おばあちゃんの知恵袋♪

おばあちゃんの知恵袋♪
ハンガーに掛けてあるきれいなカバー。
何だと思います?
なんと、傘なんです(◎o◎)

まだ新しいのに、骨が折れてしまったふーみんの傘。
生地は少しもはげてないし、どうにももったいない。
で、おばあちゃんが思い付いたのが、これ!
骨からはずして、縁を始末しただけで、オシャレなカバーになりました♪
さすがだねV(^-^)V

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こんなのもらった♪

こんなのもらった♪
ベネッセのサイトから申し込んで、こんな冊子をもらいました(≧∇≦)
今何が好きか、からスタートして、将来どんな職業に就きたいかを考えよう、というワークです。
そして中には…
こんなのもらった♪
最初に、現在活躍中の6人にインタビューした記事が載っています。
「のだめ」の二ノ宮センセや歌手の青山テルマさん、テニスの杉山愛選手と並んで、我らが佐藤さんも選ばれているんです!(b^ー°)
お子さんがいるか方、申し込んでみてはどうでしょう?

10月18日 早天礼拝

テサロニケ人への手紙第1 3章11〜13節
「愛を満ちあふれさせてください」
 
子が親に求めるように、あれをして下さい、これをして下さいと主に求めることも大切ですが、私たちは人々の求めに応じていくことで成長していきます。



教会は、クリスチャンだけの集まりではありません。
みなさんの想像以上に、課題を抱えた人々が教会を訪れます。
そんな中で感じることは、大人になっても依然として欲求を満たすことを求めている人が多いということです。
自分のことで精一杯。
自分を守ることに一生懸命。
それでいて、欲求は満たされないのです。
主は全てを与えてくださっています。
それを全ての人々の為に用いていくことに心を配ることが大事です。
 
世の中には、「使うと減るもの」と「使うと増えるもの」があります。
お金や物質的な物は使うと減っていきます。
しかし、技術は使うほどに熟練していき、愛は使うほど補充されて増えていくものです。
 
霞ヶ浦という所をご存じでしょうか。
今、その流れがよどんでしまい、浄化しようというプロジェクトが始まっています。
他の河川から水を流し込んできれいにしようというのです。
水は出ていく口がなければよどんでいきます。
古い物を捨て、新しい物をもらっていくことで流れができます。
人のために「愛」を使うと、補充され、増していくのです。



「また、私たちがあなたがたを愛しているように、あなたがたの互いの間の愛を、また全て人に対する愛を増させ、満ちあふれさせてくださいますように。」3:12
これは、まさにイエスが言われた言葉に重なります。
「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。」ヨハネ15:12
愛も流れなくてはいけません。
私から人へ、また別の人へ。
流れが止まらないように。
本当の喜びは、自分が人の役に立ったときに感じるものです。
自分の労苦が人の役に立ち、人を喜ばせ、楽しませることです。
「ありがとう」と言ってもらえると、また頑張ろうと思います。
人に仕え、人が喜ぶことが自分の喜びになります。
ため込もうとすると幸せになれません。
愛が増すと、満足度が上がります。
労苦するほど道は広がります。
 
ゲームの中に、一つのステージをクリアすると次のステージに進めるというものがありますね。
クリアするためには、レベルアップしたり、経験値を上げたり、扉を開くためのカギを見つけたりしなければなりません。
そうして新しいステージに進むと、今まで見られなかった世界を見ることができるようになります。
実生活の中でも、自分の扉を開けて新しい世界へ踏み出すべき時があります。
それが成長です。
その時、自分が主の祝福の中にいることが分かるのです。
 
大人として私たちが求めていくべき事は次のようなことです。
・愛を増してください。
・知恵を与えてください。
・主のご用に間に合いますように。
・愛をもって包み込む広い心を与えてください。
 
「何よりもまず、熱心に愛し合いなさい。
愛は多くの罪をおおうからです。」
ペテロ? 4:8





初めて…

最近ふーみんがうるさいの。
「お母さん、白髪目立つよ」
って。
「誕プレに白髪染め買ってあげようか」
とまで言われて、初挑戦してみました。
自分で買いましたけどね。

覚悟を決めて、いざ封を切り、説明書を読むと、
「必ず48時間前にパッチテストを行なってください」
だって…( ̄∀ ̄)
せっかくやる気満々なのに…
ま、面の皮の厚さには自信があるし、気にせずトライ!
次に、生え際や耳にクリームを塗れと書いてある。
私、洗顔後のクリームとか塗ったことがないのですよ。
あちこちゴソゴソとあさってみたが、やはりない。
ま、ハンドクリームでいいや!
周りに新聞を敷けとか、洗面所だし、いいや!
さあ、容器をプッシュ!
臭〜い(>Σ<)
あわてて窓とドアを少し開けました。
姑さんが染めるのは見てたけど、思ったよりめんどくさい。
ちゃんと塗れてるのかなあ…
不安を感じつつ終了。
でもこのあと20分待つ のね。
せっかちなので、多分15分ぐらいで洗浄〜。
仕上がりは、まあ、こんなもんかな?
明日、ふーみん気づいてくれるかどうかがポイントですw

超電王♪

超電王♪
届きました(^O^)
まだ観れてないですけど。
佐藤さん出てないのでやや気合いが入りませんけど(^_^;)
早く液晶大画面で見たいものです。
ていうか、こうなるならブルーレイで買っておけばよかったかも。
でも、ふーみんが友だちに貸すにはブルーレイでは不便かな。

あ、そういえば裏面には
「行くぜ、鬼退治!! 超電王シリーズ新発進!」
と銘打ってますから、やはりシリーズなのか!?

地デジ化♪

地デジ化♪
映りが悪いチャンネルがあるから、アンテナをどうにかしよう…というのが事の始まり。
いざアンテナを替えてみたら、VHFはさらに酷いことになったという…(^_^;)
じやあもうついでに地デジテレビもブルーレイもどんとこい!
どのみち今度のボーナスで買う予定だったし。
そんなこんなで、日曜日のうちにトントン拍子で2階も地デジ化。
これで、うちのテレビ3台全てが地デジ対応になりました。
まだ全然番組を見る時間はないんですけどね。
画面も一回り大きくなって、より美しい佐藤さんが見られるのが楽しみですw
「龍馬伝」が待ち遠しいなあo(^-^)o

10月11日 聖日礼拝

ルカの福音書 15章8〜10節
「あなたには価値がある」
                    緑バプテスト教会 河野勇一牧師
 
あるテレビ番組で、「人間の価値は300円だ。」と言っていました。
70〜80%は水分で、日本ではほとんどタダ同然。
その他にも脂肪やカルシウムなど、物質的な値段を合計すると300円にしかならないというのです。
「それはおかしい。そんなものでは計れない。」
と思うでしょう。
では、人間の価値はいくらでしょう?
どのように計算したらいいのでしょう?
 



一般的に
「有名になり、お金を儲けられる人は価値がある。」
とみなされています。
人間はすべて平等だと言いますが、現実には、身分も実績も、年齢も、ひとりひとり違います。
何も持ってない人は価値がないでしょうか?
たとえば、障害や病気を持っている人、高齢な人には価値がないのでしょうか?
そのような考え方は物質文明がもたらしたものです。
 
物の値段はどのように決めるのでしょうか?
コストだけで決まるのではありません。
買い手にとってどれだけ「私の役に立つか」で決まります。
これだけのお金を払う価値があるかどうか…それを判断するのは買い手です。
同じ考え方で人間を見ると、「私の役に立たない人」は価値が低いことになります。
しかし、そうではないはずです。
聖書はどのように語っているでしょうか。
 
イエス様は人間をいろいろなものにたとえられました。
羊・麦・魚・ぶどう…ほとんどは命のあるものです。
ところが、唯一今日の箇所では「お金」という「命のないもの」にたとえておられます。
 
「また、女の人が銀貨を十枚持っていて、もしその1枚をなくしたら、あかりをつけ、家を掃いて、見つかるまで念入りに捜さないでしょうか。
見つけたら、友だちや近所の女たちを呼び集めて、『なくした銀貨を見つけましたから、いっしょに喜んでください。』と言うでしょう。
あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、神の御使いたちに喜びがわき起こるのです。」
ルカ:8〜10
 
この話に出てくる「女性=神さま」「お金=人」を表していることはおわかりだと思います。
なぜイエス様は「お金」に人をたとえたのか…神学校時代にずっと疑問を持ち続け、答をみつけました。
それは「物とは違う人の価値を教えるため」です。
 
ここに1万円札を用意してきました。
これはなぜ1万円の価値があるのでしょうか?
作るのに1万円かかるからですか?
違いますね。
日本銀行がこれを「1万円の価値がある」と決めたからです。
ここが物と違うところです。
お金は、それを造った人が値打ちを決めるのです。
私たちは神によって造られました。
しかも「神の形に」造られたと書かれています。
それは、「神の像が刻印されている」ということです。
神の人格・性質・創造力…そういった価値を一人一人に込められたのです。
 
物は買ったときが一番価値があります。
時間が経つにつれて段々値打ちが下がります。
やがて「中古」と呼ばれ、「ゴミ」になります。
今ではお金を払わなければ引き取ってももらえません。
1万円札はどうでしょう?
どんなに古くても1万円は1万円です。
シミや皺がついても価値は落ちません!
人間も同様です。
すばらしいですね!
それは神が価値を込めて造っているからです。
 
たとえの中で、お金を見つけた女性は友人を呼んで祝うほどの喜びようでした。
大げさすぎるように思えますが、「失われた銀貨」はどのような状態か考えてみましょう。
ちょっとここはお札ではだめなので、500円銀貨を用意してきました。
こんな風に…落としても…お金の価値は変わりません。
しかし、落ちたままでは使われることができません。
お金は人が持って初めて役に立つのです。
人の手を離れたら価値を発揮できなくなります。
神が価値を込めて造ってくださったのに、神の手からこぼれ落ちると、価値を発揮できずにうもれてしまうのです。
これこそが「罪人」という状態です。
罪人とは、決して「犯罪者」という意味ではありません。
神から離れた状態を指しているのです。
いくらお金が石に向かって
「オレは出る所に出たらすごいんだぞ!
スーパーで買い物ができるんだ!」
などと威張ってみても、地面に落ちていたら、お金も石ころも何の違いもありません。
 
神から離れた人間は自分の価値を見失っています。
でも、「自分には価値がない」と思いながらでは、生きる力がわいてきません。
そこで、人は「価値をつける」ために頑張ります。
頑張って勉強して、良い学校に行って、良い会社に就職して、立派だと認められたい…と思うのです。
本当の価値が分からないから、自分で価値をつけなければいけないと考えるからです。
日本語には「箔をつける」ということばがありますね。
「箔」とはメッキのことです。
まさに、中身は何もない、上っ面にはりつけて金と見せかける生き方です。
地位や財産や実績を外側に貼り付けても、本当の価値を生きていないと空しいのです。
考えてください。
1番になれるのは一人だけです。
ついて行けない人は、「落ちこぼれ」た「くず」なのでしょうか。
もし自分がそうだとしたら、生きる力は湧いてきません。
夜になると現れる暴走族の騒音は、「価値を認めて欲しい。」という彼らの叫びです。
 
銀貨が価値を発揮するには人間の手に帰ればよいのです。
ただ、銀貨は自分では帰ることができません。
捜して、見つけて、拾われないと戻れないのです。
神から私たちの所に来て、見つけて、拾ってくださるしかない。
それがイエスの降誕でした。
「人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」ルカ19:10
と言われているとおりです。
 
では、銀貨である私たちがすべきことは何でしょうか?
それは、「素直に拾われること」です。
「悔い改め」とは「ジタバタしない」ということです。
これが信仰です。
そして、一人の人が本当の価値を発揮できるようになったとき、天国では大きな喜びが起こるのです。
それほどに、あなたは大切であり、価値があるからです。
 
神が与えてくださった価値を喜んで生きていますか?
子どもに「人から見た価値」を追わせていませんか?
もう一度考えてみましょう。



急いでお昼♪

急いでお昼♪
本日はちょっと遠くへ午後出張。
で、思い切って午前中は年休を取り、直行することにしました。
お陰でやっと自分の衣更えができました。

ふと時計を見ると、出かける30分前!
急いでお昼ご飯をたべなくちゃε=ε=┏( ・_・)┛
まず残りご飯をチンして、夕べの肉じゃがをチンして、これも残り物のざく切りキャベツにスライスハムを手でちぎってばらまいてチン☆
キャベツがしんなりしたところに、ビザ用チーズをかけて、トースターでチン☆
おっと!味付けしてない…塩コショウを振りかけて完成w
そそくさと食べ終えて、いざ、出陣!
行ってきま〜〜〜す(o^∀^o)

パン教室♪

パン教室♪
うちの教会では、教会員の持っている様々な技能を生かして、体操教室やピアノ教室、安全な野菜作りなどいろんな活動をしています。
そのひとつにパン教室があります。
料理好きなりーちゃんがやってみたいというので、後期の講座に申し込んでみました。
材料費込みで1回500円。
第2日曜日で5回のコースです。
きのうはその初回。
「ふわふわチーズ」と「大豆シリアルバー」を焼いてきました。

大人に混じって、中学生はりーちゃんひとり。
私は参加しないので、大丈夫かな〜と少し心配でしたが…。
モクモクでも何度か経験しているし、大人としゃべるのは割りと平気なりーちゃん。
「こんなに小さいのに、上手だね!」
などとほめられて鼻高々で帰ってきました(*^o^*)
もう来月を楽しみにしていますよw

その前に来週は中間テストが待ってるんですけどね(^_^;)

10月4日 聖日礼拝(世界食糧デー)

ヨハネの福音書 6章1〜19節
「人々の必要にこたえていく」
 
「わたしは、ただこの人々のためだけでなく、彼らの言葉によってわたしを信じる人々のためにもお願いします。それは、父よ、あなたがわたしにおられ、わたしがあなたにいるように、彼らがみな一つとなるためです。」
ヨハネ17:20,21
 



イエスは今の現実の課題と、長期的な展望(ビジョン)の両方を見据えておられました。
今、目の前にいる群衆に食べ物を与えることと、それを通して弟子たちを教え、御自身が地上を去った後も彼らが福音を述べ伝えることができるように。
その数およそ5,000人。
この大群衆に食事を与えたエピソードは4つの福音書すべてに記述されています。
しかし、ヨハネだけが少し違う書き方をしています。
他の3福音書では「あなたがたで」食べ物を用意するようにと命じておられますが、ヨハネによれば、
「イエスは・・・ピリポに言われた。『どこからパンを買ってきて、この人々に食べさせようか。』」6:5
と、イエスがピリポを名指しして問いかけています。
ここにも、イエスと弟子との個人的な対話を描くヨハネの特徴が表れています。
おそらくイエスはピリポに語られ、それを他の弟子たちも聞いていたということでしょう。
 
さて、私たちならどうこたえるでしょう?
イエスはピリポを試して言われたのだと書かれています。
つまり、ピリポがその心の中にどのような味方を持っているかを引き出そうとされたということです。
「あなたがたでしなさい。」という言葉をどう受け止めますか?
「今言われたって・・・無理です。」
「解散させて各自で食べに帰らせましょう。」
現実的に考えればそうなるでしょう。
ピリポは
「めいめいが少しずつ取るにしても、200デナリのパンでは足りません。」
と答えました。
1デナリは1日分の賃金に当ります。
200デナリは相当の金額になるでしょう。
ちょっと乱暴ですが今のお金で200万と考えると、そのパンがどれほどの量になるかわかります。
もし仮にそれだけのパンがあったとしても、どうやって運びますか?
まったく無茶な要求です。
ここに意味があります。
「私には無理だ。できない。」という自覚から事は始ります。
今ピリポには、「自分の力なんてわずかなものだ。どうすることもできない。」という現実に圧倒される経験が必要だったのです。
 
ピリポが答えたのは客観的なデータ:200デナリのパンでも足りない。
アンデレの答えは現実:少年が2匹の魚と5つのパンがあるだけです。
理想と現実のギャップは明らかです。
 
「イエスは、ご自分では、しようとしていることを知っておられたからである。」6:6
私たち人間の側に、知恵や力がなくてもいいのです。
もちろんそれらがあるとすれば、それは神の恵みですばらしいことですが。
「大丈夫だ」と思っているうちは神のみ業が見えません。
現実に失望せずに、できることをするのです。
その時イエスの助けがきます。
2匹の魚と5つのパンを5,000人に配って残りを集めると12の籠がいっぱいになりました。
 
今日は「世界食糧デー」ということで、先ほど世界の飢餓の現状と、私たちにできることを報告していただきました。
世界で生産されている食糧が平等に分配されれば、すべての人のお腹を満たすことができる・・・。
計算上はそうであっても、政治や経済を考えるとき「無理だ」というのが現実です。
しかし、そこで終わってはおしまいです。
発想を転換することが必要です。
たとえば、「まず経済の仕組みを変えなければ。」という発想ではなく、「まず地産地消に取り組む」ことから始めてはどうでしょう。
そこから経済の仕組みに変化が起っていくことでしょう。
できないことを考えて後ろ向きになるのではなく、自分に出来る分を確実に果たすとき、み業が起るのです。
 
結論をまとめると、「自分にはできない」という考え方から「キリストとともに働く」という姿勢に転換すること。
力に応じて、今できることをする。
それは神の家族、仲間がいるからできることでもあるのです。



プロフィール

ステファニー

Author:ステファニー
プロテスタントのクリスチャンです。
佐藤たけるさんおたくです。

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