春の旅行@兵衛向陽閣

好古園でスタンプを押してきました^^

2015-03-30 22.29.58

カラーの台紙まで用意されていて、ついつい押してしまいました。
おじいちゃんはスタンプコレクターなので、高速道路のサービスエリヤとか、どこででも見つけるとスタンプ押してますw

好古園を出てから行ったのは御着城址。
「行った」と言っても、車から降りて見に行ったのはダンナとおじいちゃんだけでしたがw
ふたりは歴史や史跡が大好きなので気が合うんです^^
ま、二度と来ないかも知れないですから、ついで、ですね。

こうして一日が終わり、この日の宿、兵衛向陽閣に到着しました。
有馬温泉にゆっくりつかり、美味しい食事をいただきました。

2015-03-26 19.49.25

桜のつぼみが付いた枝。
ふきやタケノコ。
ホタルイカ。
春を感じさせる品の良いお料理でした!

このあと、卓球をしようか、買い物をしようか、エステもいい?などと言っていたのに、私、不覚にも寝落ち><
前日も早寝していたのに。
たぶんすでに体調を崩しかけていたんだと思います。
ああ、せっかくの高級旅館が・・・

つづく~
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るろうに剣心2ロケ地探訪@好古園(姫路市)

さて、7人家族がぞろぞろと隣の好古園に移動!

2015-03-26 15.13.28 HDR

懐かしいですね。
2年前には入り口にメイキング写真が飾ってあったものですが。。。
今回はこの程度(^^;

2015-03-26 14.13.06

でも、うれしいですね~^^
姫路城の入り口でいただいたパンフレットにもこんな風に書かれていましたし!

2015-03-29 16.49.23

受付では、前回素通りしてしまった佐藤さんのサインがまだ張ってありました!!!

2015-03-26 14.13.33

文字がかわいい~~~

庭園は相変わらず美しく、しだれ桜が満開でした。

2015-03-26 14.24.30

まず、前回確認した「清里暗殺」シーンを家族で確認。

キャプチャ

この地図でいうと、清里一行は⑩と⑫の間の通路を北上して角を左に曲がって登場します。
そこへ、左の方から抜刀齊が駆け抜ける・・・
それがここです。

2015-03-26 14.39.16


今回行きたかったのは、「大久保卿暗殺」のシーンです。
最初勘違いして西のお堀に向かってしまったのですが、実は好古園の外、東側の通路でした。
この通路をず~~~っと奥まで行って振り向くと・・・

2015-03-26 15.07.55

ここが

2015-03-26 08.35.57

こう。

2015-03-26 08.28.27

剣心と宗次郎の背景に映っている石垣に注目すると・・・

2015-03-26 15.07.07 HDR

このあたりですね。

2015-03-26 08.27.36

これも、馬車の車輪の左側にある石垣に注目!

2015-03-26 15.05.24

この前あたりっていうことでしょう。

そして、ここが・・・

2015-03-26 15.08.40

宗次郎が姿を消したあたり。
もう少し引きで撮影。

2015-03-26 15.09.03

こちらは入園料を払わなくても見学できますよw

コレで今回の旅の目的は達成!
なんちゃってw

まだ旅は続きます~

3月22日 合同礼拝

詩篇 103篇 1~5節
「主の恵みに感謝をささげる」

今年の年間指標聖句は詩篇103篇2節です。

「わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」103:2

とかく人は忘れやすいものです。
一方でなかなか忘れられない面もあります。
すばらしいことや恵みは、その中にいると、慣れてきて当たり前になって感謝の心が薄らいでいきます。
「もっと違った感動が欲しい」
と思うのです。

テーマパークに行くと、ジェットコースターがあります。
私が子どもの頃初めて乗ったのは、ただアップダウンするだけのものでした。
今では回転したり、後ろに行ったりするジェットコースターもあります。
刺激は、2回3回とふれるにつれて慣れてきます。
そしてどんどん過激になっていきます。
新しい刺激を提供しないと、テーマパークは関心を保てません。
世の中に、20年30年と変わらない商品はほとんどありません。
新商品が次々と出ます。
スマホもそうですね。
新しい機種を出せば、「それが欲しい!」と思って買ってくれます。

それに対して、自分が傷ついたこと、いやなことは何年経っても、昨日のことのように心が締め付けられるように感じます。
感謝な事は慣れますが、傷つき、涙し、追い詰められた経験は消えていきません。

今日学ぶのはダビデの詩篇です。
ダビデの人生を大きく見ると、彼ほど人生の中で追い詰められた人は多くないでしょう。
彼は、若くしてサウル王の目に留まりました。
その前に預言者から油を注がれていました。
ダビデは戦いの中で頭角を現し、ペリシテ人ゴリヤテと戦って勝利を収めました。
サウルの側近として、数々の戦績を残し、王の娘婿になりました。
しかし、王に命を狙われることになります。
やがて第2代の王に就任。
国の発展のために用いられました。

勘違いしてはいけません。
神の祝福は、「問題を取り除く」ことではありません。
ダビデ以外にも、信仰の人の生涯を見ると、苦しんでいるにもかかわらず、その時代の中で祝福ある人生を歩んでいきました。
「にもかかわらず」の秘訣は何でしょうか?

「わがたましいよ。主をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。
わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」
103:1,2

祈り会で詩篇の16篇を学びました。

「私は助言を下さった主をほめたたえる。まことに、夜になると、私の心が私に教える。」16:7

「私の心が私に教える」とは、「自分に言い聞かせる」ということです。

日本にある習慣で、海外にないものはいろいろありますが、指差呼称もそのひとつです。
鉄道の運転士が、「信号よし。前方よし。出発進行」などと、指を差しながら口に出して確認する方法です。
これはすぐれています。
大事なことを、指差して、声に出すことで、自覚し、耳で聞く。
大事なことは、「念に念を入れる」のです。
日本社会の秩序の中に、そういう几帳面さがあります。
何かを聞いて、文字を見て「そうだな」と思うのは、ただ情報を受け取っただけです。
念を押すことで自分のものになります。
他人に「褒め称えなさい」と言われるのではなく、自分が自分に呼びかける。
そのような信仰の歩み方をしているでしょうか。
祝福を失わないためにたいせつなことは、主の恵みを忘れないように思い起こして、原点に立ち戻ることです。
「忘れるな」と、自分自身が指差し、声に出すようにして、経験をひとつひとつ思い起こす。
「これがダメだった」と、いやな事を思い起こすことは自然にできます。
よいことはなかなか思い起こせません。
いやなことは、思い出したくなくても思い出します。
バランスを取るためには、もう一方の「良い事柄」に目を留めましょう。
「何一つ忘れない」ためには、小さな事もです。
その姿勢がとても大切です。

今年は西教会設立40周年。
振り返るとき、「よいことを何一つ忘れない」という土台が必要です。
たとえば、10の課題があったとしましょう。
そのうちの4つが未解決で、新しい課題も生じてきたとします。
そんなときに、未解決なこと、新しい課題に関心が向きやすいものです。
それでは解決の道筋を追いやってしまいます。
神が与えて下さった「解決」という恵の経験こそが、未解決の課題に向き合う力を与えてくれます。
主が祈りに応じて解決を与えてくださった経験があるからこそ、他の課題に対してもきっと解決できるという信頼ができるのです。
詩篇は讃美です。
課題はあるが、感謝し、褒め称える、証の歌です。
ここでダビデは、3つのことを「忘れるな」と語っています。

「わがたましいよ。主をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。
わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」
103:1,2

1節と2節は自分の信仰告白です。
この2節から、3節へと、視点が変わっています。

「主は、あなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、
あなたのいのちを穴から贖い、あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、
あなたの一生を良いもので満たされる。あなたの若さは、鷲のように、新しくなる。」
103:3~5

「主はあなたの~」と、他者へのすすめになっています。

①咎を赦す

赦された経験はありますか?
自分は「赦された」と思っていますか?
聖歌に「罪咎を赦され」という歌がありますが、咎とはなんでしょうか?
罪は「的外れな生き方」です。
咎は、その結果犯す過ちです。
罰を受けなければならない具体的な行為です。
主は、キリストの故に、私たちの全ての過ちを赦してくださいました。
言葉で言うのは簡単です。
が、「赦されている」という経験が大事です。
私の全てをご存じで、嫌な部分も過ちもご存じな主。
それが、イエスのあがないの血潮を通して、もう一度歩み出せるようにしてくださいました。
私たちの人生にブレーキをかけるのは、罪悪感です。
イエスを通して、主は私たちを赦してくださいました。
その赦しをひとつひとつ、受け取りましょう。
忘れられない、痛みや苦しみの中に、主の御手の癒しがあることを見つけましょう。

②病を癒す

一度も病気になったことがない人はいますか?
ケガは?
今まで生きながらえているのは、病気に打ち勝ってきたからです。
私たちの体の中には、病に打ち勝ち、修復する免疫力が与えられています。
先日ガラスで人差し指を切ってしまいました。
でも傷は治ってきています。
病を克服する力を与えてくださったからです。
では治らない病気はどうでしょうか?

実存主義のキルケゴールは「死に至る病」という著書を残しました。
病の問題は、健康を奪うこと、そして最終的には「死」です。
人生を、心をむしばまれて、永遠の滅びに向かう「死の病」。
全ての人が最終的に行き着く「死」。
その「死」に至る病である「罪」をいやしてくださるのはイエスです。

③穴からあがなう

「穴」とは「墓」を指しています。
私の出身地の茨木では、昔土葬していました。
遺体を焼かずにそのまま埋めたのです。
穴からのあがないは、すなわち復活です。
「救い」そのものが恵みです。
それを忘れては行けません。
これがあるから、困難に立ち向かうことができるのです。
そのことが、しっかりと、土台として根付いていることが大切です。
救いの恵みを受け取った人の歩みは、鷲のように新しくなります。
諸問題に立ち向かうことができます。
2015年度も、もう一度信仰の出発点に立ち戻りながら、再スタートしたいと願っています。
ひとりひとりが、かつてどのようなところから教会に導かれてきたか。
どのように救われて教会の一員になったか。
確認してほしいと思います。
その上で、諸問題に向き合い、乗り越えていきましょう。

春の旅行@姫路城

またまたご無沙汰していました。
木、金と家族旅行に行ってきました。

第一目的地は姫路城!
前回訪れたときは、まだ改修工事中で、幕に覆われていた姫路城。
今回はその神々しいまでに白く輝く姿を見ることができました。
もうあと1週間遅ければ、桜も満開で最高だったでしょう。

2015-03-26 13.49.18

さすがは「白鷺城」。
快晴の青空を背景にそびえ立つ美しさに見ほれてしまいました。
私たちが着く3時間ほど前に、ブルインパルスの飛行が見られたそうなのですが、残念!

2015-03-26 12.42.43

着いてすぐに腹ごしらえ。
待ちリストにはたくさん名前が並んでいましたが、ここは頑張って待ちましょうよ。
その名も「たまごや」さん。
卵かけご飯を堪能しました~\(^o^)/
 
2015-03-26 13.19.08

プリプリの新鮮たまごをおかわり自由!
ご飯も、おかわり自由!
ふーみんともっくんはひとり3個ずつ食べたそうです(^^;

姫路城は、実はこの翌日からしか中には入れないんですよ。
でもあえてこの日にしました。
だって、絶対混雑しますよ。
この日でも相当人がいましたし。
ていうか、翌日の入館待ちの列に、すでに人が並んでましたから!!!

軍師官兵衛ゆかりの場所もありました。
(私は見ていませんでしたが)
ひとまわり見てから、お隣の「好古園」に向かいます。
そう!
「るろ剣」のロケ地、好古園ですよ~!!!

あ、そうそう。
お城から出て行くときに、モヤさま撮影隊とすれ違いました!
この回見ないと!

つづく~

ごぶさたしてました

なんだか毎日いろいろありまして。

20日はもっくん&ふーみんの卒業式。
やっぱり泣きましたわ。
16年聞き続けた小学校の校歌を聴くのも最後か・・・とかおもっちゃって。
子どもたちはまあ、ほとんどが同じ中学に行くし、さばさばしてましたけれども。

21日はお掃除。
なにしろ子どもたちが3人とも新しい環境に変わるので、いらないものが出ること出ること。
2階の居間もかなり片付きました。

その夜はりーちゃんのお誕生会。
おいしい和食をおよばれいたしました。

か~ら~の、たけてれ!!!
佐藤さんの生誕祭でございました。
26歳おめでとうございます。
ほとんどが水平思考クイズだったような気がしなくもないというゆるいやつ。
ゆたぽん登場も3年目とは!
かわいいねえ。

22日は礼拝からの午後は年次総会。

23日は一日お仕事。

24日は半日お仕事。
ってことで久しぶりに日記を書いております。

この間何が忙しいって、ついついツイッターをチェックしてしまうことですよ(≧▽≦)
だってもうつぶやきがたけるらしかるから!!!!!
しろたんまで反応して、TLは大騒ぎですよ。
天皇の料理番放送開始の4月26日まで、佐藤さんのツイートが楽しめるなんて。
気もそぞろですわw

あさっては旅行なんですが、計画はまだまだ。。。
姫路城、好古園と水族館しか決まってないよ~~~><

3月15日 聖日礼拝

ルカの福音書 4章 20~30節
「固定観念を捨てなければ」

西教会が建てられて40周年。
恵みを振り返り、感謝を捧げ、新しい恵みに向かって行きたいと思います。

椅子は、「長年待ち望んでいた恵が、今実現した」と宣言されました。
神の祝福が行われても、それが全ての人に届くわけではありません。
しっかり受け止められる人と、できない人がいます。
「髪が愛なら、全ての人に等しく与えればいいではないか?」
と言う方がいます。
しかし、全ての人が受け入れようと思うわけではないのです。
それは心の問題です。
固定観念を捨てないと、恵みを知り、受け取ることはできません。

イスラエルは3つの地域に分かれていました。
みっつのおだんごをイメージすると分かりやすいでしょう。
一番上のおだんごが、ガリラヤ地方。
二番目がサマリヤ地方。
三番目がユダヤ地方です。
イエスの宣教は、ガリラヤを中心に行われました。
そこには、カペナウムもナザレもあります。
カペナウムはガリラヤ湖畔にあり、ナザレはそこから40kmほど離れていました。

イエスはカペナウムでたくさんの神のみ業を行われました。
マルコの福音書には、
1:23~ 汚れた霊を追い出す
1:29~ シモンのしゅうとの癒し
1:34~ 様々な病気をいやし、悪霊を追い出す
といった記事が書かれています。

ナザレでも、人々は、

「みなイエスをほめ、その口から出て来る恵みのことばに驚いた。」4:22

のですが、同時に、

「そしてまた、『この人は、ヨセフの子ではないか』と彼らは言った。」4:22

のです。
新しい経験に感動して、人々は目が開かれました。
が、「ヨセフの子ではないか」という冷ややかな感情も起こってきました。
これが私たちの心のありようです。
恵みの敬遠に感動する、と同時に、冷ややかな気持ちが生じてくるのです。
現実に直面して引き戻されてしまう。
頭で理解できた事柄が、実生活に結びつくのか?
この現実を受け止めなければ成りません。

ナザレには、イエスの幼少期を知っている人々がいました。
昔のことを知らない人は、今の姿でその人を評価しますが、知っている人は、過去も会わせて引き算します。
私たちは「全てを知りたい」と思いますが、「全てを知る」必要はないし、知ってはいけないこともあります。

「今は知らなくてもいい」ということを、母に言われた記憶があります。
当時私は子どもながらに、教会には何か課題がある、と感じていました。
「今、教会で、何か課題があると思う。そのために祈りたいから話して欲しい」
と、母に言うと、「今は知らなくていい」と言われたのです。
私は「祈りたかったのに…」と、疎外感を感じました。
大学生に成った頃、そのことを母に話しました。
すると母は、
「私は、まず子どもたちが、神様にしっかり信頼する信仰を養うことを願っていた。
そのためには、よいことをまず心に植えなければならなかった。
それができていないと、『悪いこと』には対処できないから。」
と言いました。
まず、まっすぐに主を信じる心を持つことが最優先です。

イエスの評判はガリラヤ全土に広まっていきました。
しかし、イエスは

「また、こう言われた。『まことに、あなたがたに告げます。預言者はだれでも、自分の郷里では歓迎されません。』」4:24

と言われました。
その意味するところは何でしょうか?
イエスは旧約聖書からふたつの例を挙げられました。

①エリヤとサレプタの女。
②エリヤとナアマン将軍


どちらも、主がイスラエル人ではなく、異邦人を用い、癒されたというできごとです。
なぜこんな例を出したのでしょうか?
神の恵みが行われても、それを見て、聞いて、触れた人が受け取るかどうかは、その人自身の課題だということなのです。
私たちは経験を積み重ねています。
それに基づいて無意識に判断を下しています。

以前にもお話ししましたが、私はずっとかにクリームコロッケが食べられませんでした。
においだけでも吐き気がしました。
それは小さい頃の経験のせいでした。
今でも覚えていますが、「かすみストア」というスーパーの突き当たりにあった冷食コーナーで買ったのです。
おいしく食べたのですが、その後39℃の高熱が出てもどしてしまいました。
かにクリームコロッケ、というと、そのいやな経験を思い出してしまうのでした。
無意識に。
今ではもう食べられるようになりました。

新しい場面に直面したとき、記憶が呼び覚まされることがあります。
それは、有益か危険かを瞬時に判断するための仕組みでもあります。
神のみ言葉を聞き、御業を見るときに、「凄い!」と感動しますが、それは新しい経験であって、心の中では古いメカニズムが働きます。
バランスを取ろうとするのです。
新しい経験が定着するには時間がかかります。
つまり、信仰に立って判断することのほうが強くなるには時間がかかります。
それでいいのです。
そう簡単に長い間積み重ねた物の見方を変えることはできません。
ではどうしたらいいのでしょうか?
新しい経験をとにかくたくさん積み重ねていくことです。

すもうは一場所で15番取り組みがあります。
白鵬は全勝しますが負けることもあります。
8勝すれば勝ち越しです。
勝ち越せば今の地位を保つことができます。
私たちには、
「全勝しなければいけない」
「失敗してはいけない」
という思いがあります。
が、クリスチャンになって、新しい生活をスタートするとき、たとえば20歳のひとであれば、20年間神を知らない生活をしてきています。
そこから、一から積み重ねていくのです。
主は私たちの必要を知っておられます。
訓練しないと、私たちの中には、神の子としての考え方が定着しません。

福音書はイエスの公生涯を語っています。
そのテーマは、
「イエスは神の言葉を語り、神のみこころを行っている」ということと、
「弟子たちは、イエスによって訓練を受けた」ということです。
イエス様の考え方に切り替えていく訓練です。
とっさに連想したり、感じたりすることが、イエス様の見方になっていくこと。

弟子たちは生まれつきの盲人を見た時、「だれの罪のせいですか?」という疑問を持ちました。
それが、弟子たちの、それまで身につけてきた考え方だったからです。
見て、聞いて、触れたときに、それにまつわる経験が思い起こされます。
それが「古い経験」です。
主は、「新しい経験」をするように導かれます。
原因を追及しても救いはありません。
イエスは、「神の栄光が現れるためです」と答えられました。
いかに解決すべきか、どう取り組むべきか、将来への課題として受け止めるようにと教えられたのです。
主は、「自分を守るための犯人捜し」を求めてはおられません。
どう解決できるかを考えることです。

あるときは男だけで五千人が集まってきました。
空腹になったとき、イエスは
「あなたがたで何とかしなさい」
と命じました。
弟子たちは計算しました。
「200デナリは必要だ。
どうやって確保したらいいのか?」
そう考えて、「無理です。できません。」と答えました。
なぜイエスはそんなことを求められたのでしょうか?
イエスは「できない」ということは知っていたはずです。
「できません」とい言わせたかったのです。
「自分にはできない」と行き詰まっていることを認めたくないものです。
そして、自分の問題に目を閉ざそうとします。
無力であることを突きつけられた弟子たちには、「5つのパンと2匹の魚」だけはありました。
こうして弟子たちは、「自分たちにはできないことを、イエスにはできた」という経験をしたのです。

中途半端に神を信じているから、神の恵みが見えないのです。
限界を明確に知っていれば、明らかに神の御業であることが分かるはずでうs。
自分の力のなさに失望するのは大事なことです。
「自分はできる」と思っているとダメです。

ナザレの人々は、「イエスのことなら知っている」と思っていました。
そして、本当のイエスのことを知ろうとしませんでした。
「自分にはどうみえるか」が、妨げになっているのです。
神のみ言葉に立つ新しい経験を積み重ねることが大事です。
最初は、自分の目:神の目=9:1かもしれません。
そこから成長していくのです。
それが、クリスチャンが取り組むべきことであり、訓練です。

日曜日、礼拝に出て、「今週もがんばろう!」と出かけていきます。
再び日曜日に戻ってくるとき、「感謝!」と言いながら来る人はどれぐらいいるでしょう?
「やっぱりダメだった」と認めて、それでも失望しないことが大事です。
また今週もスタートします。
そうすることを通して、少しずつ神の恵みの言葉に従う経験が増していきます。
それを意識することが大切です。
たとえわずかでも、「変わった」ことを恵みとして評価して、認めていくことです。
神の恵みの御業は行われています。
大きなことばかり見て、小さい変化に気付かない、ということはありませんか?
かつては「神の目」なんて考えていなかった者が、「みことばに立って生きていきたい」と願い、そう願ったからこそ敗北感を感じます。
うまくいかないことばかり目に留まってしまう。
全勝は難しいです。
でも、全敗も難しいのです。
私たちは、成長の途上にあります。
「従いたい」という思いがある以上、最終的に勝ち越せます。
「主に従いたい」という思いが明確のあるかどうかが問われます。
恵みを、恵みとして受け取ること。
感謝を捧げること。
感謝の種は、成長して大きくなっていきます。
問題の種ばかり探していると、恵みが見えなくなります。

Twitterバンザイ!!

なんとなんと!
佐藤さんが一時的にとはいえ、御自らツイートですよ
最初のツイート以来、天皇の料理番公式アカウントはフォロワーがうなぎのぼり!
すでに3万を超えています(≧▽≦)
あさってはお誕生日でたけてれだし!
もうお祭り騒ぎですよ~~~\(^o^)/

・・・しかし、実は21日はりーちゃんのお誕生日会で、たけてれ間に合わないかも・・・
さっさとテンポ良くお料理が出てきますように><

ってことで、今日はりーちゃんの18歳の誕生日でした。
プレゼントに買ったのは、腕時計。
クオーツでも、電波時計でもない、ねじ巻き式の時計。
時間はそれほど性格ではないですが、とってもアンティークでおしゃれな時計です。

りーちゃんは生まれたときから、空気の読める子でした。
ちょうどダンナが休める日に生まれたので、りーちゃんだけはダンナが立ち会ってるんですよ。
高校3年間で脱皮して、みごとに羽化したりーちゃん。
これからの1年も楽しみです。

長かった

きのう、リサイクル資源回収当番の最終回お勤めが終了しました
思えば16年前、ふーみんの小学校入学と共に始まったのでした。
三人の子どもはほぼ5年ずつ間が開いているので、重なっているのは2年だけ。

子ども会の親の役目で、年に2回とはいえ、朝一時間休暇を取って参加しなければならないことに、最初はとても抵抗を感じたものです。
今では、フルタイムで仕事をしている私にとっては、一緒に作業をするママさんたちとの数少ない交流の場であり、地域の為に働くのは必要なことだと感じていました。

通学団の登下校時にする旗当番も終了しました。
こちらは、最初の10年は主に私が担当。
というのも、職場が近かったから。
でも、この6年は、ダンナのほうが5分で通える職場だったので、ずっとダンナにお任せでした。
ここ2,3年は少子化のため、旗当番の回る頻度が増えて大変そうでした。
最初の頃は月に1回だったのに、最近では2回やることもしばしば。
ダンナさまもお疲れさまでした!

そうしていよいよあさってがもっくんの卒業式です。
泣く予感は全然していませんが。。。
はたしてどうでしょう??

入試終了\(^o^)/

りーちゃんの実技試験でした。
昨日がデッサン4時間。
今日は平面構成と立体各4時間。
いやお疲れさまでした。
って、まだ帰宅していません(^^;

なにせ14倍なので、ほぼ記念受験ですけれども。
本当はあまり乗り気ではなかったのに、よく最後まで頑張ってくれました。

やっと思う存分羽根をのばせるね!

いらない

昨日の午後、白川公園に行ってきました。
反原発集会です。



組合からの動員ででかけたわけですが、2年前に比べるとやはり人数は少なくなっています。
南相馬の方、弁護士さん、反原発ラッパーの方、など、いろんな人のお話が聞けました。
あれほどの災害を経験しながら、なぜ原発をやめられないんだろう。
廃炉への道のりは長く、汚染水は垂れ流され、人々から故郷を奪い、健康被害には蓋をして。
利権?
子どもたちの未来を、汚さないでほしい。
そんな思いを新たにしたのでした。
プロフィール

ステファニー

Author:ステファニー
プロテスタントのクリスチャンです。
佐藤たけるさんおたくです。

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