ちっちゃいけど

2015-06-30 22.08.06

中○新聞に「天皇の料理番」関係で載らないかとずっと待ってるんですけど、もうないんでしょうか(><)
でも、先日の日曜版にはカップヌードルのCMについての記事がちょこっとありました!
ほんとにぶっとんでますよね、このCM!!!
2度ほどめざましの時間に見たことがあります^^
さすがは谷垣×佐藤コンビですw
「いいぞ、もっとやれ!」
どんどんやっちゃってください\(^o^)/
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天皇の料理番 第10話

宮さまとのやりとりを見ている頃は
「今日は泣かずに済むのかも・・・」
って思ってたんですけれども。
そうは問屋が卸しませんよ。

今回の泣きポイントは

「お湯を、ください!」
「お湯?」
「お母さんがあっちで産婆してます!!!わーーーーーーーーーーーーーーーん!!!!!」

一瞬ほっとして笑っちゃって、そして号泣。
命からがら「どやっじゃ」パワーで逃げてきて、そこで自分にできることをしている俊子さんに感動><

順番からいくと、まずは鯖江と武生の完全なる復縁から。
ついつい口をすべらしちゃう父やん!

「前の旦那様とはあんなにできなかったのに。
どういうことでしょう?」
って、あなた!
「そりゃあ、わしが強いっていうこととちがうか?」
って、あなた!!!!!
そこでハタと思い至る二人。
・・・と、ここのセリフで初めて、あのもらい子は、前のダンナが外で作った子を引き取ったということだとわかる寸法。
なるほどね。
それは万事丸く収めるためには家を出るしかなかったわけだ。
俊子さんが出ることで、きっとその子の母親が後妻に入ったのでしょう。
ところが、その子のホントの父親は???という疑惑だったんですねえ。

しかしまあ、とくぼんとあんな仲だったこともあるのに、「俊子ちゃん、俊子ちゃん」って言いながら色々とサポートしてるげなお梅さん。
上の動物園のチケットくれたり。
授業参観まで一緒に行っちゃてるしw
昼間はあまり篤蔵さんいないから、いいのかしらね。

辰吉さんとの関係も続いてていいね。
篤蔵さんにとってはスタート地点で出会った仲間。
自分が「天皇の料理番」であることを鼻に掛けてないってことを表してる。
働く場所は違えど、宇佐美さん直伝の「まごころ」を持った料理人だもんね。
でも、辰吉さんの罪の意識は20年越しで。。。
ほんとにまじめな人なんだよな。
いざ、話そうとすると、必ず横やりが入るお約束w
きっと篤やんは全然気にしてないけど。
いつか伝えることができて、スッキリするといいね。
(あと2話だけどw)

今回一番のポイントは一太郎。
「一太郎君。」
と語りかける篤蔵さんが、いかにも子ども慣れしてない感じでw
不安げに何度も振り返る俊子さん。
料理人はろくでなしがする仕事だってことから始まって、お父さんにありがちな、日頃の醜態も責められて。
真実を隠して抗弁しても、言い訳にしか聞こえない。
とうとう篤やん爆発!
「お父さんが『恥ずかしい』仕事をしてまかなってるものだ。
 うちの飯は食うな!!!」
ここで強情を張る一太郎はやっぱり篤蔵さんの子やねぇ。

さて、どうする?
炊事場に立つ俊子。
りーちゃんはこの時、「おにぎりでも食べさせるか~?」って言ったの。
そして私も「あるかも」って思ったんです。
全っ然違いました!!!
子どもに料理の手伝いをさせて、報酬を支払って、これで食べなさい。って。
これぞ教育者だわ。。。
一太郎のプライドは守られ、料理人の仕事の一端を伝え、働くことの意味を教える。
なかなかできないですよ。
私なんてすぐに甘やかしちゃって全然ダメ。
脱帽!

でもバンザイ軒で、「謎の男」の傷跡を見て、「そういうことだよね。。。」って納得しちゃう一太郎。
まあ、確かにのくぞうさんもめちゃくちゃな人だったけど、心の底はすさんだことがない。
いつも誰かに愛され、支えられ、そのことを自覚するようになったからね。
一太郎にはわかんないよね。

おかみに少しでも暖かいお食事を召し上がって頂きたいという真心がどんどん強まっていく頃、俊子が倒れる。
病床の俊子を気遣いながらも、病気を皇居に持ち込むわけにはいかない厨司長。
後ろ髪をひかれながら旅立とうとするときに、一太郎が爆発した。
「たかが料理人だろ?」
思わず手をあげる篤蔵。
かばう俊子。
振り上げた手は俊子を叩く。
一太郎を納得させられないのは自分の非だという俊子。
「しっかりしてくれよ」
と捨て台詞を吐いて出て行くけれど、右手の感覚は消えなくて。。。

震災前に見た、それが、家族の最後の姿。
最初のひと揺れでは、まだ料理の心配をしていたけれど、尋常ではない事態が次第に明らかになってくる。
「篤蔵さんより長生きします」
この言葉がふたりをつなぐ。

ここからの決断と采配とが本当に心地よくて。
厨房に付くまでに頭の中で手順を考えてきたんだろう。
てきぱきと指示をする声。
ゴボウのささがきに目を奪われ。
家族への心配をこらえながら、「お国のために働く」=「国民に仕える」という兄との約束を思い起こす篤蔵。
雑炊を渡しながらも、目は家族を捜す。
つのっていく不安が私の胸にも刺さる。
ぶちゃかるバケツ。
転ぶ少年。
「一太郎ーーー!!!!!」
「お父さん・・・」

で、冒頭に書いたところに続くわけですね。

すぐに駆けつけるのも愛。
それぞれが相手を信じて、自分の持ち場を守るのも愛。
「みんな無事です」
って言わないで
「産婆してます!」
って言う一太郎。
お父さんが、こうして、人々のために炊き出しをしているのと同じように、お母さんは産婆をして新しい命を生まれさせようとしている。
篤蔵さんは、「がんばって」とだけ言付けて、仕事を続ける。
真実を伝える俊子さんの言葉、ひとことひとことが心にしみて。
一太郎もやっと納得する。
そして、感動の再会。
差し出された欠けた茶碗を持つ手を包み込むように、雑炊を渡す。
娘へ。
息子へ。
そして、俊子へ。
「ありがとう」
「ありがとうございます」
ここに全ての思いが込められている。

立派な作文を堂々と読んだ一太郎を、誇らしく思いながら帰る俊子とお梅さん。
え?
俊子さん。。。
えーーーーーっ!?
予告が・・・・・・・・・・(TT)

6月21日 父の日歓迎礼拝

エペソ人への手紙 6章 1~4節
「主にあって従いなさい」

「子どもたちよ。主にあって両親に従いなさい。これは正しいことだからです。
『あなたの父と母を敬え。』これは第一の戒めであり、約束を伴ったものです。すなわち、
『そうしたら、あなたはしあわせになり、地上で長生きする』という約束です。
父たちよ。あなたがたも、子どもをおこらせてはいけません。かえって、主の教育と訓戒によって育てなさい。」
エペソ6:1~4

父の日です。
父と子に対して勧めている聖書の教えを一緒に考えてみたいと思います。

パウロは「主にあって両親に従いなさい」と勧めています。
「従う」という言葉は「服従する」を連想させます。
今は「束縛」を感じてしまう傾向があります。
しかしパウロは「主の教育と訓戒によって育てる」ようにと父の使命を教えています。
聖書を読む時には、誰に向かって語られているのかを考えなければなりません。
この場合は、神を信じている親子に向かって語られています。

理解する必要があるのは、「従う」という言葉の意味です。
どうしてももやもやする感じを受け、上から目線で圧迫される感じがします。
しかし、
「両親の言ったことをやればいい」ということとは違います。
「従う」ことについて、3つの原則が聖書全体から見て取れます。

① 全てに従うこと
初代のイスラエル王、サウル。
彼はすばらしい王でした。
が、部分的には主に従いましたが、自分の思い通りにしたい部分もありました。
なぜでしょうか?
自分の判断で良い悪いを決めていたからです。
これは聖書の言う「従う」ではありません。
やがて彼は不従順をとがめられ、王の立場を奪われます。

「すると、サムエルはサウルに言った。『私はあなたといっしょに帰りません。あなたが主のことばを退けたので、主もあなたをイスラエルの王位から退けたからです。』
サムエルが引き返して行こうとしたとき、サウルはサムエルの上着のすそをつかんだので、それが裂けた。
サムエルは彼に言った。『主は、きょう、あなたからイスラエル王国を引き裂いて、これをあなたよりすぐれたあなたの友に与えられました。』」
Ⅰサムエル15:26~28

②喜んで従うこと
「従う」と「喜ぶ」は矛盾する気がします。
「いやいやながら従う」ことがよくあります。
主はモーセによってイスラエルをエジプトから救い出しました。
それは劇的な脱出でした。
主から下された10の災いによってエジプト王パロは、イスラエルが出て行くことを許しました。
彼らは紅海の水を分けて渡っていきました。
彼らは喜びました。
が、モーセを通して主に従い、エジプトを出たはずなのに、旅が長くなると、しばしば民はつぶやきました。
「あなたは私たちを滅ぼすためにエジプトから導き出したのだ」
とまで言ってモーセを責めました。
不満な状況が起こる度につぶやいたので、主は怒り、とうとう彼らは約束の地に入れず、40年間荒野をさまようことになりました。
つぶやきながらも彼らは従っていました。
しかし、それは「心から、自ら進んで」していく行為であるべきなのです。
新約では献金についてこのように書かれています。

「ひとりひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は喜んで与える人を愛してくださいます。」Ⅱコリント9:7

サウルも最初は喜んで従っていました。
感謝の応答として。
「言われたから」「当番だから」するのとは違います。
自ら進んで、喜んで選び撮っていくことを主は喜ばれます。

③従うタイミング
「○○してほしい」と言われたとき、それはそのときに必要だから言われているのです。
しかし私たちの心の中には先延ばししようとする誘惑があります。

「『きょう、もし御声を聞くならば、御怒りを引き起こしたときのように、心をかたくなにしてはならない。』と言われているからです。」ヘブル3:15

「従う」ことは、なんとなく否定的な響きに聞こえます。
なんとなくやりたくないけれど、力によって紐につながれて、無理に引っ張られているようなイメージに陥りやすいものです。
散歩している犬が、飼い主とは反対の方向に引っ張っていこうとしている様子が目に浮かびます。

本来「従う」ということは、感謝と信頼と愛の表現であるはずです。
親は子に「~しなさい」と命じます。
親の立場、この立場で、それは違って見えます。
親は、我が子のことを思うと放っておけません。
この判断を放置しておくと危険な目に遭うと分かっているから、「~しなさい」と言うのです。
しかし、子は親の心を知りません。
親は、自分より目上の人の言葉に従わなかったために苦しんだ経験があるから、指図します。
が、子は聞きません。
そして同じことを繰り返します。
親は、失敗の連鎖から祝福の連鎖に変えたいと願っています。

従いたいことと従いたくないこと。
なぜどちらにも従わなくてはならないのでしょうか。
それは、自制心を学ぶためです。

「しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、
柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません。」
ガラテヤ 5:22,23

御霊のもたらす実のひとつである「自制」。
自分を自分が治めること。
様々な感情が起こってきますが、他の人の考えや思いも受け止めながら、相手の意見も聞くことで人間関係は成り立っています。
そこから協力の技が生まれ、大きな神の計画を実現する力になります。

「そうはいっても」という反論があるでしょう。
「良い親なら従いましょう。もし違う状況なら従えないのではないですか?」
と。実際世の中は平等ではありません。
良い親に恵まれない場合もあるでしょう。
そもそもこのみ言葉は、クリスチャンに向かって語られたことです。

親が「万引きしてきなさい」と言ったらその命令に従うのか?
それは違います。
この戒めには「主にあって」という条件が付いています。
「主にあって」という判断基準があります。
自分の判断ではなく、主にあって正しいか正しくないかを見極めて、喜んで従っていくことが大切なのです。

親に対しては、「主の教育と訓誡によって育てる」ようにと教えられています。
このためを思っていても、つい我が出てしまうものです。
子を威圧してないでしょうか?
こが、主を畏れて生きるように教育できているでしょうか?
父と母の違いもあるでしょう。
多くの場合、母親の方が子といる時間が長く、影響力が強いでしょう。
どうしても母親は「ガミガミ」言う立場になりがちです。
神に喜んで従う姿勢を示すのが父の役割です。
細々としたことを訓練するのは母でしょう。
父は、心の姿勢を示すことで母をフォローするのです。
従う訓練は自制心を養います。
それは人生で必要なことです。
主張することから、歩み寄ることを学ぶことが大切なのです。

第一の戒めは約束を伴ったものです。
自制心を養うことができれば、幸せになり長生きします。
このことは、もっと広い視野で見るべき事柄でもあります。
聖書が社会の中に浸透していくなら、人は長生きするでしょう。
自分の思いだけを主張する社会では、戦いが起こり、人々は命を落としていくでしょう。
もし、自制心と従順を学ぶなら、地域も社会もよりよいものになるでしょう。

父に託された使命。
ルールや法律を、強いられて、つぶやきながら守るのではなく、そのことの意味を理解して、自ら選び取って進んでいくなら、人生は祝福されます。

「あなたに一ミリオン行けと強いるような者とは、いっしょに二ミリオン行きなさい。
求める者には与え、借りようとする者は断わらないようにしなさい。」
マタイ5:41,42

喜んで行うとき、その行為の意味が変わります。
それが祝福の連鎖を産むのです。

金沢へ

今日はお休みを取って、ダンナと金沢に行ってきました。
金沢は5年ぶり。
今回のメインは21世紀美術館です。

が、まずは腹ごしらえから。
るるぶで見当を付けて向かった料理店は・・・すでにありませんでした
気を取り直して、近くをぶらぶら歩いていて見つけたお店。
澤ノ屋さん。

2015-06-26 11.48.03

つまようじが可愛い~

2015-06-26 12.06.21

こちらが2,000円の特上海鮮丼。

2015-06-26 12.09.00

そして、こちらが3,000円の特選海鮮丼。
本当は、地元産のカニ脚のおさしみが付くそうなのですが、季節柄むりで。
代わりにカキと中トロの炙り焼きとウナギがついてきました。
甘エビも特上より多かったです^^
え~っと、カキも季節外れな気がしないでもないですけどw

このあと美術館に移動。

ザ・コンテンポラリー1「われらの時代:ポスト工業化社会の美術」

コレクション展1「あなたが物語と出会う場所」

二つの展示を見て大人1,000円。
1時間半ほどかけて見て回りました。

ふーみんが大学の課題でやったみたいな、廃材利用の作品とか。
映像作品とか。
とってもオタッキーな感じのとか。
現代芸術なんだけど、小難しくない。
各部屋ごとに、日本語と英語で解説シートがあったのがよかったです。

片道3時間半ほどかかるので、本日はそれだけ見て帰路につきました。
行きは西回りだったんですが、帰りはナビさんが東回りをオススメするのでそれに従って東海北陸自動車道で。
なんと、トンネルが54本もあるんですよ!!!
wikiによると、「総延長約185kmのうちトンネルの延長合計が約70km」だそうなので、三分の一以上がトンネル!!!

2015-06-26 15.12.59

途中で寄った城端SAのトイレで出くわした注意書き。
今まで英語と中国語とハングルは見たことがありますが、タイ語って初見!
びっくりして写真撮っちゃいましたw

そうそう、行きは途中で事故があって、40分ほど時間が余分にかかっちゃったんですよね・・・
駆け足の、雨の旅行でしたが、無事行ってこられてよかったです。
ダンナさま、長距離の運転お疲れさまでした

レシピブック

2015-06-24 22.37.46

天皇の料理番に出てくるお料理のレシピブックです。
もっとも、とても作れそうにないのがほとんどですけれどもw
しかし、ドラマのためにきちんと料理を作ってるんだなぁって、感動します。

本の中にはストーリーやインタビューも載っていますよ^^

巣立ち♪

今朝、とうとう巣立ちました!
巣の前に取り付けた網の効果でしょうか、カラスに襲われることもなく。
4羽とも、全部です!
実家の父にも感謝!です。

朝、出勤するときにはお向かいの入り口当たりの地面に、ちょこんと座って(?)いて、パタパタパタと飛び立ちました。
まだぎこちない羽ばたきですが、ちゃんと飛べています。
本当にかわいい^^

おばあちゃんの話では、要領の悪い子がいて、あまりエサをもらえてなかったらしいのですが。
やれやれです。
これからも朝夕には挨拶に来てね~\(^o^)/

天皇の料理番 第9話

兄やん、篤蔵さんのお料理食べられてよかったね(TT)
そして、大饗宴の成功を最後まで見届けられて。。。
骨が浮き出ている兄やんの姿に、病状を悟って涙をこらえるとくやん><

バンザイ軒のおやっさんが亡くなってた。
「大往生」って、まあ、そういうことでしょうねw
新しい下宿人。
鈴の音ですぐにわかりましたよね!

で、さっそく誘惑にかかるお梅さんったら。
とくぼん、鼻の下伸ばしてるばあいじゃないでしょ~~~!
困ってるけど悪い気もしていないって風のとくぼんがまたかわゆいんですけれどもw

離れていた間を埋める二人。
俊子さんが何して働いてるんだか心配で心配でしょうがないってのが、よくわかったよw

そもそも、大店の長女として、養子を取って店を継ぐのが自分の役目、と思って来た俊子さん。
篤蔵さんと出会って、思いを振り切って篤蔵さんを手放して。
子どもを産むことを期待されて再婚して。
さずからなければ養子をもらって、育てて。
このまま平凡な日々を過ごしたら、若奥様として一生をすごしたかもしれない。
赤ん坊の実の親を思うと耐えられなかった・・・そうかもしれない。
でも、家を出て、偽名まで使って都会で暮らすって、勇気の要ることだったと思う。
まあ、篤造さんが蒸発したときも一人で上京して話をつけに来たぐらいの度胸はある人だけれども。
「篤蔵さんみたいに、やりたいことを見つけて生きていこう」
っていう発想は、やはり篤蔵さんが教えてくれたこと。
ほんとに、とくやんに出会った人は人生が変わる。

さて、大膳寮。
新しい職場はいつもこんな始まり(^^;
「で、他にご質問は?」

「しきたり」
さっそく衝突していく篤蔵さんw

でもここにも頼りになる人物がいた~♪
福羽さんだっけか?
おおらかで、先が読めて、「一肌脱ぐ」ことをいとわない人!
しかも野菜を育ててるだけあって、地に足が付いてる感じがいい!

ダメ出しされて、行き詰まって、そこに登場するウサギさん、すてき~!
篤蔵さんが選ばれた意味を考えろって、原点に返らせてくれる。
ムッシュ・エスコフィエの「料理は音楽」を思い出したら、スロットル全開です\(^o^)/

「俊子俊子俊子俊子!」って相談を持ちかける立ち膝とくやん超かわいい!

あれは何年前だったんでしょうね。
私たちにとってはほんの2週間ほど前のできごとなので、「ザリガニ」といえばフランシーを思い浮かべますが、篤蔵さんにとってはもう随分昔のことになってしまっているんでしょうね。

献立も決まって、弁舌をふるうとくやん、立派になったもんだ!
でも、目の前に宇佐美さんたちが座ってると、突然小僧になっちゃうんだからw
宇佐美さん、誇らしいだろうなぁ。
もちろん宇佐美さんの推薦だったんだから、こうなることはわかっていただろうけど、「ペテ公」の下で働く日がこんなに早く来るなんてね。

じゃがいもをテーブルの上に転がすくだりは最高だった!
言葉も標準語で、「おかみのため」を前面に出して、有無を言わせない。
宮前さんだけは「有無」をいいに来たけどw
厨房にもどってみると、みんな真剣に特訓しているところがすばらしい。
こうして、ぐっと距離が縮まったね。

ザリガニ騒動で、辰吉さんと目をあわせることができたし、黒川さんとも共同作業できたし。
あくまでも若輩の秋山篤蔵を立てて、「ご指示を!」と声をあげる宇佐美さんすてき。
ペテ公に全幅の信頼を寄せてるということがよくわかる。

料理の一つ一つがきちんと作られてて感動。
それを遠く故郷で読み上げている母と、病床の兄やん。。。
「うまそうやなぁ」
って。。。うぅぅぅ・・・

故郷とつながっている空を見上げて、
「うまくやれましたかねぇ。
あなたの誇りになれましたか?」
ここは泣くわ!

その前に宮前さんとのやりとりがありましたね。
「真心のある料理人には辞めて欲しくない」
って。
オテル・マジェスティックの料理長が、篤蔵の暴行を赦して受け入れてくれた恩を返しましたね。

兄やんの訃報。
「会わんうちに会えんようになるもんやな、人は。」
田辺さんしかり。
おやっさんしかり。
最愛の兄やんしかり。
だから、俊子とはもう離れたくない。
「篤造さんより長生きしますから、安堵して下さい。」
ここでとうとう感情がこみ上げてくるとくやん。。。

一度目よりも、編集しながら見る二度目の方が泣けてしまうんです。
いつも。

来週は関東大震災?
あと3話。

6月14日 聖日礼拝

ルカの福音書 5章33~39節
「信仰による新しい生き方」

聖書を読む時、個々のできごとを取り上げると共に、ルカ書全体を通して主が教えようとしておられることも確認しながら学ぶべきです。

レビはイエスの招きを受けてついて行きました。
ツァラアトの人の「お心一つで、私をきよくしていただけます。」という言葉に、イエスは近づき、患部に触れ、
「わたしの心だ。きよくなれ」と言われました。
多くの日お跳びとはイエスとの出会いを通して、「人生は変えられる」ということを教えられました。

「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」Ⅱコリント5:17

「あなたがたは、古い人をその行ないといっしょに脱ぎ捨てて、
新しい人を着たのです。」
コロサイ3:9,10

私たちは、イエスに出会う前に積み重ねてきた経験からなかなか外に出ることができません。
だれでも、好きなもの、食べ物、色があります。
なぜそれが好きで、手放せずに執着するのでしょうか。
それには理由があります。
子どもの頃に満たされなかったものを満たそうとするのです。
大人になって、満たそうとするときに、必要以上にそれを求めてしまいます。

「イエスとその教えはすばらしい。」
と、私たちは思いますが、当時の人々は、
「ちょっとおかしいんじゃないか?」
とひっかかるものがありました。
自分たちがそれまで大事にしてきたものを、言葉で否定こそしないものの、行動で否定していたからです。
それが、つぶやきになって出てきます。

「彼らはイエスに言った。『ヨハネの弟子たちは、よく断食をしており、祈りもしています。また、パリサイ人の弟子たちも同じなのに、あなたの弟子たちは食べたり飲んだりしています。』」5:33

なぜ取税人と?
当時の人々の価値観からすると、それはおかしいことでした。
「たしかに教えはすばらしいけど・・・」
イエスとの出会いは違和感を与えます。
居心地が悪く感じます。
責められていると感じます。
それは、古い性質が、新しいものを拒むからです。
「そんなことをしてもいいんだろうか?」
と、これまでの経験が自分を守るためにブレーキをかけるのです。
それは、危険を回避するためには必要なことです。
しかし、それは同時に新しい経験を妨げてしまいます。

「敬虔なクリスチャンは聖書を読み、お祈りし、断食する」
これが信仰のバロメーター。
間違いではありません。
「イエスの弟子は断食も祈りも熱心にしていない。おかしいのではないか?」
「教師なら、それをするように教えるべきなのではないか?」
「誘われるままに喜んで飲み食いしている。もっと節約して、施した方がいいのではないか?」
違和感がイエスへの質問を生み、そこからイエスの考え方がわかります。
それが、教えを引き出すきっかけになるのです。

違和感は新しい真理を知るきっかけを与えてくれます。
「なぜですか?」
と聞くならば、です。
弟子たちの素晴らしいところは、素直にイエスに聞くところです。
知らないことは恥ずかしいことではありません。
群衆と弟子の違いはそこにあります。

イエスがだれかと関わられるとき、
「なぜ私じゃないのか?」
という人もいるかもしれません。
イエスは「来て欲しい」という願いを持つ人々に近づいて下さいます。

さて、イエスの答えは、

「花婿がいっしょにいるのに、花婿につき添う友だちに断食させることが、あなたがたにできますか。
しかし、やがてその時が来て、花婿が取り去られたら、その日には彼らは断食します。」
5:34,35

でした。
花婿とはイエスのこと。
花嫁とは、通常は教会を指します。
友人は弟子たち。
友人は花婿とともに喜びます。

「イエスはまた一つのたとえを彼らに話された。『だれも、新しい着物から布切れを引き裂いて、古い着物に継ぎをするようなことはしません。そんなことをすれば、その新しい着物を裂くことになるし、また新しいのを引き裂いた継ぎ切れも、古い物には合わないのです。
また、だれも新しいぶどう酒を古い皮袋に入れるようなことはしません。そんなことをすれば、新しいぶどう酒は皮袋を張り裂き、ぶどう酒は流れ出て、皮袋もだめになってしまいます。
新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れなければなりません。
また、だれでも古いぶどう酒を飲んでから、新しい物を望みはしません。「古い物は良い」と言うのです。』」
5:37~39

ふたつのたとえの大事なポイントはこうです。
私たちにとって身近な経験から、「なぜ断食や祈りをしないのか」を説明しています。
古い着物に、新しい着物を引き裂いてつぎあてをすると、新しい着物は台無しになり、しかも古い着物に合いません。
これは誰もが知っていることです。
ぶどう酒をつくるときには、新しい革袋に入れます。
革袋に入れたぶどう液は、やがて発酵してかさが増え、革袋は膨らみます。
もし古い革袋に入れたら、袋は破れ、中に入っていた新しい葡萄酒もだめになってしまいます。
彼らには、慣れ親しんでいるもの、大切にしてきたものがあって、古い経験の方が新しいものよりもよい、と考えていたのです。
旧約の出エジプトの時、イスラエルの民はモーセに「エジプトにいた頃の方がよかった」と言いました。

やがて、花婿が取り去られる時がきます。
それは十字架の予告です。
しかし、主は約束しておられます。

「見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」マタイ28:20

トイレのピエタ@ミッドランドスクエアシネマ

見に行ったのは先週の土曜日です。

2015-06-13 08.52.30

以下ネタバレです。




ストーリーのあらましは+actでも読んでいました。
死を前にした青年と少女の出会い・・・的な。
展開自体はベタなんだと思いますが、それでもこの1週間いろいろと考えて過ごしました。

学生時代の宏は「絵を描くこと」がアイデンティティで。
彼女に
「私と絵とどっちが大事?」
的な質問をさせてしまうほどに。

「絵を描くこと」に勝てなかった彼女は、パトロンが付いて絵が飯のタネになっている。
「絵を描くこと」が一番だった宏の絵は、押し入れにしまい込まれて、彼の命をつなぐのはゴンドラのワゴンにつけた命綱と、そこから得るお金。

理不尽な運命を抱えて町をさまよい歩いたときに宏がしたことは、手当たり次第にそこにある窓を拭くこと。
良くなる見込みもなくて一度実家に帰ったとき、宏が持っていったものは窓ふき道具一式。
そこでも
「どうせすぐに汚れるから」
と言われても、窓を拭く。

つっぱってるけど、まだあどけない少女は、食っていくために働いてる母親のために夕食を作り、文句を言われ。
ぼけた祖母(しかもかなり重い。物理的に)の世話を押しつけられて。
現実から逃げたくて。
死ねるものなら死にたいとさえ思うこともあって。

でも、死に向かっているのは宏。
「応援していたんだぞ」
って父親が言ってくれる宏。

宏に「絵」を思い出させてくれたのは、病気。
病気で出会った、少年と、少女。
少年の、大事な大事な宝物を、ポイッとゴミ箱に捨ててしまえるような感性が、少年の「赦し」によってうるおされていく。
自分にできる唯一の贖罪としての「絵」。
その少年は宏よりも先に逝ってしまう、不条理。

でも、少年の母からの求めには応じない。

入退院を繰り返すリーマンとの緩い関係。
結局故郷には帰らず、自宅で過ごすことを選んだ宏は、絵を描き始める。
描いて、描いて、描いて。
「今、生きてる。」
そして、リーマンは映像を撮り続ける。

「描くこと」は、宏の生計の手段にはなり得なかったけど、「描く」ときにだけ、宏は生きていた。
これからも生き続けなければならない、という枷がはずされたときに、やっと宏は「描くこと」に、生きることに、戻ることができた。
それは少女にささげられたものだったけれど、もし少女が病院に尋ねてこなかったら、もし(元)リーマンが彼女に目をとめなかったら、そのままトイレにあり続けるだけの絵。
やがて、ぼろアパートは取り壊されるか、大家さんに塗りつぶされただろうに。

「浄化と昇天」の場。
そこに描かれた絵の全貌を、私たちが見せてもらえるのは少女と同時で。
圧倒的な生命力が迫ってくる。
現実の少女とは、きっと正反対の、描かれている彼女はおだやかな表情。
悲しみと怒りで爆発する少女。

宏は少女の事情なんて知らなかっただろう。
彼女の人生はまだ続かなければならない。
宏という存在は、彼が残した絵は、少女の中に何かを芽生えさせたのか。
大切な者を失っても、若者は生き続けるだろう。

大好きなシーンは、金魚と一緒に泳ぐところ。
現実と、非現実の、接する「点」みたいで。


その2日前に、舞台挨拶があったので、ロビーにはサイン入りのポスターが貼ってありました^^

2015-06-13 11.06.27

あ、この映画には佐藤さんもクレジットされてて。
「友情出演」の大竹しのぶさんより出番は短かったのに、ちゃんと名前が出てくるのが謎。
計った方によると、40秒。
セリフは2つ。
というか、2音節。
しかし、存在感ありすぎでしたw
まあ、私が好きすぎるからでしょうけれどね(^^;

続報

20150618_9.jpg

これは木曜日の写真です^^
なんと!
4匹写っていますね♪

今日は、もっと喉のあたりが赤く、全身はより黒くなってきています。
巣立ちは近いですよ\(^o^)/
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ステファニー

Author:ステファニー
プロテスタントのクリスチャンです。
佐藤たけるさんおたくです。

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