4月9日 聖日礼拝

エペソ人への手紙 1章 1~14節
「愛の神の驚くべき救い」
          東海聖書神学塾塾長 後藤喜良師

今年度は西教会に8回お招きを受けています。
8という数字は日本では末広がりのおめでたい数字と考えられていますが、キリスト教でも8は復活と、神の祝福を表しています。
神の天地創造は7日で行われ、その次の数字である8は再創造を表すからです。
また、古い教会で使われている洗礼器は8角形をしています。
洗礼は、古い人が死んで新しく生まれ変わることを象徴しているからです。
この教会が、本当に神の愛と恵みによって新しく作り変えられるよう祈りながらお話ししたいと思います。

どこから話そうかと考えましたが、役員との学びもあるということなので、教会について教えている箇所から学ぼうと考えました。
これは、エペソという古い町とその周辺の町に宛ててパウロが書いた手紙で、6章あります。
エペソ書を語るということはとても大きなチャレンジであり、私は長い間できませんでした。
牧師を終える頃になって、ようやく語らせていただく決心をしました。
神のことばを本当に理解していなければ、神のことばを語ることはできません。
理解するだけでなく、実践して、人生で経験していなければなりません。
私は東海聖書神学塾の塾長ですが、自分自身が学んで実践していることを教えているつもりです。
「こうだといけない」とか「聖書にはこう書いてある」だけではいません。
語ろうとする言葉を実行しながら語らなければなりません。
実行しようとしていないことを語ってはいけないのです。
しかしそう簡単に実行できないので、どれだけ祈り苦闘していることでしょうか。
聖霊に満たされなければみことばは実行できません。
祈りながら、少しずつ。
人間の力と知恵ではできないことだと分かっていなければなりません。

たとえばエペソの5章には「夫は妻を愛しなさい」と書かれています。
それを実行していなければこの箇所を語ることはできません。
実は昨日再婚して5周年目でしたが、妻は「思っていたより10倍幸せになった」と要ってくれました。

神の愛の広さ深さ高さを、どれだけ知っているでしょう。
パウロはどれほど神の愛を知っていたか。
教会を分かっていたか。
どう教会を建てたらよいかの経験をどれほど持っていたか。
それを学ぶことで新しい歩みを始められるのではないか。
教会が建て上げられるスタートになるのではないか。
と考えました。

「神のみこころによるキリスト・イエスの使徒パウロから、キリスト・イエスにある忠実なエペソの聖徒たちへ。」1:1

弟子であるパウロが書いています。
彼は12使徒ではありません。
イエスの復活後もまだ信じてはいませんでした。
教会を迫害していた第一人者で、ステパノを石内にした主導者でした。
彼はイエスを呪っていました。
そのパウロを、イエスは愛し、赦し、弟子とされたのです。
パウロほどキリストの愛を知っていた人はいません。
ペテロも三度主を否定して赦された弟子ですが、ペテロ以上に神に敵対した者であっても愛し、赦し、用いて下さることをパウロは知っていました。

パウロの喜びがここにあります。
イエスの弟子にしていただけたという喜びに満ちあふれています。
みなさんは「自分はイエスの僕である」「私の主はすばらしい」ということができるでしょうか。
パウロは喜びを持って語っています。
「私は世界中にイエスを語りたい。」
「私のような者を用いて下さるとは何という恵であることか。」
すばらしい主人イエスに仕える喜びがここにあります。

宛名は「キリスト・イエスにある忠実な聖徒たち」です。
「忠実な」とは「信頼できる」という意味です。
「聖徒たち」は「クリスチャン」のことです。
私と同じように生きているエペソのクリスチャンたち。
社会で一番大切なことは「信頼」です。
牧師として一番大切なことは信頼されることです。
そして、夫婦でも信頼関係が大切です。

「私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたの上にありますように。」1:2

パウロの祈りです。
「恵みと平安」を祈っています。
パウロはどの教会に手紙を書いても、何十年も同じ祈りをしています。
パウロは「恵みと平安」を祈りました。
繰り返し祈りました。
それらはイエスの弟子として生きていく土台です。
恵みがなければ救いもありません。
恵みがあるところに平安があります。
恵みから平安がもたらされます。
恵みという言葉には「完成する。使命を果たす」という意味もあります。
恵みは私たちを完成させることができます。
恵みは私たちを覆います。
上から、天から注がれるように。

「私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神はキリストにあって、天にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。
すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前から彼にあって選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。
神は、みむねとみこころのままに、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられました。
それは、神がその愛する方にあって私たちに与えてくださった恵みの栄光が、ほめたたえられるためです。」
1:3~6

3節から6節には父なる神の愛が、7~12節にはイエスの救いが、13~14節には聖霊の働きが書かれています。
この手紙はローマの獄中で書かれました。
パウロは獄中で4つの手紙を書いたのです。
ここは父、子、聖霊についての讃美歌です。
頌栄が捧げられています。
パウロの祈りは賛美から始める祈りです。

みなさんはどのような姿勢で祈りますか?
手を組んで。
手を挙げて。
いろんな祈り方があるでしょう。
指を組むのは奴隷の手で、神の僕であることを表します。
親指は父を表すので、父なる神を賛美します。
人差し指で恵みを数えて感謝します。
中指は天に向かって心のなかにある信仰の告白をします。
薬指は薬草を刻んだ指です。
病の癒し、人の悩みのために取りなしの祈りをします。
小指で、神の子として小さなお願いをします。

パウロは父なる神について驚くべきことを語っています。
「父なる神が褒め称えられますように」とパウロは言います。
御子を与えて下さった方を称えることは大切です。
父の愛を示すために御子は来られました。
何が語られても、褒め称えられるのは神です。
神はなにをして下さいましたか?
パウロは神の愛と救いを十分に深く、パーフェクトに知っていました。
神の祝福がどんなに豊かなものかも、パーフェクトに知っていました。

「すべての霊的な祝福をもって」とは?
もっと具体的に要ってくれればいいのに、と思います。
すべての…とは何だろう?
私はまだ「すべて」を分かっていないと思います。
よく人に問いかけます。
どんな祝福を頂いていますか、と。
答えを聞くと、
「あ、それだけですか?」と思います。
みなさんはいくつあげられますか?
3つ?4つ?
聖書には「満ちあふれる」という言葉が度々書かれています。
宝探しをして欲しいと思います。

「天の御国は、畑に隠された宝のようなものです。人はその宝を見つけると、それを隠しておいて、大喜びで帰り、持ち物を全部売り払ってその畑を買います。」マタイ13:44

とあるように、主の恵みは全財産をはたいてもいいほどの宝であり、圧倒的なものです。

「この方にあってあなたがたもまた、真理のことば、あなたがたの救いの福音を聞き、またそれを信じたことにより、約束の聖霊をもって証印を押されました。
聖霊は私たちが御国を受け継ぐことの保証です。これは神の民の贖いのためであり、神の栄光がほめたたえられるためです。」
1:13,14

聖霊は約束の証印、つまり「手付け金」です。
現代は手付け金と言えば1割ぐらいが相場でしょうが、当時は7~8割でした。
私たちは、天の恵みの80%をすでに与えられているのです。
私たちに必要な物は与えられています。
すでに、です。
私たちが知らないだけです。
救いはプレゼントであり、宅配便で送られてきた物と同じ。
私たちは、ただ感謝して受け取った物です。
受け取っただけで中身を確認していないままにしていないですか?
知らないままに自分の力で頑張るのは大変な事です。
クリスチャンは、恵みを生かして奉仕するのです。
与えられた愛で、人を愛するのです。
愛を与えられていなければ、人に与えることはできません。

もう一度聖書を読み直して下さい。
神を知るために。
神がして下さったことと、やがてして下さることを見つけて下さい。
教会で、「聖書を読めば読むほど楽しくなる人はいますか?」と訪ねると、誰もいない。
読むほどに責められて苦しくなると言います。
聖書を、倫理的道徳的に読んではいけません。
恵み、愛、感謝につながる読み方をして下さい。
エペソ人への手紙は、3章まで「~しなさい」という言葉は一言も書いてありません。
パウロはまず、どれほど主が私たちを愛し、恵み、私たちに祝福が与えられているかを教えました。
「~しなさい」と言うのはそれからです。

霊的祝福は御利益とは違います。
人格的祝福です。
あなたが、罪人から正しい人へ変えられるという祝福です。
「人」から「神の子」に変えられる。
身分が変えられるのです。

「すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前から彼にあって選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。」1:4

「聖く、傷のない者」とは、すなわちキリストです。
主は私たちを、キリストと同じ者にしようとされているということです。
「罪」という行為が消えたのではありません。
もう、神の子、義人として認められているということです。
古い人は死にました。
あなたはもう新しい人になりました。
別人になったのです。
クリスチャンはイエス・キリストに似たものに作り変えられていきます。
神の子どもだからです。

私は17歳でクリスチャンになりました。
17歳にとって「罪は赦された」と言われてどれほど嬉しいと思いますか?
親の財布からお金をくすねたとか、畑からスイカを盗んだとか、せいぜいその程度の「罪」しか犯していません。
「永遠の命」なんて、ご免被りたいと思いました。
しかし、「人格的に作り変えられる」ということを知った時、圧倒的な喜びがありました。
最初の10年は「堅い、きつい、暗い」3Kクリスチャンでした。
かわる雨に必要な物は全て与えられていると分かったときに変わりました。
祝福を知り尽くして欲しいと思います。
神のご計画なので、それは必ず実現します。
主は天地創造の前からあなたを知っていました。
あらかじめ定めておられました。
主は、罪人であるにもかかわらず、互いに愛し合って生きる世界を作ろうとご計画されました。
罪があっても、愛する愛を与えられています。
「立派なクリスチャン」ではなく、キリストと同じ姿に変えられる祝福が与えられています。
歳を取るということは成熟することです。
人として。
希望を持って、うめきながら、見習いながら、変えられていきます。

「それは、前からキリストに望みを置いていた私たちが、神の栄光をほめたたえるためです。」1:12

感謝はしても、賛美をしない人が多いと思います。
まず、賛美をしましょう。

「神は、みむねとみこころのままに、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられました」1:5

「みこころのままに」とは、「進んで」ということです。
全てを知った上で、神は喜んで、進んであなたを選ばれました。
ご自分の子にしようと、選ばれました。
主はあなたを、永遠にふさわしい者にして下さいます。
「聖霊に満たして下さい」と祈って欲しいと思います。
人間の力で神と人を愛することはできません。
聖霊があなたにも与えられています。
必ず、キリストに似たものに変えられることができます。

結論はこうです。
「恵みの栄光がほめたたえられるため」
「神がほめたたえられるため」とは書いていません。
信仰は「受け入れるだけ」のことです。
人間が何かをしたことによるのではなく、一方的な恵みです。
私たちを通して、証されて、人によって神の恵みが褒め称えられるようになるのです。
神の恵みを証していくことが求められています。
「あなたの神の恵みはすごいねえ。」と、言われるように。
信仰とは、神に信頼することです。
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Author:ステファニー
プロテスタントのクリスチャンです。
佐藤たけるさんおたくです。

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