絵日記♪

私が小学生の頃は毎日書かされたものです。
そして、ネタに困ると、
「どこかへ連れてって!」
という展開はマンガの定番でしたf^_^;

もっくんの絵日記はたったの2枚!
学年出校日までに一枚、全校出校日までにもう一枚仕上げればいいだけ☆
これなら、七夕祭りと、家族旅行でOKじゃん!(b^ー°)
…と思ってたのに、もっくんが描いたのはこれ↓。

絵日記♪

なんかコソコソ書いてたから
「見せて!」
と言うと、
「絶対おかあさん、怒るから見せたくない。」
と、もっくん。
絶対怒らないから…と説得して、読んで爆笑www
こういうのこそが子どもにしか書けない日記ですよね!
ちなみに、向こうに立ってるのが私で、後頭部がもっくんだそうです。

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7月19日 聖日礼拝

ヨハネの福音書 3章22〜36節
「天から与えられるもの」
 
今日は、真の意味での「謙遜」とは何かを学びましょう。
謙遜なふりをする人は多いけれど、本当に謙遜な人とはどのような人でしょうか?
 



それは、天から与えられたものを素直に受け取っている人です。
「私には賜物なんてありません。」
「知恵なんてありません。」
「私には何もできません。」
こう言う人々は、多くの場合「そんなことはありませんよ!」と言われることを期待しています。
おだててほしいから、自分をさげすんでいるだけで、それによって満足を得たいのです。
これは謙遜ではありません。
「できること」は「できる」と、「難しいこと」は「難しい」と言えばよいのです。
もし「難しいこ」とを主が求めておられるなら、努力する必要があるでしょう。
そして、なしとげるために主に求めればいいのです。
「あなた方の中に知恵の欠けた人がいるなら、その人は、だれにでも惜しげなく、とがめることなくお与えになる神に願いなさい。そうすればきっと与えられます。」ヤコブ1:5
「足りないこと」は問題ではありません。
「自分の能力を知らないこと」のほうが問題です。
それを求めていくとき成長できます。
 
「彼らはヨハネのところに来て言った。『先生。見てください。ヨルダンの向こう岸であなたといっしょにいて、あなたが証言なさったあの方が、バプテスマを授けておられます。そして、みなあの方のほうへ行きます。』
ヨハネは答えて言った。『人は、天から与えられるのでなければ、何も受けとることはできません。』」
3:26〜27
ヨハネの弟子たちは、ヨハネよりもイエスに従う人々が増えているのを知って不安を感じ、ヨハネに訴えました。
こんなとき、人の中に嫉妬心、競争心、党派心が起こるのはよくあることです。
他の人が自分よりも用いられると、心穏やかでなくなるという経験があるでしょう。
それは、知らないうちに心に入り込み、支配し、祝福を失ってしまいます。
出世していく部下を、心底から祝福できるでしょうか?
むしろ、自分に不利になるような「芽」は早く摘んでおこうと画策するのが人の常です。
人はそういう弱さを持っているということを知っていないとサタンにやられてしまいます。
知っていれば備えができます。
 
人は主から与えられたものでなければ何もできません。
人とは違う固有の物を、主は私に与えてくださっています。
自分と異なるやり方でも、それが用いられるのなら受け入れる心の広さが大切です。
むしろ、タイプが違うからうまくやれるともいえます。
主が私に与えてくださったものと、与えられなかったものをしっかりと受け取りましょう。
そして、他の人に与えられているものを認めましょう。
バプテスマのヨハネの態度から学ぶべき事は、
「おのおのに使命がある。競争ではない。自分はキリストとは異なる賜物を受けている。」
という自覚です。



「あなたがたこそ、『わたしはキリストではなく、その前に使わされた者である。』と私が言ったことの証人です。
花嫁を迎える者は花婿です。そこにいて花婿のことばに耳を傾けているその友人は、花婿の声を聞いて大いに喜びます。それで、私もその喜びで満たされているのです。
あの方は盛んになり、私は衰えなければなりません。
上から来る方は、全てのものの上におられ、地から出るものは地に属し、地の言葉を話す。…
神がお遣わしになった方は、神の言葉を話される。神が御霊を無限に与えられるからである。」
3:28〜34
ここにはバプテスマのヨハネによる、キリストについての証言が書かれています。
すなわち
・教会の花婿
・上から来られる方
・御霊を無限に与えられた方
です。
 
自分をよく知ることは大切です。
自分が今歩んでいる中で、主が与えておられる使命は何かを知ることです。
他の人とは違う、主から与えられた使命を果たせるよう、祈り、支えるのです。
私たちの教会には、英会話、体操、パン作り、NPO法人など多くの働きがありますが、それは個人から始まったものです。
「あたらいいな。できたらいいな。」
という発想こそが賜物です。
賜物がある人しか気付けないのです。
気付かないひとを裁くのではなく、同労者を見つけましょう。
そして、自らが中心になって建て上げていきましょう。



もっくんの長い一日♪

朝から忙しい1日でした。
まずは郵便局に行き、図書館で本を返して借りて、ちょいと楽器を積み込んで、帰宅したのが1時半。
もっくんも一緒に連れ出したんですが、二人して車の中で
「腹ペコで死にそうだ〜!一緒にガツガツ食べようね。」
と叫びながら空腹に耐えました(^。^;)

で、文字通りガツガツ食べ、少し休憩してから名古屋へε=ε=┏( ・_・)┛
高島屋で始まったばかりの「不思議の国のアリス展」を見るためです。



 
長い旅♪



 
りーちゃんはアリスが大好き♪
前回名古屋に行った時にチラシを見つけて、
「絶対行こうね!」
と、何度も釘をさされていたのです。
ついでにアリスのスタンプラリーもやって、シールをGET♪



 
長い旅♪



 
次はお洋服(*^o^*)
来週の土曜日はピアノの発表会なのです!
ちょっと高めな服を思い切って買いました。



長い旅♪



 



長い旅♪



あちこち見て迷ったあげく、りーちゃんはLIZ LISA、ふーみんはローズファンファンで決まり。
その間付き合って くれたもっくん、お疲れ〜〜〜。
せっかくの服に恥じない演奏を期待したいですが…(^_^;)



日食!

天気予報では降水確率70%ぐらいだったので、無理かなあと諦めていたのですが…
見られましたよ〜〜〜(≧∇≦)

職場には、日食観察用の手作り色眼鏡持参の人あり、望遠鏡をセットして、みんなに見せてくれる人あり。
若者たちもワラワラと集まってきて、大いに盛り上がりました!



日食!



手作りフィルターごしに撮影した画像はさすがに欠けていることさえ確認できませんね(^。^;)
もう一枚は、望遠鏡を通して、紙に投影したもの。



日食!



これは10時半頃の様子です。
美しく見えてるでしょう?
中にはお子さんが奄美に行ってるという方もいて、スゴいな〜と感心しました。
ふーみんも、補習の合間に見たらしいですよ。
こちらの方は太陽か程よく薄い雲に隠れた時があって、肉眼で見たようです。
次の日食も生きて見られるかなあ(^w^)



今日のいろいろ

今朝、通勤途中、 「道路すいてるな〜」 なんて暢気に考えてたら、今日は祝日じゃありませんか…(^_^;) そんな休日出勤だったステファニーです。

代休があれば、休日出勤も苦にならないんですけどね…



で、帰宅してすぐズームインをチェ〜〜ック! 登場したとき、どこにいるのかわかりませんでした。 なるほど。 10歳若返ってる…

今日のいろいろ

でも(?)大好きです!佐藤さん!!!

7月12日 聖日礼拝

ヨハネの福音書 3章1〜15節
「新しく生まれなければ」



ヨハネの福音書の特徴は、個人的な対話が多いことです。
今日の箇所では、ユダヤ人の指導者ニコデモとイエスの対話が書かれています。
 



「この人が、夜、イエスのもとに来て言った。『先生。わたしたちは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神がともにおられるのでなければ、あなたがなさるこのようなしるしは、だれも行うことができません。』
イエスは答えて言われた。『まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。』」
3:2〜3
 
イエスは「答えて言われた。」と書かれていますが、ニコデモは質問しているでしょうか?
イエスは、心の中にある疑問に答えられたのです。
語っている言葉の背後にある求めや意見を汲み取って、それに応答することが大切だということを教えています。
その人に感心を持っていなければ、隠された意味を汲み取ることはできません。
 
ニコデモが見ていたのは「しるし」でした。
それだけで神の国を見ることはできません。
しるしは象徴であって本質ではないからです。
ニコデモには中身まではわかりませんでしたが、「神から使わされた方だ」ということは分かっていました。
たとえば、「十字架」はキリスト教会の象徴です。
十字架を掲げてあればそこが教会だと分かります。
しかし、中に入らなければ教会がどんなところなのかはわかりません。
神の国を見るためには、新しく生まれて神の国に入らなければならないのです。
 
では、どうすれば神の国に入れるのでしょう?
イエスは「水と御霊によって」(3:5)生まれると言います。
「水のバプテスマ」はバプテスマのヨハネが授けていた物です。
それは、神の国が近づいたから、悔い改めるように…という呼びかけに応えた人々に授けられました。
悔い改めは、キリストのあがないによって完成されます。
それこそが「神の国」の訪れだからです。
「また、あなたがたも、キリストにあって、真理のことば、すなわちあなたがたの救いの福音を聞き、またそれを信じたことによって、約束の聖霊をもって証印を押されました。
聖霊は私たちが御国を受け継ぐことの保証であられます。これは神の民の贖いのためであり、神の栄光がほめたたえられるためです。」
エペソ1:13,14
 
悔い改めとは、「向きを変える」ということです。
自分がよいと思うことに執着することをやめて、やり方を変えるということです。
手のひらを握ったままでは何も受け取ることができません。
ぎゅーっと握っている指をひとつずつ開いていきましょう。
そうして主のみ手に明け渡していくとき、主はそれを「よいもの」にして返してくださるのです。



夏休みだ〜〜〜(^^;

昨日は小中高いずれも一学期の終業式でした。
 
3人とも1学期間、無遅刻・無早退・無欠席!!!
特にもっくんとりーちゃんは「1年生」になって大きく環境も変わったのに、よく頑張ったと思います(^∇^)
 
終業式と言えば「通知票」(^^;
 
高校生のふーみんは個人懇談で通知票を頂いてきたので、数日前に成績はわかっていましたが。
ふーみんのクラスでは「クラス通信」で「期末で10位以上アップしたで賞」というのが発表されていて、その中にふーみんの名前も載っていましたw
数学に悩まされた去年のことを思うと、「文系」に進んだ今年は楽園です!!!
苦手科目に費やしていた時間を得意科目に回せたおかげか、かなりいい評価をいただいてきました。
 
で、りーちゃん、まさに「中の中」という成績でした^^
りーちゃんが得意としている美術や技術家庭がもう少し評価していただけたら、本人も満足できたろうに…
きっと悔しい思いをしているという気がします。
 
もっくんは、これ以上望めないほどです。
でも本人はご不満で、○に自分で鉛筆で書き足して◎に直してきたそうです!!!
それをおばあちゃんに咎められて、私が帰宅したときには非常にフキゲンでした(≧д≦)
でも、聞いてみると、おばあちゃんに指摘される前に「自白」し、言われなくても消しゴムで消したそうですから、だまそうというほどの悪意があったわけではないのでしょう。
 
 
夏休みと言っても、ふーみんは7月末まで午前中補習授業。
その後は画塾の「夏期講習」が週に2日ぐらいのペースであります。
りーちゃんは連日部活。
もっくんも、「学校開放」がある日は登校してもらうように説得。
最初は「行きたくない!」っていやがっていましたが、サッカー教室にも行っているお友だちが参加すると聞いて、「行けばいいんでしょ!!」と折れてくれたので、ほっとしました。
どちらにしても、昼ご飯はおばあちゃんにお願いしなければいけません。
よろしくお願いしますm(_ _)m







ツバメ便り☆エピローグ

7月5日(奇しくもふーみんの誕生日)に巣立ったツバメたち。
実は、その後1週間の間、毎晩わが家に戻ってきたんですよ。
夕方になると家の前にある電線に集合して、すい〜っと巣に飛び込んできていました。
それからちょうど7日目、巣の前で何度も旋回して、そのまま行ってしまいました。
もう巣には入りませんが、今でも朝とか夕方にちょいちょい顔を見せてくれます。
車庫に面したキッチンの窓から見ていると、さえずりながら近くに寄ってくる姿は、まるで「おはよう!」と挨拶してくれているみたいで本当に可愛いです。
そのうちに古巣のことは忘れて、いつか南に飛び立っていくんだろうな。
間近で子育てを見せてくれて、ありがとうね!ツバメちゃん(^^)/〜〜



やったね!!!

佐藤さんが来年のNHK大河ドラマに!(≧∇≦)
 
「たける便」によれば、「龍馬伝」に岡田以蔵役で出演とのこと。
どのくらい出番があるのか、よくわからないのですが、なんだか歌手で言えば「紅白歌合戦」に出場が決まったようなうれしさです!!!
ああ、ますます大きく羽ばたいていくのね。
こんなにとんとん拍子に出世(?)していいのかしら…と不安になるのもファンだからこそ。
心から応援してますから。
ずっと。



7月5日 聖日礼拝

ヨハネの福音書 3章16〜21節
「愛の証として?」
 
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」3:16
 



「信じる」とは「主の愛を受け取ること」です。
「行い」によって愛されるのではありません。
まず、神が私たちを愛してくださいました。
信仰生活はよく夫婦にたとえられます。
夫婦になるように、キリストと共に人生を歩み始めるのです。
一緒に生活していると、困難も、喜びも、分かち合います。
一緒に何かをすることで絆が深まります。
涙の経験を通して絆がさらに強くなります。
苦しみがあっても、そこに主が共におられることを知るからです。
 
「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。」ヨハネの手紙第1 4:10
 
クリスチャンなら、神が私たちを愛しておられることは知っています。
しかし、その愛がどれほどか、人によって感じ方が違います。
より豊かに、より深くそれを知ることが私たちの使命です。
「どれほどか」を実感することで私たちの愛の行為が生まれます。
礼拝にしろ、捧げものにしろ、それは「自発的なもの」です。
本来自発的であるものを形で教え込むことが「律法主義」であり、イエスはそれを嫌われました。
形が大切なのではありません。
そこに愛の動機があるかどうかです。
背伸びする必要はないのです。
まず、主の愛を知るための努力をしましょう。
主の愛を知るほどに主に仕えたいと思うようになるからです。
これが命です。
形だけを整えようとすると命を失います。
 
ダビデ王を見てください。
彼は、契約の箱が町に運び込まれたとき、喜びのあまり公衆の面前で踊りました。
それを見ていた妻のミカルは
「イスラエルの王は、きょう、ほんとうに威厳がございましたね。
ごろつきが恥ずかしげもなく裸になるように、きょう、あなたは自分の家来のはしための目の前で裸におなりになって。」
と嫌みを言ったほどに、ダビデは全身で素直に喜びを表現したのでした。
妻にさげすまれても、内側から湧いてくる感情を抑えきれなかったのです。
 
私たちは神の愛を深く知るために生かされています。
「つらい地上を離れて、早く御国に行きたい。」
と言われる方もいます。
苦しい経験をされている方なのでしょう。
しかし、私たちは、生きて、主の愛を受ける経験をしていかなければなりません。
それによって、自分も愛に生きようという思いが与えられます。
受けた物を与えることを学びましょう。
与えることでさらに愛が分かります。
こうして愛の循環が生まれるのです。
 
「神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。」
3:17
 
「裁く」という言葉には恐ろしい響きがあります。
この言葉は元々「分ける」という意味であり、「良いものと悪い物」「使える物と使えない物」を分けるということを表しています。
そして、イエスは裁くためではなく、救うために来られたというのです。
「救い」は「選び」でもあります。
 
みなさんはもう定額給付金を受け取られましたか?
私は先日、ご自分では受け取りに行けない方のために手続きをしてきました。
これは日本にいる全ての人々に給付されます。
全ての人に「申し込み用紙」が配られているはずです。
書類にサインをして口座番号を記入し、申込用紙を送れば、そこにお金が振り込まれるのです。
でも、もらいたくない人は受け取る義務はありません。
全ての人が招かれています。
ただ、受け取るかどうかは本人が判断するのです。
「応募者の中から抽選で当たった人だけがもらえる」のではありません。
応答した人が選ばれる…これが神の選びです。
無理強いはされません。
駅前でチラシを配っている人を見てください。
むりやり渡しても、要らない人に渡しても、すぐに捨てられてゴミになるだけです。
 
主に応答した人たちが、神の家族になっていく場所、それが教会です。
教会は「完成された」ものではありません。
絶えず絆ができていく途上にあるのです。



プロフィール

ステファニー

Author:ステファニー
プロテスタントのクリスチャンです。
佐藤たけるさんおたくです。

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