会話とワンオク

高校生との会話。
 
「ステファニーさんって、ワンオク好きなの?」
「うん、好きだよ。」
「ええ〜!割と年代的にあんまりないよね?」
「そう?」
「ステファニーさんはどの曲が好き?」
「う〜ん・・・今のなら、Be the Lightかな?」
「おおぉぉぉ!キタ━(゚∀゚)━!あれ、いいっすよね!!!俺もあの曲スッゲー好き!
日本語訳読んでマジ泣いたし!」
 
世代を超えて共感できるってほんとに嬉しい
彼は一緒にいたお友だちにも猛烈にワンオクをおすすめしていましたw
 
ワンオクのヨーロッパツアーも終わったようで。
各地で大盛況だったらしいですね
結構動画が上がっててびっくりです
あちらのファンの方たちの歓迎ぶりがまたすごくって、フランスでの話ですが、Be the Lightの時に観客が全員手に白い折り紙のゆりを高く掲げて、それを見たTakaは感涙にむせんで一時ステージから下がったという話を聞きました。
また、舞台に投げられたプレゼントが・・・・・とか(//∇//)
 
ONE OK ROCK。
海外公演を終えて、また一回り大きくなったことでしょう。


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右腕が

なんか上げづらいんです。
もしかして○○肩とか???
ってダンナに聞いたら、○○肩は痛くて動かせないから、違うって言われました。
うん。
動くことは動く。
ただ、高くあげようとすると、なんか抵抗感があるというか、痛いというか。
「要は」(←)上げづらいんです。
 
仕事上割と腕を高くあげますし。
振り回します。
ちょっとこれ、どうにかならないかしらん。
 
最近、ポカも多くて、このまえなんて上司に出したちょっとしたメモ程度の書類なんですが、3つ出して3つとも返ってきました。
記載漏れが二つと、様式間違いがひとつ。
「すみません。
出した書類がことごとく不備で・・・」
と誤ったら、
「もう笑っちゃったよ〜」
と返されました
 
今日は机の角に激しく大腿部をぶつけて青あざ作ったし・・・
 
う〜む。
くたびれてきた体(と頭)とうまく付き合わないとね〜。

たけてれ vol.22

佐藤さん不在のたけてれなんて・・・って思ってませんでしたか?奥さん!!!
正直、私、ちょこっと思いました。
 
これがなんと!
予想を裏切る破壊力の佐藤さん秘蔵映像で、やられました
 
う〜ん、椿本さん、策士だなぁ〜
 
まずもって、普通に佐藤さんファン・・・ていうか佐藤さんオタクの広大くんに裕太くん
もうほとんど崇拝してます。
信者です。
佐藤さんが触ったタブレットなんて畏れおおくて、はじっこしか触れませんもの。
「俺、唇好きなんだよね〜」とか、何
Tシャツ、私にもくださいw
 
撮影の合間にくつろぐ佐藤さん。
肉から目をはなさない佐藤さん。
お疲れのせいか省エネモードの佐藤さん。
ししゃも、そんなに好きなのか?
田楽、知らなかったのか?
 
クエン酸のときに背景に見えてた黒いシート。
風をはらんで、切れ目がはっきり見えていましたが、あれ、日野川ダムのほとりだと思うんですが。
スタッフさんが風にあおられながら苦労して張ってた幕。
そのままでは風を受けすぎて敗れるから、少し風が抜けるように、カッターで切れ目を入れてましたから。
浴衣姿、素敵です
 
かと思うとマネさんにはドS発言wwwww
仲良しさんなんだね。
 
最後にロゴ募集のお知らせがありました。
一応心に留めておこう^^

10月20日 早朝礼拝

コリント人への手紙第1 1章 1〜3節
「聖徒として召されたもの」
 
「神のみこころによってキリスト・イエスの使徒として召されたパウロと、兄弟ソステネから、
コリントにある神の教会へ。すなわち、私たちの主イエス・キリストの御名を、至る所で呼び求めているすべての人々とともに、聖徒として召され、キリスト・イエスにあって聖なるものとされた方々へ。主は私たちの主であるとともに、そのすべての人々の主です。
私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたの上にありますように。」
1:1〜3
 
これはコリントへの手紙の冒頭のあいさつです。
書いているのはパウロ。
同労者ソステネについても触れています。
みなさんは自己紹介をどのようにしますか?
 
私であれば、「名古屋西福音自由教会牧師」と言う場合もあれば、「NPO法人恵泉会理事長」と言う場合もあります。
肩書きによって、その人が何に取り組んでいるかがわかります。
そして、共通の接点や興味の方向がわかり、距離が縮まります。
 
「使徒として召されたパウロ」。
パウロは、そうなりたかったからではなく、召されて使徒とされました。
神のご計画によって。
受け身、とも受け取れます。
が、ここに、「主体は神様である。」ということが表されています。
彼の人生観が出ています。
進学、就職、結婚・・・それらの決断は自分がするのですが、その背後には神の導きがあることを忘れてはいけません。
 
ソステネはコリントの教会とかかわりのある人でした。
そして、この手紙がパウロ個人のものではないことを示しています。
協議会の文書を送付するときに、私たちは、「日本福音自由教会 役員一同」と、同労者の名前を連ねて書いています。
これが個人の働きではなくて、共同の働きだということを示すためです。
自分と共に働く人が意識されることが大切です。
 
この手紙は「神の教会」へ宛てて書かれました。
パウロとコリントの教会を結ぶ共通項は「神の」という言葉です。
 
先日福音自由教会のアジア会議というものに出席してきました。
なぜ「アジア会議」なのか?
私たちはみなイエスによって弟子にされた群れであり、アメリカのEFCの働きによって生み出されたという共通項があるからです。
 
「神の」とは、「神が所有する」という意味であり、「すなわち、イエスのみ名をいたるところで呼び求めて」いる人々の群れです。
コリントだけでなく、アジア全体の教会を意識しながら、パウロはコリントを見ています。
私たちも、この、あま市から中部の、日本全体の、海外の教会をも覚えていきたいと思います。
全ての人々とともに。
地域を、時間軸を超えて存在する「真の教会」、目に見えない教会のことを。
時代や地域を超えて、イエスを呼び求める人々の群れが、教会です。
主が与えてくださった接点を大切にして、働きを勧めましょう。
今、私たちは、南教会、大治GC、尾張旭、フィリピン教会と交わりを持っています。
 
パウロは使徒として召され、コリントの人々は聖徒として召されています。
聖徒とは、聖なるものとされた人々です。
聖い、とは、神とつながっている、神の所有とされているということです。
 
想像してみてください。
もしも、きれい好きな人が汚い家に住んだら、その家はどうなっていくでしょう?
汚いところをきれいに片付けていくでしょうね。
逆に、汚くても気にならない人が、きれいな家に住んだら?
もとはきれいな家であっても、だんだん汚れていくことでしょう。
 
聖なる神が、汚れた場所、私たちの内に住んでくださったら、そこは本来のきれいな姿に戻るようにしてくださるはずです。
聖なる神につながることで、「聖徒」と呼ばれるように変えられ続けていくのです。
「聖くなってから、神につながる」のではなく、「神につながるから、聖く変われる」のです。
 
キリストは、「全ての人々の主です。」
この世界には「自分とは違う」人が大勢います。
でも、すべての人が聖徒とされます。
すべての人は、必ず良い方に向かっていくことができます。
その自覚をもつことが大切です。
自分の内にある、ふさわしくないものは、神との交わりの中で、やがて解決されていきます。
 
前にもお話しましたが、「聖徒とされた」というのは、「入学すること」に似ています。
入学しただけでは、まだなんの教育も受けていないので、何も変わってはいません。
その学校で教育を受けて、必要な経験を通して、身につけていくために入学するのです。
私たちも同じです。
クリスチャンは、すべての事の中で、学び、訓練を受けて、成長するように導かれています。
課題はあってもいいのです。
自分にとっての「課題」がわかることこそが、「よい方向に変えられる」ことへの第一歩だからです。



続々と・・・

昨日本屋さんで買ってきた雑誌の袋を見つけたもっくんが
「いったいどんだけ買ってきたの!?
いくらした?
5千円ぐらい?」
 
そんなにはしませんでしたけど、4千円弱
だって、こんな素敵な佐藤さんが私を見つめてるんですよ〜
 
 
 
 
 
Dsc_1663
 

CanCamにJUNONにシネマスクエア。
このほかにもTVガイドと映画秘宝を買いました。
 
記事を読む暇がないんですけど
とりあえず写真を味わいますw

遠近両用

私、昼間はコンタクトです。
裸眼では0.1も見えませんが、1.5ぐらい見えます。
 
ということは、お年頃ですのでどうしても近くが・・・
 
が、このところ遠近両用状態なんですw
 
世間では実際遠近両用コンタクトという代物もあるらしいですが、そうではなく。
 
先日うっかり片方コンタクトをなくしました。
で、予備に置いてあったコンタクトを装着しますと、これがちょっと度が弱め。
 
ということは、片目だけちょっと目が見えにくい状態なんですね。
ところが、言い換えれば、そっちの目は近くが見やすいというハッケン
 
実は、前回コンタクトを買い換えたとき、眼科でも勧められたんですよ。
ちょっと左右で度を変えるのもアリだって。
今の状態になって、本当に本を読むのにストレスが減ってますもん。
 
もし頭痛とか変調がなければ、しばらくこれでいこうかな?

鮎〜♪

日曜日、例年のごとく行ってまいりました。
例年のごとく「岡部やな」^^
毎年通っておりますが、ちょっとずつ値上がりしてるかな?
今は一人前3、000円。
 
お刺身。
甘露煮。
フライ。
塩焼き。
魚田。
鮎雑炊。
 
これで鮎10匹
 
今年は・・・見事に写メり忘れました〜
ま、2年前の写真を見ていただいても一向に差し支えありませんw
 
いや、例年のごとく、美味しかったです〜

10月13日 聖日礼拝


創世記 3章20〜24節
「救いの希望」
 
先週は、「私の存在そのものが神の栄光を証するために、そこにおかれている。」ということを学びました。
そして、私の祝福によって、すべての人が祝福されるようにと祈ることができます。
アブラハムへの主の言葉、「私が示す地へ行きなさい。」と語られたように、私たちも、日本の因習から出て主への道へと進むようにと言われています。
「その名は祝福となる」と言われたように、アブラハムと同じように、主は私たちにもしてくださいます。
「あなたによってすべての人が祝福される」という約束を自覚しましょう。
神の作品として、地域や周りに人の祝福とされるように求めましょう。
そのためには、使命を自覚することが大切です。
 
自分の存在が「呪い」であるかのように感じられることがあります。
人は、神以外のものにより頼み、自分の判断で歩んだ結果、死ぬべき存在になりました。
ここで、思い違いをしてはいけません。
「罪を犯したのは神の責任だ」という人がいます。
「蛇が勧めたから。」「女が食べるように言ったから。」と、責任を転嫁するのが人です。
それをさかのぼっていくと、そもそも蛇を造った神が悪いのか?というわけです。
あるいは、「善悪の知識の木」を置いた神が悪いのでしょうか?
 
アダムとエバは、それまでもずっと木を見ていたのに、蛇に言われたとたん、心がくすぐられました。
 
人生の悩みや困難も、神が悪いのでしょうか?
良くないことが起こると神を恨むのは、この世の人々の姿です。
 
「祝福」と「呪い」の違いは何か、明確に理解する必要があります。
 
人は造られたとき、すべてを与えられ、すれを管理する役割が与えられていました。
これが祝福です。
では、呪いとはなんでしょう?
「意図的に苦しみに合うように仕組むこと」ではありません。
呪いとは、はじめに与えられた祝福が、ひとつ残らず失われることです。
祝福は無償で与えられるもの。
それが、ひとつ残らず奪い去られるとはどういうことでしょうか?
なぜ祝福の手が取り去られたのでしょうか?
それは、神には罪あるものを祝福することはできないからです。
「食べたら必ず死ぬ」という明確な基準を与えられたのに、人はそれを無視しました。
神は約束を守られます。
 
神の祝福がある世界と、ない世界を例えてみましょう。
今は昼間ですが、太陽が沈んだあとは夜になります。
そこは暗闇です。
私たちの世界そのものには変化はありません。
姿かたちも、建物も変化するわけではありません。
それなのに、昼間は見えるものが、夜は見えなくなります。
光を失うと、色を失い、見えなくなるのです。
そこに、存在はしているのに、見えないのです。
 
光(=神)の下にあるとき、人は恵みをいただき、見ることができます。
しかし、暗闇ではものが見えません。
一部だけをテラスことはできるかもしれません。
でも、世界全体を照らすことは、人にはできません。
呪いとは、神の祝福が届かない状態です。
なぜ届かないのか?
それは罪が邪魔するからです。
 
悔い改めという言葉がありますが、それは「向きを変える」という意味です。
明るい世界にいても、闇を見ることはできます。
太陽に背を向けると、闇の中にいるような生き方になります。
太陽に背を向けると、見えるのは自分の影です。
本当の自分ではなく、自分の暗い部分が見えます。
太陽の方を向くと、影は後ろにあるのに、見えなくなります。
神の方を向くなら、祝福があるのです。
 
「さて、人は、その妻の名をエバと呼んだ。それは、彼女がすべて生きているものの母であったからである。」創世記3:20
 
エバ。
彼女の最初の名は「女」でした。
第二の名は「母」すなわちエバでした。
すべての生き物の母だからです。
呼び名が変わったということは、今までとは違う関わりができたということを表しています。
彼らは命の木への道を閉ざされ、エデンから退けられました。
無償で与えられた祝福を、手放さなければならなくなりました。
これが「呪い」です。
 
主は、彼らが「永遠に生きないように」と言われました。
これはいじわるでしょうか?
それとも配慮でしょうか?
 
昔ある映画を見て衝撃を受けました。
それは、「永遠の命」を得た人の話でした。
機械を使って老化しなくなった主人公は、700年ぐらい生きていました。
そのあいだに、愛する人は次々に死んでいきます。
ある時、彼はプログラムを書き換えて、自然に老いて死ぬようにした・・・というストーリーでした。
「永遠の命」とはどういうことか、考えさせられる映画でした。
長く生きること、は、祝福でしょうか?
病や苦しみを持ったまま死ねないのは悲劇です。
人生に終を付けたのは、神の愛の配慮です。
そして、御子による救いによって、神との交わりを回復してから、永遠に生きるようにしてくださいました。
祝福がないまま永遠に生きたとしても、それは幸せなものとはいえないでしょう。
神の守りの中で生きることこそが天国なのです。
 
「神である主は、アダムとその妻のために、皮の衣を作り、彼らに着せてくださった。」3:21
 
ここに救いの希望のメッセージが書かれています。
主はふたりに皮の衣を用意して、裸をおおってくださいました。
人のために動物を殺された・・・これは生贄による罪の赦しへとつながるものです。
「罪の支払う報酬は死である。」という教育の第一歩でした。
神は罪あるものに何をしてくださったのでしょう?
ただ「赦した」だけではありません。
「皮の衣を着せて」くださいました。
神との交わりを回復するようにと、イエスは死んでくださいました。
皮の衣、つまり愛の心で包んでくださいました。
 
罪を「指摘」しても、人を変えることはできません。
神がなさっていることを、自分の指針にしましょう。
人が、立ち戻れるように、変わるチャンスが必要です。
そのために祈ることを、声をかけ、交わりを築いていくことが必要です。
解決のために犠牲を払う覚悟を示すこと。
それが祝福のもといであり、私たちがすべきことです。
 
自らの祝福のためだけでなく、だれかの為に祈っているでしょうか?
愛の心を動かしているでしょうか?
互いに愛し合いましょう。 



それが神の作品としての使命です。
そうするときに、神が生きて働いておられることがわかります。
他の人のためにいきるという意識を持ちましょう。



始まった

Dsc_1676
 
「カノ嘘」公開に向けて、雑誌ラッシュの始まりです。
 
QLAP・・・・・・これはマジでやばいです
剣心になるために伸ばしている髪を、束ねていることが多い佐藤さんですが。
 
QLAPでは下ろしていて、もう女子にしか見えないという衝撃
束ねてお団子も好きですけど、まさかこんなになってるなんて・・・・・・・・・
もうどうしたらいいかわかりませんw
ただただ見とれるのみ。
 
(*´д`*)

秋の旅♪滋賀県日野町

ロケ現場で見られたのはそんなところですが、実は多少「聞く」こともできたのです
あー、残念ながら佐藤さんのお声はまったく聞けてませんが、森の中で行われている撮影の様子をちょっとだけ味わうことができました。
 
「よ〜い!スタート!」カチンコ
とか、
「はい!OK!もう一回!」
とか。
戦っているらしい声や武器の音。
さらに!巨大扇風機「ひまわりちゃん」が風おこしをしていると思われるゴォーーーーという音。
 
ああ、ここで、今、映画を撮ってるんだなぁ・・・という臨場感はありました
 
さて、1時をとっくに回った頃、お昼ご飯に。
一昔前の「るるぶ」に載っていた近江牛のお店「岡崎」に入りました。
 
Dsc_1657
 
焼肉丼。
おいしそうでしょう?
ボリュームもタップリでした^^
 
食後は、先ほどの日野川ダムに近い馬見岡綿向神社へ。
お祭りの時には山車が並ぶという芝が広々とした明るい神社でした。
 
Dsc_1658
 
本殿の屋根がちょっと変わっていました。
前に植わっている榊が立派なこと
 
Dsc_1659
 
敷地内には蓮の池もあって、なかなかおもしろかったです。
 
あとは一路自宅へ。
今回もなかなか盛りだくさんで有意義な(主に私にとってw)旅でした。
お付き合い下さったみなさん、ありがとうございました

プロフィール

ステファニー

Author:ステファニー
プロテスタントのクリスチャンです。
佐藤たけるさんおたくです。

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