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2月26日 聖日礼拝

ルカの福音書 11章31~35節
「今日も明日も次の日も」

今日は教会文化祭が行われます。
私たちにはひとりひとり賜物が与えられています。
それを神のみわざのために用いていくことが大事です。
人生の積み重ねの中で獲得した経験もまた、賜物です。
経験しないと、人の心には思い浮かばないものです。
経験の中で獲得して、大事だと思っているから思いつくのです。
痛みや苦しみはそれ自体、嬉しいものではありません。
が、それを経験したからこそ、同じ経験をしている人に共感できます。
まさに、

「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださる」ローマ8:28

のです。
経験は自分のためだけではなく、他の人を励まし、仕えるためのものであるという考え方を身につけるとき、「あの経験をしたから、気付くことができ、共感することができる」ということがわかり、用いられるように生きることができます。
そして、用いられるとき、苦しみから解放されるのです。

さて、イエスの生涯における地理的な転換点がルカ9:51にあります。

「さて、天に上げられる日が近づいて来たころ、イエスは、エルサレムに行こうとして御顔をまっすぐ向けられ、」9:51

当時、北イスラエルと南ユダのふたつの地域に分割統治され、ローマ帝国の支配下にありました。
南にはエルサレムがあり、北にはガリラヤ地方があります。
9:51以前は、イエスは主に北野ガリラヤで活動していました。
北はヘロデ王が統治しており、南はポンテオ・ピラトという総督が統治していました。

「ちょうどそのとき、何人かのパリサイ人が近寄って来て、イエスに言った。『ここから出てほかの所へ行きなさい。ヘロデがあなたを殺そうと思っています。』」13:31

このように言われたからエルサレムに向かったわけではありません。
イエスはすでにエルサレムに行く旅の途中だったのですから。

「イエスは言われた。『行って、あの狐にこう言いなさい。「よく見なさい。わたしは、きょうと、あすとは、悪霊どもを追い出し、病人をいやし、三日目に全うされます。」』」13:32

あの狐、とはヘロデ王のことです。
ここで言われていることは暗示で、わかりにくい部分です。
これはヘロデへのメッセージです。
イエスが伝えようとしていることは何でしょうか。

ヘロデの支配地域で、多くの人々がイエスを支持していました。
ヘロデはユダヤ人ではありません。
そのため、反発もありました。
ヘロデは神経質で、猜疑心が強かったと言われています。
自分の地位が脅かされているという不安にさいなまれていました。
そのヘロデに、イエスはこう言いたかったのです。
「ヘロデ、心配しなくても大丈夫。
 私の働きはまもなく終わる。
 ヘロデをおびやかすつもりは全くない。
 病を癒し、悪霊を追い出しているだけだ。」
と。

エルサレムに向かっているのは、ヘロデから逃れるためではなく、使命を全うするためでした。

「人の子は、必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちに捨てられ、殺され、そして三日目によみがえらねばならないのです。」9:22

と言われていたとおり、エルサレムで死ぬためです。

そして、ヘロデへのメッセージにある、「三日目に全うされます」という言葉の、もうひとつの意味はこうです。
「エルサレムで苦しめられて死ぬが、3日目によみがえらなければならない。」
それは、神の救いの完成のためです。
ヘロデによってでも、ピラトによってでもなく、自ら命をささげるために。
3日目によみがえって、救いを完成させるために。

今日、明日に行っていることは、直面する問題の解決です。
しかし、3日目に、根本的な罪の解決をしてくださいます。
なぜ十字架の死が、私たちの救いにつながるのでしょうか。
しっかりとらえることが大切です。

罪の大元は何でしょうか。
それは、アダムとエバが善悪の知識の実を取って食べたことから始まります。
その実に毒があったわけではありません。
しかし、「必ず死ぬ」と主は言われました。
善悪の判断基準は神にあります。
「禁じられた実を取って食べた」ということは、神を信じないという意味です。
彼らは、たった一つだけ「してはいけない」と言われていました。
神は他の全てのものと、自由を与えたのに。
神を信頼する証として、それをしないようにと命じられました。
食べないことで、神への信頼を示すようにと言われたのです。
ところが、誘惑する者は、
「食べたら神のようになる。
 死なない。」
と言いました。
彼はなにもふたりに与えていないのに。
アダムとエバは、彼の言うことを聞いて食べました。
それはつまり、神への信頼を捨てたということです。
そのときに、人は死ぬべき存在になりました。

結婚式の誓約で、「生涯、妻/夫となるのはあなただけ」「信頼するのはあなただけ」という誓いをします。
その証として指輪を交換します。
信頼を破ってはいけません。
信頼を破ったら、その関係は終わります。
その関係が「死んだ」と言ってもいいでしょう。
罪とは、全ての良いものを与えて下さる神と、神への信頼を裏切ることです。
その報酬は「死」です。
神は愛なので、死すべき私たちを何とか救おうとして、ひとり子イエスを遣わすことを決めました。

連帯保証人は、債務者が借金を返済できない場合、それを肩代わりして返済しなければなりません。
神はイエスを私たちの連帯保証人として下さいました。
私たちには支払えない、罪から来る報酬を代わりに支払って下さいました。

私が人からボイスレコーダーを借りたとします。
もし、私がそれを落として壊してしまったら、そのまま返せるでしょうか?
壊したら、修理してから返さなくてはいけないでしょう。
「弁償」が必要です。
私たちは、神から与えられたもともとの命をお返ししなければなりません。
もともとの命、罪に汚れていない命をです。
私たちには、罪の汚れを落とすことはできません。
イエスのきよい命をささげることでその罪が赦されるのです。
1万円の負債なら返せるかも知れません。
でも、もし1億円の負債があったら、普通の人は一生掛かっても返すことはできないでしょう。
イエスが支払ってくださったから、私たちは、責めを負わなくてもよくなりました。
そのために、イエスはエルサレムに向かっていたのです。

信仰は信頼です。
信頼にはふたつのものがあります。
御子を与えて下さった神への信頼。
そして、神が身近に与えて下さった人々への信頼です。
信頼の関係があれば、人生は満たされます。
神と、神のことばを信じ、友人を信じること。

「あなたがたが互いに愛し合うこと、これが、わたしのあなたがたに与える戒めです。」ヨハネ15:17

それが、祝福のゆるがないカギなのです。
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Author:ステファニー
プロテスタントのクリスチャンです。
佐藤たけるさんおたくです。

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