GO!

私、スマホゲームはやらない主義なのです。

まっさきにDLしたのはふーみん。

りーちゃんは冷ややかな眼で見つめ。

ダンナ他高齢者はスマホではない。

で、私です。

まあ、話のネタにやってみてもいいではないか。
お散歩の共にいい感じだし。
課金しなくてもできそうだし。
バッテリーと通信量だけはちょいと心配だけど。

ハイ、始めました。
うちの近所のポケスポは、お地蔵さんや神社仏閣です。
ジムはスーパーとか、大きめのお寺とか。
まだやり方がよく分かっていませんが、今Lv3。
つかまえたポケモンが6体。
卵1個。
なんかワクワクしますね~。
明日も楽しくお散歩しよう^^
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7月17日 早朝礼拝

ルカの福音書 11章 14~26節
「危機意識が大切」


「困難が増すと人生が立ちゆかなくなる」と考えやすいですが、私たちは困難に立ち向かうことができます。
家族、地域社会、教会が、団結し結束することで、より強くなり、立ち向かえるようになるのです。

歴史上の話で、私の好きな話があります。
高句麗の安市城です。
この城は、100万の大軍をわずか20万で打ち破ったことで有名です。
武将だけでなく、住民が一丸となってこの城を守りました。
難攻不落と言われた城が落ちたのは、内側から城門を開けたらからです。
「投降するなら住民に危害を与えない」という言葉を信じて城門を開けたのです。
結果、皆殺しにされました。
一夜のうちに。

内側に不信感があったから。
一致がなかったから。
内側によい信頼関係が失われるとき、敵の言葉を信じてしまいます。
アダムとエバがそうでした。
禁じられていたのは「善悪の知識の実」だけでした。
他は自由に食べることができたのです。
「いや、いけないと言われるから食べたくなるのだ。神のせいだ。」
という人もいますが、どうでしょう。
もし神を信頼していたら、そこに目を留める必要はなかったはずです。
ところが、惑わす者がやってきました。
ふたりは、そっちの言葉を信じました。
そして、滅びを身に招きました。
それが罪です。

「イエスは悪霊、それも口をきけなくする悪霊を追い出しておられた。悪霊が出て行くと、口がきけなかった者がものを言い始めたので、群衆は驚いた。
しかし、彼らのうちには、『悪霊どものかしらベルゼブルによって、悪霊どもを追い出しているのだ』と言う者もいた。」
11:14,15

イエスのしていることは、悪霊の力によるものだ、と批判する人々がいました。

「しかし、イエスは、彼らの心を見抜いて言われた。『どんな国でも、内輪もめしたら荒れすたれ、家にしても、内輪で争えばつぶれます。
サタンも、もし仲間割れしたのだったら、どうしてサタンの国が立ち行くことができましょう。』」
11:18

サタンでさえ、内輪もめしては立ちゆかない、とイエスは言われました。

「強い人が十分に武装して自分の家を守っているときには、その持ち物は安全です。
しかし、もっと強い者が襲って来て彼に打ち勝つと、彼の頼みにしていた武具を奪い、分捕り品を分けます。
わたしの味方でない者はわたしに逆らう者であり、わたしとともに集めない者は散らす者です。」
11:21~23

イエスが共にいれば、不安や恐れ、外敵から守られています。
7月7日に召されたI姉は、入院の直前の礼拝で、
「大丈夫です。何もかも神様がご存じです。
最もよいようにして下さるという信頼があるので、大丈夫です。」
と言われました。
そして、その心の平安は揺るぎませんでした。
痛みや苦しみはあっても、内側が崩されることはありませんでした。

私たちが求める者は何でしょうか。

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。」ヘブル11:6

神に「○○が欲しい」と求めるのではなく、神を求めること。
「神に」ではなく、「神を」求める者に、主は報いて下さいます。
神がいて下さるなら、心は守られ、必要は与えられます。
イエスは、命をかけて、私たちを愛し、守っていて下さいます。
イエスが、心の城にいて、共にいて守って下さるのです。

7月10日 聖日礼拝

使徒の働き 20章 7~12節
「目を覚ましていなさい?」
           Hi-b.a. 丸山告スタッフ

Hi-b.a.のスタッフとして、高校生に話すときには、高校生の言葉で、分かりやすく伝えることが使命だと思っています。
招かれて話すときには、テーマを絞って話すことも多くなります。
今日は、西教会が目指している「次世代の育成」にテーマを絞ってお話しします。

「なぜこのような話が聖書に入っているのだろうか?」と疑問に思うものが、聖書にはいくつかあります。
今日もそのような箇所の一つです。
まず、今日の箇所の「前提」を確認しましょう。

「週の初めの日に、私たちはパンを裂くために集まった。そのときパウロは、翌日出発することにしていたので、人々と語り合い、夜中まで語り続けた。
私たちが集まっていた屋上の間には、ともしびがたくさんともしてあった。」
20:7、8

「週の初めの日に」
つまり日曜日です。
日曜日に、礼拝のために弟子たちが集まっていたことを示す、最も古い資料だと言われています。

「屋上の間に」
屋上で、ということは「天に少しでも近い場所で」ということだったのでしょうか。

「パンを裂くために」
目的は、パンを割くためでした。
使徒の働きの2章を読むと、弟子たちは共に食事と聖餐を行っていました。
昼食を摂りながら、途中で聖餐をおこなっていたようです。

「私たちが」
私たち、の中には語っていたパウロと、この記事を書いたルカが含まれています。
ルカはパウロの同労者でしたが、直接イエスを知っていたわけではありませんでした。
つまり、イエスの生涯の目撃者ではなかったのです。
パウロは第三回伝道旅行を終えて、シリアに戻ろうとしていました。
しかし、ユダヤ人の陰謀を耳にして、パウロ達は陸路を通ってトロアスに向かい、ルカの一行は船で向かいました。
パウロは、「もう二度とトロアスのクリスチャンに会えないかも知れない」と考えたのでしょう。
話したいことが山ほどありました。
それを熱く語り続けてしましました。
長いメッセージです。

「夜中まで語り続けた」

しかも

「私たちが集まっていた屋上の間には、ともしびがたくさんともしてあった。
ユテコというひとりの青年が窓のところに腰を掛けていた」
20:8、9

「ともしび」
「青年」


眠くなる条件がそろっていました。
3階の窓です。
ガラスなどありません。
そこにユテコは座っていました。

「が、ひどく眠けがさし、パウロの話が長く続くので、とうとう眠り込んでしまって、三階から下に落ちた。抱き起こしてみると、もう死んでいた。」20:9

現場としては緊急事態でした。
ひとごとだと思えば笑ってしまうような場面かも知れませんが、居合わせた人々はあわてたでしょう。
ルカもそこにいました。
ルカは医者でした。
そして、彼が「抱き起こしてみると、もう死んでいた」と言うのです。

「パウロは降りて来て、彼の上に身をかがめ、彼を抱きかかえて、『心配することはない。まだいのちがあります』と言った。」20:10

パウロの発言はこの場にそぐわない言葉でした。
他に言うことがあるのではないか、という気になります。
こんな場合に発する言葉は、
「ごめんね。長々と話してしまったから。」と謝るパターンか、
「なぜ寝ていたんだ!寝てはいけない。目を覚ましていなさい!」と叱責するパターンが考えられます。
それで、今日のタイトルは「目を覚ましていなさい」の最後に「?」を付けているのです。
いずれにせよ、だれもがユテコのことを心配していたはずです。

パウロは色んな経験をしてきました。
むち打ちや、投獄や、様々な苦しみを。
だから、動じなかったのかも知れません。
が、青年は息を吹き返しました。

「そして、また上がって行き、パンを裂いて食べてから、明け方まで長く話し合って、それから出発した。」10:11

人々はまた礼拝を再開して、明け方まで語り続けたと書かれています。
私たちは、ここから何を学ぶのでしょうか?

・礼拝中は寝てはいけない?
・長い説教をしてはいけない?
・礼拝堂は1階に作るべき?

「人々は生き返った青年を家に連れて行き、ひとかたならず慰められた。」20:12

私は高校生に、「聖書を読む時は、自分もその場にいるような気持ちで読むといいよ」と言っています。
今、もしこの西教会でこのようなことが起きたらどうでしょうか?

私が神学生だったころ、実習教会で実際にこんなことがありました。
70歳を超えた方が、疲れて教会に来ていました。
「昨日は徹夜だった」と言っていました。
それも、毎週そう言っていたのです。
ある日、説教の真ん中で、倒れて気を失ってしました。
当然メッセージは中断です。
「心配することはない」とは言いませんでした。
その方は救急車で搬送されました。
礼拝は続きましたが、みな気もそぞろでした。

ルカは、大混乱を締めくくる言葉として、「慰められた」で終えています。
ユテコはこのあと聖書には出てきません。
「青年」という言葉は「僕(しもべ)」と同じ言葉です。
ユテコは座る席がなかったのでしょう。
人が多かったと考えられます。
そうすると、どうしてもCO2が多くなります。
CO2が1000ppmを超えると眠気が来ると言われています。
2500ppmを超えると意志決定に影響を及ぼすそうです。
西教会のこの人数では寝ても仕方がないかもしれません。

人々は生き返ったユテコに慰められました。
トロアスの教会が学んだことは、
「礼拝の真っ最中でも人は死ぬことがある」
「でも、私たちには復活の希望がある」
ということです。
彼らは絶望と希望の両方を味わいました。
若い人にとって、苦い経験は大事です。
次の週に、人々はこの話をしたことでしょう。
「君、一度死んだよね?」
「でも、生き返ったよね?」
と、きっと10年経ってもこのときの話を繰り返したことでしょう。
ユテコ自身も、イエスの死とよみがえりを経験しました。

高校生は、白にも黒にもなる分岐点にいます。
高校1年生の時、Hi-b.a.のキャンプに参加しました。
キャンプは、日頃会えない、クリスチャンの仲間とどっぷりすごす貴重な経験です。
夜になると、部屋ごとに、一日の恵みを分かち合いました。
5泊6日。
昼間、めいっぱい活動してから・・・。
7時に、夕食後に、メッセージがありました。
半分ユテコな人もたくさんいました。
「今日のメッセージから何を学んだ?」
と聞かれて、
「実は、寝てしまって…」
10人中半分がそうでした。
そとのきのカウンセラーは否定せずに聞いてくれました。
「そうか。しょうがないよね。」と。
そして、
「寝たら、もったいないよね」と励ましてくれました。
共感と、励ましを受けて、「寝た組」が対策を考え始めました。
寝ない努力です。
昼間の活動を少しセーブして、休憩を取ったりするようになりました。

次世代への励ましは難しいと思います。
年長者は、上っ面だけ見て、「ダメだ」と思いやすいからです。
ユテコの転落と復活で、トロアスの人々は希望を味わうことができました。

夏のキャンプが今年も行われます。
ぜひ祈って下さい。

3連休?

今日は昼過ぎまでお仕事。

明日は昼前からお仕事。

月曜は何としても休む!!!

デビュー

デビューて約一週間です。
遠近両用。

コンタクトは、今までよりもいい感じです。
遠くも近くも、それなりに見えるけど、どちらもクリア・・・というわけにはいきませんけどね。
でも、前より目は疲れない気がします。
そもそも無理があったんですよね。
左右の度が違ってるって。
しかもレンズがかなり古くなっていましたから。
きちんと手入れして長持ちさせたいです。

メガネの方は、日常生活では、以前の度がゆるいもののほうが楽です。
新しいものは、車を運転するときとか、テレビを見たいときとかに使うことになりそうです。
私は近視がひどいので、メガネは相当分厚いです(^^;
それでも、最近のレンズは軽くてすごいですね。

私もダンナも近視なんですが、子どもたちはだれもメガネをかけてません。
あんなにPCやケータイやゲームをいじってるのに。。。
なぜなんだろう???
もっとも、ふーみんは左右の見え方が違うらしく、片目が遠くを担当。
反対側が近くを担当して見ているそうです。
でも、両目でちゃんと視力が出るので、運転はメガネなくてもOK。
これ以上差が開かないといいなと思ってます。

7月3日 聖日礼拝

ルカの福音書 11章 5~13節
「天の父は良いものを与えてくださる」

弟子たちは「祈りを教えて下さい」と訴えました。
イエスは、クリスチャンにとって大切な祈りについて教えて下さいました。
今日はそれに続く箇所で、「また」ということばで始まっています。
聖書は翻訳されているので、原語とニュアンスが違うことがあります。
ここでの「また」は、主の祈りを教えたあと、「また別のこと」を教えたということではありません。
主の祈りに加えて、「また」祈りについて教えられた、ということです。
では、祈りについてのふたつめの教えをみていきましょう。
その中心にある御言葉はこれです。

「わたしは、あなたがたに言います。求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。」11:9

当時のユダヤ人の祈りは、決まった「祈祷文」の文言を唱えるものでした。
西教会では毎朝9:30からデボーションを持っています。
その中では「主の祈り」と「安らぎのための祈り」をします。

「父よ、
私に変えねばならないものを変える勇気を、
どうしようもないものを受け入れる静穏を、
そして、それらを見分ける洞察力を与えて下さい。」


これらの祈りは「吟味された祈り」です。
祈祷文はたくさんあります。
そこから学ぶことができます。

一方、イエスは、内にあるものを、自分の言葉で、直接主に祈るようにと教えておられます。
個人的な必要や課題、願いを、そのまま主に祈り求めるようにと。
弟子たちにとっては驚きでした。
私たちは今、あたりまえのようにそう祈っています。
個人的な課題について、率直に祈り求めています。
イエスはここで、「主の祈り」を自分の言葉として祈ることを教えようとしておられるのです。

5節から8節はイエスによるたとえ話です。

「また、イエスはこう言われた。『あなたがたのうち、だれかに友だちがいるとして、真夜中にその人のところに行き、「君。パンを三つ貸してくれ。
友人が旅の途中、私のうちへ来たのだが、出してやるものがないのだ」と言ったとします。
すると、彼は家の中からこう答えます。「めんどうをかけないでくれ。もう戸締まりもしてしまったし、子どもたちも私も寝ている。起きて、何かをやることはできない。」
あなたがたに言いますが、彼は友だちだからということで起きて何かを与えることはしないにしても、あくまで頼み続けるなら、そのためには起き上がって、必要な物を与えるでしょう。』」
11:5~8

理解するには当時の習慣を知る必要があります。
その頃のユダヤ人社会で旅をするのは命がけでした。
日本でも昔、「宮参り」に命がけで行ったものです。
町から町への途中にコンビニはありません。
夜になったら野宿しかありません。
だから、「旅人をもてなすこと」を聖書は教えています。
たとえ夜中でも、です。
このたとえ話の中で、旅人をもてなさなければならなくなった人は、パンを求めて友人を訪ねます。
最初友人は断りますが、根負けして食べ物を出すだろう、とイエスは言います。
「こんなにうるさいなら、早くパンを渡して寝た方がましだ。」と考えたからです。
ただし、「あくまで頼み続けるなら」です。
これは人間同士の間で起こる出来事です。

求め続けることは難しいです。
途中で諦めてしまう人も多いのです。

もうひとつのたとえが11~13節にあります。

「あなたがたの中で、子どもが魚を下さいと言うときに、魚の代わりに蛇を与えるような父親が、いったいいるでしょうか。
卵を下さいと言うのに、だれが、さそりを与えるでしょう。
してみると、あなたがたも、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天の父が、求める人たちに、どうして聖霊を下さらないことがありましょう。」
11:11~13

親であれば、子どもに良いものを与える、というのです。

このふたつのたとえからわかることは、
・熱心に求めると、得ることができる。
・親は我が子の為なら良いものを与える
というふたつのことです。

聖書で「悪い者」というとき、それは「みこころにかなう生き方をしていない人」という意味です。
みこころにかなう祈りの姿勢はどのようなものでしょうか。

クリスチャンとして、神に仕える仕事として、どうしても必要なことを求める。
人々を助ける働きを前進させる者を求める。
そのために、どんなときでも祈るのです。

今私は「福祉車両」が与えられるように祈っています。
恵泉会の車が足りません。
祈っているものは、瞬時にこたえられなくても、思いがけないときに与えられます。
「ラッキー」ということではありません。
主は必要な時に、必要なものを与えて下さいます。
祈り続けないと、その経験を逃します。

西教会に遣わされる前に草加教会でミーティングをしていたとき、見かけない家具がありました。
牧師に尋ねると、丁度求めていたものが見つかったので買ったということでした。
そして、「祈りが違うから。」と言われました。
いつも必要なものを祈り求めていると、「あった!」と思うのです。
一期一会。
見つけてから悩んでいては遅いのです。
いつも祈っていたら、今買うべきだと分かります。
私はある店で、よさそうなものを見つけたのですが、店内を一周回って考えて戻ってきたときには、別の人がそれをレジに持って行くところでした。
チャンスが来てから考えていては逃してしまいます。
チャンスが来る前に祈っていると、主が与えてくださった物だと分かります。
祈り続けていないと答えに気付きません。

ソロモン王が主に求めたものは「知恵」でした。
民を正しく裁くために。
もし今、私たちが主から「何が欲しいか?」と問われたときに、すぐに答えることができるでしょうか?
目を開いて、必要に目を留めておかなくてはいけません。

神は「天の父」です。
この世の父でも、自分の子には良いものを与えます。
まして、主が良いものを下さらないはずはありません。
信頼しましょう。
与えて下さると。
信じて祈りましょう。
ただ、「まだその時ではない」「あなたには必要ない」という答えもあります。
世の親も、子どもの求めるもの全てをすぐに与えるわけではありません。
判断して、子どもにとって良いものを与えるのです。

ルカの福音書では「聖霊」となっていますが、マタイの福音書では「よいもの」と書かれています。
子どものように、何でも祈り求めればよいのです。
祈りながら、私たちは学びます。
何を求めるべきかを。
自由に祈り求めながら、みこころにかなう者へと成長していくのです。

危なかった(0_0)

昨日iPhoneで確認したら、PCのアドレスにjapanpostからメールが届いていました。
EMSの配達が遅れて済みません的な内容が英語で書いてありました。
最近、タイから郵便が届いたことがあるので、もしやまた別の何かが?と思い、添付ファイルを開こうとしました。
で、クルクルとロード中のサインが出てる間に、ふと不安を感じてキャンセルしたんですよ。
よくよくメールの送信元を見てみたら、rumbler.ruとか書いてある。

ruってどこよ?
ググってみるとロシア。。。
さらに調べていくとどうやらスパムメールだったようです。
ウィンドウズ環境を狙っているもののようで、iPhoneは無事だったと考えていいですよね?

これ、最初にPCで見てたらやばかったかも知れない。
帰宅してOUTLOOK開いたら、迷惑メールフォルダーに入ってなかったし。
本当に添付ファイルはうかつに開くべからずですね。。。

6月26日 聖日礼拝

ルカの福音書 11章 1~4節
「祈りを教えてださい②」

「さて、イエスはある所で祈っておられた。その祈りが終わると、弟子のひとりが、イエスに言った。『主よ。ヨハネが弟子たちに教えたように、私たちにも祈りを教えてください。』
そこでイエスは、彼らに言われた。『祈るときには、こう言いなさい。「父よ。御名があがめられますように。御国が来ますように。
私たちの日ごとの糧を毎日お与えください。
私たちの罪をお赦しください。私たちも私たちに負いめのある者をみな赦します。私たちを試みに会わせないでください。」』」
4:1~4

さきほどルカス兄がサックス演奏で讃美を捧げられました。
主は、各々に賜物を分け与えて下さっています。
自らが持っているもので御名があがめられるように仕えていきましょう。
12弟子は、迫害されることを喜びました。
最も素晴らしい賜物は「神の子とされたこと」だと考えたのです。
その価値を見失ってはいけません。

弟子たちは、祈りを教えて欲しいと言いました。
「ヨハネが教えていたように。」
彼らは祈りが分からなかったのではありません。
弟子たちは、イエスの祈りが自分たちの祈りとは違うと思ったのです。
だから、求めました。
「知っている」と言うとき、「形としては知っている」ということがよくあります。
「イエスの祈りを私たちの祈りとしたい」という願いが弟子たちの内にあったことに驚きます。
イエスは祈るとき、主を「父よ」と呼びました。
「父である神」は遠い存在ではありません。
近くにいて、守ってくれる存在です。

今日は3節と4節から3つのことを学びたいと思います。

①日ごとの糧を毎日お与え下さい

この祈りは、日本人には意味がないように思えるかも知れません。
一日24時間、必要な時にいつでも食べ物を手にすることができます。
最近、食べるものがなくておなかが「グー」と鳴ったと言う経験をした人がこの中に何人いるでしょうか。
飢えや渇きを感じた人はいますか?
恵まれた環境にいると、飢えや渇きの感覚がなくなります。
豊かなことが幸せとばかりは言えません。
試みる者は、豊かな生活の中に、神の祝福を隠してしまうからです。

聖書は「自分のことだけでなく他の人のことも」考えるように教えます。
自分の安定だけを求めるなら、もうこれ以上必要ないのかも知れません。
あるいは、「もっと、もっと」という欲望を求めることにつながるかも知れません。
今、日本国民の経済力は世界第3位です。
その実感はありますか?
もっと苦しい人々も世界にはいます。
にもかかわらず、「まだ足りない」と感じるのは「欲望」でしょう。

この祈りが求めるのは「私たちの」日ごとの糧です。
これは教会の祈りです。
5,000人の給食では、捧げられた2匹の魚と5つのパンが人々を満たしました。
主の為に用いないタラントは、土の中に埋めてあるようなものです。
すでにいただいている恵みを、用いる心を失ってはいけません。

②罪をおゆるし下さい。

罪=負い目をおゆるしくださいという祈りです。
負い目とは、言い換えれば負債、借金、失敗です。
神との交わりの妨げとなるものは、そういった負い目、後ろめたさです。
「神の前に立つことはできない」と、責められる思いです。
それがあると、神の前に出ることができず、祈ることもできません。

主に近づくためには、罪責感を「赦されている」と確信する必要があります。
では、罪責感をどう乗り越えたらよいのでしょうか。
それは「ダメもと信仰」です。
自分の弱さにがっかりすると力を失います。
失敗しても、主は何もかもご存じです。
あらかじめイエスによって、罪をあがなって下さったのです。
ダメでもともと。
問われるものがあるなら、「おゆるしください」と祈り、赦されて、一日一日をスタートすることが大事です。

負い目を持っていると利息が増えます。
日ごとに主に返すことが大事です。
引きずるのはよくありません。
私たちは、「もう一度、再スタートさせてください!」と日々祈ることができます。
そして、恵みを用いて利息を増やす生き方が求められています。

③試みに会わせないで下さい

ここで言う試みとは、誘惑のことです。
試練とは違います。
野菜を育てるときに、実がなるようにと毎日水をやるとダメです。
水をやることも、やらないことも大事なのです。
私たちは、試練に遭うことで、試練に打ち勝つことを学びます。

身の回りには抗菌グッズがいたるところにあります。
菌をやっつけるのだから健康でいられる…そうでしょうか?
これも適度でないといけません。
最近は免疫を作れなくなっているそうです。
「子どもが小さいうちに動物園に連れて行くように」
と言うことを聞いたことがあります。
小さい頃に様々な菌に触れることが大事なのです。
そうすると丈夫になります。
いつも清潔なところにばかりいたら、違う場所に行ったときたちまち菌に冒されます。
同じように、試練を避けることを望むのではなくて、試練を通して成長することを、主は望んで折られます。

この祈りは、「神への信仰が奪われるような試みには会わせないで下さい」という意味です。

「だれでも誘惑に会ったとき、神によって誘惑された、と言ってはいけません。神は悪に誘惑されることのない方であり、ご自分でだれを誘惑なさることもありません。」
ヤコブ1:13

強くなるには、少し負荷を掛けなければなりません。
試練は、神に愛されているからこそあるのです。
だから、「神への信仰から引き離す者から守って下さい」と祈るのです。

祈り方を間違えてはいけません。
病の癒し、命が長らえること。
そのようなことを願うのもよいですが、やがて人は病気になり、必ず死にます。
病を得ても、死にも、打ち勝つ永遠の命を、私たちは持っています。
たとえ病んでも、死に直面しても、神を信頼し続けられるように、求める祈りをしましょう。
欲や名誉のためではなく、主の為に。
日ごとに負い目を後にして、主に養われることを自覚し、前進していきましょう。

京都デート♪<2>

貴船神社を後にした私たちは、ある目的があって妙心寺を目指しました。
南下していくと、ちょうど上賀茂神社に通りかかりました。
せっかくなので、ここも寄っていきましょう。

2016-06-30 12.44.34-1

ここにもちゃんと茅の輪が。

2016-06-30 12.45.20-1

「細殿」の前には円錐形に盛られた砂。
「立砂(たてずな)」というそうです。

先端には波平さんの頭のように(?)何かが生えてる!?
これは松葉らしいです。
右が2本。
左が3本。

2016-06-30 12.51.58-1

本殿です。
昨年式年遷宮が行われたんですね。

さて、いよいよ目指す妙心寺。
カーナビに導いてもらったのですが、駐車場の位置がいまいちわからず。
コインパーキングに入れて北から入っていきました。

目的地はこの敷地内にある「東林院」。
6月30日まで「沙羅の花を愛でる会」というイベントが行われているという情報を目にして、やってきたのです。
今しか見られない、となると行かねば!です。

受付でちょっとびっくり。
お抹茶付きの会費が1,600円!
ちゃんと確かめておかなかった私が悪いんですが、一瞬ためらいましたw
精進料理とセットのチケットもありましたが、こちらはさらにお値段が…

受付の方が言うには、もう時期が遅いので、あと1本しか咲いていないとのこと。
ま、仕方ありません。
中に入りました。

2016-06-30 14.07.26-1

苔の上に散らばる沙羅の花々。
木に咲く花は少なかったですが、雰囲気は味わえました。

名前を呼ばれて、お抹茶をいただきます。

2016-06-30 14.01.12-1

このお菓子は沙羅の花をイメージしたものだそうです。
かわいらしい^^

東林院の外庭に咲いていた睡蓮。

2016-06-30 14.19.39-1

桔梗に囲まれたカエルさんに見送られて、帰る私たち。

2016-06-30 14.20.31-1


今回もよい旅でした。
京都は何度訪れてもいいですね。


2016-07-01 18.26.06

今日だった!!!

朝、やけに静かだな…と思って

玄関を開けたら

巣はすでにからっぽでした。

昨日が最後の日だったんだね。




だれもいなくなった、巣。

2016-07-01 17.24.34

きっと時々みんなでそろって飛んできてくれるよね。
そして、来年も楽しませてね!


~追記~

記事をupしたあとで、ダンナが
「帰ってきてるよ、ツバちゃん」
って。

さっそく見に行きました!

2016-07-01 18.09.38

立派な姿!
でもまだしっぽが短いですね♡
しばらくは寝泊まりしてくれるかもしれません。
プロフィール

ステファニー

Author:ステファニー
プロテスタントのクリスチャンです。
佐藤たけるさんおたくです。

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