12月24日 聖日礼拝
ルカの福音書 8章 16~18節
「聞き方に注意しなさい」
「あかりをつけてから、それを器で隠したり、寝台の下に置いたりする者はありません。燭台の上に置きます。入って来る人々に、その光が見えるためです。
隠れているもので、あらわにならぬものはなく、秘密にされているもので、知られず、また現われないものはありません。
だから、聞き方に注意しなさい。というのは、持っている人は、さらに与えられ、持たない人は、持っていると思っているものまでも取り上げられるからです。」ルカ8:16~18
教の箇所は、一節一節は難しくありません。
内容は想像できるし、理解できます。
16節。
たとえば、懐中電灯をつけてから、鍋の中に入れて蓋をしたら、灯りの意味がありません。
ベッドの下に置いたら、部屋は明るくなりません。
灯りは照らすべきものを照らすためにあるのですから。
部屋全体を明るくする場所に置くでしょう。
17節。
いくら隠していても、いつかはばれる・・・という意味でしょうか?
良いことも悪いことも、人の目はごまかせても、神の目はごまかせない・・・という意味でしょうか?
隠されているものはいつか白日の下に明らかにされます。
最近稲沢市の廃棄物処理業者の不正が明るみに出ました。
実は、教会がいつもお弁当を注文しているところも関係していたんですね。
「今日はあそこに注文していないだろう」と思われますか?
いえ、そこに注文しました!
危ないと思われますか?
逆です。
これだけ公になった今こそ、一番安全です。
その会社も、こんな日が来るとは思わなかったことでしょう。
それも確かにそのとおりです。
この1節だけを見ていると、難しい話ではありません。
18節。
何となく分かります。
いわゆる「格差社会」のことでしょうか?
金持ちはどんどん豊かになり、貧しい人はどんどん貧しくなる。
そういうことでしょうか?
聖書の言葉は、部分部分を読んで理解できるし、うなずけるのですが、切り離して読んではいけません。
今日は16~18節を読みました。
16節は最初の一文字下がっています。
ここから一つの段落になっているということです。
聖書の原点にはだんらくはありません。
日本語の文体には段落があるので、段落がつけてあります。
この3つの説がひとつのまとまりだからです。
では、各節はどうつながっているのでしょうか?
それはわかりにくいです。
部分を取り出すと、「良い教えだ」となりますが、全体を読むとわかりにくいのです。
カギになる言葉を探しましょう。
16節と17節に出てくる言葉、「隠す」「隠されている」です。
何が隠れているのでしょう?
隠しているものはなんでしょうか?
これはたとえです。
何をたとえているのでしょう?
それをきちんと受け止めることが大事です。
「灯り」とは?
「隠す器」とは?
文脈の中で読みましょう。
つながりが大事です。
このたとえは、その前の話とつながっています。
15節より前に書いてあったのは?
そうです。
「種蒔く人」のたとえでした。
その話とつながっているのです。
種蒔く人=神ご自身
種=神のみことば
地=私たちの心
でした。
そして、このたとえで言われていることは、
「神のことばはある条件が整うと成長し、豊かな実を実らせるが、成長を妨げる3つの要素がある」ということでした。
神のみことばには、成長し、実を結ばせる力があります。
恵泉ファームでは、黒豆を販売しました。
一粒の実から、100粒以上のマメが録れるとは想像もできません。
「神のみことば」がカギです。
「隠している」のはみことばです。
神のことばは本来隠されるべきものではありません。
人々の前にはっきりと示されるべきものです。
神のことばが、そんなに実を結ぶとは想像できないときがあります。
だから、聞き方に注意する必要があります。
同じように聞いても、聞き手の違いがあります。
注意して聞く、ということは、しっかいと見る、ということです。
注目し、しっかり見届けるということです。
そのみことばがどのように成長し、実を結ぶかに注目して聞くことが大切です。
しっかり聞くということは、「なるほど、そうなのか」と理解することではありません。
「主によって語られたことは必ず実現すると信じきった人は、何と幸いなことでしょう。」ルカ1:45
「天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。
雨や雪が天から降ってもとに戻らず、必ず地を潤し、それに物を生えさせ、芽を出させ、種蒔く者には種を与え、食べる者にはパンを与える。
そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、むなしく、わたしのところに帰っては来ない。必ず、わたしの望む事を成し遂げ、わたしの言い送った事を成功させる。」イザヤ55:9~11
みことばは必ず実現する、ということは、聖書が一貫して約束していることです。
では、「聞く態度によって結果が変わる」ということでしょうか?
行いが大事なのでしょうか?
そう聞くと、18節の後半が分からなくなります。
神への信頼をする心が、みことばを聞く上で大切です。
「信じ切る」ことが大切なのです。
みことばがどのように生活の中に実現するかを忍耐強く待ち続けること。
実践することではなく、信じて見届けることです。
持っている人とは、金持ちではありません。
神への信頼を持っている人です。
その人は、豊かにみことばによって与えられる恵みと祝福の経験がより増します。
「がんばらなくちゃ」「~ねばならない」という人は、自分の信念を行っているだけです。
肉の力で実現しようと思ってはいけません。
みことば自体に実を結ばせる力があります。
みことばに立って、信頼することが大切です。
がんばって、自分を打ち叩いて行おうとすると、自分を責め、他人を責めることになります。
やがて感謝と平安がなくなります。
「神のためにやっている」とおもっていたことまでも失ってしまいます。
神のみことばへの信頼を持たず、肉の力でやろうと思う人は、持っていると考えてきたもの、その信念さえも失います。
聖書は最初から最後まで祝福は神によって与えられると言っています。
神が人生に触れてくださることを信じて、受け入れることが大事です。
種まきのたとえのイメージで、4つの地は人の心を表していました。
神は尊場の種をまきます。
色んな所に落ちます。
実を結ばせない地があります。
その後、後日談があるんです。
種蒔く人は、「なぜ実が実らないのか?」と考えます。
次にどうするか?
固くなった地は耕すでしょう。
石をとりのぞき、イバラを抜いて良い地にします。
自分の土地を、作り替えようとするでしょう。
主は実を結ばない地を、実を結ぶように作り替えてくださいます。
みことばを聞いて、信頼して、実を結べるようにとひとり子をお与えくださいました。
「見よ。その日が来る。――主の御告げ――その日、わたしは、イスラエルの家とユダの家とに、新しい契約を結ぶ。
その契約は、わたしが彼らの先祖の手を握って、エジプトの国から連れ出した日に、彼らと結んだ契約のようではない。わたしは彼らの主であったのに、彼らはわたしの契約を破ってしまった。――主の御告げ――
彼らの時代の後に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこうだ。――主の御告げ――わたしはわたしの律法を彼らの中に置き、彼らの心にこれを書きしるす。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。
そのようにして、人々はもはや、『主を知れ』と言って、おのおの互いに教えない。それは、彼らがみな、身分の低い者から高い者まで、わたしを知るからだ。――主の御告げ――わたしは彼らの咎を赦し、彼らの罪を二度と思い出さないからだ。」エレミヤ31:31~34
ここは、旧約から新約への転換点だと言われています。
旧約は律法の戒めを守るなら祝福するという約束でした。
新約は、救いの技(神のことば)を信頼して受け止め、そのおとりに聞いて信じた人には聖霊の証印を押してくださるという約束です。
主は、内側から私たちを変えてくださいます。
私の心の中に、「固い地」が、「石」が、「イバラ」があっても、良い地もあります。
神を信じる信仰、それによって心に触れてくださいます。
心を新しい、良い地に作り替えてくださるのです。
それが聖霊の働きです。
「自分のがんばり」でみことばを聞いてはいけません。
主は、イエスを信じて、受け入れる信仰により、心に触れてくださいます。
石を取り除き、イバラを取りのけ、柔らかくしてくださいます。
素直に受け入れるなら、実を結ぶようにしてくださいます。
それが約束されています。
そのみわざに注目して生きるのが、クリスチャンの祝福です。
私を決して離れず、捨てないと言ってくださる神が、私の人生に関わってくださいます。
最も大切なのは、みことばを信頼を持って聞くことなのです。
「聞き方に注意しなさい」
「あかりをつけてから、それを器で隠したり、寝台の下に置いたりする者はありません。燭台の上に置きます。入って来る人々に、その光が見えるためです。
隠れているもので、あらわにならぬものはなく、秘密にされているもので、知られず、また現われないものはありません。
だから、聞き方に注意しなさい。というのは、持っている人は、さらに与えられ、持たない人は、持っていると思っているものまでも取り上げられるからです。」ルカ8:16~18
教の箇所は、一節一節は難しくありません。
内容は想像できるし、理解できます。
16節。
たとえば、懐中電灯をつけてから、鍋の中に入れて蓋をしたら、灯りの意味がありません。
ベッドの下に置いたら、部屋は明るくなりません。
灯りは照らすべきものを照らすためにあるのですから。
部屋全体を明るくする場所に置くでしょう。
17節。
いくら隠していても、いつかはばれる・・・という意味でしょうか?
良いことも悪いことも、人の目はごまかせても、神の目はごまかせない・・・という意味でしょうか?
隠されているものはいつか白日の下に明らかにされます。
最近稲沢市の廃棄物処理業者の不正が明るみに出ました。
実は、教会がいつもお弁当を注文しているところも関係していたんですね。
「今日はあそこに注文していないだろう」と思われますか?
いえ、そこに注文しました!
危ないと思われますか?
逆です。
これだけ公になった今こそ、一番安全です。
その会社も、こんな日が来るとは思わなかったことでしょう。
それも確かにそのとおりです。
この1節だけを見ていると、難しい話ではありません。
18節。
何となく分かります。
いわゆる「格差社会」のことでしょうか?
金持ちはどんどん豊かになり、貧しい人はどんどん貧しくなる。
そういうことでしょうか?
聖書の言葉は、部分部分を読んで理解できるし、うなずけるのですが、切り離して読んではいけません。
今日は16~18節を読みました。
16節は最初の一文字下がっています。
ここから一つの段落になっているということです。
聖書の原点にはだんらくはありません。
日本語の文体には段落があるので、段落がつけてあります。
この3つの説がひとつのまとまりだからです。
では、各節はどうつながっているのでしょうか?
それはわかりにくいです。
部分を取り出すと、「良い教えだ」となりますが、全体を読むとわかりにくいのです。
カギになる言葉を探しましょう。
16節と17節に出てくる言葉、「隠す」「隠されている」です。
何が隠れているのでしょう?
隠しているものはなんでしょうか?
これはたとえです。
何をたとえているのでしょう?
それをきちんと受け止めることが大事です。
「灯り」とは?
「隠す器」とは?
文脈の中で読みましょう。
つながりが大事です。
このたとえは、その前の話とつながっています。
15節より前に書いてあったのは?
そうです。
「種蒔く人」のたとえでした。
その話とつながっているのです。
種蒔く人=神ご自身
種=神のみことば
地=私たちの心
でした。
そして、このたとえで言われていることは、
「神のことばはある条件が整うと成長し、豊かな実を実らせるが、成長を妨げる3つの要素がある」ということでした。
神のみことばには、成長し、実を結ばせる力があります。
恵泉ファームでは、黒豆を販売しました。
一粒の実から、100粒以上のマメが録れるとは想像もできません。
「神のみことば」がカギです。
「隠している」のはみことばです。
神のことばは本来隠されるべきものではありません。
人々の前にはっきりと示されるべきものです。
神のことばが、そんなに実を結ぶとは想像できないときがあります。
だから、聞き方に注意する必要があります。
同じように聞いても、聞き手の違いがあります。
注意して聞く、ということは、しっかいと見る、ということです。
注目し、しっかり見届けるということです。
そのみことばがどのように成長し、実を結ぶかに注目して聞くことが大切です。
しっかり聞くということは、「なるほど、そうなのか」と理解することではありません。
「主によって語られたことは必ず実現すると信じきった人は、何と幸いなことでしょう。」ルカ1:45
「天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。
雨や雪が天から降ってもとに戻らず、必ず地を潤し、それに物を生えさせ、芽を出させ、種蒔く者には種を与え、食べる者にはパンを与える。
そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、むなしく、わたしのところに帰っては来ない。必ず、わたしの望む事を成し遂げ、わたしの言い送った事を成功させる。」イザヤ55:9~11
みことばは必ず実現する、ということは、聖書が一貫して約束していることです。
では、「聞く態度によって結果が変わる」ということでしょうか?
行いが大事なのでしょうか?
そう聞くと、18節の後半が分からなくなります。
神への信頼をする心が、みことばを聞く上で大切です。
「信じ切る」ことが大切なのです。
みことばがどのように生活の中に実現するかを忍耐強く待ち続けること。
実践することではなく、信じて見届けることです。
持っている人とは、金持ちではありません。
神への信頼を持っている人です。
その人は、豊かにみことばによって与えられる恵みと祝福の経験がより増します。
「がんばらなくちゃ」「~ねばならない」という人は、自分の信念を行っているだけです。
肉の力で実現しようと思ってはいけません。
みことば自体に実を結ばせる力があります。
みことばに立って、信頼することが大切です。
がんばって、自分を打ち叩いて行おうとすると、自分を責め、他人を責めることになります。
やがて感謝と平安がなくなります。
「神のためにやっている」とおもっていたことまでも失ってしまいます。
神のみことばへの信頼を持たず、肉の力でやろうと思う人は、持っていると考えてきたもの、その信念さえも失います。
聖書は最初から最後まで祝福は神によって与えられると言っています。
神が人生に触れてくださることを信じて、受け入れることが大事です。
種まきのたとえのイメージで、4つの地は人の心を表していました。
神は尊場の種をまきます。
色んな所に落ちます。
実を結ばせない地があります。
その後、後日談があるんです。
種蒔く人は、「なぜ実が実らないのか?」と考えます。
次にどうするか?
固くなった地は耕すでしょう。
石をとりのぞき、イバラを抜いて良い地にします。
自分の土地を、作り替えようとするでしょう。
主は実を結ばない地を、実を結ぶように作り替えてくださいます。
みことばを聞いて、信頼して、実を結べるようにとひとり子をお与えくださいました。
「見よ。その日が来る。――主の御告げ――その日、わたしは、イスラエルの家とユダの家とに、新しい契約を結ぶ。
その契約は、わたしが彼らの先祖の手を握って、エジプトの国から連れ出した日に、彼らと結んだ契約のようではない。わたしは彼らの主であったのに、彼らはわたしの契約を破ってしまった。――主の御告げ――
彼らの時代の後に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこうだ。――主の御告げ――わたしはわたしの律法を彼らの中に置き、彼らの心にこれを書きしるす。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。
そのようにして、人々はもはや、『主を知れ』と言って、おのおの互いに教えない。それは、彼らがみな、身分の低い者から高い者まで、わたしを知るからだ。――主の御告げ――わたしは彼らの咎を赦し、彼らの罪を二度と思い出さないからだ。」エレミヤ31:31~34
ここは、旧約から新約への転換点だと言われています。
旧約は律法の戒めを守るなら祝福するという約束でした。
新約は、救いの技(神のことば)を信頼して受け止め、そのおとりに聞いて信じた人には聖霊の証印を押してくださるという約束です。
主は、内側から私たちを変えてくださいます。
私の心の中に、「固い地」が、「石」が、「イバラ」があっても、良い地もあります。
神を信じる信仰、それによって心に触れてくださいます。
心を新しい、良い地に作り替えてくださるのです。
それが聖霊の働きです。
「自分のがんばり」でみことばを聞いてはいけません。
主は、イエスを信じて、受け入れる信仰により、心に触れてくださいます。
石を取り除き、イバラを取りのけ、柔らかくしてくださいます。
素直に受け入れるなら、実を結ぶようにしてくださいます。
それが約束されています。
そのみわざに注目して生きるのが、クリスチャンの祝福です。
私を決して離れず、捨てないと言ってくださる神が、私の人生に関わってくださいます。
最も大切なのは、みことばを信頼を持って聞くことなのです。
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