こんなのも♪

ほんとは、このポロシャツが第一希望だったのです。
だけどamazonさんでは売ってなかったのです。
それで、諦めてTシャツにしたのです。
そしたら、そのあとでYahooで見つけてしまったのですorz
でも、ちゃんと両方とも着るから!!!
土曜日は姪っ子のなっちゃんが遊びに来ました。
というか、朝から退屈気味のもっくんが電話して、うちに呼び寄せたと言った方が正しいです。
小6のなっちゃんと中1のりーちゃんとで、もっくんの面倒をよくみてくれました。
この画像はその一こま。
散りかけたチューリップの花びらで「お寿司」。
そして、いろいろな花びらを集めて「サラダ」です。
春らしい子どもの遊びですね(*^∇^*)
コリント人への第一の手紙 15章50〜55節
「死は勝利にのまれた」
教会で必ず祝われることがふたつあります。
それは、イースターとクリスマスです。
このふたつには「命の誕生」という共通点があります。
クリスチャンにはふたつの誕生日があります。
地上に生を受けた誕生日と、新しく生まれ変わった日です。
「新しく生まれる」とは、十字架によって罪に死に、新しく霊的な命を得るということです。
そして、肉体的な命のためには「食べ物」が、霊的な命のためには「みことば」が必要です。
「クリスチャンはなぜ先祖に手を合わせないのか?」
とよく尋ねられます。
確かに先祖は大切です。
先祖がいたから、私たちが生まれたからです。
しかし、先祖をずっと遡ったとき、その先祖を創った創造主にたどりつきます。
私たちは、その創造主を礼拝するのです。
礼拝するのは神、先祖には感謝、です。
「創造主である神のみを礼拝する」ことは、神と人間とが信頼関係を保つための「約束」です。
神との信頼関係を壊さなければ思いのままにしても良い、という自由が、私たちには与えられています。
守るべきことはごくわずかです。
日本人は「4」や「9」という数字を嫌います。
それは死や苦を連想させるからです。
肉体的な死は、私たちから全てを奪います。
そして、霊的な死とは、自分の価値や尊さが分からない状態です。
それは「朽ちるもの」であり、「死ぬべき存在」です。
「朽ちるもの」は聖い神との交わりに立てません。
これは厳しいことでしょうか?
ちょっと考えてみましょう。
?私が幼かった頃、まだ子どもたちは元気に外で遊び回り、泥だらけになって家に帰りました。
「ただいま」と帰ると、母が必ず言いました。
「手と足を洗って、ほこりを払ってから家に入りなさい」
と。
そうでないと、せっかく掃除した家の中に泥が入り込んで台無しになってしまうからです。
?製菓工場などには「クリーンルーム」があります。
工場の中に虫や埃を持ち込まないためです。
小さな虫でも入ると、大騒動になって機械を止めて消毒をします。
製品の中に一つでも虫が入ったら、会社の信用が損なわれるからです。
?病室に入る前にはポンプ式のアルコールで手を消毒します。
療養中の人に、最近やウィルスを持ち込まないためです。
私たちは、聖い神の国の中に、汚れたままで入ることができません。
「手を洗い」「ほこりを払い」、清めてから入らなければ成りません。
それは当然のことなのです。
神との関係を修復するために、キリストが罪を清め、ぬぐってくださいました。
キリストは、「初穂」として死者の中から復活されました。
それは、キリストを信じるものも、必ずよみがえることの証明です。
「死は勝利にのまれた。」15:54
私たちは、愛する者を失っても、永遠の別れではなく再開できるという希望があります。
死は悲しみでは終わらないのです。
そして、私たちが神の国に迎え入れられるとき、自分がどれほど愛されているかが分かります。
神から直接聞くことができるからです。
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