2月21日 聖日礼拝

ヨハネの福音書 7章45〜53節
「律法を知らない人」
 
オリンピックシーズンですね。
オリンピックにかかわる人には2種類の人がいます。
・競技に参加する人や、それを支える監督・コーチ・スタッフたち。
・観客



観客は競技を見ながらハラハラドキドキしますが、その勝ち負けは自分の人生とは直接関わりがありません。
同様に、私たちが聖書を読むときにも2種類の態度があります。
聖書を読むときには、観客として読むのではなく、十二弟子や、イエスに従った女たちになったつもりで見てみましょう。
また、イエスが出てくるシーンでは、人々が2種類のグループに分かれます。
 神に従う人←→神に従わない人
 律法を知っている人←→律法を知らない人
これは対比によってよりあざやかに分かるようにするためです。
そこを意識して読んでいきましょう。
 
今日の箇所では、キリストについての評価がまっぷたつに分かれています。
ある人が、「超一流」の定義を「アンチが生まれることだ」と言いました。
だれにでも好かれるのでは超一流とは言えないというのです。
イエスの時代にも、皆が皆、「イエスはすばらしい」と言ったわけではありませんでした。
祭司長やパリサイ人たちは、役人たちに「なぜイエスを捕らえてこなかったのか」と迫ります。
しかし、役人たちは「あの人が話すように話した人は、いまだかつてありません。」と、イエスに傾いています。
何がこの2つのグループを分けたのでしょう。
それは聞き手の側の問題です。
 
私たちも「全ての人に気に入られる」ことを求める必要はありません。
それが現実です。
イエスでさえ、半分はアンチだったのですから。
批判する人は必ずいます。
 
役人たちは、イエスを捕らえるなんて、何かの間違いだと思いました。
むしろ、「あの方は神が遣わした方だ」と思いました。
それに対して祭司長たちは、人々が律法を知らないから惑わされているのだと決めつけています。
バビロン捕囚以降ヘブル後が読めない人々がいた中で、パリサイ人たちは、律法を教える教師の立場にありました。
彼らは「群衆は何も知らない。自分たちの方が正しい。」と自負していました。
ここに
 教える側←→教えられる側
という対比があります。
「自分は知っている」というところに落とし穴があります。
「知的に」知ることよりも、「心」を持つことの方がはるかに大切です。
知識をどんなに学んでも、使い方を知らないと悪用することもあり得ます。
知識は人を高慢にしてしまう傾向があります。
指導者たちは、イエスの元には来ませんでした。
 
知識で人を裁くのではなく、人を助け励ますために、主は知恵を授けてくださっています。
「主はあなたに告げられた。
人よ。何が良いことなのか。
主は何をあなたに求めておられるのか。
それは、ただ公義を行い、誠実を愛し、
へりくだって
あなたの神とともに歩むことではないか。」
ミカ書 6章8節



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今頃バレンタイン?

今頃バレンタイン?

ずっと期末テストだったふーみん。
遅ればせながら、手作りバレンタインです(o^∀^o)

ビスコッティとバーチ ディ ダーマ。

今頃バレンタイン?

黒っぽいのがビスコッティ。

今頃バレンタイン?

丸っこいのがバーチ ディ ダーマ。
ビスコッティはともかく、バーチなんとかは初耳だわ♪
二階にいると、チョコのなんとも言えない甘〜〜い香りが漂ってきましたw
ほぼ、ふーみんとりーちゃんの二人で仕上げたんですよ。
楽になったな〜。

はぁ…(ρ_;)

追加公演もアウトでした(;_;)
あしたは一般販売。
立ち見席、挑戦してみるかなぁ。
今までつながったためしがないんだよね…(^_^;)
こういうのってコツありますか?



熊野古道♪ ‐後編の後編‐

熊野古道♪ ‐後編の後編‐
このあたりは「マンボウ」で売り出し中らしい。
道の駅にも「マンボウ」が冠してあったし、このとおり、5台ほどしか停められない駐車場の看板にもマンボウの絵が!

お寿司を食べたあと、地元のスーパーへ立ち寄りました。
鮮魚コーナーをのぞくと、なんとマンボウの切り身を売ってる!
料理法も紹介してあって、
「マンボウのお刺身は包丁いらず!手で裂くだけでできあがり。」
なんて書いてありました。
網で引き揚げられるマンボウとか、見てみたいわ〜。

マンボウは買わなかったけど、「津餃子」を買ってきました。
定規で測ったら13、5cmというジャンボな餃子!
2個を7人で仲よく分けましたw

途中、尾鷲神社の大楠を見てきました。
樹齢千年以上とか。
この木が芽を出した頃を調べてみると、清少納言や紫式部が文筆活動をしていたようですよw
そんなころから日本を見続けてきた楠。
ロマンを感じます。

熊野古道♪‐後編の前編‐

熊野古道♪‐後編の前編‐
ツヅラト峠の道標。
そこにこんなシンボルが。
羽を広げた鳥。
よく見ると三本足です!
どこかで見たような記憶があるのですが、何かいわくがありそう。

昨夜ググってみたら、八咫烏(やたがらす、やたのからす)という名前だそうです。
日本神話で、神武東征の際、タカミムスビによって神武天皇の元に遣わされ、熊野から大和への道案内をしたとされる三本足の鴉。(WIKIより)

なるほど。
だから道標に彫ってあったのか!

熊野古道♪‐中編‐

熊野古道。
紀伊半島の先、尾鷲付近からいろんなルートで峠を越える道があるそうです。

峠登りのあとは、楽しい昼ごはん♪
「一重」さんというお寿司やさんに入りました。
地元で捕れる魚で握る10かん4,000円少々というコースをお願いしました。
オニエビやら活けトコブシやら、珍しいネタも。
なんと、メニューには「欧風寿司コース」(←あやふや)なんてのがある!
となりのご夫婦の席には、デザート盛り合わせが(・◇・)
スワン型のシュークリームやらマカロンやら豪華!
おみやげ用のラスクもあれば、タイミングがよければ焼きたての食パンも買えるって…ゴールド寿司ですか(゜∇゜)
聞くと、跡取りさんが、寿司よりフレンチをやりたいと、そっちの方面に行っちゃったそうですw
とにかくおいしかったです♪

熊野古道♪

熊野古道♪

熊野古道♪
ツヅラト峠に登ってきました。
世界遺産です。
標高357m。
距離にして1,200m。
登り坂は息が切れました(>_

熊野古道♪

石道(石畳の道)。
江戸時代より前に利用されていたというのですが、よく作ったものだと思います。

熊野古道♪

野面乱層積み。
自然石が積み上げられています。

熊野古道♪

峠付近から海を臨む。
約1時間10分でたどり着きました。
明日は確実に筋肉痛です(^。^;)

伊勢道

伊勢道
尾鷲に向かっております。
晴れて暖かい、いい日和になりました♪

龍馬伝 第8話 ひとこと感想

・まさに弥太郎さん主役w
・あれから一年も経っていたとは!
・なんだかんだ言っても父親思いの弥太郎さん。
・あのダッシュ半端ない!
・やっと江戸に行ける武市さん。
・以蔵さん、一緒にいけるので大はしゃぎw
木に切りかかる(?)以蔵さん、カワユス(≧∇≦)
・弥太郎と龍馬のツンデレ友情に乾杯!
・つか、加尾さんに迎えに来るなんて約束して〜〜〜!
・私も子どもの頃は、席替えの度に隣の男子が好きになる少女でしたから、わからんでもないけど。
・来週はいよいよ人斬りになるのか…

2月14日 聖日礼拝

ヨハネの福音書 7章37〜44節
「その人の心の底から」
 
「わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」7:38
 



内側から外側へ流れ出る生ける水。
私たちは生まれた瞬間から、この世の価値観の中で生きています。
知らず知らずのうちに周りの影響を受けています。
日本にいるときは自分が日本人だということを意識しませんが、外国へ行くと、「自分は日本人だなぁ」と気付きます。
いつの間にか「日本人らしさ」が身に付いているからです。
日本人は「形」や「見た目」を気にします。
逆に、その「形」を支える内面や人格がおろそかにされやすいところがあります。
 
世間体や人の目を気にする国民性は、江戸時代に培われたものだと言われています。
当時、徳川幕府は「五人組制」をとっていました。
五人組の中で、互いに見張り合うようにさせたのです。
同じ組からキリシタンが出たら組の者全員が同罪となり、7代末まで監視されたといいます。
そして、密告者は罪を免れたので、うっかり本音を言うことはできませんでした。
こうした歴史が日本人のメンタリティを形成し、周りに合わせることに専心して、内側の動機や信念がなくなってしまうのです。
クリスチャンであってもその例外ではありません。



 



「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て、飲みなさい。」7:37
 
あなたは渇いているでしょうか?
「クリスチャンなんだから、いつも聖霊に十分に満たされています!」と答えますか?
時として、クリスチャン同士で正直に「行き詰まっている」と言えない雰囲気が漂っていることがあります。
うっかり悩みを打ち明けようものなら、
「祈っていますか?」
「聖書を読んでいますか?」
「霊的に弱ってるんじゃないの?」
と「指導」しようとする方もいます。
しかし、このような時は「その人のために祈る」ことが一番求められているのです。
何がいけないのか、本当は自分でも分かっているのです。
分かっているのにどうにもできないから苦しんでいるのです。
それなのに、傷口に塩を塗るようなことをしてはいけません。
傷ついているときには、祈り、励ますことこそが大切です。
まず祈り。
そして病や困難を持つ人の隣人になることです。
 
この中に、「日曜日に水を4リットル飲んでおけば一週間平気です。」という方はいないと思います。
どんなに満たされても、いずれ渇いてきます。
最近は空腹感や渇きを経験することがあまりなくなっています。
ちょっと冷蔵庫を開ければ飲み物も食べ物もすぐに手に入ります。
便利さや快適さを求める余り、「不快感」から学ぶべきことを学べなくなっている恐れがあります。
「渇く」からそれを解決したいという「欲求」が生まれます。
不快なことも体験することは大切です。
 「渇き」を、自分の足りないところ・欠乏・弱さ・困難を知ってこそ、それをいやすことのできる方に求めることができます。
それが信仰です。
 
だれに求めるのか、どのように補うか。これが大事です。
「わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」7:38
「わたし」とはキリストです。
キリストに求め、信じる者には生ける水の川が流れ出るようになるというのです。
渇かなくなるわけではありません。
一度食べれば一生OKということはないのと同じように。
空腹だから、渇くからこそ、食べる楽しみ、飲む楽しみもあるのです。
キリストはいつでも満たせるように泉を与えてくださいます。
「イエスを信じれば、病気にならない」などということはありません。
他の人と同じように困難に直面します。
そこで悩み、渇く経験をするけれど、主から恵みをいただくことができるのです。
そんな井戸が私たちに与えられます。
ふたをしてしまって汲もうとしないなら、恵みを経験することはできません。
 
「神が愛なら、苦しみなんてなくしてくれればいいのに。」と言う方がいます。
主にはできるけれど、そうはなさいません。
主は私たちに自由意志を与えられました。
自ら意志を持って主を讃美し、感謝することを求めておられます。
主は危ない目に遭わないようにと、外側を守るのではなく、私たちの内側を変えて、自らの生活の中で困難や課題に立ち向かうようにしてくださいます。
乗り越えることによって主の恵みを知るという経験を与えてくださるのです。
 
ひるがえって、私たち大人は、子どもが学ぶ邪魔をしてはいけません。
子どもが苦しまないように、失敗しないようにと先回りしないようにしましょう。
失敗しない人生なんてありえません。
失敗を通して、キリストを見いだします。
そのプロセスを経ることが大切です。
失敗も、過ちも、まちがいではありません。
そこから学ばないことこそが悲劇です。
大人はだれしも、子どもがまっすぐに成長するようにと望みます。
それよりも、困難をいかに乗り越えるかを教えることの方が大切です。
自らいのちの水を汲み、渇いた心をいやしていく経験を重ねることが、その人を強め、信仰を豊かにするのです。



プロフィール

ステファニー

Author:ステファニー
プロテスタントのクリスチャンです。
佐藤たけるさんおたくです。

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