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2月12日 聖日礼拝

ルカの福音書 13章 18~21節
「神の国とはどのようなものか」

神の国は天の国とも言われます。
バプテスマのヨハネの第一声は

「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」マタイ3:2

でした。

イエスの言う「神の国」とはどのようなものでしょうか。
そのイメージをつかめているでしょうか。
イエスは町々を巡って神の国の訪れを伝えました。
神の国は、神が治めて支配している国です。
今年は西暦2017年ですが、これは「主の年」の年号です。
日本では平成29年と言いますが、それは今の天皇が即位して29年目という意味です。
2017年というのは、イエスがこの世に来られ、神の支配が始められてから2017年目という意味です。

イエスの時代、「とこしえまで続く」と言われたダビデの国は消滅していました。
ダビデの子孫として、その国を引き継ぐ者として、イエスは神の国を再建しました。
今、その2017年目を迎えました。
神の治世により、神が治めている人々とは、「悔い改めなさい」という神の招きに応じた人々。
悔い改めて、救いの道を、神への信頼を持って受け入れた人々です。
神はそのような人々を赦し、救い、神の民として下さいました。
神の国とは、神の救いによって新しい神の民とされた人々の国です。

「そこで、イエスはこう言われた。『神の国は、何に似ているでしょう。何に比べたらよいでしょう。』」13:18

「そこで」と言われているので、前の事柄と無関係ではないことが分かります。
先週学んだように、18年間病んでいた女性が癒されたことが、この前に書かれています。
私たちの人生には、苦しみや課題が横たわっています。
彼女は、それでも神に仕える信仰を持っていました。
聖書に書かれてはいませんが、癒されるようにと何度も祈ったに違いありません。
それでも18年間かなわなかった。
イエスはそこに彼女の信仰を見たのです。
言葉に出はなく、生き様に表れる信仰です。
ありのままの彼女の姿を見て、悔い改めと神への信頼があることを見抜き、イエスは彼女をお救いになりました。
それを、安息日にすべきことではないと責められたとき、イエスは「18年の病の束縛を解いてはいけないのか?」と言われました。

モーセによる出エジプト。
神はイスラエルの民を、奴隷の立場から導き出されました。
主は、途中でホレブの山で律法を与え、その中で,「6日間働き、7日目は休む」ようにと命じられました。
安息日は、神の救いであり、解放を記念する日です。
かつてエジプトで苦難に直面したとき、神はイスラエルを救い出して下さった。
そのことを忘れないようにするために、7日目には神を思い、日常を離れるようにと定められました。
礼拝は義務ではありません。
喜びの日であり、救いを自覚し、内からわき出る喜びと感謝を捧げる日です。
「18年間苦しみながらも神と共に歩んだ女性を解放することは、神の心にかなうのではないか」と、イエスは言っているのです。
解放は救いです。

イエスの宣べ伝える神の国とはどんなところでしょうか。
イメージを持つようにとイエスは語られました。
神の国は

①からし種のようなもの
②パン種のようなもの


と例えられています。

「それは、からし種のようなものです。それを取って庭に蒔いたところ、生長して木になり、空の鳥が枝に巣を作りました。」13:19

からし種は、ほんとうに小さい物の代名詞です。
小さいけれども、庭にまかれると、成長して大きな木になります。
救いのみわざはどこから始まったのでしょうか。
それは、イスラエルという小さな国の、地方都市ガリラヤでした。
12弟子は、学問を究めたエリートではありませんでした。
名士でもない、漁師であり収税人であり熱心党員であり、影響力のある人はいませんでした。
それでもイエスはお選びになりました。

旧約時代にイスラエルが選ばれたのは、小さくて弱い民だったからです。
「小さくて弱い」からし種のようなものに神の救いのわざが実現していく時、成長して、豊かに葉を茂らせます。

「自分は小さい。弱い。」と思いますか。
そんなことは主はご存じです。
そういう人を選ばれたのですから。
小さく見えるかも知れないけれども、やがて成長して神のみわざに貢献することができます。

「またこう言われた。『神の国を何に比べましょう。
パン種のようなものです。女がパン種を取って、三サトンの粉に混ぜたところ、全体がふくれました。』」
13:20,21

3サトンはおよそ39リットルにあたります。
かなりの量です。
わずかパン種、つまりイースト菌を入れると、パン生地全体に影響します。
神の国はそのようなものだと言うのです。

クリスチャンにとって「解放の日」は日曜日、イエスが死からよみがえられた日です。
1週間の内、礼拝するのは1時間ほど。
救いを与え、恵みをくださる主を礼拝する時間はほんのわずかな時間です。
イエスを通して救いを与えて下さった主の為に捧げる時間。
主は命を与え、罪からあがなうためにひとり子を与えて下さったことを、私たちは信仰を持って受け入れました。
私はからし種のようなものなのに、私の人生に救いをもたらして下さいました。
あえて主は私を選び、聖なる者とするために愛を注いで下さいました。
その恵みに感謝するために、私たちは日曜日集まります。
人生という大きな事から見たら、礼拝する時間はほんのわずかです。
でも、生活の中の、困難、苦しみ、痛み、衝突の中に、小さなパン種が入れられると、生活全体に働き、恵みを膨らませてくれます。

18年間苦しんだあの女は、毎週神を信じて礼拝を捧げていました。
そこに神の恵みが及んだのです。
癒されたいから神を頼ったのではありません。
クリスチャンにとって、礼拝を捧げるのはほんのわずかな時間です。
「毎週行かなくてもいいんじゃないですか?」と言われたこともあります。
礼拝を捧げていくことは、神の恵みが人生に入るパン種のようなものです。
礼拝を通して、恵みが生活の中に豊かに及んでいきます。
神の支配が豊かに広がっていきます。
私たちにとってもっとも大切なことは、主が救いを与え、神の民として下さったという恵みをしっかりと覚えること、感謝することです。
未解決の問題もあります。
それでも、強いられてでもなく、義務としてでもなく、命を与え、恵みを人生に結びつける場として礼拝を捧げていきましょう。
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Author:ステファニー
プロテスタントのクリスチャンです。
佐藤たけるさんおたくです。

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