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11月20日 聖日礼拝

コロサイ人への手紙 1章 27~29節
「教会の最優先事項」
            スティーブ/エリオット師

「神は聖徒たちに、この奥義が異邦人の間にあってどのように栄光に富んだものであるかを、知らせたいと思われたのです。この奥義とは、あなたがたの中におられるキリスト、栄光の望みのことです。
私たちは、このキリストを宣べ伝え、知恵を尽くして、あらゆる人を戒め、あらゆる人を教えています。それは、すべての人を、キリストにある成人として立たせるためです。
このために、私もまた、自分のうちに力強く働くキリストの力によって、労苦しながら奮闘しています。」
1:27~29

みなさんに質問しましょう。
教会にとって最も大切な使命はなんでしょうか?

① 聖書研究
② 貧しい人々を救うこと
③ 福音を伝えること
④ 子どもの教育
⑤ 青年の宣教


どれもたいせつなことです。
では、イエスは何と言っているでしょうか。

「それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、
また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」
マタイ28:20

イエスが命じていることは「弟子を作ること」です。
そのためには、私たち自身がまず弟子にならなければなりません。
服部先生はいつも「自分が13番目の弟子になったつもりで」聖書を読むように教えているそうですが、良いことだと思います。

では、弟子とはなんでしょうか。
クリスチャンを「キリストを信じる者」ではなく「キリストに従う者」と言っているのを聞きました。
「従う者」は必然的に「信じる者」ですが、「信じる者」は必ずしも「従う者」ではありません。
弟子は、ただ信じるだけの者ではありません。
クリスチャン=信じる者。
弟子=従う者。
です。
イエスと同じ方を向いて、歩んでいく者。
イエスと同じように人を愛する者。
全ての意味でイエスに従う者にならなければなりません。

パウロも「弟子を作ることが最も大切だ」と言っています。

「このために、私もまた、自分のうちに力強く働くキリストの力によって、労苦しながら奮闘しています。」1:29

「このために」とは、何のためでしょうか。
キリストの成人とすることです。
私もそれをしたいと望んでいます。
みなさんにチャレンジしたいのです。
私は、クリスチャンを励まし、教え、訓練するために献身しています。
イエスとイエスの生き方を愛していくことを伝えたいのです。
イエスは地上で12弟子と共に歩まれました。

今、全世界に教会があります。
カリフォルニアでももうすぐ同じように礼拝が持たれます。
その教会を助ける宣教のリーダーを育成しています。
アメリカではあまり弟子訓練をしてきていませんでした。
人を教え、聖書研究をしてきましたが、イエスと共に働くということを教える機会がありませんでした。
宣教には、人々との親密な関係が大切です。
人を助けるには、毎日イエスに信頼することが大切です。

弟子訓練とは、人が霊的に成長できる関係を築くことです。
①経験のあるクリスチャンが、若い人と共に歩むこと。
②若者の霊的な生活を具体的に導くこと。
「証をするように」と言うけれどもどうすればいいかを教えないと、「できません」「私は牧師ではありません」「セミナーに参加したことがありません」ということになります。
イエスは、私の人生に入ってきて、やり方を、生き方を教えてくれました。
私を気に掛けて、共に祈ってくれました。
このイエスに信頼しています。

パウロは、「全ての人」をキリストにある成人とすると言っています。
簡単な人だけではありません。
教会に来る人だけではありません。

私が若い牧師の頃、私は人々の教会での奉仕に感謝していました。
メモにこのみことばを書いていました。
でもある日気付きました。
私はそのことを信じていないということに。
「あらゆる人」「全ての人」と考えていませんでした。
教会に来る人たちは、「よいメッセージでした。」と言っているけれど、では彼らは成長しているのか。

教会員と共に食事をしたり、釣りをしたりしたが、重要な質問はしてこなかった。
その人と、イエスの関係を聞いてこなかった。
先週のメッセージにどんな応答をしたのか、と聞かなかった。
「変わろう」と思ったことはあったかどうか、聞かなかった。
「魚は釣れた?」とか「試合は楽しかった?」としか聞かなかった。
「このレシピを教えて欲しい」としか聞かなかった。
イエスが、その人の人生に何をして下さったかを話してこなかった。

キリストを宣べ伝える、ということは、その人の中におられるキリストを伝えるということです。
このパウロの言葉は未信者に語られているのではありません。
クリスチャンに語られているのです。
「牧師でないから聖書のことを話す資格はない」のでしょうか?
栄光と望みは、私たち全員の中にあります。
クリスチャンにはその力があります。
「できない」と思っても、主は「力がある」といわれています。
「このキリスト」を伝えるのです。
どのように?
「戒め」「知恵を尽くして」。
離れていく人には戒めが必要です。

国立公園におおきな滝があります。
そのてっぺんまで行ける道があります。
滝の、ギリギリの端まで行けます。
景色が見えるように、フェンスは低く作られています。
その近くには看板があります。
「フェンスを越えてはいけない」と。
「さもないと死ぬ」と。
すばらしい看板ですが、多くの人が毎年このフェンスを越えます。
よい写真を撮りたいからです。
そして、落ちて死ぬ人が後を絶ちません。

共に歩くことは大切だと、あらゆる人に教えなければなりません。
日常生活に合うように。
本を教えるのではなく、どのように人生の中で適用するかを教えるのです。

私はこのために奮闘しています。
弟子訓練は簡単なことではありません。
人の人生にかかわるのは大変な事です。
信じて従う人の人生にかかわるのは比較的簡単ですが、中には戻っていってしまうひともいます。
その人と共に生きること。
その人が残念なことをしても、諦めないこと。
もしも他所にいってしまったらやめるかもしれませんが、関係があれば、ずっとその人と共にいます。
「労苦しながら奮闘」するのです。
内にある神の力によって。
内におられる栄光あるキリストの望みによって。
中には聖霊がおられます。
自分の力でするのではなく、聖霊の力によってです。

ブルースさんという人がいます。
彼は薬物で全てを失いました。
家族も仕事も。
そして、ホームレスになりました。
ある日、我慢の限界にきました。
その日の午後、教会の近くを通りました。
そこに来れば一人きりになれると思ったからです。
後に聞いたのですが、彼は教会に参加するために北野ではなく、自殺するためだったそうです。
教会では毎週コーヒーとベーグルのサービスをしていました。
通りかかる人なら誰でも、ホームレスでも食べてよかったのです。
ブルースさんは、そこに通りかかって「死ぬ前にコーヒーを飲んでみよう」と思いました。
彼はテーブルに来てコーヒーを飲みました。
そのとき牧師が来ました。
「前にも会ったね。ようこそ。」と、彼に話しかけました。
ブルースさんは毎週教会に来るようになりました。
教会には貧しい人々のためのランチもありました。
そして、聖書の会話の時間もありました。
その中で、彼はイエスに従うようになりました。
奉仕されるのではなく、奉仕するようになりました。
やがて公園で聖書を教えるようになりました。
彼はドラッグのせいで歯がなく、美しくはありませんが、内に美しいものを持っています。
技術はありませんがハートがあります。
彼の内にはキリストがあります。
イエスを愛することが弟子の条件です。
イエスは、私の人生を使って下さいます。
人と共に歩むことはすばらしいことです。
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Author:ステファニー
プロテスタントのクリスチャンです。
佐藤たけるさんおたくです。

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