三連休

よし!
久しぶりに(!?)掃除をするぞ!
と思い立ち、もっくんがおもちゃをぐちゃぐちゃに置いてるコーナーに取り掛かりました。
 


そして、そこで掃除は終わりましたorz
ほんの50cm四方を片づけただけでもうヘトヘト・・・
う〜ん、連休中に居間と寝室と廊下を掃除して、電王とQ10のDVDを見て、イマジンあにめ3ももう一度見直して・・・っていっぱい計画はあるんだけど。
(全部インドアw)
とりあえずこの3日間、ダンナは仕事だし。
お出かけの予定はありませぬ

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藤
東北の方ではようやく桜のようですね。
こちらはまだ寒くてもやはり季節は移りゆき、今は藤が咲いています。
房が長いのや短いの、いろんな種類がありますが、これは短め。
考えてみると、子どもの頃から藤の花、好きだった。
あの、垂れてくる感じがいいな。
つい、手を伸ばして触れたくなります。

夕陽

夕陽
夕飯を作っていたら、帰宅したりーちゃんが
「お母さん!夕陽がきれいだよ!」
と教えてくれました。
肉眼では、もっとずっ〜と大きなオレンジ色の太陽が、まさに沈もうとしていました。
美しい…。

4月17日 聖日礼拝

ヨハネの福音書 17章 24〜26節
「主の栄光を見るように」
 
西教会では約1カ月の救援対策本部としての働きをひとまず終えました。
緊急支援は終わり、これからは中長期的な支援へと移ります。
 





なぜこんなことが起こるのか。
神は日本を愛していないのか?
ある人は「天罰」という発言さえしました。
 
主はどう見ておられるのか、主のまなざしでしっかり受け止めないと、次に何をしたらいいのかよくわからなくなります。
ニネベに遣わされたヨナを思い出します。
罪の町ニネベにヨナが主の怒りを告げ知らせると、ニネベの町は悔い改めて、主は怒りを納められました。
それを知ったヨナは主に文句を言いました。
「私は、あなたが情け深くあわれみ深い神であり、怒るのにおそく、恵み豊かであり、わざわいを思い直されることを知っていたからです。
主よ。今、どうぞ、私のいのちを取ってください。私は生きているより死んだほうがましですから。」
と。
 
その日、暑さを和らげてくれるトウゴマの木が生え、ヨナは主に感謝します。
ところが、一夜でその木が枯れてしまうと、ヨナは腹を立てました。
主はそんなヨナに
「あなたは、自分で骨折らず、育てもせず、一夜で生え、一夜で滅びたこのとうごまを惜しんでいる。
まして、わたしは、この大きな町ニネベを惜しまないでいられようか。そこには、右も左もわきまえない十二万以上の人間と、数多くの家畜とがいるではないか。」
と言われました。
 
主は人々に心を向けておられるのです。
このことを通して、人々の心が開かれることを望んでおられます。
教会が人々に仕えていくことを望んでおられます。
私たちは、自分にできる範囲のことはできますが、それを超えるとおろおろと戸惑って何も実行できなくなります。
大きく捕え過ぎず、助けを必要とする隣人の役に少しでもたてるようにしましょう。
たくさんでなくても、まとめてでなくてもいいのです。
1個でも、少しでも、意識して被災地に人のために買い足して集めましょう。
神の御業は特別な人が特別なことをして行われるのではありません。
普通の人が自分にできることを力を合わせてすることで行われます。
日常生活の中で意識することが祈りにつながります。
たとえ私がどんな状況にあっても、主は私を惜しみ、大切に思ってくださっているということを、人のために労苦することから学ぶのです。
 
今日の個所はイエスのとりなしの祈りです。
 
「父よ。お願いします。あなたがわたしに下さったものをわたしのいる所にわたしといっしょにおらせてください。あなたがわたしを世の始まる前から愛しておられたためにわたしに下さったわたしの栄光を、彼らが見るようになるためです。
正しい父よ。この世はあなたを知りません。しかし、わたしはあなたを知っています。また、この人々は、あなたがわたしを遣わされたことを知りました。
そして、わたしは彼らにあなたの御名を知らせました。また、これからも知らせます。それは、あなたがわたしを愛してくださったその愛が彼らの中にあり、またわたしが彼らの中にいるためです。」
ヨハネ17:24〜26
 
?あなたがわたしに下さったもの



  
ここには心に留めるべき真理があります。
「あながたわたしに下さったもの」とは、弟子のことです。
私たちは、自分がクリスチャンになったのは、自分の意志だと思っています。
確かにそうですが、その意志の背後に「神の選び」があります。
 
「私のような者が神に愛されるわけがない」
と思いこんでいる人がいます。
しかし、聖書は「父がイエスにお与えになった」と書いています。
 
神学校に行く直前に、私は母方の祖父のところへ行きました。
祖父はホーリネスの牧師をしていた人です。
私は、神学校に進むにあたり、
「み言葉をください。」
と祖父に願いました。
祖父が示してくれたのはヨハネ6章37節でした。
 
「父がわたしにお与えになる者はみな、わたしのところに来ます。そしてわたしのところに来る者を、わたしは決して捨てません。」
 
私にはさっぱりわかりませんでした。
私が求めていたのは「励まし」や「力」になるみことばでした。
ある意味で肩すかしをくらいました。
しかし、今日の個所を読んだ時、その時のことを思い起こしました。
なぜ祖父は、牧師になろうとしている私に、このみことばを与えたのか、初めて理解した、と思います。
献身して牧師になるということは、人々のために労苦する決心をしたということです。
しかし、私が何かをする前に、神はすでにあらかじめ、明確な意志を持っておられるということです。
伝道して人を救いに導くことは、「私の力」ではありません。
神がなされることです。
私は神の手足になるだけです。
私たちの熱心さが人々を救うのではありません。
主の熱心さ、すなわちそのひとり子を十字架につけるほどの熱心さが人を救うのです。
これがないと、信仰の土台はありません。
 
罪ある私たちの叫びは本来神に届きません。
御子のあがないと復活で、神の子とされたから、私たちの声を聞いてもらえるのです。
それを忘れてはいけません。
祖父の心と真意が初めてわかりました。
 
父がイエスに与えられた者である、私たちは、神の者です。
教会につながれています。
 
?わたしといっしょにおらせてください
 
私はイエスのいるところに一緒にいるでしょうか?
イエスが見るものを見、イエスが聞くことを聞き、感じるものを感じているでしょうか?
多くの祈りは
「主よ、私が見ている現実を見てください!」
という祈りです。
しかし、イエスの祈りは、イエスがいるところに私たちがいることです。
 
教会の中で、私という人間を一番よく知っているのはたぶんMさんでしょう。
いつも畑で一緒に仕事をしているからです。
いつも一緒にいるからです。
たぶん息子以上に一緒にいます。
一緒にいないと見られない、聞けないことがあります。
弟子たちは、新しい経験を共有するためにいつもイエスと一緒にいました。
「神のことがわからない。」という人は、神とともにいないからでしょう。
一緒にいればわかるはずです。
 
祈ってください。
私は今重い責任感を感じています。
海外のクリスチャンたちは熱心に祈ってくれています。
たくさんの捧げものをしてくださっています。
シンガポールでは4,500人いるひとつの教会から、1,450万ドル。
アメリカからは、
「日本福音自由教会は何をどうしようとしているのか?」
と聞かれます。
それに対して
"I have no idea."
と答えたらどうなるでしょう?
責任を果たせないことになります。
多額の献金をどう使っていくべきか。
「ああしたら?」「こうしたら?」
と色々な声があります。
「わたしを遣わした方のみこころを行う」にはどうしたらいいのか?
判断し、発信していく中で悩み、迷います。
イエスは何をしようとしているのかに集中すれば悩みから解放されます。
「主は何をしようとしているのですか?」
という祈りをもっていくとき、光が見えてきます。
「どう判断し、次にどう行動するか。」
という問いは、
「私はイエスと共に歩いている。
イエスも共に同じものを見ている。
イエスはこれをどう見るだろうか?」
「どこに主の御声があるのか?」
という問いです。
そこから神の国の業が見えるようになります。
苦しみ、悩みの中で、神の栄光を見るのです。
取り組むことで、次々に神の御業が現れます。
「今も主は生きて働かれるのだ」
と、主の栄光を経験することになるのです。
 
いっしょにいる、ということは、喜び、悲しみ、苦しみを共有できます。
世は父を知りません。
しかし、弟子はイエスが主からきたことを信じています。
イエスを通して父の御心を知ることが許されているからです。
学んだことを分かち合っていくことが宣教です。
痛みの中で立ちあがった経験が、福音宣教の力となります。
イエスと共に生きなければ福音宣教の力にはなりません。
そうすることがゆるされているのは恵みです。
 
力が与えられる、ということが私たちの「食べ物」です。
一人ひとりが遣わされているところに、イエスは共にいてくださいます。
困難に直面した時、
「あなたはどう見ておられますか?」
という祈りを捧げること。
それこそが、神と共にいるという応答であり、献身です。
 
私はもっと、知恵が、判断力が、欲しいと願っています。
ひとつひとつに向き合いながら、その日なすべきことを行っていきましょう。



日本のゆくえ

最近我が家でブームだったDVDがあります。
ふーみんがお友達から借りてきたのですが、TOHOシネマズではおなじみの「鷹の爪団」が大活躍する劇場版アニメ。
子どもに全部わかったら困りそうな下ネタから、思わずにやりとするブラックユーモアやナンセンスギャグまで。
結構大人も楽しめたりして。
もう何度リピったかわかりません(^^;
 


いきなり話は変わりますが、今朝(というかもう昨日ですが)の新聞を見て絶望とめまいを覚えました。
新聞やTVなどのメディアの世論調査によると、原発容認派の数が反対派を超えていると。
どこまで楽観主義なんでしょう。
世界各国では福島の事故を受けて脱原発を打ち出しているというのに、当の日本ではこれですよorz
 
そこで「鷹の爪団」です。
こんなシーンがありました。
世界の情勢が緊迫してきているというのに、アホ面の政治家たちがのんきそうに
「戦争なんてやるもんか〜」
とか言ってたかと思うと、アメリカの大統領が
「徹底的に戦う!」
みたいな発言をしたら、とたんに
「日本も戦うぞ〜!」
って言い出すんです。
ここを見るたびに、失笑というか苦笑というか冷笑というか爆笑というか・・・もう笑うしかない。
 
きっとオバマさんが
「原発はクリーンなんかじゃないことがわかった。
これからは代替エネルギー開発に全力を向ける!」
とひとこと言えば、手のひらを返すように右へならえすると思うんですよね(−−;
 
核エネルギーは決してクリーンなんかじゃない。
核のゴミは長期間にわたって放射線を吐き続けます。
どこに捨てるんですか?
 
今福島原発にたまっている汚水だってどこからもれてどこに行ってるのだか。
塵として飛んでいる放射性物質も、風に飛ばされて、風向きによって高濃度になる地域が移っていくといいます。
雨が降ればそこで着地して土壌に付着します。
「今のところ問題になるほどの線量ではない。」
といいますが、結果が判明するのは何年もたってからでしょう。
 
火力発電が出すCO2と原発が残す放射線と、どちらが怖いか。
目に見えないうちに遺伝子を破壊する放射線を、私は恐れます。
 
先日Twitterで見つけて読みました。
山岸凉子さんの「パエトーン」というコミックが今Web上で無料公開されています。
公開期間がいつまでかわかりませんが、一度お読みになってください。


やっと・・・

長い一週間が終わりました
 


火曜日は(近場ですが)出張。
水曜は組合の会議。
今年は支部役員のお手伝いをしているので、毎週1時間年休を取ってでかけなければいけません。
木曜は午後休んで中学校。
職場にいる時間が短いと、どうしても仕事がたまってしまいます
で、今日は残業
 
明日は休みだ〜〜〜
と言っても、午前中は子どもを医者に連れて行かなくては・・・


中学校へ行く

りーちゃんの授業参観&PTA総会&学年懇談会でした。
今年は3年生なので、懇談会では進路の話やら修学旅行の話やら、結構嬢時間になりました。
 


修学旅行は5月中旬。
例年、鎌倉・東京・ディズニーランドなんです。
が、大震災。
どうなることかと思っていましたが、予定通り生き先には変更なし。
ママ友とお話していると、喜んでいる子もいるようですが、うちのりーちゃんは不安のほうが大きいみたい。
そんな不安に応えてか、中学校の先生方もいろいろと対策を考えておられるようです。
 
名前は忘れましたが、地震などで新幹線が動かない、帰れない、となったとき、宿泊料金がでるという保険があって、通常の旅行保険に加えて、それにも入る。
もしも、飲み物がどこでも買えなくなるような状況に備えて、現地に飲料水のペットボトルを生徒数分送っておく。
判別行動の時は、学校で用意した携帯電話を各班に持たせて、連絡をとれるようにする。
GPSもついているので、位置確認もできる。
 
そんな話でした。
 
とにかく、事故も災害もなく、無事に楽しい思い出が作れればいいな・・・と思います。

Let's try again!

今朝はなんとなく追い越し車線を走る気分になれず、脇道の別ルートを通りました。
で、ふと思いついてFMラジオからTVに切り替えたのが7時20分。
その瞬間、音楽が流れてきました
 


そう!チーム・アミューズのあの曲です
私の車に装備されてるカーナビは、安全のため左足のブレーキを踏まないとTV画面が映らないんです。
つまり、赤信号できっちり停止しないと音声しか聞こえない
それでも、曲を聞いてるだけでうれしくなってきました。
 
9分に及ぶ"Let's try again"が終わる頃、ちょうど信号で停車。
ギュッとブレーキを踏むと映像が現れました。
「こんなに長い曲を全曲放送するなんて異例のことだ」などと、出演者が感想を述べている間に、見どころの場面が・・・。
そして、「RUNNER」が
サンプラザ中野さんと一緒に走りはしゃぐ佐藤さんをバッチリ見終えたところで信号は青になりました
 
なんとなく沈んでいた気分も明るくなって、自然と笑みがこぼれた朝でした。
この音楽が、震災からの復興に取り組む方たちの心にも元気を与えてくれますように

つりチャレンジ♪

アメーバピグです
13日から「つりチャレンジ」なるイベントが始まっていたことに気付いたのが16日。
20日までに150,000つりpを貯めると150,000つりpとアイテムをGETできるというのですが・・・。
 


16日時点でまだ40,000pぐらいしか釣ってなくて。
「開始から4日たってて40,000pかぁ。
あと5日で100,000p?
絶対無理じゃない?
でも・・・1日20,000p・・・。
できなくもないかな・・・」
と思っちゃったんですよね
 
そんなわけで、ここ数日つり三昧。
計画的にノルマをこなして、今日達成しました〜!
もらったのは和風の窓です。

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もらったつりpで、右側の壁も買ってみました。
畳があるといいんだけどな〜。

4月10日 聖日礼拝

詩篇 30篇 1〜5節
「災害救助」
                                 ポーター宣教師
 
大変な悲劇が日本で起こってしまいました。
私も7日の木曜日、東京で余震を感じ、怯えました。
それは、比較的地震の多い故郷のカリフォルニアでも経験したことがない揺れでした。
 


世界中の人々が、家族や友人を失った人々のために涙しています。
そして、義遠近を送り、復興のために援助しようとしています。
この震災は、非常に悲惨な出来事です。
私たち人間にとって、大変悲惨なものです。
 
イエス様も人の悲惨な常用をご覧になり、涙されたことを私たちは知っています。
しかし、イエス様の心を痛めた、人の内にある悲惨さは、もっと違ったものでした。
 
?イエス様の関心事
 
イエス様は人々の肉体的な問題にかかわり、多くの傷ついた、痛める体を、憐れみ深く癒され、また、病気を引き起こす支配から、人々を解放されました。
イエス様の流された涙は、悔い改めと、イエス・キリストに対する信仰を通して、神様から与えられる、赦し、永遠の命、聖化というものを拒否する人々を待ち構えている
、霊的な苦しみに対するものでした。
 
「エルサレムに近くなったころ、都を見られたイエスは、その都のために泣いて、言われた。『おまえも、もし、この日のうちに、平和のことを知っていたのなら。しかし今は、そのことがおまえの目から隠されている。』」ルカ19:41,42
 
イエス様は、エルサレムがの人々イエス様を拒否することを知っておられました。
そして、拒否する者がどうなるかも。
 
?人間の真の悲劇
 
神様の恵みをかたくなに、拒否した人々を待っているのは、悲惨な結果であると、イエス様はご存知でした。
これこそが、真の悲劇なのです。
神様が、特別に創られたものへの、永遠の裁きなのです。
イエス様は、実際には、天国のことよりも、地獄のことに関して多くのことを話されたと言われています。
なぜでしょう?
それは、主がこのような悲劇的な場所に、私たち人間を行かせたくないと思われたからです。
地獄がどのようなところであるかを、人の想像に任せることはなさいませんでした。
主イエスを拒否するものを待ち受けている悲惨な苦しみがあるという警告を、主は私たちに与え、新約聖書の以下の個所で語っておられます。
 
「しかし、御国の子らは外の暗やみに放り出され、そこで泣いて歯ぎしりするのです。」マタイ8:12
「そこで、王はしもべたちに、『あれの手足を縛って、外の暗やみに放り出せ。そこで泣いて歯ぎしりするのだ。』と言った。」マタイ22:13
「役に立たぬしもべは、外の暗やみに追い出しなさい。そこで泣いて歯ぎしりするのです。」マタイ25:30
「それから、王はまた、その左にいる者たちに言います。『のろわれた者ども。わたしから離れて、悪魔とその使いたちのために用意された永遠の火にはいれ。」マタイ25:41
「こうして、この人たちは永遠の刑罰にはいり、正しい人たちは永遠のいのちにはいるのです。」
マタイ25:46
「また、ソドム、ゴモラおよび周囲の町々も彼らと同じように、好色にふけり、不自然な肉欲を追い求めたので、永遠の火の刑罰を受けて、みせしめにされています。」ユダ7
「自分の恥のあわをわき立たせる海の荒波、さまよう星です。まっ暗なやみが、彼らのために永遠に用意されています。」
ユダ13
「そのとき主は、神を知らない人々や、私たちの主イエスの福音に従わない人々に報復されます。
そのような人々は、主の御顔の前とその御力の栄光から退けられて、永遠の滅びの刑罰を受けるのです。」
テサロニケ?1:8,9
「その金持ちは、ハデスで苦しみながら目を上げると、アブラハムが、はるかかなたに見えた。しかも、そのふところにラザロが見えた。
彼は叫んで言った。『父アブラハムさま。私をあわれんでください。ラザロが指先を水に浸して私の舌を冷やすように、ラザロをよこしてください。私はこの炎の中で、苦しくてたまりません。』
アブラハムは言った。『子よ。思い出してみなさい。おまえは生きている間、良い物を受け、ラザロは生きている間、悪い物を受けていました。しかし、今ここで彼は慰められ、おまえは苦しみもだえているのです。
そればかりでなく、私たちとおまえたちの間には、大きな淵があります。ここからそちらへ渡ろうとしても、渡れないし、そこからこちらへ越えて来ることもできないのです。』
彼は言った。『父よ。ではお願いです。ラザロを私の父の家に送ってください。
私には兄弟が五人ありますが、彼らまでこんな苦しみの場所に来ることのないように、よく言い聞かせてください。』」
ルカ16:23〜28
「また私は、大きな白い御座と、そこに着座しておられる方を見た。地も天もその御前から逃げ去って、あとかたもなくなった。
また私は、死んだ人々が、大きい者も、小さい者も御座の前に立っているのを見た。そして、数々の書物が開かれた。また、別の一つの書物も開かれたが、それは、いのちの書であった。死んだ人々は、これらの書物に書きしるされているところに従って、自分の行ないに応じてさばかれた。
海はその中にいる死者を出し、死もハデスも、その中にいる死者を出した。そして人々はおのおの自分の行ないに応じてさばかれた。
それから、死とハデスとは、火の池に投げ込まれた。これが第二の死である。
いのちの書に名のしるされていない者はみな、この火の池に投げ込まれた。」
黙示録20:11〜15
 
それは辛い言葉です。
永遠の裁きと葉、イエスの福音がないところです。
光のない場所。
全くの暗闇です。
子どもの頃、わざと部屋の明かりを消して遊んだことがあります。
最初はわくわくして楽しいですが、だんだん不安になり、恐怖に変わります。
最後には「だれか灯りをつけて!」と叫びます。
 
?苦しみからの解放
 
しかし、良い知らせ、素晴らしい知らせもあるのです!
神様のみ手がこの苦難から解放してくださるのです。
 
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」ヨハネ3:16
 
「滅びることなく」とは、イエス・キリストを信じる者は、地獄で永遠の苦しみを味わうことがないということです。
キリストに従う者として、迫害を受けたり、不公平に扱われたり、いわゆる困難に直面するかもしれません。
なぜなら、私たちは、信仰をもった者でも、持っていない者でも、全ての人々に影響する、堕落した世界に住んでいるからです。
 
しかし、イエス様は、イエス様に従った人々に思い出させました。
「からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。そんなものより、たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい。」マタイ10:28
 
使徒パウロは同じことをこのように述べました。
「ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。
今の時の軽い患難は、私たちのうちに働いて、測り知れない、重い永遠の栄光をもたらすからです。
私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。」
コリント?4:16〜18
 
そして、私たちは、これらの真実の言葉を詩篇から読み取れます。 
 
「主よ。私はあなたをあがめます。あなたが私を引き上げ、私の敵を喜ばせることはされなかったからです。
私の神、主よ。私があなたに叫び求めると、あなたは私を、いやされました。
主よ。あなたは私のたましいをよみから引き上げ、私が穴に下って行かないように、私を生かしておかれました。
聖徒たちよ。主をほめ歌え。その聖なる御名に感謝せよ。
まことに、御怒りはつかの間、いのちは恩寵のうちにある。夕暮れには涙が宿っても、朝明けには喜びの叫びがある。」
詩篇30:1〜5
 
「聞いてください。主よ。私をあわれんでください。主よ。私の助けとなってください。
あなたは私のために、嘆きを踊りに変えてくださいました。あなたは私の荒布を解き、喜びを私に着せてくださいました。
私のたましいがあなたをほめ歌い、黙っていることがないために。私の神、主よ。私はとこしえまでも、あなたに感謝します。」
詩篇30:10〜12
 
 
人の肉体的な悲劇は、いつでも起こります。
それは、一人ひとりにかもしれませんし、大勢に一度に起きるかもしれません。
ちょうどここ、日本に起こっているように。
このような時にこそ、傷ついている人々に、クリスチャンが、キリストの愛をはっきりと示すときです。
私たちはそうするべきなのです。
しかし、忘れてはならないのは、本当の悲劇は、魂が永遠の滅びるということです。
私たちは、キリストに遣わされた者として、必要とされれば、だれにでも、その悲劇からの解放をもたらすことができるよう準備しておきたいものです。
良い知らせを告げる仕事は牧師だけのものではありません。
すべてのクリスチャンがキリストの大使です。
キリストの和解を受け入れるように人々に懇願する役割があるのです。



プロフィール

ステファニー

Author:ステファニー
プロテスタントのクリスチャンです。
佐藤たけるさんおたくです。

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