです。
多産なウサギは命の象徴です。
ウサギは、はねることから、躍動感も感じさせます。
でも、なぜカエルじゃないのか?
カエルもたくさん卵を産むし、ぴょんぴょんはねます。
たぶんウサギの方がかわいいからでしょう。(笑)
東京ディズニーリゾートでは今イースター仕様で楽しんでいることでしょう。

復活後、聖霊が下る前の期間を、弟子たちはどう過ごしていたのでしょうか。

「そこで、彼らはオリーブという山からエルサレムに帰った。この山はエルサレムの近くにあって、安息日の道のりほどの距離であった。」1:12

弟子たちがいたのはエルサレムです。
イエスが昇天されたのはオリーブ山。
オリーブ山はエルサレムのすぐ近くにあり、それほど高くない山です。
イエスの生涯の最後の頃、夜にはオリーブ山で祈りを捧げていました。
ルカ21章の「ゲツセマネ」はこの山のふもとにあります。
オリーブ山で待つのが理にかなっていると思われますが、彼らはエルサレムに留まりました。
それは

「彼らといっしょにいるとき、イエスは彼らにこう命じられた。『エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。
ヨハネは水でバプテスマを授けたが、もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです。』」
1:4,5

と言われたイエスの命令を忠実に守っていたからです。
彼らが集まっていたのは、最後の晩餐の部屋です。
誰が集まっていたのかに注目しましょう。

「彼らは町に入ると、泊まっている屋上の間に上がった。この人々は、ペテロとヨハネとヤコブとアンデレ、ピリポとトマス、バルトロマイとマタイ、アルパヨの子ヤコブと熱心党員シモンとヤコブの子ユダであった。
この人たちは、婦人たちやイエスの母マリヤ、およびイエスの兄弟たちとともに、みな心を合わせ、祈りに専念していた。」
1:13,14

ここに3つのグループがあります。

①ペテロ、ヨハネ、ヤコブなど11人の弟子たち
②婦人たち
③母マリヤとイエスの兄弟たち

②の婦人たちの中には、マグダラのマリヤ、クウザの妻ヨハンナ、スザンナがいました。
マグダラのマリヤはイエスに悪霊を追い出してもらいました。
ヨハンナはヘロデアンテパスの執事の妻です。
スザンナはイエスに病を癒された人です。
彼女たちは初期からイエスに仕え、イエスが十字架で死んだ後は、週明け早くに墓に行き、復活を報告した女性たちです。

③はイエスの親族です。
マルコ6:3によると、イエスの兄弟はヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンで、ヤコブはエルサレム教会の指導者になりました。

彼らは、「心を合わせ、祈りに専念」していました。
聖霊を待ち望んで祈っていたのです。
専念していた、ということは、「打ち込んでいた」「忙しかった」という意味です。
祈りが最優先事項になっていました。
継続して集まり、祈っていました。
3つのグループが一緒に祈っていたのは興味深いことです。

①の弟子たちもひとくくりにはできません。
ペテロは弟子たちのリーダーで、スポークスマンでしたが、イエスをキリストであると告白した次の瞬間、「さがれサタン!」と言われてしまいました。
そして、十字架の際には「死にまでイエスに従っていく」と言っていたのに、3度イエスを否定しました。
彼は一番近くにいたのに。
ヤコブとヨハネは「ボアネルゲ」(雷の子)というあだ名が付いていました。
怒りっぽくて、宣教の働きの時にも、イエスを受け入れない人にキレてしまうような人々でした。
マタイは収税人。
シモンは愛国心が強い過激派。
トマスは疑い深い人でした。
考え方が全く違う人々です。
アルパヨの子ヤコブは目立たない人です。
彼らはみなガリラヤという田舎の出身でした。
だれを見ても、「教会に来てもらったら困るな」と思えるような人たちです。
ヨハネ以外の弟子たちは、十字架の前で逃げ出した人たちです。
みな棄教寸前まで行っていました。
しかも幹部クラスの人たちです。
「信仰歴は長いが、癖のある人」は教会にもいるでしょう。

マグダラのマリヤはイエスの死を見届けた人です。
教会は婦人会がないと成り立たないと思います。
スザンナはイエスの為に財産を捧げていました。

「それから、ご自分の郷里に行って、会堂で人々を教え始められた。すると、彼らは驚いて言った。『この人は、こんな知恵と不思議な力をどこで得たのでしょう。
この人は大工の息子ではありませんか。彼の母親はマリヤで、彼の兄弟は、ヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダではありませんか。
妹たちもみな私たちといっしょにいるではありませんか。とすると、いったいこの人は、これらのものをどこから得たのでしょう。』
こうして、彼らはイエスにつまずいた。しかし、イエスは彼らに言われた。『預言者が尊敬されないのは、自分の郷里、家族の間だけです。』」
マタイ13:54~57

イエスの親族は、弟子や婦人たちとは全くタイプの違う人々でした。
そんな人たちが、心を合わせて祈っていました。
教会は、世の中の原則とは違う場所です。
普通プロとアマは一緒に活動することをしません。
野球を例に取ると、子どもは少年野球、高校生は高校野球、プロに入るとプロ野球の世界で活動します。
教会はそうではありません。
信仰も、イエスへの思いも、年齢も背景も違う人々の集まりです。
ただ、「罪の身代わりとして、イエスが死に、復活して下さった」ということを信じるという共通項があります。
だから、心を合わせて祈れるのです。
だから、まず、待って祈っていました。

ある教会を訪れたときのことです。
歴史のある教会で、会堂が古くなってきていました。
そこで、会堂を建て直すための話し合いをしていました。
大人たちは希望に満ちていました。
「こんな教会にしたい」という夢を、それぞれに語りました。
ところが高校3年生の女の子は「まとまらないと思う」と言いました。
「このままではいけない。
 共通にできることから始めたらいいのに」と。
「同じ信仰があるのだから、祈るところから始めたら」という言葉には、共感しました。
これは大切な原則です。
牧師をしていると、色んな人とかかわります。
牧師をしていなければ、一生かかわることはなかっただろうと思う人もあります。
でも、一緒に祈っていくと、神の家族だと感じることができます。
イエスは復活して、今も生きておられると感じることができます。
聖霊の力によって、祈りによって、求め続けることができます。
復活の希望があるから祈れるのです。
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Author:ステファニー
プロテスタントのクリスチャンです。
佐藤たけるさんおたくです。

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