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2月24日 聖日礼拝

ペテロの手紙第1 1章1~2節
「選ばれた人たちへ。寄留者たちへ。」
                 柳橋宏祐神学生

「イエス・キリストの使徒ペテロから、ポント、ガラテヤ、カパドキヤ、アジヤ、ビテニヤに散って寄留している、選ばれた人々、すなわち、
父なる神の予知に従い、御霊の聖めによって、イエス・キリストに従うように、またその血の注ぎかけを受けるように選ばれた人々へ。どうか、恵みと平安が、あなたがたの上にますます豊かにされますように。」
1:1,2

この手紙は、使徒ペテロから送られた手紙です。
始めからじっくり読んで、味わって受け取るべきだと思います。
一部だけを読んで分かったつもりになってはいけないと思います。
ペテロがなにを伝えようとしているかを学びましょう。

みなさんは今生きている世の中をどう思っていますか?
どういう所ですか?
苦しいことや悲しいこともあります。
落ち込んでいると、欲望が襲ってくるときもあります。
楽園のように感じて、今が永遠に続けばいいのにと思うこともあります。
逆に、いつまでこんなことが続いていくのかという思いをすることもあります。

①寄留者

技能実習生という言葉を聞いたことはありますか。
愛知県には多くの義の実習生が来ているということを先日知りました。
外国から来て、働きながら研修して、母国に技術を持って帰るのが目的です。
しかし、実際は日本の会社の中で不当に扱われて苦しい思いをしている方が多いと批判を浴びています。
本の中でインタビューの記事がありました。
そこに彼らの思いが書かれていました。
「会社の人から関心を持たれない」
「文化を知ろうとしない」
「見放され,見下されていると感じる」
などなど。
外国人で、一時的に母国を離れて住んでいる人は、価値観の違いを経験するでしょう。
今、そのような経験をしている人もいるかもしれません。
「教会」は寄留者です。
私たちの国籍は天にあり、世にあっては寄留者です。
一時的に自分の国を離れて外国に住んでいる人たち。
クリスチャンも、この世にあって、価値観の違いに苦しんだり、キリストに従おうとすると軋轢が生まれたり、変人扱いされたりします。

②選ばれた人

特別に選ばれたことによって、一時的にこの世に生きています。
誰に選ばれたのでしょうか。
この世界を作られた、天におられる父です。
世にあって、寄留者であることを忘れてはいけません。
神の子であるから、この世では一時的な寄留者です。
それを自覚しているときに、永遠の住まいは天の御国だと覚えることです。

③父なる神の予知に従い

「予知」とは「あらかじめ知っている」ということです。
父は私たち一人一人をあらかじめ知っておられました。
「知る」とは、慎重、血液型、などのデータとして知っているということではありません。
父として、あらかじめ知って下さっていました。
世界が作られる前から、あらかじめ知って下さっていました。
生まれる前からずっと知られていました。
今も、永遠に知られ続けています。
子として、愛をもって。
私たちが父を選んだのではなく、父が私たちを選んで下さいました。

④御霊の聖めによって

御霊は天から使わされた霊です。
イエスが使わすと約束されていました。
信じる一人一人の内に、御霊が住んで下さいます。
私たちを聖める働きをして下さいます。
「聖め」とは何でしょうか。
「聖さ」とは、「区分される」「異なっている」という意味です。
なにから区分されるのでしょうか。
「世から」です。
御霊の働きは、一瞬のことではなく、永遠に継続的にずっと続いていく働きです。
この世から、神の子としてどんどん区別されていくのです。
聖なる者とされていくのです。
私も少しずつ最近わかってきたような気がします。

私は今バイトをしています。
月に数回。
上司がいて、その方に不当な扱いを受けます。
「権利を主張したら勝てる」と思いながら、ペテロの手紙を読んでいくと、

「悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を与えなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのだからです。」ペテロⅠ3:9

と、キリストが模範を示されたと書かれていました。
それは、その方に、よい行いをし続けて祝福していくことなのだと教えられました。
そして、祈りつつ実行しようと思いました。
「やり返す」というのは聖なる生き方ではないと思います。
主は、これまでの生き方から作りかえて、聖さを与えようとして下さいます。
聖さに生きるところに自由と平安を約束して下さっています。
世と調子を合わせるのではなく、作り替えられた生き方が家庭で、職場で、証するものになります。

③イエス・キリストに従うように、血の注ぎかけを受けるように

私たちが選ばれた目的は、イエス・キリストに従い、血の注ぎかけを受けることです。
イエスはこの世が創られる前から存在していました。
そして、2,000年前に人の子として現れて下さいました。
罪の赦しのために十字架に掛かって死んで下さいました。
正しい方が、罪あるものに代わって死んで下さったのです。
血の注ぎ賭を受けるように、受け続けるようにと、私たちは選ばれました。
血の注ぎかけとはどういうことでしょうか。

「しかし、もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。」ヨハネⅠ1:7

御子イエスの血により、心がすべての罪から清められていきます。
「従う」とは、聞いて、逆らわず、そのように行うことです。
よみがえられ、頭として立てられたイエスに従うように、私たちは選ばれました。

ここに、父・御子・御霊の三位一体の神の御業が描かれています。
父の予知、御霊の聖め、御子に従うこと。
完全なものに作り替えられるために選ばれました。

私たちはこの世に寄留しています。
やがてイエスが来られ、天で永遠にいいるときも、目的はイエスに従い続けることです。
今、イエスに従っていますか?
イエスは、羊飼いのいない羊のようにさまよう群衆を哀れまれました。
従うべき方を、私たちは知りました。
赦し、聖めるイエスの血を受けました。
寄留者であることを忘れることなく、国籍が天にあることを覚えつつ進み続けましょう。
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Author:ステファニー
プロテスタントのクリスチャンです。
佐藤たけるさんおたくです。

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