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春の家族旅行~下呂温泉~ 3

朝はバイキング・・・ではなく、和食でした。

2016-03-26 07.33.58

よくある和食の朝ご飯は、海苔と玉子焼きと焼き魚ですよね。
そういうものは一切なくて。
魚はじゃこだけ。
生ハムとか、湯葉とか、豆乳ににがりを入れて目の前で作るお豆腐とか。
新鮮です!

食後はゆったりして、9時に出発。
合掌村を訪れました。
土雛が飾られていました。
朝まだ早いせいか、寒くて寒くて。
私はダウンを来ていたのですが、それでも寒かったです><

そこから一路家に向かったのですが、犬山で寄り道。
お昼ご飯を食べてから、犬山城の門前町(?)を散歩しました。
昼食は、フロイデという市の施設に入っているレストラン「グランツ」。
たまたま入ったのですが、なんと、3月末には店じまいするとのこと。
なかなか美味しかったのに残念です。

犬山城周辺は、来週が犬山祭りということで、山車の準備がされていたりして、賑やかな雰囲気でした。
ちょうどからくり館(だったかな)で、実演をする時間に行き会わせたので、中に入って観てきました。

ゼンマイ仕掛けのお茶だし人形の仕組みを詳しく説明して下さって、とても興味深かったです。
糸であやつる人形も実演。
お面をかぶる早変わりには、観客からどよめきが起こりました^^

子どもたちにはやや不評だった今回の旅。
大人としては、おいしい食事をいただいて、台所から介抱されて、言うことなしの旅行でした。
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春の家族旅行~下呂温泉~ 2

早めに到着したので、まず温泉へ。
8Fの大浴場にはまだ人がいませんでした。
ゆったりとお湯につかります。

食事は6時から。
料理は期待以上に美しくておいしかったです!

2016-03-25 18.08.27

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このお刺身の、中トロ?
これが、舌でとろける!!!

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飛騨牛の朴歯味噌焼き!
これも牛肉がとろ~っと・・・おう、よだれが・・・

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蒸し物。
桜の香りが春を感じさせます。

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つくしにホタルイカ。
細長いのはノビルかな?

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黒い釜に入っているのはごはん。
下呂のブランド米「龍の瞳」です。
これもおいしかった!

デザートは撮り忘れました(^^;

もうおなかポンポン^^

ちょっと一休みして、8時から次の予定が。
「貸し切り露天風呂」付きのプランだったので、せっかくだから利用しようと予約しておきました。
三人入れば一杯になるほどの小さな露天風呂でしたが、お湯はぬるりとした良いお湯でした。
絶対大浴場よりもいいお湯だったと思います。

さらに、このあと、ふーみんと私は「岩盤浴」を初体験!
これもプランに込みだったので、一生に一度ぐらいはやってみようかとw
説明によると、水分補給してから岩盤の上に大きなバスタオルを敷いて、うつぶせで5分。
姿勢を変えて仰向けで10分。
汗をかいたら外に出て水分補給して5分休憩。
それを2クールで終了。
以外と短くない?と思いました。

岩盤浴衣に着替えて、扉を開けると、モワッと熱気が。。。
息をするたびに熱い空気が喉を通る感じ。
この中に20分・・・
果たして耐えられるのか?

枕元には砂時計があって、時間の目安がわかる・・・はずなのだが。
この砂時計10分計じゃね?
5分で姿勢変えるんだよね?
少しぐらい短くてもいいよね?

私とふーみん以外に、もう一組親子とおぼしき2人組が一緒でした。
そちらも、初体験らしく、4人とももはや「我慢大会」となっていました。

どうにか時間いっぱい使い切り、着替ながら出た言葉は
「疲れたね」。
岩盤浴、私たちには向いていないのかも^^;
でも貴重な体験ができました。
そして、夜はぐっすり眠れました。

~つづく~

3月20日 合同礼拝

テモテへの手紙第二 2章 1,2節
「忠実な人たちにゆだねなさい」

「そこで、わが子よ。キリスト・イエスにある恵みによって強くなりなさい。
多くの証人の前で私から聞いたことを、他の人にも教える力のある忠実な人たちにゆだねなさい。」
2:1,2

今年度の年間指標聖句は、

「わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」詩篇103:2

でした。

人生の中で、私たちはいろいろな経験をします。
よいことも、残念なことも。
人生の中で経験して欲しいと、神が願っているのは「恵みの経験」です。
残念な敬遠も、恵みの経験で変えられ、可能性が与えられます。
人は、痛みや悲しみは忘れません。
いつまでもぐずぐずと言います。
30代後半の、ある方が、「高校時代の友人に仕返しをしたい。」と言われました。
15年近く、「恨みをどう晴らすのか」だけを考えていると言うのです。
過去が、その人から、今と将来に生きる力を奪っています。
私たちには、過去を変えることはできません。、
変えてくれるのは、「恵み」。
つまり、神の愛と配慮です。
それを見つけ出すと、強くなれます。

テモテは和解教会の牧師でした。
私たちは、恵みによって強くされます。
人生に苦しみは尽きず、塩の満ち引きのように打ち寄せます。
失敗も、挫折も、困難もあります。
それでも、恵みを通して強くなれます。

生まれてから2,3歳までのことを覚えている方はいますか?
ほとんどの人は3歳までの記憶がありません。
これは神の配慮でもあると思います。
3歳までは一番手のかかる時期です。
世話をする人がいないと、子どもは生きていけません。
放っておかれたら、生きていけないのです。
100%の奉仕を受けることによって人生はスタートします。
子を産んだ母は24時間子どもと一緒にいます。
泣けば、お乳を飲ませたり、おむつを替えたりして世話をします。
ところがそのことは聞くに残っていません。
残念ですね。
だから「生まれなければ良かった」などと言ってしまうのです。
もし、全部、3年分の動画を見たら、親に頭が上がらないでしょう。
「資格があるから」ではなく注がれる愛情。
それが恵みです。
私たちが、なぜ人生を力強く生きられないかというと、自分の存在価値を見いだせないからです。
愛されているのに、そのことを知らないからです。
神の愛を知らずに生きていることが、「罪」であり、的外れな生き方です。

「恵みによって強くなりなさい」と、パウロは言います。
神は不思議なことをされます。
100%受け皆状態で生まれ、成長するに従って、「お手伝い」ができるようになり、「自分のことは自分で」できるようになり、愛を学び、協力を学びます。
そして結婚して子が生まれたら、父母がしてくれたように、労苦を払います。
恵みは、受けているうちは、その意味が分かりません。
「そんなことは当たり前だ」と思っています。
逆に、それがないと不平を言います。
自分自身が、人に愛情を注ぐ経験をして初めて、自分もそうされていたのだと分かります。
初めて本当の意味で「愛」がわかるのです。

恵みを理解すると、強くされます。
「聞くだけ」ではいけません。
「受けるだけ」ではいけません。
人を愛し、仕え、労苦を払うことで、恵みの意味がわかります。
恵みを知ることが、私たちを強くします。

自分には価値があるのか。
自分は愛されているのか。
地震がないかも知れません。
神は、誰がなんと言おうと、愛しておられます。
御子を与えるほどに、価値があるのですから。
そのことを真剣に受け止めるなら、人生は強められます。
うちひしがれても立ち上がることができます。
これが、福音の恵みであり、力です。
この力によって、次の世代を産み出すことができるのです。

この恵みを、次の世代につないでいくことが大切です。
私は中学と大学で陸上競技をしていました。
オリンピックは夢中で観ていましたが、ロサンゼルスオリンピックは忘れられません。
4×100mのリレーでのことです。
このリレーではアメリカが優勝するという前評判でした。
ところが、アメリカの男性チームが失格してしまったのです。
バトンを落としたからです。
これは世界に衝撃を与えました。
しかも、女子チームも同じミスをおかしました。
アメリカは、取れるはずの金メダルをふたつも逃してしまいました。

自分の偉人制をどう生きるかを考えるとき、子どもや次世代がどう育つかを考えるべきだと思います。
バトンを落としては失格です。
成功も色あせてしまいます。
ただ「速い」だけではダメなのです。
陸上選手は、バトンを渡す練習を一日に何十回もします。
早さを変えて。
息が合わないとダメです。
何度でもやりなおします。

人生のリレーでバトンを渡すチャンスは、1回切りではありません。
失敗はつきものです。
もう一度基礎からやり直して練習することが必要です。
人生は一度だけですが、失敗してもやり直すことができます。
失敗しないことよりも、失敗を通して強められることの方が大事です。
その方が「愛の人」になれます。
慰められる経験をするからです。
傷だらけの人生でも、より愛がわかります。

私が神学校に入るとき、両親が私にこう言いました。
「お前達にのこしてやれる財産はない。
 しかし、信仰を残せた」と。
最高の財産です。
親は、どんなに子どもを守りたいと思っても、先に天に帰ります。
では、だれが子を守ってくれるでしょうか?
キリストによって、子どもたちは強められます。
主は、「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」です。
世代を超えて、受け継がれる神です。
生涯を掛けて、バトンを渡しましょう。

春の家族旅行~下呂温泉~

「温泉地に行きたい」というふーみんの希望がありました。
でも、あげられる候補はなかなか遠い所ばかりで。
じいちゃんばあちゃんも一緒の旅となると自動車で行かねばならず。
あまり遠いとダンナ様が大変だし。
で、落ち着いたところが下呂温泉。
ふーみんはご不満だったんですが、でも楽しんできました。

中津川で高速を降りて、まず腹ごしらえ。
「車屋」さんでおそばです!
写メを忘れちゃった~。

そこから馬篭へ。
前々から「曲げわっぱ」の弁当箱をほしがっていたふーみん。
ここでいいのを見つけました♪

2016-03-25 12.30.30 HDR

これは馬篭で見つけた水車です。

ここから、一気に下呂温泉へ。
おじいちゃんが行きたがっていた「下呂発温泉博物館」へ。

2016-03-25 14.51.22

係員の方が丁寧に説明して下さって、とてもためになりました。
多色刷りの版画にも挑戦!
なかなかうまくできました^^

2016-03-25 15.07.28 HDR

男性陣が、その近くの温泉寺へ行っている間に、女性陣は足湯をつかってひとごこち。
季節外れの寒さに震えていたのですが、足を温めると体もぽかぽかしてきましたよ♪

時間はまだ早かったのですが、三時過ぎには宿にチェックイン!
「紗々羅」という旅館です。

~つづく~

異動

人事異動です。
9年ぶり。
今まで経験していない職場です。
ちょっとした期待と、いろいろ不安もありますが。
ここで骨を埋めることになるでしょう。

神さまの導かれるままに。
インマヌエル。
主がいつも共におられます。

3月13日 聖日礼拝

ルカの福音書 9章 10~17節
「あなたがたでしなさい」

私たちは、聖書を通して弟子たちの経験を共有し、教えられていくことが大事です。
イエスは12人の弟子を呼び集め、権威をお授けになりました。
それは、福音を宣べ伝える権威であり、すなわち、悪霊を追い出して、病を癒す権威でした。
最低限の物しか持たないことで、使命を行うのに必要な物は主が与えて下さると信じて使命を果たすようにと命じられました。

彼らがした経験はどんなものだったのでしょうか。
「イエスが語られるのを聞く」のではなく、「イエスから聞いたことを人々に話す」。
その結果、神を信じ、救われる人が起こされるという、初めての経験をしました。
今までは、イエスによる癒しを感動しながら見ていた彼らのもとに、悩みや病や困難を抱えた人々がやってきます。
今度は自分が祈ることで、人々が癒され、立ち上がるという経験を直接したのです。

13番目の弟子である私たちはどうでしょう。
私の語る証、私が語る聖書の言葉を通して、身近な人がイエスを信じるという経験があるでしょうか?
そのために、熱心に祈ったことがあるでしょうか?
個人的な経験として。
イエスは日常生活の中に、私たちを派遣しておられます。

弟子たちが取り組む時、そこに神の業が起こりました。

「さて、使徒たちは帰って来て、自分たちのして来たことを報告した。」
9:10

弟子たちは報告しました。
ここで、「弟子」ではなく「使徒」に変わっていることに注意して下さい。
弟子とは、訓練を受ける者たちです。
使徒とは、遣わされた者たちです。
彼らは、驚きと、喜びと、感謝の報告をしました。
神の生きたみわざの経験を。
彼らは神から取扱を受けました。

イエスは彼らをどう迎えたでしょうか?

「それからイエスは彼らを連れてベツサイダという町へひそかに退かれた。」9:10

ベツサイダは小さな町です。
彼らは、静まって、今までの経験の意味を考える時間が必要でした。
そのため、イエスは弟子たちをつれてひそかに退かれました。

「ところが、多くの群衆がこれを知って、ついて来た。」9:11

ひそかに行ったはずなのに、多くの群衆がそれを知って、静かなはずの場所へついてきてしまいました。
予想外のことです。

「それで、イエスは喜んで彼らを迎え、神の国のことを話し、また、いやしの必要な人たちをおいやしになった。」9:11

しかしイエスは彼らを喜んで迎えました。
方針を転換したのです。
臨機応変。
静まって弟子たちと向き合いながら教えようとしておられたことを、「5,000人の群衆の給食」によって教ることにされました。

群衆は、人里離れたところに尾瀬生きていました。
このままではいけない。
弟子たちは、宿と食べ物の手配をしようとしました。
すばらしいことです。
そして、群衆を解散させるという提案をしました。

「しかしイエスは、彼らに言われた。『あなたがたで、何か食べる物を上げなさい。』」9:13

これはどういうことでしょうか?

「彼らは言った。『私たちには五つのパンと二匹の魚のほか何もありません。私たちが出かけて行って、この民全体のために食物を買うのでしょうか。』」9:13

弟子たちは、無理だ、と思いました。
5つのパンと2匹の魚。
イエスと弟子だけでも食べるものがないのに、イエスは知らなかったのでしょうか?
弟子たちが準備していると期待していたのでしょうか?
「買うのでしょうか?」と弟子たちは問いました。
それよりも、解散させる方が合理的だと考えました。
みなさんならどうするでしょうか。
5,000人分です。
買ってきますか?
お金はどうしますか?
なぜイエスは無茶ぶりをしたのでしょうか?

弟子たちはふたつの権威を受けていました。
そして、旅を通して大きな祝福を見ました。
すごいことが起こりました。
今、それが試みられています。
人は、すばらしい体験をしたとき、それが自分の力でできたかのように錯覚します。
全ての事柄は、イエスキリストによって与えられた力と恵みによってなされているということを、弟子たちが知るようにと、
「自分たちでしてごらんなさい」
と言われたのです。
弟子の答えは、
「できません。」
でした。

男性だけで5,000人もいた群衆は、おなかいっぱい食べて、残りを集めると12のカゴが一杯になりました。
このとき、イエスご自身が群衆に食べ物を配られたわけではないことに注目しましょう。
イエスは、弟子たちにグループを作らせ、祈ってから食べ物を弟子に渡し、弟子たちが群衆に渡しました。
弟子をとして、みわざをなさったのです。
イエスから托された権威は、自らの内にあるのではなく、イエスによるものだということを、弟子たちは悟りました。
弟子に必要なのは能力ではありません。
能力があると、自分でやったと思いがちです。
「用いられた」という経験をすること。
それが使徒の一番の条件です。
つまり、権威と力はイエスにあると知っていることです。

何かをしようとするとき、「なぜ私がそれをするのか」考えてみましょう。
「私がやりたいから」であれば、それは私の責任です。
「主に押し出されて」であれば、責任は主にあります。
派遣した人が責任を負います。

本当は静まってそれを教えようとされたイエスですが、今の状況を用いて、同じ事を教えられました。
自分の持ち物を自覚しつつ、「おことばですから」と従うこと。
それによって、みわざにあずかること。
これが、「神に用いられた経験」となります。
自分が持っているものだけで仕える時、それは自分のわざです。
私たちは、主に頼るとき、大胆になれます。
能力、財力、賜物のあるなしは、主の目から見たら「どんぐりの背比べ」です。
神の目から見たらだれも同じです。
大事なのは、「通り良き管」となることです。

「この使命を果たすには○○が必要です!」
「道を開き、知識を与えて下さい!」
と祈りましょう。
主が与えて下さるからです。

「また求めるものは何でも神からいただくことができます。なぜなら、私たちが神の命令を守り、神に喜ばれることを行なっているからです。」ヨハネⅠ 3:22

主の使命のために働く私たちには、主が全てを与えて下さいます。
弟子たちは、食べ物の残りを集めながら、畏れを感じたことでしょう。
「人にはできないが、神のみこころなら実現できる」と信じる信仰を養われ、教えられました。
私たちもそのように用いられることができます。
「自分にはできない。足りない」
それは事実でしょう。
それでも、主が選び、遣わして下さると信じて受け入れるなら、どんな人よりも豊かな神の働きにあずかることができるのです。

3月6日 聖日礼拝

ルカの福音書 9章 1~6節
「12弟子を遣わされた」

祈り会では今創世記の12章で、アブラハムの生涯を学んでいます。
そこには、今礼拝で学んでいることと共通のテーマがあります。
福音書からは、12弟子がどのようにイエスと共に歩みながら訓練を受け、整えられ、教会のリーダーとなっていったかを学んでします。
私たちは、13番目の弟子として、それを擬似的に経験しています。
その中で、新しい発見やチャレンジを受けます。

アブラハムは主の招きを受けて、故郷を出て行きました。
ここに集う多くの人は、クリスチャンがいない家庭の中から、神の招きに応じて、そこから出て新しい歩みに踏み出しました。
それはアブラハムと同じです。
新しい信仰の歩みに旅立ったのです。

「私はクリスチャンホームだから違う」と言われる人もいるでしょう。
その方たちは、イサクやヤコブから学ぶことができます。
一方、信仰の第1世代がどのように歩んだかを学ぶことは、クリスチャンホームの子どもたちにとっても力になります。

祈り会では、前回「アブラハムの選択」について学びました。
持ち物が多くて一緒に住めなくなったアブラハムとロト。
当時の「持ち物」は家畜です。
家畜を養うための牧草地が必要でした。
そのために、アブラハムの僕とロトの僕の間で争いが起きていました。
そこでアブラハムはロトに、分かれて住むことを提案し、ロトに好きな土地を選ばせました。
アブラハムは自分の良い方を選んではいません。
豊かに潤っている低地を、ロトは選びました。
ロトは反映しますが、やがてソドムとゴモラは罪のため滅ぼされてしまいます。「
アブラハムは、どこに住むか、何を持つかを選んではいません。
どちらであれ神の導かれるところに行くという選択をしたのです。
どちらがよいか悪いのか。
どちらが得か損か。
将来性があるかないか。
そういった判断ではありませんでした。
どこへ行っても、何を引き受けても、いつも神と共にいると言うことを選択しました。
具体的な選択の前に、「神と共に生きる」ことを選択していたのです。
だから、主は彼を祝福されました。

ヨハネの福音書15章にぶどうの木のたとえがあります。

「あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。
あなたがたが多くの実を結び、わたしの弟子となることによって、わたしの父は栄光をお受けになるのです。」
ヨハネ15:7,8

欲しいものを何でも求めてもいい、と言われています。
ただし、条件があります。
「あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら」です。
条件を満たすなら、何でも求めてよいのです。
それはつまり、「神と共に生きるという選択をしている」ということです。
主は、現実の中で、望ましくないことが起きたとしても、辛酸をなめることがあっても、そこを祝福へと買えて下さいます。

前置きが長くなりましたが、今日の箇所には3つのポイントがあります。

「イエスは、十二人を呼び集めて、彼らに、すべての悪霊を追い出し、病気を直すための、力と権威とをお授けになった。
それから、神の国を宣べ伝え、病気を直すために、彼らを遣わされた。」
9:1,2

イエスは、弟子たちに、権威を授けてから遣わされました。
これまでイエスは、弟子を連れて、同じものを御、聞き、感じるようにさせました。
神の国の働きについて見せました。
羊飼いのいない羊のように弱り果てている人々を助ける姿を見せました。
イエスは、改めて弟子を集め、力と権威を与えました。
ご自分の持っているものを、弟子たちに分け与えられたのです。

それは、「全ての悪霊を追い出す権威」と「病を癒す権威」でした。
聖書の言う「悪霊」は「聖霊」と対比させて考えると理解できます。
聖霊は、イエスの栄光を現します。
罪を認めさせ、悔い改めさせ、神の子としてくださいます。
聖霊は、人を神に近づける働きをします。

悪霊はそれと反対のことをします。
悪霊はイエスを認めません。
神を受け入れません。
神を拒絶します。

ある人の中に悪霊の働きがあるとすると、その人には神を拒絶する生き方が根付いています。
日本人で明確にキリストを拒絶する人はほとんどいませんが、認めない、受け入れない人は大勢います。
自分の人生の中に、受け入れないのです。

では、どうやって悪霊を追い出すのでしょうか?
「出て行け!」「捨てろ!」と言えばいいのでしょうか。

「汚れた霊が人から出て行って、水のない所をさまよいながら、休み場を捜します。一つも見つからないので、『出て来た自分の家に帰ろう』と言います。
帰って見ると、家は、掃除をしてきちんとかたづいていました。
そこで、出かけて行って、自分よりも悪いほかの霊を七つ連れて来て、みな入り込んでそこに住みつくのです。そうなると、その人の後の状態は、初めよりもさらに悪くなります。」
ルカ11:24~26

悪霊が出て行った後、さらに悪い状態になることもあると、イエスは言っています。

イエスが権威を与えた理由は
①神の国を宣べ伝える=悪霊を追い出す=古い価値観を捨てさせる
②病気を治す
です。

病気は、人として日常生活を送る上で、障害となるものです。
それを直すこと。
修復すること。
日常生活ができるようにする力をおあたえになりました。
「直す」という言葉には二つの意味があります。

①もとどおりにする
②もともと持っていた機能、生活の質をもとの状態に近づける

先日アクティに乗り込んだら、異様なにおいがしました。
排気ガスのにおいです。
車に詳しい方に見てもらったら、マフラーに穴が空いていて、そこから排気ガスが漏れて車内に入ってきていることがわかりました。
「穴の空いているところをふさげば、排気ガスは入ってこなくなります」
と言われました。
もとどりにはできなくても、修理をして、機能を取り戻すことはできるということです。

教会にはその使命が与えられています。
問題解決の為に、それを引き受け、祈り、労苦を払うことです。
私たちの教会も主に派遣されています。

私たちにも、みことばを宣べ伝える権威が与えられています。
そのためには、「自分が恵まれるため」だけでなく、人に語れるようにみことばを聞く必要があります。
課題について、「自分にできることはなにか?」を求めて祈っていく必要があります。

「イエスは、こう言われた。『旅のために何も持って行かないようにしなさい。杖も、袋も、パンも、金も。また下着も、二枚は、いりません。』」9:3

イエスは「何も持たずに」行くように命じられました。
イエスが全ての必要を満たして下さるという約束でもあります。
アブラハムの必要は、主が満たされました。
私たちは、使命を与えられても「できるという保証がないと取り組めない」と思います。
主が必要なものを備えていて下さいます。
みこころにかなう働きなら、主が備えて下さいます。
そうでないと、自分の力の範囲内でしか、働きをしなくなってしまいます。
助け手と場所を求めて祈るのです。
私たちの弱点は、自分の経験の中で無難にしようとすることです。
「全世界に出て行く」というリスクを冒す人には、主は必要を満たして下さいます。

「十二人は出かけて行って、村から村へと回りながら、至る所で福音を宣べ伝え、病気を直した。」9:6

弟子たちは実行しました。
命じられたように。
みことばのように、実際にやってみることが大事です。
やってみないとわからないからです。
経験を越えたところで向かって行ったら、祈らざるを得ません。
知恵が足りない。
力が足りない。
すると、自然に祈りが生まれます。
「人、お金、スペース、物が必要です」という祈りの中で、主が応じて下さるという経験をします。
そして、使命を実現できます。
神が与えられた立場の中で、どう実現できるかと悩み、祈りましょう。
主は祈りに答えて下さいます。

解禁!

新しいお仕事の情報解禁!

いや~久しぶりですよ。
料理番以来じゃないのですか?
どんだけ待ったことか・・・

プライベートでも親しいらしい朝井リョウ氏の小説を実写化。
2月26日にクランクイン?
3月末には撮り終えて?
10月公開!
めっちゃスピーディー(@@)
セカネコを待ってるうちにできちゃう感じ?

しかし豪華キャストだから、いろいろと競争率高そう(^^;

まずはセカネコなわけですが、登壇試写とかないのかな?
公開まであと2ヶ月しかないよ?

お人形

今年はマジメに雛人形を飾りました。
しかも、5日にはもう片付けたという手早さ!
入れ替わりに端午の節句の鎧かぶとも出しました。
まだはやいので、箱の中に入れてありますが、4月になったら取り出すだけです(*^^*)
去年はサボって、どちらもクローゼットに入りっぱなしだったんですよね。
りーちゃんが受験生で落ち着かなかったのもあるかな。
今年の春は誰も変化がありません。
りーちゃんが専攻コースを決めたぐらい。
お姉ちゃんとは違うコースなので、ここからは未知の世界です。
私たち夫婦の人事異動が来週あたり内示されます。
そろそろ危ないかも。
やっぱり春は落ち着きません(^_^;)

ムビチケゲット^^

先週の土曜日、TOHOシネマズに行って前売りのムビチケを買ってきました!

2016-03-05 10.22.13

暗くて見にくいですけど、大きなバナー(?)がありました。

そして、売店の店員さんに
「フライヤーはありますか?」
と聞いてみました。
「少々お待ち下さい」
と、ロビーを横切って遠くの方に調べに行ってくれました。
しばらくしたら、駆け寄ってきて、
「二種類ありましたので、どうぞ」
って\(^o^)/

そう。
この日から新しいフライヤーが出回るという話は聞いていたんですが、私、古いものも入手してなくて、ものすごく感激しました!
店員さん、ありがとうm(_ _)m

あとはユナイテッドシネマで紙チケットを買ってこないとね!
ああ、楽しみだなぁ。
今回はできるだけネタバレに触れないように、トレーラーも見てないですよ。
願わくば、真っ新な心で映画を受け止めたい。。。
無理かもしれないけど。
プロフィール

ステファニー

Author:ステファニー
プロテスタントのクリスチャンです。
佐藤たけるさんおたくです。

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