2月5日 合同礼拝

ルカの福音書 13章 10~17節
「なにが正しいかを判断する」

「イエスは安息日に、ある会堂で教えておられた。
すると、そこに十八年も病の霊につかれ、腰が曲がって、全然伸ばすことのできない女がいた。
イエスは、その女を見て、呼び寄せ、『あなたの病気はいやされました』と言って、
手を置かれると、女はたちどころに腰が伸びて、神をあがめた。」
13:10~13

今日の箇所には18年間病にかかっていた女性が出てきます。
おそらくイエスと出会うのは初めてではないと思われます。
イエスは町々を巡り歩いていました。
それまでも群衆の中にはいたかもしれませんが、今、会堂にいる姿がイエスの目に留まりました。
イエスは彼女を呼び寄せて「癒されました」と言いながら手を置きました。
これは、多くの人々の前で起こったことです。

「すると、それを見た会堂管理者は、イエスが安息日にいやされたのを憤って、群衆に言った。『働いてよい日は六日です。その間に来て直してもらうがよい。安息日には、いけないのです。』」13:14

会堂管理者は、会堂で語られる聖書の言葉について、誤りを正す責任がありました。
そして、彼はイエスの癒しに対して憤りました。
女性は病気でも、毎週会堂に来ていました。
癒されるように、と祈っていたのかも知れませんが、病を受け入れながら生きていくために祈っていたのかもしれません。
困難な境遇にあっても、女性は神を礼拝することをやめませんでした。
そんな女性が癒されました。
会堂管理者は、毎週彼女が来ている姿を見ていたはずです。
その病が癒されるのを見て憤ったのはなぜでしょうか。
女性が癒されて神をあがめるのを見て、憤ったのです。

私たちも、神のみわざが行われたのに、不満が心にあって、
「納得できない。おかしい」
と思うことはないでしょうか。
会堂管理者は、熱心さのゆえに憤っていました。
「安息日には何の仕事もしてはならない」ということを自ら守り、人々にも守らせようとしていたからです。

「すると、それを見た会堂管理者は、イエスが安息日にいやされたのを憤って、群衆に言った。『働いてよい日は六日です。その間に来て直してもらうがよい。安息日には、いけないのです。』」13:14

パウロには疑問がありました。
主は、同胞であるユダヤ人を見捨てて、異邦人に救いを与えようとされているのではないか、と。
しかし、主は異邦人を通して、イスラエルを救おうとしておられるのだと言うことに思い至りました。

会堂管理者は、律法を守ることに命を賭けていました。
熱心で、正しい人でした。
が、それは知識による熱心さではありませんでした。
彼はこの感動的なシーンで怒りを感じました。
「仕事は6日のうちにしなければならない」と、彼は会堂にいる人々に教えてきました。
彼はイエスに抗議したのではありません。
間接的に、イエスの間違いを指摘していたのです。
なぜ水を差すようなことを言ったのでしょうか。
なにが正しい子とかの判断が誤っていたからです。
正しく神の律法を理解していなかったのです。

私たちは正しくみことばを聞いているでしょうか。
人は、自分を中心にして聞いています。
神が私にどんなことを語ろうとしておられるか、神の心を理解しようとして聞くことをしていません。
自分にとってどう役立つか、ということにしか興味がないのです。

牧師として様々な相談を受けることがありますが、「多くを語りすぎた」と思うことがあります。
牧師に相談するとき、その人はアドバイスをして欲しいのではありません。
自分でもどうしたらよいか分からない思いを、知って欲しいと思っているのです。
話すことで、すでに解決に近づいているとも言えます。
なにに、語りすぎてしまいます。
しっかりと相手の言うことを聞き出して、心の中のものをしっかりと受け止めることが弱いからなのではないかと感じます。

「愛する兄弟たち。あなたがたはそのことを知っているのです。しかし、だれでも、聞くには早く、語るにはおそく、怒るにはおそいようにしなさい。」ヤコブ1:19

「そのように、信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。」ローマ10:17

イエスはどういう意図で語っているのでしょうか。
律法の背景にはなにがあるのか、旧約の安息日の規定を読んでみましょう。

「安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。
六日間、働いて、あなたのすべての仕事をしなければならない。
しかし七日目は、あなたの神、主の安息である。あなたはどんな仕事もしてはならない。――あなたも、あなたの息子、娘、それにあなたの男奴隷や女奴隷、家畜、また、あなたの町囲みの中にいる在留異国人も――」
出エジプト20:8~10

家畜さえも休むようにと書かれています。
安息日は、休息と安らぎのためのものでした。
それなのに、会堂管理者は、背後にある神の恵みと祝福に目が留まっていませんでした。

「六年間あなたの畑に種を蒔き、六年間ぶどう畑の枝をおろして、収穫しなければならない。
七年目は、地の全き休みの安息、すなわち主の安息となる。あなたの畑に種を蒔いたり、ぶどう畑の枝をおろしたりしてはならない。
あなたの落ち穂から生えたものを刈り入れてはならない。あなたが手入れをしなかったぶどうの木のぶどうも集めてはならない。地の全き休みの年である。
地を安息させるならあなたがたの食糧のためになる。すなわち、あなたと、あなたの男奴隷と女奴隷、あなたの雇い人と、あなたのところに在留している居留者のため、
また、あなたの家畜とあなたの地にいる獣とのため、その地の収穫はみな食物となる。」
レビ25:4~7

それどころか、主は土地の休みも宣言しておられます。
6年間収穫したら、1年間休ませる。
酷使しないようにと言う恵みであり、土地がやせ細るのを防ぐことができる、理にかなった律法です。
安息日に規定は、労働から人々を解放するための規定です。
安息を与える神をほめたたえるための日です。
癒された女性は神をほめたたえました。

「しかし、主は彼に答えて言われた。『偽善者たち。あなたがたは、安息日に、牛やろばを小屋からほどき、水を飲ませに連れて行くではありませんか。
この女はアブラハムの娘なのです。それを十八年もの間サタンが縛っていたのです。安息日だからといってこの束縛を解いてやってはいけないのですか。』
こう話されると、反対していた者たちはみな、恥じ入り、群衆はみな、イエスのなさったすべての輝かしいみわざを喜んだ。」
13:15~17

なにが正しいかを判断するには、主の教えを表面上理解するだけでなく、神の心がどこにあるのかを正しく受け止めることが必要です。
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プロテスタントのクリスチャンです。
佐藤たけるさんおたくです。

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