3月19日 聖日礼拝

「救霊の思いに熱心な教会」
マルコ16:15

「それから、イエスは彼らにこう言われた。『全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。』」16:15

結婚すると様々な変化があります。
日本ではその変化は男性の方が少ないかもしれません。
女性は多くの場合旧姓を捨てて夫の姓を名乗ります。
キリストと教会はよく夫婦に例えられます。
キリストが夫で、私たちが妻をあらわしています。
妻である私たちのために命を捨てて下さったキリストとともに、私たちは変わる必要があり、ともに生きていきます。
夫は惜しまずに愛する者のために生きます。

神の国の宣教を進めていくことが教会の使命です。
そのスタートは、御子が十字架で命をささげてくださったことです。
「そのことを個人的に受け入れるなら、罪を赦し、永遠の命を与え、神の国の民とする」と、神は言われました。
それを信じることが、罪の赦しをもたらすのであって、感情的に捉えてはいけません。
神が私のためにしてくださったという事実を受け入れて生きることが、信仰です。

今日の箇所には、なすべき使命が書かれています。
それは、キリストの使命の延長線上にあります。
教会が教会であるために、忘れてはならないのは、設立のビジョンです。
キリストが命がけで集めた人々に与えた使命に生きることです。

では、イエスはどういう心構えで生きていたのでしょうか。

「自分のことだけではなく、他の人のことも顧みなさい。
あなたがたの間では、そのような心構えでいなさい。それはキリスト・イエスのうちにも見られるものです。」
ピリピ2:4、5

自分にとって好ましくない状況になっても、それが主のためになるというときに、自分を変えていく姿勢。
それが、主に従うということです。
他の人の益になるなら、主のみこころにかなうなら、あえてそれを選択することがありますか?
罪の性質は「自分がしたいことをする」というものです。
「したくない」。
それでも従っていくのは主への信頼があるからです。
イエスでさえ「したくない」という思いは持っておられました。

「それから、イエスは少し進んで行って、地面にひれ伏し、もしできることなら、この時が自分から過ぎ去るようにと祈り、
またこう言われた。『アバ、父よ。あなたにおできにならないことはありません。どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願うことではなく、あなたのみこころのままを、なさってください。』」
マルコ14:35,36

イエスはエルサレムでなにが待っているかを知っておられました。
結果が分かっていても従われました。
しかし、ゲツセマネの園で、イエスでさえ「できることなら・・・」と正直な気持ちを祈られました。
主は私たちの正直な思いを聞いて下さいます。
そして、イエスはそれでも従われたのです。

多くの場合、主は私たちに合わせて下さっています。
主の犠牲を知りながら、自分は主の為に犠牲を払うことを惜しむのですか?
主はアブラハムにとって最良のもの、ひとり子イサクを捧げるようにと命じられました。
アブラハムが葛藤の末、わが子を捧げようとしたときに、主は彼の心を分かって下さり、イサクの代わりに捧げるように雄羊を与えて下さいました。

神の働きの中心は何でしょうか。
教会が作られた理由は何でしょうか。
それは、まだ福音を知らない人々に、福音を宣べ伝えることです。
その中で、大きな壁があります。
「教会が整うと力を失う」のです。
多くの人は教会を整えたがります。
しかし、福音自由教会の歴史を振り返るとき、教会の成長の勢いが止まった時期は新会堂建設ラッシュに重なっていることに気付きました。
会堂建築の返済に目が向き、宣教の働きが鈍化したのです。

アメリカの大統領トランプ氏は「アメリカファースト」を掲げています。
これまでアメリカは自国の利益だけを考えることはしてきませんでした。
世界の発展が自国の発展につながると考えていたからです。
ところが今は方向転換しようとしています。

他人事ではありません。
私たちの教会では、財政面でひとつの原則を持っています。
・教会員は、収入の十分の一をささげる。
・教会は、収入の十分の一を他の働きのために使う。

というものです。
それを「もったいない」と感じると、宣教の勢いを削いでしまいます。

私たちの教会は、主の教会のために遣わした人がいるでしょうか。
アメリカの福音自由教会本部を訪れたとき、思い切って聞いたことがあります。
「宣教師を1家族派遣するのにいくらかかるのですか?」と。
年間1,000万から1,500万円という回答でした。
「宣教師の給料は、教会が負担しなくてもいいからいいね」と思う人がいますが、宣教師を支えているのはアメリカの兄弟姉妹の捧げ物なのです。
彼らは、本来自分たちのために使っても良いものを、日本のために捧げ、祈ってくれたのです。
そのようなスピリットが私たちの中にあるでしょうか?

西教会が建てられたとき、名古屋教会から3名の教会員が派遣されてきました。
そのうちの一人はさらに南教会へと派遣されました。
この2016年度、創立の時に派遣された二人の兄弟姉妹が天に召されました。
まさに、教会が新しいページをめくるべき転換点を迎えているように感じました。
この方たちは、親しい友のいる名古屋教会を手放して、まだだれもいない西教会に来て下さいました。
そのような人がいなければ、教会は建ちあがりません。
成長していくときには、別れが頻繁にありました。
自分たちの教会を整えるためなら、人材を外に出したくはないはずです。
それでも、宣教のために、教会は優秀な人材を送り出してくれました。
それも、当時20人、30人しか会員がいないような教会がです。
「やりたいから」ではなく、主から托された使命を果たすために。

宣教のスピリットを失ってはいけません。

「こうして、キリストご自身が、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を伝道者、ある人を牧師また教師として、お立てになったのです。
それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためであり、
ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです。」
エペソ4:11~13

ここで言われている「奉仕」とは、いわゆる教会の中で行われている「奉仕」ではありません。
聖徒たちを整えて、「派遣する」という意味です。
外に向かって様々な働きをすることです。
内に向かうと、熱意と力を失います。
その結果新しい人材も育ちません。

伊藤先生とドイツを訪問したときにこんなことがありました。
高速道路を走っていると、所々に塔が建っています。
案内をしてくれた方が、
「あのような教会が献身者を送り出しています。
多くの献身者は田舎の出身者なのです。」
と言われました。
色んな面で満たされた大きな教会ではなく、小さな田舎の教会が人を送り出している。

若い世代に宣教のスピリットを分かち合わなくてはなりません。
もし導かれたなら、もっと広い世界で活躍するように励まさなくてなりません。
祈りましょう。
励まし、サポートしましょう。
もし私たちが捧げたら、そこに欠乏が生じるでしょう。
しかし、主はそこを整えて下さいます。
使えば使うほど、豊かになることを忘れずにいましょう。
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Author:ステファニー
プロテスタントのクリスチャンです。
佐藤たけるさんおたくです。

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