11月27日 聖日礼拝

エペソ人への手紙 1章 3~6節
「神の栄光をほめたたえるために」

神の救いのご計画について、クリスマスに向けて学んでいきたいと思います。
私たちの人生は何のためにあるのでしょうか。
何を目当てに生きているのでしょうか。
人生における三つの問い、
 ①人はどこから来たのか
 ②人はどこへ行くのか
 ③人は何のために生きているのか

これらに聖書はなんと答えているでしょうか。

聖書は、創造主がおられ、私たちは目的を持って神に造られたのだと語っています。
神の、私に対するご計画は何なのかが大切です。

「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。だからわたしは人をあなたの代わりにし、国民をあなたのいのちの代わりにするのだ。」イザヤ43:4

創造主は一人一人を愛しておられます。
つまり、私たちを大切な存在として意識して扱っておられます。
愛されている私たちは、その愛を受け止めて、その会いに応えて生きること。
愛が分かったときに褒め称える者になることができます。

どのようにしたら神を褒め称えられるのでしょうか?
神のご計画と、そのために神がして下さったことを知る必要があります。

「なぜなら、福音のうちには神の義が啓示されていて、その義は、信仰に始まり信仰に進ませるからです。『義人は信仰によって生きる』と書いてあるとおりです。
というのは、不義をもって真理をはばんでいる人々のあらゆる不敬虔と不正に対して、神の怒りが天から啓示されているからです。
それゆえ、神について知られることは、彼らに明らかです。それは神が明らかにされたのです。
神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。
それゆえ、彼らは神を知っていながら、その神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなりました。」
ローマ1:17~21

聖書には、神の愛とともに、その一方で神の怒りが記されています。
これは「矛盾」しているのでしょうか。
日本には「罪を憎んで人を憎まず」という言葉があります。
神は、私たちから祝福を奪う「罪」に怒っておられます。
その罪から離れて、神の愛に生きることを望んでおられます。

「訓練と思って耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです。父が懲らしめることをしない子がいるでしょうか。」ヘブル12:7

子を愛しているからこそ、親は自分の子を叱ります。
それは愛から来る怒りです。
もし放置したら、祝福からこぼれ落ちてしまうので、神は悔い改めを望んでおられます。
悔い改めとは、これまでの生き方を改めることです。

光の前に立つと、光が見えます。
そして、私の後ろに影ができます。
神に向かうとき、罪は後ろになります。
光に背を向けると、目の前に暗やみが広がります。
罪と過ちを知って、神に向かって生きること、それが信仰です。
光の中を歩むことで、罪があがなわれていくのです。

神が怒られる理由は、「彼らは神を知っていながら、その神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしく」沈み込んでいくからです。
神をあがめ、感謝していく生活がクリスチャンの生き方です。
礼拝し、讃美するのは、神のすばらしさを知っているからです。

人が幸せになるには、感謝の心を持つのが秘訣だといわれます。
そのためには、感謝がわかることが不可欠です。
多くの人は、不平不満の種を探しています。

幼い頃に父にもらった本「少女パレアナ」のなかで、こんな話がありました。
パレアナは骨折して、どうして自分ばかりこんな目に遭うのかと不満に思っていました。
そんなパレアナに、父親が「よかった探しをしよう!」と提案します。
よいことは、どうしても「当たり前」のことになってしまいがちです。
ところが悪いことはいつまでも心に残ります。
嫌なことばかりに目を留めると人生はすさみます。
人生の半分は悪いことがあるかも知れませんが、少なくとも半分くらいはいいことがあるはずです。
大事なのはどこに目を留めるか、です。
良いことは意識しないと見つけられません。
よくないことは意識しなくても目に入ってきます。
その本を読んでから、いやなことがあったら、よいことも探そうとするようになりました。
人を批判したくなるときには、その人のいい面も探そうと心がけています。
そうしないと、不満はどんどん大きくなります。

強調文n style="color:#0066FF">「私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神はキリストにあって、天にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。」1:3

愛すべき存在の中に、見過ごせない罪をどうしたらよいのか。
神は、そこから救うために御子を送ってくださいました。
神は罪を見過ごすことはできません。
罪を犯したら、そのむくいを受けなければなりません。
しかし、悔い改めたときに、神は赦して下さいます。

「すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前から彼にあって選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。」1:4

人間が神を見失い、自分の満足のために生き、滅びに向かっているのを見て、主はもう一度ご自分の子にしようとして下さいました。

私たちはこの場所に新しい会堂を建てました。
2006年のことです。
田んぼを埋め立てた場所には何もありませんでした。
設計士が設計図を書いてくれました。
A案から始まって、確かP案ぐらいまでいったと記憶しています。
何度も設計図が書かれました。
設計図が完成した段階で、この教会は「建った」と言えます。
ゴールを知って、プランができたら、そのとおりになっていきます。
神は、壊された人生を立て直すプランを立てて下さったのです。

「神は、みむねとみこころのままに、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられました。」1:5

建築中、週に一度、ミーティングをしました。
修正のためです。
設計図を作ったからといって、自動的に建物が建つわけではありません。
思いがけないことが起こって、工期が伸びたり、変更もあります。
でも、ゴールに向かって1歩ずつ進んでいきます。
それが「旧約」の過程です。

「それは、神がその愛する方にあって私たちに与えてくださった恵みの栄光が、ほめたたえられるためです。」1:6

自分の人生において、愛され、祝福されていることを知って、主をほめたたえる者となるのです。
「神が愛して下さった」だけでは中途半端です。
私たちも、神を愛する者となるとき、互いに愛し合い、交わりの中での喜びを知ることができます。
そうすることによって、神への感謝が増していきます。
それが成長です。
人生には様々な課題がありますが、そこに主の御手があり、感謝に満ちあふれることができるのです。
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Author:ステファニー
プロテスタントのクリスチャンです。
佐藤たけるさんおたくです。

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