12月27日 早朝礼拝
詩篇 115篇 9~15節
「主を恐れる者」
2015年の最後の聖日。
一年の締めくくりです。
「イスラエルよ。主に信頼せよ。この方こそ、彼らの助け、また盾である。
アロンの家よ。主に信頼せよ。この方こそ、彼らの助け、また盾である。
主を恐れる者たちよ。主に信頼せよ。この方こそ、彼らの助け、また盾である。
主はわれらを御心に留められた。主は祝福してくださる。イスラエルの家を祝福し、アロンの家を祝福し、
主を恐れる者を祝福してくださる。小さな者も、大いなる者も。
主があなたがたをふやしてくださるように。あなたがたと、あなたがたの子孫とを。
あなたがたが主によって祝福されるように。主は、天と地を造られた方である。」115:9~15
12節のみことばに、キリストを与えられたクリスマスの意味を見ることができます。
「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」イザヤ43:4
主は、その愛の証としてイエスを送り、私たちをもう一度神の子として下さいました。
これこそが、
「私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神はキリストにあって、天にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。」エペソ1:3
と書かれている「祝福」です。
主は、「私」にゆるぎない価値を見いだし、御子さえも惜しまずに与えるほどの価値があると思って下さいました。
人がどう見るか、ではなく、神の目による価値です。
私たちが決める「価値」は、カッコイイ、かっこわるい、というような相対的なもので、変化していく価値観に基づいています。
しかし、私たちに価値を認めて下さる主は天地を造られた方です。
その方から、「愛している」というメッセージを受け取ることが大切です。
主は、「イスラエルよ」「アロンの家よ」と呼びかけたのに続いて、「主を恐れる者たちよ」とよびかけ、祝福を約束してくださっています。
イスラエルやアロンの家は、神に選ばれた者たちです。
神は、そこに「主を恐れる者」として、あらゆる地域、人種の人を加えて下さいました。
しかし、全ての人が祝福を受けられるわけではありません。
様々な事情で教会を休んでいるかたに、教会からニュースを送るようにしています。
でも、時々返送されてくることがあります。
「あて所に尋ねあたりません」とスタンプが押されています。
送っても、受け取り手がいないと届きません。
神の祝福は、喜んで受け取りたいと思わなければ受け取れないのです。
先日、荷物が送られてきました。
受け取るにはサインが要ります。
サインは、「受け取ります」という意志表示です。
送られてきたものを拒否することもできます。
神に選ばれた者=主を怖れる者=主に信頼する者です。
これらは相反することでしょうか?
「主を怖れる」とは、「恐怖を感じる」ということではありません。
「その存在を、ゆるぎない、尊いものとして見る」ということです。
主は、祝福しようとしておられる、ということを信頼することです。
「主を恐れることは知識の初めである。愚か者は知恵と訓戒をさげすむ。」箴言1:7
「知恵と訓誡は欠かせない」ということを知っていることが「知恵」であり、「主を恐れること」です。
そのとき、主は助けとなり、盾となってくださいます。
日本人は、日本で、日本の文化を吸収することで「日本人」になります。
もし日本人から生まれても、アメリカで育つと、言葉も、考え方も、食べ物も、アメリカ人と同じになります。
かつて西教会に集っていた日系ブラジル人の方たちも、外見は日本人と同じでも、文化は全く違っていました。
毎日の生活で、何を見聞きし、吸収するかで、私たちは違ってきます。
神に祝福されるためには、神を恐れ、神の価値観を身につける必要があります。
それには、聖書を読み、聖書の価値観を身につけましょう。
そのとき、主は助けとなり、盾となってくださいます。
信頼し、神のことばを聞く者を、主は祝福して下さいます。
「主を恐れる者」
2015年の最後の聖日。
一年の締めくくりです。
「イスラエルよ。主に信頼せよ。この方こそ、彼らの助け、また盾である。
アロンの家よ。主に信頼せよ。この方こそ、彼らの助け、また盾である。
主を恐れる者たちよ。主に信頼せよ。この方こそ、彼らの助け、また盾である。
主はわれらを御心に留められた。主は祝福してくださる。イスラエルの家を祝福し、アロンの家を祝福し、
主を恐れる者を祝福してくださる。小さな者も、大いなる者も。
主があなたがたをふやしてくださるように。あなたがたと、あなたがたの子孫とを。
あなたがたが主によって祝福されるように。主は、天と地を造られた方である。」115:9~15
12節のみことばに、キリストを与えられたクリスマスの意味を見ることができます。
「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」イザヤ43:4
主は、その愛の証としてイエスを送り、私たちをもう一度神の子として下さいました。
これこそが、
「私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神はキリストにあって、天にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。」エペソ1:3
と書かれている「祝福」です。
主は、「私」にゆるぎない価値を見いだし、御子さえも惜しまずに与えるほどの価値があると思って下さいました。
人がどう見るか、ではなく、神の目による価値です。
私たちが決める「価値」は、カッコイイ、かっこわるい、というような相対的なもので、変化していく価値観に基づいています。
しかし、私たちに価値を認めて下さる主は天地を造られた方です。
その方から、「愛している」というメッセージを受け取ることが大切です。
主は、「イスラエルよ」「アロンの家よ」と呼びかけたのに続いて、「主を恐れる者たちよ」とよびかけ、祝福を約束してくださっています。
イスラエルやアロンの家は、神に選ばれた者たちです。
神は、そこに「主を恐れる者」として、あらゆる地域、人種の人を加えて下さいました。
しかし、全ての人が祝福を受けられるわけではありません。
様々な事情で教会を休んでいるかたに、教会からニュースを送るようにしています。
でも、時々返送されてくることがあります。
「あて所に尋ねあたりません」とスタンプが押されています。
送っても、受け取り手がいないと届きません。
神の祝福は、喜んで受け取りたいと思わなければ受け取れないのです。
先日、荷物が送られてきました。
受け取るにはサインが要ります。
サインは、「受け取ります」という意志表示です。
送られてきたものを拒否することもできます。
神に選ばれた者=主を怖れる者=主に信頼する者です。
これらは相反することでしょうか?
「主を怖れる」とは、「恐怖を感じる」ということではありません。
「その存在を、ゆるぎない、尊いものとして見る」ということです。
主は、祝福しようとしておられる、ということを信頼することです。
「主を恐れることは知識の初めである。愚か者は知恵と訓戒をさげすむ。」箴言1:7
「知恵と訓誡は欠かせない」ということを知っていることが「知恵」であり、「主を恐れること」です。
そのとき、主は助けとなり、盾となってくださいます。
日本人は、日本で、日本の文化を吸収することで「日本人」になります。
もし日本人から生まれても、アメリカで育つと、言葉も、考え方も、食べ物も、アメリカ人と同じになります。
かつて西教会に集っていた日系ブラジル人の方たちも、外見は日本人と同じでも、文化は全く違っていました。
毎日の生活で、何を見聞きし、吸収するかで、私たちは違ってきます。
神に祝福されるためには、神を恐れ、神の価値観を身につける必要があります。
それには、聖書を読み、聖書の価値観を身につけましょう。
そのとき、主は助けとなり、盾となってくださいます。
信頼し、神のことばを聞く者を、主は祝福して下さいます。
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