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1月22日 聖日礼拝

テモテへの手紙 第二 1章1~2節
「恵みによって強くなりなさい」

「そこで、わが子よ。キリスト・イエスにある恵みによって強くなりなさい。
多くの証人の前で私から聞いたことを、他の人にも教える力のある忠実な人たちにゆだねなさい。」
2:1,2

私たちが生きていく過程で、うれしいことや楽しいこと、心躍ることと出会います。
同時に問題に直面して、苦しんだり悩んだりもします。
人生には二つのものがいつも同居しています。
100%感謝という人もいませんが、100%不幸な人もいません。
「隣の芝生は青く見える」と言いますが、芝生を青く保つために払われた労苦に、私たちは気付きません。
祝福の背後にある労苦にも目を留めなければなりません。
シーソーのように、割合が変わることがあっても、喜びと苦しみの両方とも消えることはありません。
それでも、喜びと感謝で生きる人もいれば、「自分だけ不幸だ」と思って生きている人もいます。
では、何が問題なのでしょうか。
それは心の姿勢です。
何に目を留めるか、が大事です。

「わが子よ」とパウロは呼びかけます。
この手紙は、テモテという若い教会の指導者に書かれたものです。
でも、テモテ個人に宛てたものではありません。
テモテを通して教会で回覧されることを想定して、教会に宛てて書かれたメッセージです。
テモテはパウロにとって「わが子」というべき存在でした。

1節には、私たちはキリスト・イエスにある恵みによって強められるということが書かれています。

「私たちもみな、かつては不従順の子らの中にあって、自分の肉の欲の中に生き、肉と心の望むままを行ない、ほかの人たちと同じように、生まれながら御怒りを受けるべき子らでした。
しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、
罪過の中に死んでいたこの私たちをキリストとともに生かし、――あなたがたが救われたのは、ただ恵みによるのです――
キリスト・イエスにおいて、ともによみがえらせ、ともに天の所にすわらせてくださいました。
それは、あとに来る世々において、このすぐれて豊かな御恵みを、キリスト・イエスにおいて私たちに賜わる慈愛によって明らかにお示しになるためでした。
あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。
行ないによるのではありません。だれも誇ることのないためです。」
エペソ2:3~9

聖書の「恵み」とは、「かつては肉のままに生きていて滅ぶべき存在であったのに、一方的な憐れみによってキリストの犠牲により、神の子とされた」ということを表しています。

「『さあ、来たれ。論じ合おう』と主は仰せられる。『たとい、あなたがたの罪が緋のように赤くても、雪のように白くなる。たとい、紅のように赤くても、羊の毛のようになる。』」イザヤ1:18

愛のゆえに罪が赦されるのです。
取り引きではありません。
私たちは日常生活の中で、取り引きをして生きています。
何かをすることで、その対価として給料をもらいます。
プラスマイナス0です。
給料を支払われない労働は「ボランティア」と呼ばれます。
店で欲しい物があったら、値札分の代金を払います。
これが取り引きです。

恵みはそうではありません。
家族関係、親子の関係の中に、それは見られます。
私が大学生の頃に、あるデータが取られました。
主婦の家事を全て労働と換算して給料を払うとしたらいくらになるか、というものでした。
それは相当の金額でした。
多くの主婦は、その労働を、計算抜きで、喜んで、「自分の持っているものを使いたい」と思ってしています。
これは、神の恵みに近いものです。
そして、私たちは、そういった恵みを「当たり前」と思ってしまっています。

神はどれほどすばらしいことをしてくださったことか。
取り引きできるような良いもの、差し出すべきものなど、私たちは持っていないのに。
人生が豊かになるためには、神が私に恵みを与えて下さっているということを知ることが大切です。
神の恵み、家族への感謝が人生の秘訣です。

「主ご自身がこう言われるのです。『わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。』」ヘブル13:5

神の与える恵みは、このように言ってくださる方を知っているということです。
私たちが陥りやすい過ちは、「病気なって始めて健康のありがたみに気付いた」という言葉に表れています。
健康を失う前に気付ける方がもっといいのです。
そういう生き方をしたいと思います。

自分に与えられている恵みを知ることで、私たちは強くなります。
弱くなるのは、恵みが分からないからです。
問題にばかり目を留めると、共に祈り、苦しみ、支えてくれる人がいることに目が留まらなくなります。
人生の一番の問題は、「そのときに一緒に考えたり悩んだりしてくださる神がおられて、助け手を与えて下さる」という恵みに気付かないことです。

「わがたましいよ。主をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。
わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。
主は、あなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、
あなたのいのちを穴から贖い、あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、
あなたの一生を良いもので満たされる。あなたの若さは、鷲のように、新しくなる。」
詩篇103:1~5

「主のよくして下さったことを何一つ忘れるな」といわれているのに、実態はどうでしょう。
すぐに忘れてしまいます。
よかったことはすぐに忘れたり、慣れたりしてしまいます。
逆に、傷つき悩んだことは忘れません。
無意識的によいことを忘れるので、自分が一番不幸だと思ってしまいます。
だからこそ、主が注がれる愛のまなざしを忘れないようにしましょう。
当たり前と思っていることの中に、たくさんの恵みがあります。

年末に足が痛くなりました。
足の裏を見ると、とげのようなものが見えます。
痛みがなかなかひかないので、皮膚科に行きました。
診断は「魚の目」でした。
治療中ですが、まだ痛みます。
妻に話すと、「魚の目なんてたくさんあるわよ」といわれてしまいました。
そのときに、今まで魚の目がなかったことに感謝しよう、と思いました。

多かれ少なかれ、だれでも具合が悪いことがあります。
「だからダメ」なのではありません。
そういう時に「何で私が?」と思ったら「不幸」になります。
だから、「何一つ忘れるな」といわれているのです。
恵みを覚えている人は、困難の先に大きな祝福があることに心が留まります。
困難を通して、恵みを与えて下さることに目を留めると、強く成っていきます。

私は大学で保健体育を専攻していました。
そのときに知ったことですが、筋力を付けるには負荷をかけることがだいじなのです。
2週間寝込んだら、がくっと筋力が落ちます。
スポーツでは、鍛えたいところに負荷を掛けます。
すると、筋肉が傷つきます。
休むとそこが修復され、そのときに、より頑丈になります。
傷が癒されることで、より強くなるのです。

人生の苦しみ、悩みには意味があります。
そこに恵みが働くことで、強くなれます。
嘆いて恵みに心が留まらないことが不幸なのです。

「私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。」ヤコブ1:2

私たちは強くなれます。
強められることで、他の人を励まし、強めることができます。
教える力のある人(2:2)とは、自ら学び、自分で経験している人です。
自分の歩みの中で、恵みによって強められる経験をした人。
単なる人生経験や知識ではありません。
主によって強められて、立ち上がる経験をした人です。
一緒に悩み、考え、祈り、乗り越えることで、私たちの絆が強められるのです。
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Author:ステファニー
プロテスタントのクリスチャンです。
佐藤たけるさんおたくです。

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