トマト?みかん?

トマト?みかん?
キューピー第二弾!
今日また2体キューピーを仕入れてきたので、まだまだ作る気満々ですよ〜
てか、こんなことしてて感想文間に合うのか!?



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ファーストスパート||(;-_-)|||

昨日で仕事が一段落。
今日から在宅でできる仕事に入っています。

「りーちゃん、宿題進んでる?」
「ん〜どうだったかなあ?」
「ちょっと!一覧表、確認してよ!」
よく見てみたら、学年出校日までにやらねばならなくて、なおかつできていないのが二つも(*゜▽゜*)
しかもそれが「愛鳥週間ポスター」と「読書感想文」という大物!!
出校日は8月2日!!!
オイ!!!!本も読んでないよ!!!!!
こりゃ、あしたまでつきっきりダワ…(-。-;)



マスカットキューピー♪

マスカットキューピー♪
手芸に燃えているりーちゃん。
今日はキューピーに挑戦です。
本の作り方を見て作ったわけではない!というのがスゴイ(*゜▽゜*)
フェリシモのカタログに載っていた写真をもとにしてアレンジしていました!
もう一体キューピーが買ってあるみたいなので、次はどんなのができるか楽しみです♪



7月22日 聖日礼拝

7/22
テモテへの手紙第一 1章12〜17節
「人々の見本として」



?「キリストは、私をこの務めに任命して、私を忠実な者と認めてくださったからです。」
救われた…というそのこと自体すばらしいことですが、私たちは救われたことによって使命を、生き甲斐をも与えられました。
何かの任務をゆだねる時、だれにゆだねるでしょうか?
もちろん責任を果たしてくれそうな人です。
主が務めに任命してくださるということは、私がそれにふさわしいと見てくださったということです。
だからこそパウロは「主に感謝をささげています。」と言うのです。



?「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた。」
これこそが福音の中心です。
パウロは自らを「以前は神を汚す者、迫害する者、暴力をふるう者でした。」と告白しています。
彼はキリストに出会うことによって、自分の姿に気付きました。
パウロは決して「神を汚そう」として行動していたのではありません。
むしろ「神の栄光のために」という信念を持って、キリスト教徒を迫害していました。
いっしょうけんめいやっていたけれど、的をはずれていました。
キリストの光に照らされた時、的はずれなことをしていたことに気付いたのです。
自分が罪人であることを知ったのです。
聖い方に触れた時、自分の醜さがわかります。



?「私はその罪人のかしらです。」
「かしら」ということばは、「首領」というよりも「代表者」「見本」と解釈したほうがよいでしょう。
私たちの教会には、感謝なことに様々な道を通って救われた方々がおられます。



私は3代目のクリスチャンですから、クリスチャンホームで育つ子ども達の気持ちがよくわかります。
以前こんなことがありました。
ある宣教師が日本に遣わされるにあたって証を書かれました。
それを読んだ福音自由教会の協議会の面々は
「これは証とはいえないのではないか?
救いについて何も書いてない。」
と言うのです。
その方達は初代クリスチャン。
全くの異教徒であったのに、キリストに出会ってはっきりと罪を自覚して救われた経験を持つ人ばかりでした。
私は同じ証を読んで、
「いい証ではないか!」
と思いました。
何代にもわたるクリスチャンホームで育った子どもにとって、神の存在は自明のことであって、疑ったことすらないような事実なのです。
生まれる前から教会に通い、神様を知っている者には劇的な救い体験はありません。
だからといって救われていないのではありません。
私にはそのような方達の気持ちが、自分の体験からよくわかります。



私たちは様々な体験を通して神に出会った者たちの見本です。
見本はいろいろあるほうが良いのです。
同じ境遇にある人を理解し、励まし、助けることができるからです。
だから、多様性が必要なのです。
「なぜ私がこんな辛い目にあわなければならないのか?」
というような経験でも、それが宣教の証として用いられます。
私たちは自分らしく生きなければなりません。
自分の境遇を受け入れ、自分らしく生きていくとき、それが人々への見本となり、宣教へとつながっていくからです。



ナムコのカード♪

ナムコのカード♪
夏期学校の帰りに、ちょっとア〇タへ寄り道。
ふーみんに頼まれたアクセサリー類を買うついでに電王カードダス探し。
第一弾の時はちっとも見つからなかったのに、3機も発見!
とりあえず2セット買いました。
あ、もっくんが、ですよ(^_^;)
シールダスもあったので一枚GET!

そのゲーセンに張り紙が…。
2週間交替でゲキレンのシールと電王のトップトランプがもらえるというイベントです。
前から情報は知っていたんだけど、わざわざ行くのも面倒で記憶の片隅に追いやっていました。
イベント始まってからすでに1週間すぎてたからダメかな〜と覚悟しつつカウンターへ。
カウンターには誰もいなくて、横のポスターには「1000枚限定」って書いてありました。
ますます不安を感じながらも、強気なオバサンですから!
やっと現れた店員さんに
「これってもう終わってますか?」
とたずねたら、すんなり出てきました!
やはり言ってみるもんですねぇ。
これなら来週もトライしてみようってい う気になりました。
来週はたしか電王のライダーパスがもらえるはずだしね♪



これは昨夜

これは昨夜
保育園で夏祭りが行われました。
盆踊りをして、夜店ごっこで楽しみました。
水ヨーヨーやお面やさん、わなげ、くじ引き。
用意してくださった役員さん、ありがとうございました!



モモタロスTシャツ♪

モモタロスTシャツ♪
今日は小さいほうの子どもたち2人が教会の夏期学校に参加します。
りーちゃんはお泊まりもしてきますよ♪
お天気もいいし、水遊びとか思い切り楽しめそうです!
私はモモT着て「俺、参上!」で付き添いしてきますよ(=^▽^=)

ふーみんは1人残ってお勉強。
受験生はつらいね┐(´〜`)┌



ハリーポッター第7巻

amazonで予約してあったので発売日に到着しました♪ 
まだ読み始めたばかりでやっと4章。
今回はふーみんのために本格的和訳に挑戦中。
読み聞かせだとどうしても時間がかかってしまうので、受験生にはちょいとまずいか…と思いまして。
そしたら
「ともだちも読みたいっていってるけど、いい?」
と言われてどうしようかと迷っています。



なんといっても全然解釈が間違ってたら!?というのが不安です。
うちの中でのことなら「まあ、いいじゃん」で済ませちゃうんだけど、仕事がらねえ…。



あとは、大げさかもしれないけど翻訳権とかどうなんだろって思ったり。
たとえばブログに和訳のせちゃったりするのはまずいんでしょうねえ、きっと。
静○社さんに叱られますよね。



ま、それはさておき内容のほうはまだまだこれから展開する感じなので、楽しみながら読みたいです。
なんといってもこれが完結編。
読み終わってしまったらきっと
「ああ、もっと読みたかったのに」
って思うだろうしね。
ていうか、是非そう思わせてくれるような終わり方であってほしいな。



遊戯(BlogPet)

きょうは、こすもすは崇拝された!
それでJoyがかりんと信仰とか遊戯した?
それでスーパーが仕事するはずだったの。

*このエントリは、ブログペットの「Joy」が書きました。

7月15日 聖日礼拝

ヨハネの手紙第一 3章16〜18節
「愛の実践としての福祉」



物の価値はどのようにして判断できるでしょうか?
一つは値段によって測ることができます。
端的なのはオークションです。
その物に高い価値を見いだした人は、どんなに高い値を付けてでも買い取ろうとします。
また大根1本の値段にしても、買う人の金銭感覚によって、また商品に対する知識によって判断は違ってくるでしょう。
さて、私たち人間の価値を、主はどのように見ておられるでしょうか?



「キリストは、私たちのために、御自身のいのちをお捨てになりました。」
父なる神にとっては、ひとり子を引き替えにしてもよいと思われるほどの価値があると考えておられるのです。
主は私を、それほど大切にしてくださる。
主は、私以外の人々をも、それほど愛しておられる。
マザーテレサはインドで死にゆく人々を見た時、「キリストが命をかけて愛された人々」ととらえ、キリストに仕えるように彼らに仕えました。



「ですから私たちは、兄弟のために、いのちを捨てるべきです。」
捨てる…ということは無駄にすることとは違います。
当然自分のために使っても良い物を削って他者に与える…という意味です。
身近な例をあげてみます。
「子どもがいなかったら、夫(妻)がいなかったら、もっと自分のためにお金や時間が使えるのに」
これは事実かもしれませんが、本気でそうは思わないでしょう。
私たちは、自分のために使えるものを、あえて「犠牲」にしていくことに価値を見いだすのではないでしょうか。



「世の富を持ちながら、兄弟が困っているのを見ても、あわれみの心を閉ざすような者に、どうして神の愛がとどまっているでしょう。」
世の富を持ちながら…と書かれています。
無い物を出せと求められているのではありません。
「今持っている物」から、今できることから、始めればよいのです。
それは、「必要を感じ取る心」「隠れている必要を見つける目」がなくてはできないことです。
互いを大切にしあうことがスタートです。



福祉において注意すべきことで「手伝いすぎてはいけない」ということがあります。
以前肢体不自由な方たちの施設にお手伝いに行った時に言われたことです。
その人にできることを手伝ってしまうと、今できることもできなくなってしまいます。
足らない力を貸し、支えることが大事なのです。



プロフィール

ステファニー

Author:ステファニー
プロテスタントのクリスチャンです。
佐藤たけるさんおたくです。

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