12月4日 聖日礼拝

エペソ人への手紙 1章3~6節
「神の栄光をほめたたえるために(2)」

なぜ神を褒め称える必要があるのでしょうか。
日本人の99%は創造主を認めていません。
信心はあります。
古い樹木があると、「ご神木」としてあがめます。
清らかな湧き水を水神として祀ります。
人知を越えることや不思議な力を感じると、それを崇めて「神」のエネルギーをわけてもらおうとします。

「神がその愛する方にあって私たちに与えてくださった恵みの栄光が、ほめたたえられるためです。」1:6

「恵み」を理解できるときに、私たちは神をあがめ、褒め称える者になります。
それができないのは、「恵み」を知らずに生きているからです。
目に見えない、背後にある者に注意を払わなければ、恵みはわかりません。

「それゆえ、神について知られることは、彼らに明らかです。それは神が明らかにされたのです。
神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。
それゆえ、彼らは神を知っていながら、その神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなりました。」
ローマ 1:19~21

神は目に見えません。
だから、人間は目に見える形を作ろうとします。
たとえば、この空間には空気があります。
空気は目に見えませんが、そこにあることを確認することはできます。
みなさんも、理科の実験をしたことがあるでしょう。
神の目に見えない本性も、「明らか」だと書かれています。
どうすればわかるのでしょうか。
「被造物」を調べれば、だれの目にも明らかに分かるというのです。

人体・宇宙のすばらしさを考えてみましょう。
人の胸には、握りこぶし大の心臓があります。
一生、止まることなく動き続けます。
私たちは無意識に呼吸しています。
酸素を取り入れて、肺で二酸化炭素をヘモグロビンから切り離し、吐きだしています。
ヘモグロビンは酸素を送ります。
意識せずに、死ぬまでそれをしています。
体中、血管だらけです。
全ての血管をつなぐと、9万キロから10万キロになるといいます。
さらに血液の中には、自己と違うものを殺すキラーT細胞があります。
これが免疫システムです。
命はすばらしい叡智の固まりだと気付きます。

薪を並べて火を付けるとどのぐらい燃え続けるでしょうか?
太陽は、何年燃え続けているでしょうか?
何千年も、ずっと燃え続け、エネルギーを発し、光と熱を届けてくれています。
恵泉ファームでは地下水をくみ上げるためにポンプを使っています。
ずっと使っていたポンプが最近壊れてしまいました。
人間が作るものはそのようなものです。

命の仕組み、自然の成り立ちに目を留めれば、それは偶然の産物ではないと分かるはずだ、と聖書は言います。

「彼らは神を知っていながら、その神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなりました。」1:21

「創造主」を何となく感じていても、踏み込まない。
全てのよいものを頂いているにもかかわらず、神を神としてあがめないために、その無知な心は暗くなりました。
そして、被造物を祀って崇めるようになりました。
まさに日本人がしていることです。
神がどれほどの愛を与えて下さっているかがわからない。
分かっていないからこそ人生に行き詰まっていることに気付かないのです。

「それは、彼らが神の真理を偽りと取り代え、造り主の代わりに造られた物を拝み、これに仕えたからです。造り主こそ、とこしえにほめたたえられる方です。アーメン。」1:25

神の恵みが分からないと、「どうすれば自分が楽しいか」という欲望に囚われるようになります。
度を超した欲が貪欲です。
いわゆる、食欲のような「欲」とは違います。
「おなかがすいた」と感じなければ、物を食べなくなり、体は栄養を失って健康を損ないます。
それは必要な「欲求」です。
それが度を超すと肥満になります。

神は祝福して下さいました。
大事なのは、私たちがそれを受け止めているかどうかです。
受け止める時に、人生は変わります。

小さな赤ん坊の頃の記憶がある人はほとんどいないでしょう。
それは神の恵みです。
もしもそんな記憶があったら、私たちは親に頭が上がりません。
乳児の親は、1日24時間一緒にいて、ほぼ100%子どもの為に生きています。
その労苦を記憶していたら、子どもは親に負い目を感じてしまいます。
親のありがたみは、自分が親になったときに気付くものです。

私が子どもの頃、乳歯が抜けないまま永久歯が生えてきてしまいました。
両親は心配して、歯列矯正を受けるように、医者に連れて行ってくれました。
その支払いの場で聞いた、「20万円」という言葉が今も耳を離れません。
当時、家計の状況を考えると、子どもの私でもそれがどれほどの金額かわかりました。

「私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神はキリストにあって、天にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。」1:3

クリスチャンの人生は、神の祝福を見つけていく人生です。

ある年、私は駅伝大会の選手に選ばれました。
それも第一走者です。
ところが、試合直前の練習中に靴が破れてしまいました。
私は、新しい靴を買って欲しいと言い出すことができませんでした。
あの、「20万円」の負い目があって、親に金銭的な負担をかけたくないという思いがあったからです。
その夜、私は破れた靴を縫い合わせて直しました。
いよいよ駅伝大会の本番。
走り始めてすぐに、縫い合わせた靴は口を開けてしまいました。
足を引きずりながら走る私は、すごくみじめな気持ちでした。
その後、私は、あれは両親の「愛」だったのだと気付いたときに、気持ちが解放されました。
そのまま受け取れば良かったのだと。

「それは、神がその愛する方にあって私たちに与えてくださった恵みの栄光が、ほめたたえられるためです。」1:6

恵みの栄光がわかり、それを受け取り、感謝を捧げるとき、人生は喜びに満たされます。
神の愛が分かる時、愛の神を、神としてあがめるように変えられます。
神を神としてあがめることが、神を愛することです。
感謝をささげる心が大切です。

「いつも喜んでいなさい」と言われても無理ですという人は多いです。
「だって、感謝できないことがこんなにもあります」と。
私たちは不平を見つけ出す達人です。
祝福をみつける訓練に欠けています。
苦しみや悩みが全くない人はいません。
同時に、全て苦しみばかりの人もいません。
両方にちゃんと目配りできることが大切です。
喜びと感謝をみつける達人になる訓練が必要です。
8勝7敗の人生でいい。
人生の目的は、神をほめたたえて生きることなのです。
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Author:ステファニー
プロテスタントのクリスチャンです。
佐藤たけるさんおたくです。

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