とろろ汁♪

きのうの続きです。
 
お昼はもちろんとろろ汁。
老舗の丁子屋さん。
 
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広間には季節感ただよう飾りが。
 
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この男性ばかりの3人の雛飾りって珍しいですよね。
何か言われがあるのかな?
 
そして、お料理
 
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この時点ではまだ写ってないんですが、揚げとろろっていうのが絶品です
摺ったとろろを揚げてあるものをお醤油で食べるんですけど、ほんと、おいしかったです
 
食後は浅間神社へ。
「浅間神社」といっても全国にたくさ〜んあるみたいですが、私たちが訪れたのは静岡浅間神社。
神部神社・浅間神社(二社同殿)と大歳御祖神社の三社を総称したものだそうです。
 
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もっと近づくと・・・
 
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そして、こちらは同じ場所にある八千戈神社。
 
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どちらもなかなか煌びやかですね。
 
 

このあと、商店街をぶらぶら歩いてみました。
案外掘り出し物があるかもしれませんからね!
すると・・・
なんかすっごく惹かれるお店がありましたよ^^
残念ながら写真をとりそこねましたが、お店の窓際にずら〜〜〜っとミニカーが並んでるの
なんかとってもマニアックな雰囲気。
看板にはEBBROって書いてあります。
入口を見てみたら、残念ながらまだ開店時間じゃありませんでした
13時からって・・・遅くない?
駐車場の制限時間が迫っていたので諦めました〜
 
帰りには石部屋さんに寄って安倍川餅を食しました。
やわらかいお餅をわさび醤油でいただきます。
できたてて、やわらか〜くておいしゅうございました
お土産に、あんこときなこの安倍川餅を買ってきましたよ。
今回も楽しい小旅行でした

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うめわか菜

今年の初デートです。

丸子宿。
かの芭蕉が
「うめわか菜
丸子の宿の
とろろ汁」
と詠んだ宿場町です。

当然お昼はとろろ汁なのですが、その前に国道1号線をはさんだ向かい側にある梅園を訪ねました。

一時閉園していたようですが、事務所に一言声をかけると中に入れてもらえます。
ちょうど見頃で、斜面に植えられた梅がみごとに咲き誇っていました。


うめわか菜
 
うめわか菜
 
うめわか菜
 
うめわか菜



どんちゃん♪

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ペーパークラフトです。
その名も「どんちゃん」という言うらしい。
 
ベイブレードからドラゴンボールヒーローズへと転身したもっくん。
最近興味を持ち始めたのは「太鼓の達人」
いつもヒーローズをやりにいくゲーセンにもあるらしく、ちょくちょく遊んでるそうです。
「100円で2回もできるんだよ!
お得じゃね?」
って言ってます
 
母としてはカード集めに血道をあげるより、そっちのほうがいいかな・・・って思ったりします。
リズム感も身につくしね


2月19日 聖日礼拝

詩篇 1篇1〜6節
「主の教えを喜びとしよう」



 
 
私たちは今まで支えられてきました。
何も無かったこの地に、協議会の協力によって、教会が建てられました。
今、他の教会に貢献できることを感謝したいと思います。
仕える教会として歩みたいと願っています。



 
 
福音自由は「協議会」を形成しています。
そこで、「協議する」ことの大切さを痛感しています。
「皆が同じであること」を求めるなら、それは難しいことです。
違ってもよいのです。
「一致する」とは、同じ考え方、同じ行動をするという意味ではありません。
協議の場に、異なる考えの者が集まる交わり、それが一致です。
意見の食い違いは多様性を表しています。



 
 
さて、先日私たちの教会では後藤先生をお招きして学びました。
み言葉を学び、味わうことこそがクリスチャンの基本です。



 
 
「幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。
まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。
その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。」
1:1〜3



 
 
今日のタイトルは「主の教えを喜びとしよう」です。
「しなさい」でも「します」でもなく。
英語で言えば"Shall we?"です。
一緒にしましょうという意味です。



 
 
ここで「幸いなことよ。」に続く「その人は」という表現が4回出てきます。
その前半は消極的な3つの言葉が続きます。



 
 
?悪者のはかりごとに歩まず



 
 
悪者に近寄っていかなかった。
まんまと罠にはまらないということです。



 
 
?罪人の道に立たず



 
 
もし悪者に近づいてしまっても、通り過ぎればよいのです。
しかし、そこに立ち止まってしまうと「幸いな人」ではなくなります。



 
 
?あざける者の座に着かなかった



 
 
立ち止まるだけでなく、さらに座ってしまう。
居着いてしまうと、もういけません。



 
 
私たちが家に人を迎える時のことを考えてみましょう。
セールスマンで、特に関心のない用件なら、戸口で応対して帰してしまうでしょう。
宅配の人ならば、玄関の中まで入れるでしょう。
ちょっとした話をするのであれば、玄関に座っていただくかもしれません。
もっと大事なお客様なら、応接間にお通しするでしょう。



 
 
ここには、私たちの興味関心が、悪に引き寄せられていく3つのプロセスが書かれています。
近づく、立ち止まる、座る。



 
 
「人はそれぞれ自分の欲に引かれ、おびき寄せられて、誘惑されるのです。」ヤコブ1:14



 
 
釣りをされる方はよくわかると思います。
魚はエサに寄ってきますが、すぐには食いつきません。
おびき寄せられて、様子を伺って、そのうちに一口つつき、とうとうパクリと食べて、釣り上げられてしまうのです。



 
 
これは罪の「習慣化」のプロセスでもあります。
一度引き寄せられる。
何度もそこに立つ。
そして、ついに座る。
つまり、罪が生活に根を下ろし、定着してしまうということです。
途中で断ち切る必要があります。
引き返せる人は幸いです。



 
 
後半には積極的な3つの言葉が書かれています。



 
 
?主の教えを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ



 
 
「口ずさむ」とは、意識せずに、口からついて出てくる言葉です。
考えて話しているのではありません。
そこに性格が出ます。
思わず口をついてみ言葉が出てくる・・・そんな人が幸いな人です。
ないものは出てきません。
聖書を読まずに神のみ心はわかりません。



 
祈っている時に、ふと心にみ言葉が思い浮かぶことがあるでしょう。
心のなかに、湧いてくるのです。
そのみ言葉によって
「もしかして主はこれを望んでおられるのか?」
と思うなら、それは幸いなことです。
大切だと思っていないものは出てきません。
み言葉を蓄えることが大切です。
だから暗唱聖句をするのです。



 
 
?水路のそばに植わった木のようだ



 
 
イスラエルには乾燥地帯が多いということを思い出してください。
植物が育ちにくい土地です。
もし水路のそばに植わっていれば、値を伸ばして水路から吸収することができ、枯れることがありません。
教会の庭にも木が植えられていますが、やはり用水の近くの木が一番立派です。
幸いなことに、私たちには聖書のみ言葉が与えられています。
いつでも日本語で読むことができます。
礼拝等で、学ぶ機会もあります。
解説書もあります。
いくらでも吸収することができます。



 
 
?何をしても栄える



 
 
「何をしても」と書かれています。
文字通り、何をしても栄えるのです。
ですから、私はみこころを求めて祈りながら思いついたことは、なんでもやります。
なんでも祝福されるからです。



 
ただし、条件があります。
 
「悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。
まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。」
 
そういう人に対しての約束です。
悪い習慣を持たず、自然にみ言葉が湧いてくる人。
み言葉で物事を考える人。
み心を基盤にする人は栄えます。



 
 
実を結ばない人は心でこう口ずさみます。
「聖書はそう言っているけれど・・・」
「先生はそう言うけど、現実は・・・」
聖書よりも自分の考えの方が勝っていると考えているのです。
それとは逆に、
「世の中は、現実は、こうだが、主がそう言うのならやってみよう。」
と考えたらどうでしょう。



 
神が共におられるので=み言葉に立っているので実を結びます。
人の知恵や経験、自分の判断で答えを出す人は、神の実を結べません。
「もし主がここにおられたら、どんなアドバイスをされるだろうか?」
とイメージしながら物事をじっこうするなら、その人は栄え、実を結びます。



 
 
神のみ心が何かを中心に据えるよい習慣をもちましょう。
昼も、夜も、すなわち、いつでも。
必要なみ言葉を精霊が思い起こさせてくださいます。
時には人の意見を通して語ってくださいます。
異なる意見や議論のなかに主のみ心があることもあります。
どうすれば群れ全体のためになるかを見誤らないように。
一致と多様性を認めることができるように。
み言葉で考え、生きることを習慣にしていきましょう。



スパート・・・なのか?

りーちゃんの塾通いは、普段は週に2回。
水曜日と木曜日にそれぞれ1時間ずつ。
英語と数学をやってきます。
 
今週はいよいよ出願を済ませ、新聞にも志願者数と倍率が掲載されました。
入試は3月の中旬。
 
ということで、塾では3月下旬の分の授業を前倒しして、2月末から3月初めに振り替えてくれています。
なので、今週のりーちゃんは水、木、金、土と毎日塾。
定例の水と木には、授業後自習室で1時間ずつ余分に勉強してきました。
お友達と一緒にやってるので、どこまで効果が上がっているかはわからないんですけど。
 
家にいて、目の前でマンガ読んでたり、イラスト描いてたりするとつい小言を言いたくなってしまうし。
3DSにうち興じるもっくんに「うるさい!」と怒鳴りつけたり、やつあたりされるのも困るし。
いっそ見えないところでやってくれると、私の精神衛生上非常によろしいのです。
 
泣いても笑ってもあと3週間ほど。
悔いのないように、がんばっておくれ


きのうの献立♪

そもそも事の始まりは、この画像に写っているピンク色の物体です。
りーちゃんが、入試の過去問を解くときに使うからと、最近買ったばかりのタイマー。
 
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タイマーの上部に書かれているメーカー名にご注目
TANITA。
そう、タニタ。
 
ダンナがこれの取説かなにかを見つけて
「へえ、タニタか。
奥さん、知ってる?」
と話をふってきました。
ところがみなさん、私は知らなかったんです。
 

「何?知らない。」
「有名なんだよ。
食堂が。」
「食堂?何それ。」
「本屋に行ってみ。
たくさん並べてあると思うよ。」
「???」
 
ググってみたら、その名もズバリ「タニタ食堂」という本があるんですね!
低カロリーの定食で有名な、社員食堂。
後でふーみんにきいてみたら、ちゃんと知っていました。
ダイエットに関心が高いふーみんは、
「お金はお母さんが出すから、ふーみん、晩御飯作ってw」
というと、さっそく本を買ってきてくれました。
 
そして、本日が第1弾!
 
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ささみのピカタ定食♪
この本の優れている点は、「一品」だけじゃなくて、ちゃんと一食分の献立になっているところです。
料理は初めてのふーみんでも、本を見ながら作っていけば一汁三菜が整った食事が作れるんです
味もなかなか。
きのこのサラダがショキショキした噛みごたえのある食感で、低カロリーで満腹感が味わえます。
 
順番に作ってくれると言ってるので、これからも期待してますよ〜

入試ガイド

昨年の2月はふーみんが受験真っ只中でした。
私立の入試では、学科・デッサン・デザイン力テストを受けてきました。
 
「どうせやるなら、パンフに『参考作品』として載るぐらいのものを作ろうと思ってがんばった\(*⌒0⌒)♪」
と、制作の意気込みを語っていたふーみんです。
 
そのパンフというのは、大学の前年度の入試問題を冊子にしたもの。
学科試験だけでなく、実技の作品例の写真と、それに対する講評が掲載されます。
 
ひょなんことから2012年度受験生用のそれ、「入試ガイド」を手にした私。
もしや・・・とパラパラめくってみました。
デッサンは、明らかにふーみんの描くものとタッチが違います。
 
では、デザイン力テストは?
 
ほんわかした印象。
直筆の丸っこい文字で書かれた作品についてのコメント。
その文体。
 
もしやもしや???
 
さっそくふーみんにメールしてみました。
するとやっぱりふーみんが去年の入試で制作したものだということ
「それ、事務室に『参考作品』って飾ってあるよー」
だって。
それ、早く教えてよ
学園祭の時にでも見れたのに〜〜〜
きっともうそろそろ今年度の作品と入れ替わっちゃいますよね。
実物見たかった
 
てことで、これがパンフに掲載されていた作品です
 
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こんなところに^^

毎週日曜日、3日分のお買い物をするステファニー家。
行きつけのスーパーが改装で1ヶ月ほど放浪
やっと2週間前からもとのピア○がリニューアルオープンしました
 
きれいになったのはいいんですが、品物の配置が変わってるので、目的のものを探してあっちへうろうろこっちへうろうろ
食品を買い終えて、コンタクト用品を買おうと薬局をうろついてたら、りーちゃんがやってきて、
「さっきタケルくんに会ったよw」
「え?どこ?ほろよい?」
「違うよ」
「えーなんだろ?」
「そこそこ!」
と、指さす先をたどっていくと・・・
 
 
 
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スマイルコンタクトでした〜
なんかちょっと若くない
ロミオの色香とはまた違ったさわやかさん
こんなところでも、佐藤さんに会えるとテンションあがる、単純なステファニーでした



絶対買うべし!!!

みなさん、もちろん買われましたよね?
「ピクトアップ」
 
これ、絶対買わなきゃ損
他の雑誌5冊分の価値はあると思います
写真。
各界の方々からの佐藤さんへのコメント。
CM撮影現場潜入レポ。
そして、何よりインタビュー
 
そこで語っている佐藤さんの言葉に感動し、尊敬せずにはいられません。
ほんとにあなた22歳?
ぐるナイで見せてくれた「ふにゃん」感とか、天然っぽさと、このインタビューに見られるような冷静な分析とか謙虚さ的確さ。
全部、佐藤健という一人の人間の側面なんですよね。。。
 
この人はまだ変わっていく、進化の途上。
どこまで見届けられるのかわからないけど(私の年齢的な意味で)、佐藤さんが役者であり続ける限り、ついていきたい。
改めてそう思いました。
 
 
 
ちなみに、ふーみんにも読ませてあげたら、
「できる子すぎね?
うち、2年後にこんなふうになってるとはとても思えん。」
って


2月12日 聖日礼拝

ルカの福音書 15章25〜32節
「おまえはいつも私と一緒にいる」
                            村井義信神学生




 
先日の修養会で、後藤先生から「一言一句」にこだわって聖書を読むことを学びました。
今日の聖句もそのように読まれましたでしょうか。
私たちの役割は一人一人ちがっています。
それは神様の役割を果たすためです。
お年寄りも、子どもも病人もいる。
だから家族なのです。




 
ルカの福音書の中心聖句は
 
「人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」ルカ19:10
 
です。
この一文に集約されています。



 
 
今日の箇所は11節から始まるストーリーの一部です。
3つの例え話は、
?100匹の羊のうち、失われた1匹を探すたとえ
?10枚の銀貨から、失われた一枚を探すたとえ
?放蕩息子のたとえ

です。
 
それぞれのたとえで「見つける」という意味は、罪人が悔い改めることです。



 
ここには父と息子が出てきます。
ひとりは、財産を使い尽くして、父のもとに帰ってきた弟。
これは私たちを表しています。
出て行った息子の帰りをいつも待っていた父。
これは神ですね。
失敗しても、どんな状況でも、帰るなら、父はその前から帰りを待っていて、抱きしめ、口づけしてくださいます。



 
 
さて、もう一人の息子、兄がいます。
父の言うことをよくきくいい息子でした。
ある日一日中働いて、家に帰ってきたら宴会中でした。



 
 
「ところで、兄息子は畑にいたが、帰って来て家に近づくと、音楽や踊りの音が聞こえて来た。それで、
しもべのひとりを呼んで、これはいったい何事かと尋ねると、
しもべは言った。『弟さんがお帰りになったのです。無事な姿をお迎えしたというので、おとうさんが、肥えた子牛をほふらせなさったのです。』
すると、兄はおこって、家にはいろうともしなかった。それで、父が出て来て、いろいろなだめてみた。
しかし兄は父にこう言った。『ご覧なさい。長年の間、私はおとうさんに仕え、戒めを破ったことは一度もありません。その私には、友だちと楽しめと言って、子山羊一匹下さったことがありません。
それなのに、遊女におぼれてあなたの身代を食いつぶして帰って来たこのあなたの息子のためには、肥えた子牛をほふらせなさったのですか。』」
15:25〜30



 
 
兄は怒りました。
なぜ、いいつけを守って生きてきた自分には何もしてくれないのに、あんな弟のために子牛までほふるのかと。 
父は兄に冷たかったのでしょうか?



 
 

「父は彼に言った。『おまえはいつも私といっしょにいる。私のものは、全部おまえのものだ。
だがおまえの弟は、死んでいたのが生き返って来たのだ。いなくなっていたのが見つかったのだから、楽しんで喜ぶのは当然ではないか。』」
15:31、32



 
 
父は全財産を兄に譲る決意をしていました。
当時長子が父のものを受け継ぐのは当然のことでした。
が、兄はわかっていませんでした。
兄は
「自分はやるべきことをきちんとやっている。
後ろ指を刺されるようなこともしたことはないのに!」
と思い、自分はダメな弟とは正反対だと考えていたのです。
 
兄は、父に養われ、父から受け継ぐということが見えていませんでした。
日頃から不満があったのかもしれません。



 
弟がこんなにみみじめなかっこうで帰ってきたのに、
「よく帰ってきた!」
というそぶりもありません。
それどころか、「あなたの息子」呼ばわりをしています。
自分の弟ではない、という気持ちの表れではないでしょうか。
父への不満をも表しています。
この言葉には父への尊敬がありません。



 
 
イエスがこのように、あえて「兄」の話もされたところに意味があります。
 
私たちの中には、弟のような人も、兄のような人もいます。
また、一生の中で、弟の立場になったり、兄の立場になったりすることもあるでしょう。
順調な時には、人を見下すような思いが起こるものです。
たとえば、「祝福されている」という言葉の裏に、「あの人は、あの教会は、祝福されていない。」という思いが隠れているとすれば、それは主が喜ばれないことです。
 
神にとっては、弟のように堕落したり、失敗したり、絶望したりしている人も大切な子です。
そして、兄も同じくらい大切な息子なのです。
問題は、兄の立場になったとき、「弟への哀れみがない」ことと、「実んが今いるのは父が守ってくれていたからだ」ということが分かっていないということです。



 
 
イエスは言われました。



 
 
「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。」ルカ5:31



 

「あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、悔い改める必要のない九十九人の正しい人にまさる喜びが天にあるのです。」15:7



 
 
「あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、神の御使いたちに喜びがわき起こるのです。」15:10



 
 
イエスがこられたのは、失われた人を探して、救うためです。
そして、ひとりの罪人が悔い改めるなら、天で大きな喜びがおこるというのです。



 
 
弟は、家を出ていって失われていました。
親子関係の喪失であり、神との交わりが失われていました。
兄もまた、そばにいたのに、父との関係を失っていました。
どんなに立派でたっだ若く見える人でも、神から見れば失われた人です。



 
 
「それは、次のように書いてあるとおりです。『義人はいない。ひとりもいない。』」ローマ3:10



 
 
弟も、兄も、神の目から見れば五十歩百歩。
父は、いつも一緒にいて、自分を頼る息子であってほしいと願っています。



 
「自分は立派にやっている」と思うとき、「正しすぎるのではないか?」と反省する必要があります。
できない人への優しさが欠けていないか?と。



 
 
新しい方が教会にきます。
その人に福音を届けるのが教会の使命です。
「帰ってこようとしている弟」よりも、自分の不満が先に立つことはないか?という、これは戒めです。



 
 
兄弟姉妹のお互いを大切にしているでしょうか?
私たちに人を救うことはできません。
微々たることしかできないのです。
でも、どの人もなくてはならない存在です。



 
 
他人の仕事を「大したことはない」と評価したりしていないでしょうか?



 
 
止揚学園という知的障害者の施設のリーダーをしておられる方が書いた本で読んだ話です。
ある時停学中のAくんを預かりました。
野球部で、仲間の部員を殴って停学になったというのです。
事情を聞くと、Aくんは、その部員がいつも部活に遅刻してくるので、それを諭すために殴ったというのでした。
その話を、学園の子で三田さんという人が聞いていました。
そして一言
「ぼくやったら迎えに行くわ。」
と行ったそうです。
「一緒に来れば遅れへんのに。」
と。
この時Aくんは変わりました。
「殴るのは友情ではない。
自分には思いやる心がなかった。」
と気づいたからです。 
正しい人、強い人を中心に社会は回っています。
弱い人、失敗した人は生きづらい世の中です。
だからこそ、人の優しさと思いやりを教えられます。



 
 
神は、弟も、兄も、失いたくないと思っておられます。
神が待っています。
神は探し出した人を教会に送ってくださっています。



 
 
「主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。」
第2ペテロ3:9
 
 



イエスの目線で、全ての人を見て、人の救いのために役立つものになりましょう。



プロフィール

ステファニー

Author:ステファニー
プロテスタントのクリスチャンです。
佐藤たけるさんおたくです。

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