続報

学校から帰ってきたもっくんを迎えたおばあちゃん。
なんとなく眠そうな様子に、
「最近、睡眠不足なんやないの?
寝やあ。」
と勧めたところ、素直にお布団に入ったらしい。
 
仕事から帰り、夕食の支度をしていたら、昼寝から起きたもっくんがキッチンに入ってきました。
 
「おかえり。」
「ああ、寝てたんだって?」
「なんか眠みい。
てか、暑いんだけど。」
「え?暑くなんてないよ。」
「いや、体が。」
 
腕を触ってみると、お布団から出てきたばかりということを差し引いても、熱い。
首筋を触ると、これまた熱い!
 
「ちょっと、熱あるんじゃない?
測ってみて。」
 
測ったら、38℃超えてました
 
今は熱さまシートを貼って、氷枕をして寝ています。
こうしてみると、昨夜の夜驚はこの予兆だったのかな?


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夜驚症?

ついさっき。
もっくんがむっくり起き上がってこちらに歩いてきました。
 
「やばい。」
「ん?どうした?」
「やばいんだって。」
「何が?」
「パソコンの・・・」
「?」
「待って!!!」
 
何かに怯えている様子。
 
「大丈夫だよ。お母さんいるから。」
「うゎ・・・。」
「大丈夫。」
 
普段なら絶対ハグとかさせてくれないのに、一瞬膝枕したり、ぎゅっと抱きしめたり、背中をさすったり。
そのうちに私を背もたれにしてうとうとし始めました。
 
「もういい?お布団に行く?」
と誘うと、穏やかに立ち上がって布団に入り、そのまま寝ていきました。
 
ふーみんは小さい頃、高熱があると、こんな状態になったことが時々ありました。
ああ、もっくんも高熱の時あったな。
でもこんな、なにもない時にせん妄状態になったのは初めてなので、ちょっとドキドキしました。
たぶん夜驚症だとは思いますが。
しばらく様子を見たいと思います。


4月21日 聖日礼拝

創世記1章1節 
「天地の創り主」
 
「初めに、神が天と地を創造した。」1:1
 
2013年度に入って、聖書の冒頭の創世記から、創造主がおられることをマンで行きたいと思っています。
日本の歴史を考えていくときに、キリスト教はフランシスコ・ザビエルが種子島に来たことによって伝えられたと言われています。
九州には多くのクリスチャン、当時はキリシタンと呼ばれた人々がいました。
その中には大名も含まれています。
初めのうちはキリスト教は、西洋文明の訪れと相まって、権威者とよい関係を保っていました。
しかし、江戸時代に入り、キリスト教禁止の高札が掲げられて禁令が敷かれました。
実は旧美和町にもキリシタンの遺跡があるのをご存知でしょうか。
もう人々の記憶の彼方に忘れられている中に、多くの戦いがあったのです。
 
一方で、無意識の記憶に刷り込まれているものがあります。
なぜ日本人の多くは、「キリスト教の教えはよいものだ」と認めながらも受け入れようとしないのか。
そこには歴史的背景があります。
 
聖書では「創造主」が明確に示されています。
戦国時代には、神を「天主」と呼びました。
一方でお城は天守閣と呼ばれ、そこにいる殿様は「天守」あるいは「天主」と呼ばれていました。
最も高いところにいるのが「天主」です。
聖書の神も天主、また天帝と呼ばれたこともあります。
そんな時代、神がすべての人を等しく作られたという考え方は、身分制度と相いれませんでした。
そこで為政者はキリスト教を排除しようといました。
幕府は「五人組制」という体制を作りました。
その主目的は、キリスト教の禁令を徹底させることでした。
家長5人の中で、ひとりでも罪を犯せば、他の4人も連帯責任を取らされたのです。
町内会単位でもそれは徹底していました。
 
私は「人別帳」というものを見せてもらったことがあります。
そこには、たとえば、
「七宝村沖ノ島間曽   ○○衛門
           妻 △△
           子 ○○
             ××
             △▽
        計 男 2名、女 3名、犬 1匹」
というように記載されていました。
家族構成、さらに家畜も書かれています。
そして最後には、
「以上、この中にキリシタンはいない。
 もしいたら、いかなる仕置も受ける。」
という内容を書いて、届け出たのです。
これを破った場合、男は7代に渡る監視を受け、女も3代に渡る監視を受けました。
 
明治時代になり、禁令が解かれると、浦上で3,000人の隠れキリシタンが見つかりました。
愛知県でも、小原村にもいました。
全国各地にキリシタンはいたのです。
そこで取った明治政府の政策はこうです。
政府は
「文明が入ってくるのはいいが、キリスト教しそうが入ってくると、今の体制が崩れるのではないか?」
と、日本が西洋の属国になることを恐れました。
文明は入れるが、思想はシャットアウトする。
そのために考えたのが、生物学者エドワード・シルヴェスター・モースを東大教授として招き、全国を回って講演させたのです。
「人は神が創造したのではない。進化したのだ。」と。
 
政府はこの考え方を織り込んで教育しました。
時の文部大臣、森有礼は暗殺され、その後軍国主義が台頭していくのですが、彼が手がけた明治の教科書には聖書の内容が盛り込まれていました。
結局その教科書は日の目を見ず、御蔵入りになったのです。
私はその本も見せてもらいました。
こうして政府は天皇を中心とした国家体制を作っていったのです。
 
日本は希な民族です。
先進国の中で、これほど多くの宣教師が働いているのに、クリスチャンが1%にもみたないということで。
その理由はふたつあります。
 
まず、250年に及ぶキリスト教禁令によって、「キリスト教は怖い」という先入観が刷り込まれていることです。
今も、「子どもは教会に行ってもいい」と言うのに、クリスチャンになることには反対する親御さんはたくさんいます。
「教会に行けばいい子になるのではないか。」
とい期待しながらも、
「クリスチャンになったら結婚できなくなる」
などと言うのです。
深入りすると危ない、ということが精神構造に刷り込まれているからです。
 
第2に、「天地創造なんて、非科学的でおかしい。」という考えです。
ご存知のとおり私は牧師家庭に育ちました。
先日Yさんの葬儀で、八事斎場へ行く途中、ご遺族の方と車の中で話をしました。
その方は
「なぜ牧師になったのですか?」
と聞かれました。
いいことを聞いてくれたと思いました。
「実は、私は神を信じた経験はないんですよ。」
と答えると、きょとんとしていました。
「○○さんは、ご自分にお父さんとおかあさんがいることをいつ信じましたか?」
と尋ねると、またキョトン。
「何年何月何日からそう信じているのか?」
そんな記憶は私たちにはありません。
物心ついた時から、この人たちが父であり母であると受け入れているからです。
私も、「信じる、信じない」ではなく、疑いようのない事実として、創造主を受け入れてきました。
 
でも、高校、大学の時にそれを確認するできごとが起きました。
親しい友人から質問を受けて、
「神がいるというなら、見せてみろ」
と言われたこと。
また、高校最初のホームルームの時間にはこんなことがありました。
「将来何になりたいか、もう決まっている人はいますか?」
という先生の質問に、ふたりが手を上げました。
私と、高橋という生徒です。
私は牧師になると言い、彼はお坊さんになると言いました。
その時間が終わったあと、彼は私に握手を求めて言いました。
「君は牧師の息子だから牧師、僕は寺の息子だから坊主。
 仲良くしよう!」
と。
内心複雑な気持ちでした。
たまたまそこに生まれたから、自分はキリスト教を信じているのだとしたら?
自分が当たり前としてきたことは、本当にそうなんだろうか?と。
そこから信仰の旅が改めて始まりました。
創世記1章1節から始まり、様々な本も読みました。
もし創造主がいるのなら、捉えることができるのではないかと考えました。
 
「それゆえ、神について知られることは、彼らに明らかです。それは神が明らかにされたのです。
神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。」
ローマ1:19,20
 
見えない神を知ることができると、聖書自体に書いてありました。
「科学とキリスト教」という本も読みました。
自然科学を発達させた人々はほとんどがクリスチャンだったと知りました。
彼らが知りたかったのは、「どうやって神の存在を確認できるか」ということでした。
そのために、被造物の中に証されていることを調べていきました。
中でも、ケプラーには感動しました。
ケプラーは天体配列の法則性を発見した人で、牧師の息子でした。
牧師になるか、天文学者になるか迷った末、彼は天文学を選びました。
天体の中に秩序があるなら、神の存在を間接的に証明できると考えたからです。
私は、「なんとなく信じる」のではなく、自分が拠り所としていることが確かのものだと分かり、いろんなことを考えました。
 
当時、命の問題の研究が進んでいました。
「ヒトゲノム計画」が遂行されていました。
ヒトの染色体はすでに解析され、染色体の働きもわかっています。
それは遺伝子診断、遺伝子治療へと応用されつつあります。
しかし、それは「命の選別」につながるのではないかという、生命倫理の問題を提起しています。
命を調べている人々は、命が偶然誕生するなんてありえないと考えています。
 
私たちが学生時代に学んだのは進化論でした。
今では進化論を決め付ける記述はだいぶなくなっています。
高校生物の教科書(東京理科)の、[まとめ]の項目にはこう書いてあります。
「小進化は証明されているが、種を超える大進化が起こるかどうかの証明は今後の課題だ。」
と。
 
なぜ明治政府は学者を読んで講演させたのでしょう?
彼らは、キリスト教の土台がどこにあるのかを理解していました。
創造主の存在さえ否定すれば、あいまいにすれば、キリスト教は「良い教え」にとどまると考えたのです。
 
意識の中で、判断力を持つことが大切です。
天地を創られた創造主がいるという世界観がありますが、学校では学べません。
生命学者は「偉大な知恵」の存在を認めざるをえなくなっています。
遺伝子工学の村上氏は
「命の背後に叡智の存在がいることは疑いない。」
として、Great Somethingと呼んでいます。
「神」と呼ぶと、宗教の領域に入ってしまうからです。
 
0.2μの染色体に、生物のすべての設計図が入っています。
立派なものほど、作る前に、完成したものを思い描いた設計図がなければ作れません。
それは合理的な発想です。
「下等な生物から進化した」という価値観と並べてみて、どちらが自分の人生観の土台にすべきものかを決めるべきです。
私は大学の時に選びました。
 
私たちは偶然ここにいるのではありません。
自分は価値のある存在だと、感謝し感動しながら生きていきましょう。



ありがとう。

GW初日の今日。
私は一日、仕事もなくてヒッキーでした。
ダンナは一日仕事。
娘二人は仲良く名古屋へショッピングに。
息子は午後からドラゴンボールヒーローズの大会へ。
 
晴れてお一人様時間をいただき、2時間ほど昼寝させていただきましたw
 
さて、帰宅した娘たち、
「おかあさん、これ」
 
 
 
Dsc_1352
 
 
 
「母の日の。早いけど。」
って・・・
うれしい・・・
すごくうれしい・・・。
 
中身はクッキーかな?
普段は憎まれ口を聞いたり、言葉の暴力で苛めてくるふたりだけど、優しいところもあるんだよね。
ほんとうにありがとう


長い一週間

今週がとてつもなく長いんですが。。。
仕事をきつきつに詰めて、出張あり〜の、子どもの授業参観あり〜の、組合の仕事あり〜の。
りーちゃんの週3補習に合わせてお弁当を作るのもあわただしいし。
くたくたですわ
 
で、今日は小学校の授業参観&PTA総会&学年懇談会でした。
社会の授業は日本の国土について、白地図を埋めて気づいたことを発表したりクイズを出したり。
なかなか面白かったです。
もちろんもっくんは挙手しませんけどね
 
PTA総会は、あれで「総会」と言えるのか?というほど閑散としていて・・・。
ま、参加した私とて、真面目に話を聞いていたわけではありませんが。
 
学年懇談会。
5年生は3クラスあるので、90人近くいるはずですが、教室に集まったのは8人www
毎年参加する人はほぼ決まってるので、お互い
「あ、今年も来てるな。」
っていう感じです。
私なんて、ふーみんが入学してから途切れることなく小学校に子どもがいるので、かれこれ15年目ですのよ
 
毎年この席で、私が言い続けてる要求。
それは
「学校徴収金を銀行から落ちるようにしてください。」
ってことです。
ほんとにこれ、もう10年来訴えてる気がする。
先日も、集金袋に1万円入れて持たせたんですが、やっぱり不安を感じると思いませんか?
市内の中学校は銀行振り落としなんですよ?
同じ市内の小学校でなぜできないんだろう???
先生方だって、人のお金を扱うのはいやだと思うんですが。
今日の感触だと、転勤してこられた先生は、同じように疑問を持たれるようでした。
うちはあと2年で小学校とはおさらばですが、ここは改善してほしいなぁ。
 
さあ、明日でやっと今週(の仕事)が終わるよ
明日もめっちゃ忙しいことが確定してるけど、頑張るよ


リアル完成披露

昨日行われたのかな?
 
今朝、各局のWSエンタメニュースで流れたようです。
私はZIPしか録画してなかったよ〜
 
そして、眠いから寝ます


最近の私

Tumblrというのを始めております。
前回のTAKERU TV(Happy Birthday TAKERU!)がきっかけで。
 
以前から、素敵な画像を見かけると、出処がTumblrだということがちょくちょくあったので、sato takeruタグでブックマークしていたんです。
ある日そのタグ付き動画でTAKERU TVの「写真コーナー」の一部が流れてきてびっくり
しかもそこに、「え?まさかこれって私が描いた絵!?(英語)」というコメントがついていたんですよ。
 
あのタケテレ時、ロシアから素敵な絵を送られた方がいましたよね?
なんと、その方だったんです
 
その方は日本語がわからなくて、佐藤さんが何をしゃべってるのかわからない。
せっかくあんなに褒めてくれてたのに、なんとかそれを英語に訳して伝えたい・・・
と思い、アカウントを取ってTumblrを始めました。
 
そこには世界各国からの佐藤さんファンが集っていました。
ロシア、韓国、インドネシア・・・。
まさに「クローバル」
 
まだ使い方をマスターしきれていませんが、少しずつ交流が広がっています。
いつの日か、佐藤さんのイベントで海外のお友だちと会える日が来たりしたら素敵だなぁ

結局・・・

まんまと買わされています・・・・・
 
 
  
 
 
 
  
 
 
 
Dsc_1351
 
 
 
 
一番上に乗っかってるこのAJという雑誌。
韓国、台灣と日本をつなぐエンタメ雑誌って感じなのかな?
アミューズのアジア進出ぶりがよくわかりますよ。
 
雑誌を買う私的基準としては
 
・文字が多いの
・写真がグッとくるもの
・プレゼントにサイン入り写真があるもの
 
ってのがあるんですけど、このフィルターではほとんどが通過してしまうという・・・
あな恐ろし。


4月14日 聖日礼拝

詩篇 103篇 1〜22節
「わがたましいよ、主をほめたたえよ」
名古屋福音自由教会牧師 平井聖歩師
 
愛知県に来て1年になります。
この西教会から歩み出すことができたことを感謝しています。
名古屋教会に赴任してからの9ヶ月はあっという間に過ぎました。
早いと思います。
西教会を訪れると、この教会が、「仕える教会」として地域に火を灯していることを思い出します。
服部牧師からは「器が大きな者になる」ようにと教えられました。
人を愛すること、地域の方々を愛して、愛を実践するという点で器を大きくするということです。
そして、昨年の6月にここから送り出してくださったこと。
祈りの中で名古屋教会での働きに就けたことを感謝しています。
 
3〜4月は大きな変化のある時です。
学生、社会人の方々を送り出したり迎えたり。
さみしさも感じますが、遣わされた場所を覚えて祈れることは感謝です。
主のめぐみに感謝することが、生活に活力を与えてくれます。
 
さて、ダビデが老年になった時にこの詩篇を歌いました。
 
「わがたましいよ。主をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。
わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」
103:1、2
 
この詩篇の中には「主をほめたたえよ。」という言葉が6回。
「聖なる御名をほめたたえよ。」という言葉も加えると、7回も出てきます。
創造の目的は、「主をほめたたえることだ」と、ダビデは心に刻んでいたからでしょう。
 
ここでダビデは自らの魂に呼びかけています。
不思議ではないでしょうか?
「私は主をほめたたえます。」といえばいいのに、わざわざ自分に呼びかけているのです。
ダビデは自分の深い部分に向かって命令します。
なぜでしょうか?
 
ルカの福音書には、ツァラートという皮膚病を癒された10名の話が書かれています。
癒された喜びを感謝して、イエスのもとに戻ってきたのは、一人だけでした。
イエスは「ほかの9人はどうしたのか?」と言われました。
人は感謝を忘れやすいものです。
嫌なこと、辛いこと、恨みは心に残ってしまうのに、感謝は忘れてしまう。
試練や悲しいことは覚えているのに、そこにある恵みに目がいかない。
感謝健忘症。



ダビデの人生には、順調なことより、苦難の方が多かったはずです。
ゴリアテに勝利し、王座につくまでは順調でした。
しかし、サウロに追われ、命を狙われるようになりました。
「なぜ?」「どうして?」
という祈りがたくさんありました。
そのダビデが、自分に語りかけています。
これまでを振り返ったとき、感謝することに疎くなっている自分を見たからではないでしょうか?
 
「主の良くしてくださったこと」
という言葉は、原文では「主のお取り扱い」となっています。
そして、3〜5節ではその「主のお取り扱い」を数えています。
 
「主は、あなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、
あなたのいのちを穴から贖い、あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、
あなたの一生を良いもので満たされる。あなたの若さは、鷲のように、新しくなる。」
103:3〜5
 
人の心を重くするものである、罪・咎・病・死。
その全てに、主のお取り扱いが及びます。
 
ダビデの罪と咎。
ダビデは、人妻であるバテシェバを、自分の地位を利用して手に入れ、夫を戦いの最前線に出して殺しました。
彼はその罪を隠そうとしました。
その時の心情をダビデは歌っています。
 
「私は黙っていたときには、一日中、うめいて、私の骨々は疲れ果てました。
それは、御手が昼も夜も私の上に重くのしかかり、私の骨髄は、夏のひでりでかわききったからです。セラ」
32:4
 
中学3年の春のことです。
始業式のあと、校庭でガキ大将の口から、
「今年はコイツをやろう。」
という声が聞こえました。
「コイツ」というのは私のことでした。
それからは、殴る蹴る、体育祭では嫌な種目に入れられる、陰口を言われて仲の良かった友人も少しずつ離れていきました。
そのころは夜が怖かったです。
次の日を迎えるのが怖かったからです。
布団の中に入って、「いやだな。」とひとり悶々としていました。
そんな時、心の内にひとつの感情が芽生えてきました。
「あいつが死ねばいい。いなくなればいい。」
と。
 
自分で言うのもなんですが、私は小さい頃から「いい子」だったのに、そんな感情が湧いてきたことに驚きました。
 
「昔の人々に、『人を殺してはならない。人を殺す者はさばきを受けなければならない』と言われたのを、あなたがたは聞いています。
しかし、わたしはあなたがたに言います。兄弟に向かって{理由なくして}腹を立てる者は、だれでもさばきを受けなければなりません。兄弟に向かって『能なし』と言うような者は、最高議会に引き渡されます。また、『ばか者』と言うような者は燃えるゲヘナに投げ込まれます。」
マタイ 5:21,22
 
私の心にこの御言葉が浮かびました。
私は自分の汚い面を見たくない、隠したいと思いました。
気づかなかったことにできないかと思いました。
自分に嫌気がさし、絶望しました。
自分の闇に気づいたのです。
しかし、その夜、光がさしました。
それはイエスの十字架でした。
「私はあなたの罪を背負って十字架についた。
あなたは赦される。」
と。
 
イエスに目が向いたとき、
「赦されてる。生きていける。」
と思いました。
赦された者として、赦していこうと決めて、少しずつそのような営みを始めることができました。
ここに救いがある、と思いました。
 
「神よ。御恵みによって、私に情けをかけ、あなたの豊かなあわれみによって、私のそむきの罪をぬぐい去ってください。
どうか私の咎を、私から全く洗い去り、私の罪から、私をきよめてください。
まことに、私は自分のそむきの罪を知っています。私の罪は、いつも私の目の前にあります。
私はあなたに、ただあなたに、罪を犯し、あなたの御目に悪であることを行ないました。」
51:1〜3
 
この詩篇51篇から、103篇へ。
ダビデは、「全ての咎を赦し」てくださると、歌いました。
神の愛を受けて、赦されて生きることをダビデは知りました。
ここからふたつの告白へと続きます。
 
「主は、あなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、
あなたのいのちを穴から贖い、あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、
あなたの一生を良いもので満たされる。あなたの若さは、鷲のように、新しくなる。」
103:3〜5



主は私たちを作り変えることができます。
神と人を愛せるように変えてくださいます。
冠をかぶるのは王です。
主の目には、私たちは「王」であり、神とともにこの世を治める者です。
それを受けるに値しない者に与えられるのが「恵み」です。
ダビデは恵みに目を向け、「良いもので満たされる」と歌いました。
 
名古屋教会には90歳を超えたおばあちゃんがいらっしゃいます。
最近転んで、足を折り、立ち上がれなくなって自宅療養中です。
時々その方を訪問しています。
行くといつも
「イエス様が共にいてくださるから、感謝です。
希望があります。」
「いろんな人が来て、祈ってくださるから感謝です。痛みはあるけれど。」
と言われます。
神を知っているから、希望を持って気持ちは元気でいられるのです。
 
自分では「よい」と思えない経験もあるでしょう。
しかし、主が取り扱ってくださることが分かるとき、それが恵みだとわかります。
苦しいからこそ、神を求め、神との交わりが深まります。
同じ苦しみを持つ人々に寄り添うことができるようになります。
苦しみは、だれかの為にあるのであって、用いられるのです。
自分を嫌う人と相対することで、主はどれほど私たちを愛してくださっているかがわかります。
そうして、積極的に人を愛し、赦すものとして導かれます。
 
主は一生を良いもので満たしてくださいます。
全てに主のご計画があり、意味があります。
神の子として整えられていきます。
鷲のように強くされます。
老年のダビデは祈りによる力に満たされました。
神への感謝を忘れると、「自分ができる」と高ぶります。
自分の姿を見て沈みます。
平安のないジェットコースターのような人生です。
全てに恵みが注がれていることに気づくとき、感謝と平安が溢れます。
だから、意識的に心に語りかけるのです。
苦しみの中でも、主の恵みを数えるのです。
 
「主はすべてしいたげられている人々のために、正義とさばきを行なわれる。
主は、ご自身の道をモーセに、そのみわざをイスラエルの子らに知らされた。
主は、あわれみ深く、情け深い。怒るのにおそく、恵み豊かである。
主は、絶えず争ってはおられない。いつまでも、怒ってはおられない。」
103:6〜9
 
6節から、「私たち」という共同体の賛美になっていきます。
私たちは教会の交わりの中にいます。
 
「信仰によって、アブラハムは、相続財産として受け取るべき地に出て行けとの召しを受けたとき、これに従い、どこに行くのかを知らないで、出て行きました。」ヘブル11:8
 
ヘブル人への手紙では、アブラハムの歩みを立派な信仰者として描いています。
しかし、アブラハムは妻を妹と偽ったこともあり、完全無欠な人ではありませんでした。
それでも「信仰の父」とされています。
神は、罪や咎を覚えておられるのではなく、信仰によってした歩みに目を留めてくださるからです。
主は「赦された者」として私たちを見てくださいます。
父が子を憐れむように、子として「よくやった」と見ていてくださるのです。
私たちも神の民の歴史に連なるものです。
注がれている恵みを、ダビデは歌いました。
 
「人の日は、草のよう。野の花のように咲く。
風がそこを過ぎると、それは、もはやない。その場所すら、それを、知らない。」
103:15,16
 
ここからは、被造物全体による賛美です。
まるで「平家物語」の「祇園精舎の鐘の声・・・」のような部分です。
しかし、ダビデにはその先があります。
 
「しかし、主の恵みは、とこしえから、とこしえまで、主を恐れる者の上にある。主の義はその子らの子に及び、
主の契約を守る者、その戒めを心に留めて、行なう者に及ぶ。」
103:17,18
 
常に変わりゆく時代と世界の中で、永久に一貫している主の恵みが、私たちにはあります。
輝く「絶対」があります。
主を恐れる者には、それがあります。
この「恐れ」とは「恐れ入りました」という、脱帽するというような意味です。
歴史を貫く神のあり方を見るとき、ずっとつづく神の民を思ってダビデはこう歌いました。
 
「主をほめたたえよ。御使いたちよ。みことばの声に聞き従い、みことばを行なう力ある勇士たちよ。
主をほめたたえよ。主のすべての軍勢よ。みこころを行ない、主に仕える者たちよ。
主をほめたたえよ。すべて造られたものたちよ。主の治められるすべての所で。わがたましいよ。主をほめたたえよ。」
103:20〜22
 
YouTubeでこんな動画を見ました。
あるデパートで、誰かがハレルヤコーラスを歌い始めます。
すると、周囲のみんなが歌い出すのです。
まわりはその光景に圧倒される・・・という動画です。
ダビデの描いた世界はそれを超えています。
世界大のハレルヤコーラス!
 
最後にダビデはもう一度「わが魂よ・・・」と言いました。
私自身が褒め称えることが、教会へ、被造物全体の賛美へとつながっていきます。
ここに始まり、ここに到るのです。
私たちの歩みも、さみしいこと、苦しいこと、答えの出ない状況に「なぜ?」と叫びたくなること・・・いろんな経験があります。
主は苦しみの中で私たちを整えてくださいます。
その取り扱いに目が行く時感謝につながります。
すべてのことに意味があると気づき、賛美になります。
今、この地上での賛美は、天の御国の前味です。
これまでの恵みを振り返りつつ、未来を見つつ歩んでいきましょう。



スパム

以前はよくトラックバックにスパムが来ていました。
まったく無関係の記事に、芸能人のスキャンダル的なサイトに誘導しようというものが大半でした。
もちろんトラバは管理者による認証制にしてあるので、全く意味ないんですけど。
 
最近ではめっきりスパムトラバは減りました。
というか、トラックバック全般があまり行われていない印象があります。
ブログサイトでも、トラックバック用のURLが書かれていないサイトも多いですよね。
 
で、そのかわりここ1年ほど、コメントの方にスパムがどんどん付くようになりました。
大抵はH系のリンクが貼られているもの。
コメントの方は、私は認証性ではなく、認証コードを入力する方式にしています。
 
一般のコメントは、「投稿」ボタンをクリックすると認証画面に移動しますが、スパムと判定されたコメントの場合はそこには行かず、自動的に「スパムコメント」として非公開のままサーバーに保存されています。
スパムと認定されるのは、これまでにスパムコメントをしてきたIPアドレスを、管理者が登録して置く場合がひとつ。
もう一つは、管理者が「NGワード」として設定した語句を含むコメントです。
 
このNGワード、私が設定したのは数個あるんですけど、割とみなさん使われる言葉らしく、よくひっかかる方がいます
たぶんそのひとつは「www」。
これ、URLを貼り付けると含まれていることが多いので設定してるんです。
 
現在、たぶんウィークデーに毎日きっちり5件、日本語のスパムが来ます。
なんか、マメだなぁって感心してしまいますよ。
あと、外国語系のが一日1件。
毎回確実にフィルターにひっかっかってるから、表示されないのがわかってるはずなのに、ご苦労様なことです。
 
逆に、何の悪意もないのにスパム扱いされてる方、申し訳ないです。
できるだけ毎日スパムフォルダーをチェックして「公開」するようにしていますので、これにこりずにどうぞコメントくださいね


プロフィール

ステファニー

Author:ステファニー
プロテスタントのクリスチャンです。
佐藤たけるさんおたくです。

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