がんばった♪

少し前に、ツイッター上で話題に上がった「トマトソース」。
結構みなさん手作りしてらっしゃって、なんだか自分だけできないなんてくやしい〜
 


・・・と、負けず嫌い魂発動して、挑戦してみました^^
 
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COOKPADのレシピでは缶詰を使っていたんですが、生のトマトでトライ
検索してみたら、ためしてガッテンの過去記事に、湯むきをせず、種ごとミキサーにかえちゃえばいいと書いてある
こういう手抜き(?)なアドバイスは大歓迎だわ〜
 
こうしてできたトマトソース。
とりあえず冷凍してあります
さて、どうやって使おうかな?


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昨日のおかず♪

昨日はTAKERU TVにスタンバイするために、みなさん夕食のメニューはほぼ同じだったようで^^
うちは作るのも片づけるのも簡単なカレーにしようと思ったのですが、りーちゃんから異議が。。。
 


で、決まったメニューはビーフシチュー♪
なんと!
りーちゃんが作ってくれたんですよ〜
  
昨日のおかず
 
牛すね肉を赤ワインに漬けこむこと一晩。
きのうは昼間から調理を始めて、2時間コトコトと煮込んでちょうど7時ごろ仕上がりました!
ちょっと渋めな大人の味だったので、もっくんは
「おれ、カレーがよかったのに」
と不満タラタラでしたが、おいしかったですよ
 
残ったものを今日のお昼に食べたらしく、りーちゃんによると一晩寝かした方がよりおいしかったそうです。
TAKERU TVもとっても楽しかったですが、りーちゃんの手料理、すっごく嬉しかったです。
 
・・・ところで、理科の自由研究、もう終わってるのかな・・・・

LOOK BOOK

いよいよですね(〃^ー^〃)
TAKERU TV 3!!
みなさん、ちょいはぴニュースには応募しましたか?

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画像はPF 取り扱い店で配布されているフリーペーパー、LOOK BOOK です。
隣の市まで遠征して入手しました(^-^)
市内のお店にはなかったので、近隣の店舗に電話をかけまくって探しあてました♪
右ページには、ベスピーに選ばれた方たちのアイコンとツイートが載っています。
私のは残念ながら…
ノミネートまでは2回ぐらいあったんだけどな^_^;
でも、皆さんのPF を読むのもまた楽しいです♪
毎日頭をひねって自分のこだわりを見つめ直した日々が懐かしい(*^^*)

さあ、8時からPC の前に座れるよう、頑張りましよう\(*⌒0⌒)b♪

8月21日 聖日礼拝

ヨハネの福音書 11章17〜45節
「不満から祝福へ」
             ソリート師(フィリピン福音自由教会所属)
 
問題は神に対して不満を感じるときです。
二人の女性は神に対して怒っていました。
 

女性たちにとって、良いことと悪いことの両面がありました。
良いこととは、イエスという友がいたということです。
イエスは彼らの家族全体の友でもありました。
悪いことは、弟のラザロが死んだということでした。
病気だったのです。
不治の病でした。
ラザロはイエスに愛されていたので、イエスがいやすことができるはずだと思っていました。
神に怒っても、神が答えてくれないとき、私たちは不満を持ちます。
 
北名古屋教会の牧師である友人から突然電話がかかりました。
「息子が行方不明で捜している」
と。
私は急いで駆け付け、友人の家に向かい、警察にも行きました。
子どもは5分前に見つかっていました。
友人は
「すぐに来てくれてありがとう!」
と言ってくれました。
そうです。
求められたら、すぐに友人のもとに駆け付けるのが友人でしょう?
しかし、イエスはラザロが死にかけていると聞いたにもかかわらず、まだそこに二日滞在されたと書いてあります。
 
姉たちは、待って待って待ちました。
が、イエスは遅かった。
当時はフェイスブックもツイッターもない時代です。
人を送ってイエスに知らせたのに、イエスはなお二日そこにとどまったのです。
イエスは遅かったのです。
 
「助けて!」と祈っているのに。
「呼べば答える」と約束されているのに。
私たちの周りには、仕事、結婚、人間関係・・・様々な問題があります。
イエスの名によって私たちは祈ります。
でも答えが来ない。
ここで進行を失ってはいけません。
祈り続けましょう。
 
ラザロは死にました。
ヨブはすべてを失い、病気になりました。
詩篇でダビデは
「わが神、わが神。どうして、私をお見捨てになったのですか。遠く離れて私をお救いにならないのですか。私のうめきのことばにも。
わが神。昼、私は呼びます。しかし、あなたはお答えになりません。夜も、私は黙っていられません。」
詩篇22:2
と書いています。
 
祈っても答えがない時、どうしたらいいでしょうか。
 
フィリピアンセという作家の「神への不満」という本があります。
新妻が妊娠しましたが、脊髄に問題のある赤ちゃんを産みました。
貯金は減っていき、ストレスがたまっていきます。
夫から精神的なサポートを欲しいと思いましたが、夫は去っていきました。
病弱な娘にばかり妻が手をかけるので、嫉妬したのです。
 
福島や仙台のことを考えるとこう思いませんか?
「東北の人はいい人なのに。
たとえば大阪の人よりいい人なのに、なぜ神は東北に問題を起こしたのか?」
と。
悪事が起こるとき
「なぜ神は善なのに、問題を起こすのか?」
「なぜ問題はなくならないのか?」
「神が愛ならなぜ・・・?」
と。
 
マルタはイエスを責めました。
「マルタはイエスに向かって言った。『主よ。もしここにいてくださったなら、私の兄弟は死ななかったでしょうに。』」11:21
 
そして、マリヤも。
「マリヤは、イエスのおられた所に来て、お目にかかると、その足もとにひれ伏して言った。『主よ。もしここにいてくださったなら、私の兄弟は死ななかったでしょうに。』」11:32
 
イエスは遅かった!
私たちを気にかけていない。
愛していないのだ。
 
私は貧しい家で育ちました。
姉は神学生になりました。
私は姉にききました。
「なぜ神のために働いているのに貧しいのか?」
と。
私は靴磨きや車磨きをして学校に行きました。
初めて新品のナイキのシューズを買ったのは大学に入ってからです。
 
神の力は働いています。
神が全てをコントロールしています。
イエスが遅れてきたのは「神の栄光」のためでした。
 
「イエスは彼女に言われた。『あなたの兄弟はよみがえります。』
マルタはイエスに言った。『私は、終わりの日のよみがえりの時に、彼がよみがえることを知っております。』
イエスは言われた。『わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。』」
11:23〜25
 
マルタは「よみがえり」は先の話だと思っていました。
が、イエスは今、それを行うと言ったのです。
 
9月11日アメリカ。
あまりの悲劇に神に疑問を持った時、そこから起こったことです。
人々は人生は短いと知りました。
リバイバルが起こりました。
人々は団結しました。
 
旧約聖書にはヨセフの話があります。
父ヤコブに溺愛されたため恨みを買って、穴に落とされ、奴隷に売られ、家族から引き離され、計略にはめられ、誘惑を拒絶し、投獄され・・・。
「神に従っているのになぜ?」
と思ったことでしょう。
しかし、全ては家族を、イスラエルを救うためでした。
苦しみの後に、神は良いことをしてくださいました。
 
イエスは私たちを気にかけておられます。
 
「イエスは涙を流された。」11:35
 
聖書の中でも一番短い節です。
 
涙は弱さを表しているのではありません。
共感を表しています。
 
「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。」?ペテロ 5:7
 
困難な時、神は高みの見物をしているのではありません。
十字架を見てください!
 
「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」ローマ8:28
 
イエスは墓に向かって
「ラザロよ。出てきなさい。」
と言われました。
「ラザロ」と呼ばなかったら、全員墓から出て来てしまったかもしれません。
 
「すると、死んでいた人が、手と足を長い布で巻かれたままで出て来た。彼の顔は布切れで包まれていた。イエスは彼らに言われた。『ほどいてやって、帰らせなさい。』
そこで、マリヤのところに来ていて、イエスがなさったことを見た多くのユダヤ人が、イエスを信じた。」
11:44,45
 
神にささげるとき、祝福があります。
問題を良いものに変えてくださいます。
子どもの頃は「問題」としか見えていなかったものが、今は祝福だとわかります。
牧師として多くの問題に出会います。
でも、そこに祝福があります。
9.11のあとに祝福があったように。
 
今、神は沈黙しているでしょうか?
自分がうるさすぎて、忙しすぎて、み言葉を聞いていないのではないでしょうか?
信仰をもって、み言葉を聞かなければなりません。
 
問題が大きい時ほど、解決した時は素晴らしいです。
他の人々が神をあがめるようになります。
 
人生はあまりにも短いと教えてくれます。
師や問題に直面すると、気付くのです。
仕事より、人生が、神が、大切だとわかるのです。
神はこれらのことを教えるために、問題は起きるのです。
 
マルコの福音書4章で、弟子たちは恐れていました。
船が沈みかけているのに、イエスは寝ていました!
彼らには約束の言葉があったのに、恐れました。
「さあ、向こう岸へ渡ろう」
と、イエスは言われたのに。
簡単な旅だとは言われませんでしたが、安全な港につくことは約束しておられたのです。
 
神は、約束しておられます。
共に、向こう岸へ行きましょう。
不満は、神によって祝福に変えられるのです。



今日のお昼♪

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りーちゃん手作りのカルボナーラo(^o^)o
フィットチーネで作ってくれました。
庭でとれたバジルも刻んで、彩り鮮やか〜(*^^*) また作ってね!!

驚きです
PFロケ地の旅に続きがあったなんて・・・
 


東横線と山手線が交わる付近の高架橋。
そこでひとりの女性を見かけました。
なんと
その方からツイートがあったんです
そう。
鉄子さんではなく、やっぱり佐藤さんのファンだったんです
 
あの坂道のことをつぶやいた時、PFさんが返信をくださったんですね。
それで、PFさんをフォローしていたその女性がリンクをたどってきてくださったのです。
まさか、あの日から2週間以上も過ぎてから判明しようとは・・・
私が黒いPFを履いていたことまで覚えていてくださって、感激しました
 
袖すり合うも多生の縁。
佐藤さんとPFさんが結んでくれたこの縁に、感謝


#PFフライヤーズ

三冊の本

今日買ってきた本、3冊。
 


私の今の傾向が象徴されておりますね。
 
 三冊の本
  
JUNONはもちろん佐藤さんが目当て。
写真はしっかり髪を隠して撮影されてます
ま〜、私はこの目で見てきましたけどね〜
 
INFOBAR。
前に買ったものをひととおり読み終えて、もうちょっと知りたいなと思って。
何冊がめくってみましたが、当然ながら前の本と被る部分も多くて。
「初級」「中級」「上級」みたいなのがあればいいのにね。
てことで、知りたい情報が少しでも多いのを買ってきました。
 
そして、原発。
前回広瀬氏と明石氏の対談形式だったので、どちらかの本を続けて読んでみようと思いました。
図書館も検索してみましたが、やはり新刊本を読みたくて、結局買いました。
 
まだ読んでませんが、帯に書いてあるエネファーム。
前の本にも書いてあって興味がわいたので、ちょっとネットで調べてみました。
ガスで発電して同時に出る熱を使ってお湯を沸かすというコジェネレーション。
みんなで自家発電して、電力会社の電気を買わなければ、「原発がないと停電します!」なんていう脅し文句に踊らされずにすむじゃないですか。
残念ながら今はまだ電源がないと動かせなくて、停電した時の自家発電には使えないらしい。
「な〜んだ」
って思ったら、今日付けのニュースでこんなのが出てて、なんとナイスなタイミング!
 
ただ、問題なのはコスト。
エネファームを販売しているどのサイトを見ても、原資回収は望めないと明言しています。
我が家は築20年。
玄関の壁が、カビやら落書きやらでずいぶん汚れてるので、内装ぐらいは貼り直したいなあ・・・いや、いっそバリアフリーとかまでやっちゃう?・・・だったら太陽光パネルにエネファームも・・・
な〜んて考えたら、いったいいくらかかるんだろ
世の中が「オール電化」からガスへシフトしていけば、コストも下がってくるかなぁ。

最後の絆 ちょこっと感想

もう一週間以上前になりますが、「最後の絆」見ました。
 


家族を養うためにアメリカに渡った兄。
それも全く軌道にのらないうちに、戦争が始まって。
在米日本人にまで徴兵が。
 
同じ頃10歳下の弟も、沖縄決戦のために「鉄血勤皇隊」として兵役につく。
やがて、瀕死の弟と兄は、日本兵、米軍兵として出会う・・・。
「命ぬん宝」という亡き母の教えに、再び絆を結び直す。
 
まるで物語のような実話。
敵に追い詰められて、自ら崖から飛び降りる女性・・・これもリアルな映像。
 
この御兄弟、ご健在なんですね。
史実を生きてきた方がいるうえで、ドラマとして演じるのはさぞかし荷が重かったろうと思います。
しかも、内容的にもとても重いし。
 
国のために命を捨てるのが当たり前とされる時代であっても、大切な子どもを兵士として送り出す親の気持ちは決して喜ばしいものではなかったはず。
泣きながら「万歳!」と叫ぶお父さんに涙。
兄の手紙を燃やす泰治に涙。
行軍中の息子を訪ねて、お守りを持たせる親友のお母さんに涙。
その親友を目の前で失って、号泣する康治に涙。
身動きできないまま辱めをうけるぐらいならと、銃に足の指をかけて引き金を引こうとする泰治に涙。
 
佐藤さんが出てなかったら、辛すぎて見ていられないドラマでした。
 
一番忘れられないシーンは、泰治が初めて米兵を撃つところ。
銃口を向けても、いざとなるとためらって、なかなか引き金をひけないんだけど、
「殺らなければ、殺られる!」
と、ついに発砲する。
一度撃ってしまえば、あとは続けて撃ってしまえる恐ろしさ。
所詮戦争は人殺し。
その心の揺れが、すごくわかりました。
 
そしてまた、私は「沖縄」が全然わかっていなかったと思いました。
それは、この前後の新聞を読んで感じたことでもあるのですが。
もっと知らなければいけないと思っています。
  
ドキュメンタリーとドラマが並行することで、リアリティをもたせようという意図だったのかもしれませんが、せっかくドラマで高まった感情が寸断されてしまったのが少し残念でした。

8月14日 聖日礼拝

ルカの福音書 18章 9〜14節
「神のあわれみによる救い」
               村井義信神学生 
 
「神の民がいかにいきるべきか」の続きです。
リビングバイブルですと、この箇所は「義人の祈りと罪人の祈り」というタイトルがついているのではないでしょうか。
 





私たちは、生まれてからずっと競争にさらされて生きていきます。
「あの人よりましか?劣っているか?」
と人と比較します。
学生なら成績で、クラスで何番目かがわかります。
社会はもっと能力主義で、常に成績を求められます。
グラフを作り、いくら商品を売ったかが明らかにされます。
人と比べていると、
「自分はそのままでいい」
という受け止め方ができません。
教会の中でさえそれがあり得ます。
日常生活の中で刷り込まれたものはなかなか払拭できないものです。
 
ここには取税人とパリサイ人が出てきます。
内容はわかりやすいので、お読みになれば理解できると思います。
「主は人と同じようには人を見ていない」
ということを教えています。
二人は対照的でした。
パリサイ人は、ユダヤ教を守り、名誉も地位もお金もありました。
一方取税人は当時、「罪深い人」の代表ととらえられていました。
その二人を引き合いに出して、神はどちらの祈りを受け入れるかを述べています。
 
パリサイ人はあくせく働く必要がありませんでした。
だから、律法を守るのは難しくありませんでした。
一説によると、ユダヤ教の律法は3,000ぐらいあると言われています。
そのすべてを守るためには、仕事などしていられないほどでした。
一般庶民にはとてもできないことです。
庶民は生きるために、いやいやでも働かざるを得ず、礼拝にも行けませんでした。
しかし、パリサイ人にとっては、「律法を守れない人=ローマの手先」であり、すなわち罪人だとみなしていたのです。
 
パリサイ人の祈りはこうです。
 
「神よ。私はほかの人々のようにゆする者、不正な者、姦淫する者ではなく、ことにこの取税人のようではないことを、感謝します。
私は週に二度断食し、自分の受けるものはみな、その十分の一をささげております。」
18:11,12
 
自分にできていることを並べ立てる、傲慢ないのりです。
 
それに対して、取税人は、
 
「取税人は遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、自分の胸をたたいて言った。『神さま。こんな罪人の私をあわれんでください。』」18:13
 
と祈りました。
憐れみを求める祈りです。
 
自分を正しいとしたパリサイ人は退けられ、自分を罪人と認め、憐れみを乞う取税人は受け入れられました。
では、私たちの態度で、義と認められたり認められなかったりするのでしょうか?
祈りの態度がよかったから取税人は認められたのでしょうか?
 
私たちには真の謙遜はありません。
きっとこの箇所を読んだ私たちは、
「私はこのパリサイ人のように傲慢でないから感謝します!」
と思ったのではないでしょうか?
私たちは謙遜すら誇るのです。
イエスが言いたかったのは、実際には本当の謙遜を知っている人などいないということです。
 
「赦してください」とさえいわず、「あわれんでください。」と言った取税人。
この姿は、イエスと共に十字架につけられた強盗の一人を思い出させます。
 
「十字架にかけられていた犯罪人のひとりはイエスに悪口を言い、『あなたはキリストではないか。自分と私たちを救え。』と言った。
ところが、もうひとりのほうが答えて、彼をたしなめて言った。『おまえは神をも恐れないのか。おまえも同じ刑罰を受けているではないか。
われわれは、自分のしたことの報いを受けているのだからあたりまえだ。だがこの方は、悪いことは何もしなかったのだ。』
そして言った。『イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください。』
イエスは、彼に言われた。『まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。』」
23:39〜43
 
彼もまた、自分をすべて開け渡し、必死の願いを込めて、
「思い出してください。」
とだけ言いました。
それに対するイエスの答えは
「わたしとともにパラダイスにいます。」
という救いの宣言でした。
 
神は許し、義としてくださいます。
それは、私たちの功績を認めてすることではありません。
神の側のあわれみのみによります。
 
「神はモーセに、『わたしは自分のあわれむ者をあわれみ、自分のいつくしむ者をいつくしむ。』と言われました。
したがって、事は人間の願いや努力によるのではなく、あわれんでくださる神によるのです。」
ローマ9:15,16
 
「しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、
罪過の中に死んでいたこの私たちをキリストとともに生かし、――あなたがたが救われたのは、ただ恵みによるのです。――
キリスト・イエスにおいて、ともによみがえらせ、ともに天の所にすわらせてくださいました。」
エペソ2:4〜6
 
とあるとおりです。
また、マタイの福音書には、ふたりの盲人の話が載っています。
 
「彼らがエリコを出て行くと、大ぜいの群衆がイエスについて行った。
すると、道ばたにすわっていたふたりの盲人が、イエスが通られると聞いて、叫んで言った。「主よ。私たちをあわれんでください。ダビデの子よ。」
そこで、群衆は彼らを黙らせようとして、たしなめたが、彼らはますます、「主よ。私たちをあわれんでください。ダビデの子よ。」と叫び立てた。
すると、イエスは立ち止まって、彼らを呼んで言われた。「わたしに何をしてほしいのか。」
彼らはイエスに言った。「主よ。この目をあけていただきたいのです。」
イエスはかわいそうに思って、彼らの目にさわられた。すると、すぐさま彼らは見えるようになり、イエスについて行った。」
マタイ20:29〜34
 
「かわいそうに思って」という言葉はイエスの心をよく表しています。
私たちも「あわれんでください」という思いを持ち続けましょう。
私たちに謙遜はありません。
本当に謙遜だった方はイエスだけです。
だからこそ、イエスにあわれみを乞う権利があるのです。
イエスは私たちの代わりにとりなしてくださるからです。
だから、イエスを信じるだけで義とされるのです。
これは忘れてはならない基盤です。
神の評価は、目に見える功績ではありません。
また、憐れみを受けたものとして、憐れみの心を閉ざさないようにしましょう。



級審査

7月末の大会で一応引退した形のりーちゃん。
でも、今日級審査があるので、時々部活に顔を出していました。
 


級審査
 
受けたのは2級です。
中学で初段まで進むのがひとつの目標のようですが、日曜日は教会を優先してるので、土曜日に審査があるときしか受けてないんですよね。
今まで受けた審査は、3級1回と2級が1回。
それぞれ一発合格でした!
これで心おきなく勉強に邁進できる・・・のか!?


プロフィール

ステファニー

Author:ステファニー
プロテスタントのクリスチャンです。
佐藤たけるさんおたくです。

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