3月 12日 聖日礼拝

出エジプト記 20章 1~6節
「千代の祝福の基となる教会」

1975年。
今から41年前、福音自由教会の国内宣教委員会が、日本での宣教25周年を記念して、中部地区に第3番目の教会を建てることを決定しました。
3つの教会があれば、そこに「地区協議会」が生まれます。
そのころ、日本全国には13の福音自由教会がありました。
諸教会は、当時すでにあった名古屋教会、春日井教会に加えて、新しい教会を作ることで、主への感謝を表そうとしたのです。
国内宣教委員会が土地を購入し、アメリカの宣教団が建物を建てました。
そして、日本人牧師である吉井先生と、米国人宣教師コンラッド先生が開拓を始めました。
西教会がどのような教会を目指すか、その指針が週報の右上に書かれています。
「千代の祝福の基となる教会」
これは出エジプト記20章6節からきています。

「わたしを愛し、わたしの命令を守る者には、恵みを千代にまで施すからである。」20:6

イスラエルの民は、エジプトで奴隷とされていたときに、苦しみの中で助けを求めました。
すると主は、モーセを立てて彼らをエジプトから導き出し、約束の地カナンへ連れ戻しました。
彼らは「連れ戻され」ました。
ヤコブ(=イスラエル)の時代に起きた飢饉を逃れるために、ヤコブの一族はエジプトに逃れます。
それは、ヤコブの息子ヨセフが兄たちから不興を買い、エジプトに奴隷として売られるというできごとから始まります。
奴隷であったヨセフはやがてエジプトの大臣にまで上り詰め、そうとは知らずにエジプトを頼ってきたヤコブの一族約70人を呼び寄せました。
彼らはやがて200万を超える民となりますが、ヨセフを知らない時代の王に苦しめられました。
主は、彼らを先祖アブラハムに約束された土地に再び導き入れました。
その途上、神の民として生きる指針となる言葉であるモーセの十戒を与え、そこから律法が生まれました。
十戒は神がイスラエルに求めたものであり、信仰の中心となるものでした。
では、それが今日の私たちとどんなつながりがあるのでしょうか?

イスラエルは奴隷状態であったのに、モーセを立てて約束の地へ導かれました。
全ての人は罪の奴隷でしたが、主は御子イエスを遣わして私たちを罪からあがない、天の御国へと導いてくださいました。
「旧約」と「新約」。
「新約」は「新しい契約」であり、約束の更新を意味します。
ふたつは「全く違うもの」ではありません。
イスラエルへの約束は、全ての民のための計画の第一歩でした。

「わたしはあなたの父アブラハムの神、イサクの神、主である。わたしはあなたが横たわっているこの地を、あなたとあなたの子孫とに与える。
あなたの子孫は地のちりのように多くなり、あなたは、西、東、北、南へと広がり、地上のすべての民族は、あなたとあなたの子孫によって祝福される。」
創世記28:13,14

かつてイスラエルの民が多くの民の中から選ばれたのは、彼らがすぐれていたからでも、数が多かったからでもありませんでした。

「あなたは、あなたの神、主の聖なる民だからである。あなたの神、主は、地の面のすべての国々の民のうちから、あなたを選んでご自分の宝の民とされた。
主があなたがたを恋い慕って、あなたがたを選ばれたのは、あなたがたがどの民よりも数が多かったからではない。事実、あなたがたは、すべての国々の民のうちで最も数が少なかった。」
申命記7:6,7

最も少なくて弱い民が生き残り、困難に打ち勝つのは、神を信じ、崇めたときです。
神を崇めず、感謝もしなくなると、彼らは恵みを失いました。
そのことを、全ての民は見てきました。

私たちが救われたのは、私たちが優れているからではありません。
弱く、小さい者を神はあえて選ばれたのです。
12弟子もそうでした。
彼らの中に影響力のある人はほとんどいません。
むしろ「無学な者」と言われました。

「彼らはペテロとヨハネとの大胆さを見、またふたりが無学な、普通の人であるのを知って驚いたが、ふたりがイエスとともにいたのだ、ということがわかって来た。」使徒4:13

私たちも、神を信じて生きていくときに、神は幾重にも祝福して下さいます。
これが神のご計画です。
私たちが祝福されることをとおして、神の栄光が表されるためです。
ただし、それには条件があります。

・わたしの命令を守る者

イエスが私のために十字架に掛かり、死んでくださったことを信じる信仰によって、私たちは罪の許しを得て、神の子とされました。
神の栄光を表すために必要なことは、神の神としてあがめて、感謝を捧げることです。
イエスが復活後、天に帰る前に弟子たちに命じたことはこうです。

「また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」マタイ28:20

祝福されるためには、信じて従わなければなりません。
聞いたことを自分のこととして守るのです。

・わたしを愛し

私たちは神を愛しているでしょうか。
神は私たちを愛していると公言しておられます。
愛のゆえに、罪のあがないとしてひとり子を与えて下さいました。

私は高1のキャンプの時に、イサクを捧げたアブラハムの話を聞きました。
それは、神がご自分の御子さえもおしまずに与えて下さることを示しています。
そのメッセージの中で、自分のもっとも大切なものを捧げることを示されました。
「私にとって最も大切なものは何だろう」と考えたとき、私は「命だ」と思いました。
そして、私も命をささげようと、献身の決意をしました。

もしプロポーズされたら、黙って無視しますか?
何らかの応答をするでしょう。
神の告白に対するあなたの答えは何ですか?
人生をもって主に応えることが求められています。

「わたしを愛し、わたしの命令を守る者には、恵みを千代にまで施すからである。」20:6

この言葉は、新約の言葉と呼応しています。

「わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。
だれでも、もしわたしにとどまっていなければ、枝のように投げ捨てられて、枯れます。人々はそれを寄せ集めて火に投げ込むので、それは燃えてしまいます。
あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。
あなたがたが多くの実を結び、わたしの弟子となることによって、わたしの父は栄光をお受けになるのです。」
ヨハネ15:5~8

恵み=実です。
「何でも求めれば与えられる」という言葉には条件があります。

・キリストにとどまり=神を愛する

それは命のつながりであり、一方通行ではダメなのです。
私も心から神を愛するように求められています。

・キリストの言葉がとどまる=神の命令を守る

「とどまる」、キープすることが大切です。
「与えられる」ということは、すぐに実現することもあるかもしれませんが、時間差があることもあります。
信じて待ち続けることが「とどまる」ということであり、とどまるときに主の約束が確かであることを見ることができます。
私たちは、しばらく実現しないと諦めたり忘れたりしてしまいます。
保ち続けるなら、律法の祝福は今の私たちにも及びます。
神が支払って下さった犠牲を受け止めて、従うという応答をするとき、祝福をいただくことができます。
教え、祈り、励ましていきましょう。
千代の祝福の出発点として。
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Author:ステファニー
プロテスタントのクリスチャンです。
佐藤たけるさんおたくです。

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