成長感謝礼拝

先週の日曜日は「成長感謝礼拝」でした。

いわゆる「七五三」は神社にお参りするんですが、クリスチャンはしませんよね。
で、まだクリスチャンじゃないおばあちゃん、おじいちゃんたちにはちょっと寂しい思いをされる方もいるんです。
それなら教会でも子どもの成長を感謝し、祝福をお祈りしようということで、うちの教会ではこの行事が行われるようになりました。

この日がちょうどりーちゃんの「学校公開日」と重なってしまい、どうしようかと思案していました。
しかも、いつもは「感謝礼拝」に来てくれる実家の母が、親戚の法事で来られなくなったのです。
一応もっくんは満三歳で、七五三写真だけは前撮りしていたこともあり、せっかくの機会です。
結局私ともっくん、ふーみん、うちのおばあちゃんとで参加することにしました。

もっくんはスーツでばっちり決めて、大人もよそ行きでおめかし。
礼拝の中で、幼稚科と小学科の子どもたちの歌が披露されました。
説教は「にじいろのさかな」のスライドと聖書から。

ひとりひとりが持っている「にじいろのうろこ」を見つけてあげよう。
そして「にじいろのうろこ」をひとりじめせずに、分かち合うことでみんなが幸せになれる。
というようなお話でした。
ふーみん、りーちゃん、もっくん。
それぞれが持ってる「にじいろのうろこ」って何だろう?
勉強とか、成績とか、そういうものにとらわれず、子どもの持ち味をちゃんと見極めなければいけませんね。

礼拝後、「七五三」の年齢とは関係なく小学生以下の子どもたちは牧師から祝福の祈りをしていただきます。
そして、家族事に写真撮影。
ダンナはどうにか写真には間に合って、家族5人で撮っていただきました。
感謝!

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新会堂で礼拝♪

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とうとうやってきました。
この日が。
ここに教会ができて30周年の今年、新しい会堂で礼拝が始まりました。

「わたしを愛し、わたしの命令を守る者には、恵みを千代にまで施すからである。」出エジプト20:6
私たちの教会が指針としているこのみことばからの説教でした。

「わたしの命令」とはどの命令でしょうか?
この箇所はモーセが主から十戒を告げられたところですから、当然「十戒」でしょう。
イエス様は十戒を最も大切な命令として2つに要約しています。
 「心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。」
 「あなたの隣人を自分と同じように愛せよ。」

これはクリスチャンに向かって語られている言葉です。
教会内の人間関係、そして家族の中で、「相手を愛し、受け入れること」。
ここを礎として進んで行きましょう。

信仰とは神への信頼!

久しぶりに5人揃って教会へ。
先週はもっくんがインフルエンザで、私は看病。
その前はりーちゃんが(たぶん)インフルエンザでダンナが看病。
今日の礼拝もインフルエンザで欠席の方が何人かおられたみたいです。

さて、今日の説教:ヘブル人への手紙 11:1〜3,6
「神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを信じなければならないのです。」

「神がおられると信じる」こと。
どんなときでもいっしょにいてくださると信じること。
全てが順調で感謝にあふれている時だけではないのです。
たとえ罪を犯してしまったとしても、神様は「7の70倍」(=無限に)赦してくださり無条件で私のそばにいてくださるのです。

「神を求める者には報いてくださる」こと。
「神何か」求めるのではなく、「神」求める者と書かれています。
神様にあれこれ注文するのではなく、神ご自身を求める心が大切なのです。
「信仰」とは「信頼」です。
信心深い行動をすることではありません。
「神様がともにいてくださる、決して見捨てることなく導いてくださる」と信頼することなのです。

遅すぎることはありません

最後の晩餐の席でイエスは言われました。
「この12人の中に私を裏切るものがいます。
人の子を裏切るような人間は呪われます。
そういう人は生まれなかった方がよかったのです。」
あえて名指しせずに。
これはユダにとっては思い直す最後のチャンスでした。
罪には必ず刈り取らなければならない罰が伴います。
でも神様は人を罰したり呪ったりすることを望んではおられるわけではありません。

「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。
ーーー主の御告げーーー
それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。
あなた方が心を尽くして私に祈るなら、わたしはあなたがたに聞こう。」
エレミヤ書29章11〜12節

でもおそらくユダは「もう遅すぎる。」と思ったのでしょう。
もうお金を受け取ってしまった。
あともどりは出来ない。
もう手遅れだ。

向きを変えて前に一歩踏み出していたなら、
心を尽くして悔い改めたなら、そこには全く違う道が開けていたかもしれません。
主は最後の瞬間まで、待っておられるのです。

私はどうでしょう?
後ろを振り返って後悔ばかりの時もあります。
でも、過ぎたことは過ぎたこと。
「今」と「これから」に目を向けて古い自分を脱ぎ捨ててすすみたいです。
生きている限り「もう手遅れだ」ということは決してないことを忘れないで。

ひとりより二人のほうが

「ひとりより二人の方がまさっている。
みつよりの糸は簡単には切れない。
倒れても助け起こしてくれる人のいない
ひとりぼっちの人はかわいそうだ。」

ケータイで大した用件もないのにメールしたり、
パソコンでチャットにふけったり。
だれもが
「孤独はいやだ。人とつながっていたい。」
という心を持っているという現れでしょう。
でも、バーチャルな世界のつながりより、
生身の、目の前にいる人を大切にする方がはるかに大切なことです。

たとえば、真夜中に電話がかかってきて、すぐにその人のところに駆けつける・・・。
自分のためにそこまでしてくれる友がいますか?
逆にそこまでしたいと思うほどの相手がいますか?

神様が「教会」を「キリストの体」と言われるのは、教会がそのような関係を築くべき場所だということなのです。
「ふたり、または3人が心を合わせて祈るとき、私もその場にいる。」と主は言われます。
  1+1=3
  1+2=4
なのです。

私の反省: まず目の前にいる家族を大切にすること!

プロフィール

ステファニー

Author:ステファニー
プロテスタントのクリスチャンです。
佐藤たけるさんおたくです。

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